太平洋戦争は本当に避けられなかったのか?

このQ&Aのポイント
  • 太平洋戦争の避けられない理由とは?
  • 過去の戦争におけるきっかけとの比較
  • 太平洋戦争に関連する事件と真実
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太平洋戦争は本当に避けられなかったのか?

ハルノート時点では手遅れです。 米国は戦争をやりたくてしょうが無い状態でした から。 いくら恭順の意を示しても、何かを仕掛けて戦争に 引き吊り込まれたと思います。 旧くは、テキサス独立戦争があります。 あそこではアラモの砦が全滅して、それで国民に 火がつきました。 スペインとの戦争では、米国の艦船メイン号が 謎の沈没を遂げ、これがスペインの仕業だという ことになり、戦争のきっかけになりました。 米国は後になってあれは事故だった、と公表して いますが、怪しいですな。 フイリピンとの戦争では、米国軍配下のフイリピン人が 殺害されたのがきっかけとなり これで米国は60万のフイリピン人を殺害しています。 第一次大戦では米国船ルシタニア号がドイツの 潜水艦に沈没させられたのが、参戦の理由の一つに なっています。 第二次大戦では、真珠湾攻撃です。 31代大統領フーバーは、ルーズベルトはあの攻撃を 知っていた、という書見を残しています。 ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の 駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件です。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが 後になって、これが米国のやらせであったことが判明しました。 リビア爆撃 (1986年)もまだ記憶に新しいです。 1985年12月にウィーンとローマの空港で爆破事件が起こり、翌1月にアメリカは リビアが事件の背後にあるとして、リビアに対する爆撃を行いました。 そこで質問です。太平洋戦争は本当に避けられなかったと思いますか?

