• 締切済み

相補

いつもお世話になっております。 行きがかり上、上記テーマについてご質問させて頂きます。 お手柔らかに。 「意識」が、 相補的であるということは、 ・・・というよりも、全ては同時進行的なのではないか、と 考えました。 「認識は、認識する客体が存在して初めて、認識を可能とする」 ということ、と、門前の小僧としては認識するのですが、 意識が存在するということは、認識もする。 そのような認識の連続が意識である?ということで、よろしいのでしょうか。 よろしく、ご教示ください。

みんなの回答

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.5

お礼、ありがとうございます。 >でも、ここでは、主体と客体という問題が、クローズアップなので 私は客体以外を認識する作業が多いためか、認識が客体に限定して考えようとすると 大きな矛盾が生じ答えられないようです。 と書きながら一つ思いつきました(笑) 産まれてすぐ、認識が何も確立してない場合に至っては 客体の存在性が不可欠ではないかということです。 例えば見ようとする行為(意識)がなければ、目が客体の情報を拾ったとしても 人はそれを認識しているかと言うと必ずしもそうではありませんよね。 「ボーっとしていた」とか「考え事していた」とか意識を他にとばしている時 見てても見えず、声をかけられても認識として聴こえなかったりしますよね。 このように、ある程度まで認識が確立してしまえば客体を必要としない認識はできるが 最初の確立の段階では「認識は、認識する客体が存在して初めて、認識を可能とする」となると思います。 ゆえに認識の連続が意識ではなく、意識は向けるものであり 認識は情報を受け止めるものとなる。 いかがでしょうか? >?? 私が知らずに地雷を踏んだのだろうと思います。 お気になさらずに。 失礼しました。

kurinal
質問者

お礼

kanto-i様、こんにちは。ご回答ありがとうございます。 ♪「言葉も無い、俺たち」 >「産まれてすぐ、認識が何も確立してない場合に至っては 客体の存在性が不可欠ではないかということです。 例えば見ようとする行為(意識)がなければ、目が客体の情報を拾ったとしても 人はそれを認識しているかと言うと必ずしもそうではありませんよね。 「ボーっとしていた」とか「考え事していた」とか意識を他にとばしている時 見てても見えず、声をかけられても認識として聴こえなかったりしますよね。 このように、ある程度まで認識が確立してしまえば客体を必要としない認識はできるが 最初の確立の段階では「認識は、認識する客体が存在して初めて、認識を可能とする」となると思います。 ゆえに認識の連続が意識ではなく、意識は向けるものであり 認識は情報を受け止めるものとなる。」 表現は、他者に対する伝達、であるかもしれませんが、 単なる「反応」であるかもしれないと思います。 なるほど「風を受ける」は、本質なのか

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.4

>「認識は、認識する客体が存在して初めて、認識を可能とする」 客体がなくても、人間は認識できるようです。 外的な物が無くても、内面に意識を向ければ内面が認識できるので (練習が必要かもしれません)認識機能は、意識に付属するものかなと。 主従関係かもしれませんね。 実験で、外部認識できない状態を作るというのがあるのですが それでも意識はあります。 しかし、外部からの刺激が長時間ないと意識は衰退というか・・・狂いが生じ始めます。 認識からのフィードバック情報は、意識を保つのに必要ではあるようです。 逆に疲れている時は、情報制限すると元気になりますが。 ということで、認識の連続が意識ではないと思います。 お尋ねですが、日本人の大半が死刑賛成論者のデータの話は禁句だったんでしょうか? 過度の一般化なのか、洗⚪️的に大衆にそう思わせたいのかはよく分からないのですが・・・。

kurinal
質問者

お礼

kanto-i様、どうも。 >「実験で、外部認識できない状態を作るというのがあるのですが それでも意識はあります。 しかし、外部からの刺激が長時間ないと意識は衰退というか・・・狂いが生じ始めます。」 (笑) >「認識からのフィードバック情報は、意識を保つのに必要ではあるようです。 逆に疲れている時は、情報制限すると元気になりますが。 ということで、認識の連続が意識ではないと思います。」 はい。 でも、ここでは、主体と客体という問題が、クローズアップなので >「禁句だったんでしょうか?」 ??

