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罪と罰を逆方向で考えると
とある フォーラムで死刑について話題になり、秋葉原や土浦のような悲劇を見ると、本当に犯人はふざけているとしか言えません という話になりました。そして、それに関して 「 罪と罰を逆方向で考えると、自分の命を差し出せば、人を殺してもいい」ということですか?」という疑問が提起され、それに私は 偉そうに ”あなたの理屈からしたら、どんな罪でも罰を受ければやってもいいということになるんだけど? そんな屁理屈持ってきてなんで都合よく死刑だけをとりあげるの? そもそも社会において犯罪がなくならないのは当たり前。 罰あくまで減らす目的でしかない。 犯罪が0になったら、より厳しい法律を作って犯罪者を作り出すのが社会というものでしょ。 詐欺がなくなれば、損害を受けたわけでもないのにうそをついただけで犯罪になるとかね。 今すぐ犯罪をなくすのは簡単だよ。法律をなくせばいい。 あなたが言ってる屁理屈はこれと同レベル、 根本的におかしいからこんな考え方の基で解決策なんか模索してもまともな答えなんかでるわけない。” と偉そうに 答えたんですが、 自分で答えが出せないことを 屁理屈だと卑下し、相手の質問か ら 逃げていたと反省しています。 勿論、"自分の命を差し出せば、人を殺してもいい"とは なりませんが、どうしてなのか私も説明できません。 説明できる方はおりますか?
- Erdbeerkegels
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- 0_asuka
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「自分の命を差し出せば、人を殺してもいい」は、元の命題の対偶になっていない。 対偶になっていないのだから、元の命題が正しくても、それが正しいとは限らない。 …ということではないかと予想する。 (要検証)
- hekiyu
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"自分の命を差し出せば、人を殺してもいい"とは なりませんが、 どうしてなのか私も説明できません。 説明できる方はおりますか? ↑ 前にも回答しましたが、これは、どうして人を殺しては いけないのか、ということを考えなければ説明できない でしょう。 そして、これを理論で説明することは出来ません。 ウイトゲンシュタインも、永井先生も説明できない としています。 そういうことで、理論で説明できるひとはいない と思います。
犯罪に対する罰則(量刑)は、その犯罪が罰を覚悟で犯しても引き合わないという観点で決められるものでしょう。でなければ罰を覚悟で罪を犯す人間が多発するはずです。ただ、日本での量刑の最も重いものが死刑なので、死刑を覚悟で犯罪を犯すものはこの考え方では防げないという”量刑の限界”があるわけです。 昔は死刑でも「切腹(自栽))からのこぎりびきまでいろいろあったのですが、今は絞首刑一本ですから、こういった問題が生じているわけです。 こんなところで説明になっていますか?
お礼
回答ありがとうございます。 例えば、法律は度外視して考えますが、盗み癖のある若い女性に こんど盗みを働いたら恥ずかしい画像をネットにばら撒くと脅すのは 最高の抑止力とお仕置きになると思うんです。でも、その女性が AV女優やストリッパーだったら あんまり意味はないわけです。 それと、死刑にしても 日本では年間 3万人近くが自殺し、自殺で最も多く用いられる方法は死刑の方法とも似ているわけです。これは、単純に考えれば 世の中には刑務所に入らなくとも 死刑より辛いことが沢山あるということになると思うんです。だから、死刑が果たして最高の刑罰なのか私も首を傾げます。
- toro1964
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結論なき議論でしょうから、私には検証不能です。 定義を「人を人が殺す」ということとして双方で考察してみたらいかがでしょうか。 少々定義が外れますが、人間が食用にしている動物にも知性と理性が存在しているかもしれません。
- バグース(@bagus3)
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そもそも罪と罰を逆に考えるということができないのです。 AならばBだからといって、BならばAとはなりません。 雨が降れば地面が濡れますが、地面に水をまいて濡らしても 雨は降らないでしょ。
お礼
回答ありがとうございます。 いや、私も単細胞で馬鹿ですが、ここまでは思いつきますよ。 >雨が降れば地面が濡れますが、地面に水をまいて濡らしても 雨は降らないでしょ。 いや、地面を濡らすには 雨が降るのを待てばいいわけでしょ。
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お礼
回答ありがとうございます。 >前にも回答しましたが、これは、どうして人を殺しては いけないのか、ということを考えなければ説明できない でしょう。 これは平民の考えでは 個人の最も大事なものを奪うからです。でも、私は 命は個人の所有物ではなく、神様から貸与されたものだと思っております。だから、平民にしてみれば 自殺するのは個人の勝手ですが、私は非常に罪深いと考えます。