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回答No.8

避けられたか避けられなかったかで言えば間違いなく「避けられた」です。 日本と米国がそれぞれ追及していた利益は決して両者の衝突を運命づけるようなものではありませんでした。 米国は中国の市場を欲しており、日本はロシア/ソ連からの圧力の解消を欲していました。 ロシアは帝政時代から東進と南進を国是としており、不凍港を目指して内政を無視して領土拡張に邁進していました。これはロシアの周辺諸国に対する巨大な外圧となっており、日本はその圧力を東端で受け続けていました。 鎖国を解いて明治時代に入ったのは欧米列強による外圧によるものですが、対応すべき緊急性がもっとも高く、もっとも危険な外圧はロシアによるものであり、その圧力はロシアの民族的伝統に基づくものであるため、帝政時代も社会主義革命後も本質的には変わるものではありませんでした。 日露戦争によってその圧力を一度は跳ね除けたものの、ロシアが民族伝統の拡張主義を放棄したわけではなかったので、近代日本は打倒ロシアを国の基本方針として堅持。日本陸軍にとっての最大の仮想敵国はロシアであり、打倒ロシアこそ陸軍の至上命題であり存在意義となります。 日露戦争による満州鉄道および付属権益も対露戦略上の必要から日本が管理し続けねばならないものでした。満州鉄道が無ければロシアはそれ以上極東アジアで領土を拡張することが出来ず、日本が満州地域に完成された鉄道を維持し、運用し続ける限り、代わりの鉄道網を新たに建設することもできないからです。 この満州鉄道の維持・運営にはそれなりにコストがかかるものであり、ただでさえ返済のめどの立たない日露戦争の戦費も考えると満州鉄道と周辺の権益の利用は必要不可欠と言えるものでした。 日本は満州鉄道と周辺権益を利用し、その利益を独占すべく様々な政策を実行します。 その結果として張作霖暗殺や満州国建国といったものになっていきますが、これは第一次大戦後に芽生えた国際秩序の理想からは反する、少し時代おくれなパワーゲームであり結果的に国際社会の批判を浴びることになります。 そうこうするうちに革命によって弱まっていたソヴィエトロシアの圧力が回復し始め、それとともに第2次日露戦争の機運も(日本陸軍内部で)高まっていました。 この第2次日露戦争の機運の高まりの中で日本陸軍は二つの戦略方針のどちらを採用すべきかで派閥闘争が起きていました。一つは対露戦に集中すべしという北進論と、不安定な中国を一撃して大人しくさせてから対露戦に集中すべしという対支一撃論です。 日本は歴史的経験から日本の国力では中国を植民地化するどころか戦争(総力戦)で勝利することが不可能であることを知っていましたし、むしろ中国と戦争をすれば対露戦の支障になるので中国とは戦争すべきではない(少なくとも全面戦争は避けるべき)というのが日本の一貫した考えでしたが、当時の国民党政権があまりにも不安定であり、中国軍も脆弱であったことから対支一撃論に流されて中国での戦線は拡大の一途をたどることになります。 米国は伝統的に西進を意図しており、その最大の目的は中国市場でした。 日露戦争で米国が調停役を買って出たのも、日本の勝利の手助けをすれば満州での権益の一部を手に入れることができ、そこから中国市場に進出することができるからでした。 しかし、日露戦争後の日本は満州の権益を独占してしまいます。これは日本の視点からすれば上述したように必要があって仕方のないことでしたが、せっかく調停役を務めて戦争を終わらせてやったのに相応の「恩返し」はなく、それどころか講和条件に不満を抱いた日本人による米国領事館襲撃といった恩を仇で返すようなマネをされてしまい、米国の側からすれば骨折り損のくたびれ儲けにしかなりませんでした。 おまけに満州権益に興味を示す米国に不信感をもった日本海軍はよりにもよって米国を仮想敵国とし、米海軍に対抗するように軍備を拡張していきます。 それでも中国市場が消滅したわけではありませんでしたし、米国も諦めたわけではありません。しかし、中国市場に進出したいが、直接進出するには不安定過ぎてリスクが高い(なにせ中国の民衆は欧米列強が大嫌いで西洋文明に反感を抱いている)。 そこでどこかに足場を築いてそこから迂回して進出しようと考え始めます。 フィリピンは極東にあるアメリカの植民地であり地理的には問題ありませんでしたが、フィリピンも未発達な地域でインフラも貧弱であり大規模な生産工場を建設するにはコストがかかりすぎます。そこで目をつけられたのが日本でした。 日本は程よく近代化が進んでいてインフラも整っており、地理的にも問題ありません。で、米国は日本に自動車メーカー等の企業を進出させ始めます。日本にとっても米国からの技術移転が見込める上に日本経済の活性化にもつながるため歓迎していました。 しかし、米国の自由にさせていたのでは日本の自動車産業は育たないどころか駆逐されてしまうかもしれません(これは杞憂だった)でしたし、米企業によって日本経済を支配されてしまえば日本の自主独立に支障をきたすかもしれないという危機感がありました。 不安定な中国への対応しながらソヴィエトロシアと対決しなければならない日本にとって、中国にしか興味を持っていない米国が発言権を持って干渉してくることは避けたい事態です。 そこで日本は日本に進出している米企業に様々な法規制による手枷足枷をはめて、米企業を抑え込もうとしました。 米国からすればこれは技術や生産設備といった日本にとっての「うま味」だけを吸って、利益をあげさせないようにしているとしか見えません。今ちょうど日本が中国に対して抱いている不信感と同じ感覚を米国は日本に対して抱くようになりました。 しかも、日本は何を思ったか中国での戦線拡大を活発化させ、その支配地域を拡大し続けています。これを放置すれば米国が欲しがっていた中国市場が日本に奪われてしまいます。 そこに中国が「日本をどうにかしてくれ」と米国に泣きついてきた。 これは米国にとって好機です。直接進出するにはリスクがあるにしても、中国の方が招いてくれるなら応じない手はない。どうせ手をこまねいていれば中国市場は日本に奪われる、中国人が欧米列強に対して敵意を抱いているとはいえ、日本を撃退した救いの主として進出すればさすがに歓迎してくれるはずだ。欲しかった中国市場がもっとも望ましい形で手に入る。 こうしてみると、誤解と不信感の連鎖が太平洋戦争という災厄を導き出してしまったことが理解できると思います。日本の不見識とも言える優柔不断さ、米国の無神経なくらいの大雑把さの両方に原因があります。なにせ、日本は米国を横目でしか見ていませんでした(というかロシアしか睨んでなかった)し、米国も中国へ視線をチラチラさせながら日本に手を差し伸べており、真剣に日本のことを考えていたわけではありませんでした。どちらもお互いが自分に対して不純な態度をとっていると考えるのは当然だったのです。 日米戦がおこればどうなるかは当時のほとんどの人はよく理解していましたが、その危機を切実なものとして認識することが出来ていませんでした。最悪の選択肢を誰も選ぶわけがない・・・そう、日本も米国も考え、「誰かが危機を回避するだろう」とどこか他人事のように考えていました。 この危機を切実なものと認識できていれば、どの段階からでも(ハル・ノート後でも)回避は可能だったでしょう。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。