回答No.3

相補的、あるいは相補性とは、広辞苑の定義によると・・・・・ 「電子や光は、いずれも波と粒子の二重性を持つ。量子力学の立場ではこの二重性は同じ現象に対する二つの数学的表現形式の相違に対応する。この二つの形式、あるいは一定の限界内での古典物理学的な波や粒子の考え方は互いに相補的であると言い、この性質を相補性という。ボーアの提唱した言葉」。 ・・・・・とあります。 ということは相補的とは、一つのモノを論じるのに二つのモノをもってする、ということだと思います。 あるいは一つのモノに両面がある、というべきか。 スピノザは神が唯一の実体で、心と身体はその実体の両面であり、性質である、と言いましたが、その場合の心と身体が相補的なものということができます。 ここで、あなたの質問ですが、あなたは「意識は相補的である」と言いますが、いったい何と何との二つが相補的だというのか、それがまずよく分かりません。 相補的とは二つのモノが一つのモノの両面で、互いに補っているということですよね? では、意識にとって、二つのモノとは何なのでしょうか? 「というよりも全ては同時進行なのではないか、と考えました」 ・・・・・と、あなたは言います。 「同時進行」とは何と何が「同時進行」なのでしょうか? 意識と認識が「同時進行」なんですか? それとも意識と認識が「相補的」なんですか? もし、意識と認識が「相補的」というのなら、一つのモノに対して意識と認識が「相補的」ということですから、1つのモノとはいったいなんでしょうか? 対象? 物体? 「相補的」とは一つのモノに対して二つのモノがあって互いに補い合うということですから、だとすると意識と認識は同格で、一つのモノの両面だということになりますが、そうでしょうか? 意識があるだけでは認識になりません。 たしかに認識するためには少なくとも最小限、私が意識を持っている必要があります。 もし、私が意識を持っていなかったら、認識することもないでしょう。 だけど、それを「相補的」というかと言ったら、言わないと思います。 認識にとって意識は必要不可欠だけど、意識にとって認識は必要不可欠とは言えないから、「相補的」とは言えません。 「認識は、認識する客体が存在して初めて、認識が可能になる」 ・・・・・と言いますが、それは認識の定義からしてそうなので改めて言うまでもないことです。 「意識が存在するということは、認識もする」 ・・・・・と言いますが、.必ずしも正しくありません。 自己意識というものもあり、その場合、対象を必要としませんから、認識は必要ではありません。 また私が何かを「イメージ」することも意識ですが、「イメージ」も具体的な対象を必要としないし、また認識を必要としていません。 そして意識は基本的にそれ自身流れですが、認識が流れかといえば、流れとは言えず、連続しているとも言えません。 もし、認識が意識と同じように連続していて、流れていたら、認識が成立せず、認識はすべて流れてしまいます。 意識は認識とは独立にそれ単独で連続しています、あるいは流れています。 認識は少なくとも意識がなければならないけど、意識は必ずしも認識を必要としていません。 だから、意識と認識は対象に対して「相補的」とは言えません。

kurinal
質問者

お礼

urigadai2013様、こんばんは。 ご回答ありがとうございます。 >「「ということは相補的とは、一つのモノを論じるのに二つのモノをもってする、ということだと思います。 あるいは一つのモノに両面がある、というべきか。」 そうでしょうか? >「ここで、あなたの質問ですが、あなたは「意識は相補的である」と言いますが、いったい何と何との二つが相補的だというのか、それがまずよく分かりません。」 はい。私としても「そんなことを言っただろうか?」と思うほど、よく分かりません。 >「相補的とは二つのモノが一つのモノの両面で、互いに補っているということですよね?」 それは、そうなのかなと思います。 >「認識にとって意識は必要不可欠だけど、意識にとって認識は必要不可欠とは言えないから、「相補的」とは言えません。」 了解です。 >「自己意識というものもあり、その場合、対象を必要としませんから、認識は必要ではありません。」 了解です。 >「また私が何かを「イメージ」することも意識ですが、「イメージ」も具体的な対象を必要としないし、また認識を必要としていません。 そして意識は基本的にそれ自身流れですが、認識が流れかといえば、流れとは言えず、連続しているとも言えません。 もし、認識が意識と同じように連続していて、流れていたら、認識が成立せず、認識はすべて流れてしまいます。 意識は認識とは独立にそれ単独で連続しています、あるいは流れています。 認識は少なくとも意識がなければならないけど、意識は必ずしも認識を必要としていません。 だから、意識と認識は対象に対して「相補的」とは言えません。」 了解致しました。