その他の回答 (10)

回答No.11

さけられません。 運命というか、アメリカとの戦争は宿命だったと思います。 すべての事柄が戦争に導くようにできており、ハルノートはその中の一つの事柄にすぎません。 ハルノートを突きつけられたから戦争になったと思っている人が多いでしょうが、それは日本サイドの言い訳にすぎませんよ。 あの時日本は石油の備蓄などの関係で、アメリカとの交渉にも期限が決まっていましたから、ハルノートを突きつけられる突きつけられないに関係なく、期限がきたら戦争に突入です。

  • lv4u
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回答No.10

No.2です。 なんだか、私の回答した「自宅」「他人宅」の部分に関しては、何も触れてないみたいですね。 その件は、質問者さんが、私の指摘した点を認めて決着したと考えます。 あらたに、質問者さんの誤りを指摘します。 >>これはまさに日本軍が中国でやっていた事そっくりそのままですね。中国軍が日本に攻めてきたわけでもないのに、百万の大軍で海を渡って侵略し、殺人、略奪、強姦を繰り広げて、中国が抵抗すると「反日だ、抗日だ」と騒ぐ。 中国における日本の行動は、欧米が中国を分割・植民地化していたのと同じことをやっていたのですよ。もし、日本の行為を責めるなら、同様に欧米の行為をも責めてください。 それであれば、納得します。 また、欧米と日本が中国を分割統治し、植民地状態になっているとき、どの勢力も中国内において、相手の権益を減らし、自分の権益を増やそうと虎視眈々と狙っていました。 その中で、欧米ソ、日本、独などが、お互い、いろいろな条約を結んで、「平和」に暮らしていたわけです。 ところが、日支事変が始まります。 これは、盧溝橋事件(1937年7月7日)に始まったと言われていますけど、このときは、7月11日に蒋介石と日本は和平協定を結んでいます。 でも、その後も中国側からの挑発行為が続き、25日の郎坊事件、26日の広安門事件、29日の通州事件がおこります。この通州事件は、ほとんど日本では話題になりませんけど、婦女子を含む一般日本人が3百余名も中国兵に惨殺されました。女性の陰部に丸太を差し込む、乳房を切り落とすなど、中国・韓国ではよくある残虐な殺し方でした。これには、日本側は強い恐怖的を感じたことでしょう。さらに、8月9日 大山海軍中尉が中国側の謀略で惨殺されました。 このような酷いことをされても、日本軍は戦争に拡大することを良しとせず「不拡大方針」を貫いていたんです。 でも、蒋介石率いる中国軍は、ソ連、米英の支援を受けており、勝てる自信があったのでしょう。 「上海停戦協定」を無視し、いきなり8月14日に爆撃機による上海攻撃を開始。日本総領事館、軍艦、船舶、市街地に爆弾を投下しました。 このとき、一般市民、英国、米国の人々までも攻撃されて多大な被害が出ました。この被害を日本の責任にしようという意図を蒋介石は持っていて、わざと狙ったのです。 もちろん、その攻撃に対し、日本軍は当然ながら応戦しました。 それが、日支事変の始まりです。つまりは、中国軍、蒋介石軍が、平和にしていた日本軍や欧米の人々に一方的に襲いかかったわけです。 さらに「殺人、略奪、強姦を繰り広げて」の部分については、デッチアゲの南京虐殺が有名です。 この南京虐殺の真実は、日本軍が南京に入るまえに、蒋介石軍が逃げるにあたり、同じ中国人にたいして殺人、略奪、強姦を繰り広げたんです。 蒋介石自身が、「撤兵時の掠奪強姦など軍紀逸脱のすさまじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ」と記しています。 日本軍は規律正しいから虐殺は1人もやっていません。 日本軍が南京入城したあとは、秩序回復して、中国の人々は安心したといいますし、日本軍によって治安回復したということで、逃げていた中国の人々が戻ってきて人口が増えたといいます。 さらに、日本軍占領下の南京城で平穏に暮らす中国人たちの証拠写真も多数あります。 これは、韓国の主張する慰安婦にもいえますね。女性を拉致して売り飛ばしていたのは、朝鮮人たちです。 また、中国の「人肉食い」の歴史は4000年ともいわれていますが、朝鮮も同様に食人の習慣があったようです。 慰安婦にするために女性を拉致するのではなく、食用にするための拉致も朝鮮人はしていたといいます。 ちなみに、食人で有名なエピソードとしては、『三国志』の英雄、劉備玄徳が猟師の家に身を寄せた時。もてなしをする食べ物がなかったため、猟師が自身の妻を殺害。 「狼の肉」として劉備に差し出した。なんてありますね。 翌朝、劉備は、漁師の妻の死体の一部を発見するのですけど、「もてなす食材がなかったため妻を差し出した」という漁師の行為に劉備はひどく感激したという「美談」として語られているくらいですからね。 まあ、私も学校で習った歴史は、明治始めのころまででした。 私も、明治~太平洋戦争終了までの歴史について、そんなに詳しいわけではありません。 それでも、正しい歴史を知ることが、現在の日本人、そして将来の日本を背負っていく子供たちにとって、とても重要なことだと思っています。 救世主であるイエスが十字架にかかったとき、犯罪者であるバラバとイエスのどちらかを釈放しようと、ローマ総督のピラトが提案します。ピラトはイエスを救いたかったのですね。でも、ユダヤ民衆は、バラバの釈放を望みました。その結果、欧米の人々は、「ユダヤ民族は重罪人である!」と思うようになりました。そのために、ヒトラーがユダヤ人の絶滅を企んでいても、ヨーロッパの人々は、心の中で、それに対して賛同していたと思えます。 現在、慰安婦や南京などの虚偽をネタとして、世界に、日本人をユダヤ人的な立場に持って行こうと、中国と韓国(そして米国のオバマ大統領)は活発に活動しています。 この先、数千年にわたって、日本人はデッチアゲの事件で汚名を着せられようとしています。 この戦いに負けることはできません。真実の日本の歴史、すばらしかった日本軍の活躍を再認識することが重要だと思います。

回答No.9

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。 私は、歴史の専門家ではありません。 間違った認識があるかもしれませんがその場合はどなたか訂正なり、ご指摘を頂けると助かります。 >31代大統領フーバーは、ルーズベルトはあの攻撃を知っていた、という書見を残しています。 随分以前から、小生が子供のころ(昭和30~40年代)から知っていたと言うのが通説だと思います。 第一に真珠湾に主要、空母がいなかったこと。 第二に、これは推測ですが日本の宣戦布告が遅れたのは米の策略ではなかったか? と考えること。 FDR(ルーズベルト)は日本に奇襲されたという名目が欲しかったのではないかと思われること。 用意していたかのようなあの演説… >ルーズベルトが急逝しなかったら、azuki-7のいる北海道はロシアに占領されていたでしょうね。 同感です。実際、米とロシアと日本をどうするか相談してるし実際、全面降伏後、ロシアは北方領土を占領しています。 原爆を正当化する訳ではありませんが、原爆投下がなくて無条件降伏が遅くなっていても日本は東西ドイツや朝鮮半島のようになっていたと思います。 >あと、当時極東で最も暴力的な集団は日本だったの。 私の父は出兵し終戦を満州で迎え、ソ連の強制労働後、日本に帰国しています。 父は、整備兵で直接、銃を持つ立場ではなかったことが幸いしたと思います。 部品調達とか中国人とのパイプも多少は必要だったのか?他界して詳しく聞きそびれましたが中国人と酒も飲んだそうです。 終戦まじかに父は中国人に言われたそうです。 『お前はかくまってやるけど、あいつは…』 これは終戦後、日本人が中国人に見つかったら命の保証がないことを意味します。 見境が無い訳です。 それと、上官の命令で仕方なく、と言うケースもあり「あいつ」と呼ばれた人がどこまで残酷だったか分かりません。 お陰様で、父は何とか生き残り小生が存在します。 父の様に言われた日本人も小数とは言え存在します。 日本人の兵士の皆が皆、暴力的だった訳ではありません。 日本がそうなっていなかったら西洋諸国がそうしていたでしょう。 日本は、どちらかと言えば朝鮮半島や台湾、東南アジアなど同化政策です。 これも正当化する訳ではありませんが… 侵略が間違っていたとはいえ学校を立てて教育した西洋諸国はどこまであったでしょうか? 詳しく調べていないので分かりませんが… 戦後、東京裁判が行われていますが国際法で戦勝国(UN)は裁かれていないですよね! 南京大虐殺は日本政府発表と中国発表では数字に差がありますが少なからずあったことは間違いないです。 それに関与したとして第六師団幹部などが罰せられています。 (第六師団は常に先鋒であり、どこまで本当に関与していたか歴史の専門家に任せます) しかしベルリン陥落時にロシア兵からドイツの婦女子は一夜にして10万人暴行を受けたとの一説もあります。 そのロシア兵が裁かれた話は聞きません。 戦後、満州などから引き上げの際、軍人以外の婦女子含めて惨殺された日本人もいたでしょう。 要するに勝てば官軍、負ければ賊軍の構図は国際法とかいいながらww2終結時にも言えることだと思います。 戦勝国は裁かれないのです。 >国際連盟脱退に追い込まれる前に、植民地化の諸先輩方に敬意を表して合弁事業として… 現実的でないと思います。 基本的に白人が有色人種を支配したかったことは明白です。 「人種的差別撤廃提案」 1919年(大正8年)1月14日、パリに到着した日本全権団は人種差別撤廃提案成立のため、各国と交渉を開始した。 とあります。 賛成多数でありながら全会一位でないとして否決されました。 連盟自体が全会一致が原則とされていたため、機能していなかったとの説もある。 >太平洋戦争は本当に避けられなかったと思いますか? 避けられなかった。と思います。 ただし、勝つためには、あるいは有利に講和をするためには極力避けるか米のごり押しを無視して米、開戦を遅くしてでも資源や石油の確保を優先すべきだった。 と思います。 決して、戦争を肯定している訳ではありませんし、実際、結果的に負けて良かったと思っています。 そうでなければ「未だ日本は軍国主義の国家で、朝鮮半島ではIRA化した暴動が絶えない」 と思うのは私だけでしょうか?