回答No.2

ここ、読め、ニャンニャン!! 相補性 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%A3%9C%E6%80%A7 不確定性原理は、 物理カテで質問をしてニャ。 運動量をp、その不確定性をΔp 位置をx、その不確定性をΔx プランク定数をh とすると、  Δp・Δx > h/2 という関係があるんだニャ。 時間とエネルギーもこういう関係にあるんだニャ。 こういう関係にあるのを相補的な関係にあるとか、不確定な関係にあるとかいうんだニャ。 不確定性は、《ゆらぎ(量子ゆらぎ)》ともいうニャ。 感覚的言うと、 電子レベルくらいのミクロの世界は、ゆらゆらと、ゆらいでるニャ。 電子とかの粒子の位置とかは、存在確率としてしか表わせないニャ。 あそこに○○の確率であるとしか言えないニャ。 確率の支配する世界なんだニャ。 あとは、 《シュレディンガーの猫》さんにお任せニャ。 シュレディンガーの猫 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%8C%AB

kurinal
質問者

お礼

NemurinekoNya様、ご回答ありがとうございます。 >「こういう関係にあるのを相補的な関係にあるとか、不確定な関係にあるとかいうんだニャ。 不確定性は、《ゆらぎ(量子ゆらぎ)》ともいうニャ。 感覚的言うと、 電子レベルくらいのミクロの世界は、ゆらゆらと、ゆらいでるニャ。 電子とかの粒子の位置とかは、存在確率としてしか表わせないニャ。 あそこに○○の確率であるとしか言えないニャ。 確率の支配する世界なんだニャ。」 「相補」と、「補完」は、違うんですね。 >「即ち、不確定性原理における相補的不確定性「位置(S) と運動量(St)、時点(T)と質量(Ts)の2対において、 一方を確定しようとするともう一方が無限不確定に発散 する」をベースとした物理を伴う宇宙を認識するのだ。」 「質問」が、おかしかったかもしれません。 悪しからず。

回答No.1

量子性において、エネルギーの取り得る値が不連続で あるように、空間的距離や時間的流れも不連続である。 「意識の連続性」は、物理的な根拠のない、意識上の ものだ。 それは現実にある、精神的疾患である、他人の痛みを 自分のもののように感じるものと同じである。 宇宙は、別の認識可能性を自己同一視するという、 ある種の精神異常として発生し、そこにおける自我成立 の必要としての自覚化=他人も共通であるという他我化 =愛によって補完されると言えます(必要の充足としての 認識=最大充足化)。 過去の自己の時系列化(プランク定数hの収束=物体の 収縮=宇宙の膨張)により、経験の蓄積による現象表面的 にいい加減に捉える(原理的な確定化=無限発散しない) 事を可能にし、有限な存在性を派生させる。 「現象表面的にいい加減に捉える」とは、原理的な超弦= 量子定常波=光速性を潜在化させる事で、その現象表面 (虚構)的非光速性において、感受表面(量子相互作用= 光速)からの、超光速=過去=記憶=自我仮説(時間軸) と光速下=未来=予測=時空仮説(空間軸)の対発生を 可能にしたのだ。 その「同一軸の光速下~超光速への連続的変化」の 過去と未来への相補分化と、その仮説的延長における (先述のような)仮想的直交基底化において、本質的 確定における無限不確定を、時間軸と空間軸に相補的 に分化させられる。 即ち、不確定性原理における相補的不確定性「位置(S) と運動量(St)、時点(T)と質量(Ts)の2対において、 一方を確定しようとするともう一方が無限不確定に発散 する」をベースとした物理を伴う宇宙を認識するのだ。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。 「最大充足化」については、かろうじて、判ったような気がします。 あとは、わかりません。 いや、「相補分化」については、少し判ったでしょうか。 「超光速」・・・これも、「光速下」との相補なんですね、たぶん。

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