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.7

最近わたし、主に経済面から太平洋戦争にアプローチしてみようかとマイペースながら本を読んでるんですよ。それで分かってきたことは、「日本はアメリカに依存しないと生きていけない」ってことなんです。これは今でも変わらないから過去形では書かないのですけど、21世紀の日本においてもアメリカの存在というのはこれ抜きでは経済的に国そのものが存在しえないほど重要ですが、それは太平洋戦争直前の日本においてもそうなんです。 有名なのが、石油の90%、屑鉄の100%をアメリカからの輸入に頼っていたってことですが、他にもいわゆるアメリカにある日本の金融資産とかそういうのも非常に国の命運を左右するものだったんですね。そして、日本にとってそれだけの貿易相手国だったわけですから、アメリカにとってもそれなりには重要な貿易相手国だったんです。ただ、イギリスに比べたら重要度は下がるわけですが。 で、何がアメリカをして日本といいがかりをつけてでも戦争に駆り立てたのかというと、結局そこはあのドイツのちょび髭おじさんに行きつくんです。 話しが長くなるのではしょると、アメリカとしてはドイツと戦争をするために日本を戦争に仕向けたのです。いわゆる「間接アプローチ」ってやつですね。だからチャーチルは日米開戦を聞いて「深い安堵をした」と書き残していたのです。ルーズベルトとチャーチルが読み違いをしたとすると、彼らが考えているよりは日本軍は強かったってことです。 じゃあナチスドイツと組まなければ日米開戦は回避できたか。もしかしたら、できたかもしれません。しかしそうなると今度はあのスターリンのソ連との開戦が現実的になります。 これも長くなるのではしょると、日本軍はソ連軍に勝てないのです。それはノモンハン事件でだいたい皆さんご存じかと思いますがね。じゃあどこでソ連と日本でそこまで国力差がついたのかというと、あの世界恐慌に行き当たります。世界恐慌に巻き込まれてあの「失われた20年」以上の大ダメージを受けた当時の日本と、五ヵ年計画で重工業国として台頭するソ連。結局、世界恐慌があった以上、そして日本が軽工業国であった以上まあ国内資源でもソ連には勝てないのですよ。 戦前の日本はなにしろ食糧自給もままならない国です。「満州は日本の生命線」というのはあながちオーバーな話ではないのです。満州は大農業地域であり、石炭が豊富に出る大資源地域でもあったんですよ。そして1930年代になると、日に日に関東軍と極東ソ連軍の戦力は、その人数においても質においてもソ連軍が圧倒しつつあったのです。 戦前の日本の立場を表現するちょうどいい言葉がありますよ。 「前門の虎後門の狼」 太平洋戦争は避けられたかもしれないけど、日ソ戦争は避けられなかったかもしれません。1940年代の戦争は避けられても、その先で戦争になったかもしれません。この辺りの、「1930年代の日本経済と国際情勢」っていうのはなかなか面白いですよ。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なかなか興味深い考察ですね。

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.6

満州とインドシナの利権について、ロシア、アメリカ、イギリス、フランスと合弁すればよかったんじゃないかと思いますね。 国際連盟脱退に追い込まれる前に、植民地化の諸先輩方に敬意を表して合弁事業として利益分配しながら進めることで、ぐずぐずの関係を作っておくべきでしたね。 また、大東亜共栄圏という理想は、当然欧米諸国が受け入れるはずもなく、理想に死んだ感じですね。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.5

No.2です。 >>勘違いしてる。 「自宅」てはなく、「他人宅」。 いえ、あなたが勘違いしている。ハル・ノートで「出て行け」と要求されたのは、国際的に正式に認められていた権利である、現在の満州国と朝鮮半島などですから、「自宅」です。まあ、それでも「他人宅」というなら、欧米が支配していたアジア・アフリカの全ての植民地も「他人宅」ですね。 >>あと、当時極東で最も暴力的な集団は日本だったの。 禁輸措置はそれが原因。 当時は、欧米列強は植民地主義であり、アジアでは、植民地になってないのは、日本とタイだけでしたよ。 日本を暴力的な集団というなら、欧米列強も全て暴力的な集団といえるでしょう。

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質問者

お礼

>たとえば、「おまえらの自宅をタダでよこせ。おまえら全員出て行け!」と暴力団に要求され、そのとおりにすれば、もめ事は起きません。 でも、それに抵抗すれば、いろんな暴力沙汰が起こるでしょう。 暴力団は、自分たちが暴力をふるいながらも「お前らが自宅から出て行かないから、怪我人が出たんだ!責任はお前たちにある!」と言うでしょうね。 これはまさに日本軍が中国でやっていた事そっくりそのままですね。中国軍が日本に攻めてきたわけでもないのに、百万の大軍で海を渡って侵略し、殺人、略奪、強姦を繰り広げて、中国が抵抗すると「反日だ、抗日だ」と騒ぐ。そして「撤退してほしかったら領土をよこせ。日本軍の永久駐留を認めろ。日本軍がでっち上げた傀儡政権を承認しろ。賠償金を払え」、、、中国が拒否すると逆切れして益々暴れる、、、その繰り返しでした。山本五十六が言った様に、小学生並みの刹那主義でした。 >現在も、太平洋戦争前の「地政学」の考え方で行動していますし、 これは違う。戦前の中国は、それまで封建的で前近代的な王朝時代が続いて弱体化し、西欧列強に侵食されていた。それを蒋介石がまがりなりにも統一して近代的な資本主義、更には将来的には民主主義国家にしようと努力をしていたところに日本の大軍隊が侵略してきて散々叩いた。その為に蒋介石の国民党軍は弱体化し、毛沢東の共産軍に負けてしまった。中国大陸が共産化したのは日本にも責任があります。

回答No.4

資源のない国としては、「服従」するか「反抗」するか道はないでしょう。 服従していたらどうなっていたか。一時的な出血はほぼないでしょうが、真綿で絞められるような生活になっていたと思います。 当時の方々が受けられた艱難辛苦を思うと、大変申し訳なく心苦しいですが、現在の日本の姿を見ると、苦渋に満ちた選択ではあったが最良の選択をしたと言えるのではないでしょうか? そして日本が戦争という選択肢を選ばざるを得ない状況を作り出した時点で、アメリカの勝ちは決まっていたのでしょう。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >当時の方々が受けられた艱難辛苦を思うと、大変申し訳なく心苦しいですが、現在の日本の姿を見ると、苦渋に満ちた選択ではあったが最良の選択をしたと言えるのではないでしょうか? まあ、これは想定外の幸運でしょう。日本が消滅してもおかしくはありませんでしたからね。

回答No.3

避けられないでしょう 石油も鉄もゴムもみんな封鎖されればそれを打開するために打って出るのは当然だと思いますよ

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 でも、ルーズベルトが急逝しなかったら、azuki-7のいる北海道はロシアに占領されていたでしょうね。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.2

>>そこで質問です。太平洋戦争は本当に避けられなかったと思いますか? 歴史の流れをみれば、避けられなかったと思います。 もし、ハル・ノートを日本が受け入れていれば、もちろん、避けられたとは思いますけど、それは戦って負けたのと同じ結果を受け入れることでしたからね。 たとえば、「おまえらの自宅をタダでよこせ。おまえら全員出て行け!」と暴力団に要求され、そのとおりにすれば、もめ事は起きません。 でも、それに抵抗すれば、いろんな暴力沙汰が起こるでしょう。 暴力団は、自分たちが暴力をふるいながらも「お前らが自宅から出て行かないから、怪我人が出たんだ!責任はお前たちにある!」と言うでしょうね。 泥棒たちから、自分たちの財産を守ろうとすれば、どうしても戦いが起こります。泥棒に財産を素直に渡せば、争いは起きないかもしれません。(全部奪われたあとで、殺されるパターンもありますけどね) 今の世界は、日本を除いて「地政学」という学問で外交・軍事戦略を決めているといえます。この地政学は、ドイツで発祥し、国家を生物(有機体)のように考えます。そして、その生物学はダーウインの進化論が取り込まれています。 つまりは、弱肉強食、適者生存の考え方です。 また、生物は生きるために、食物をとり、そして成長してゆきます。弱い生物は食物となり、強い生物の食物になります。 もちろん、現在は若干の修正が入っているでしょうけど、太平洋戦争当時は、この考え方が世界標準でした。つまりは、戦いは避けられなかったといえるでしょう。 ちなみに、中国は、「大中華帝国の建設」を目標にしていて、現在も、太平洋戦争前の「地政学」の考え方で行動していますし、尖閣や南シナ海での中国の横暴ぶりがそれを証明しています。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >たとえば、「おまえらの自宅をタダでよこせ。おまえら全員出て行け!」と暴力団に要求され、そのとおりにすれば、もめ事は起きません。 なるほど、暴力団を持ち出しましたか。でも、この場合は素直に服従した方が痛手は小さいです。

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質問者

補足

勘違いしてる。 「自宅」てはなく、「他人宅」。 あと、当時極東で最も暴力的な集団は日本だったの。 禁輸措置はそれが原因。

回答No.1

自分が知る限りの歴史認識での回答です。 日本が大人しく植民地になることを選択し、日本人が人間の尊厳などというものを捨て去って生きることを選択していれば、避けられたかもしれません。 しかし、そうなれば、今の日本はなかったでしょうし、今の世界地図は大きく変わっていたでしょう。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 でも、ルーズベルトが急逝しなかったら、日本はひどいことになっていたと思います。

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    太平洋戦争は、無謀な戦争だったというふうに言われることが多いのですが、この考え方に疑問があり質問しました。  最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。 そのように思ったきっかけは当時の日本の太平洋地域の海軍力は下記のようにアメリカを若干上回っており、航空兵力は完全に日本が上回っていたからです。 海軍戦力の比較(太平洋配備、1941年時点) 戦艦・戦闘巡洋艦 日11米 9英 2 航空母艦 日8米 3英 0 重巡(20cm砲以上) 日18米 13 英1 軽巡(15cm砲以下) 日23 米11英 7 駆逐艦 日129 米80英 13 潜水艦 日67 米56英 0 上記の海軍戦力だけを比較した場合、米英とは十分戦えるし、ドイツの快進撃もあり、アメリカを東西からはさみうちにし、十分に講和にもっていけると判断しても不思議ではありません。しかも、アメリカはドイツとの戦争もあるので大西洋にも戦力をさかざるおえず、太平洋にはこれ以上の戦力増強は当分ないという考えも成り立ちます。 ですので、戦争するという決断自体は間違っておらず、本当の間違いは、戦争のやり方、終わらせ方に問題があったために敗戦したという考えも成り立つと思いますがどうなのでしょうか?

  • 太平洋戦争を仕掛けたのは、どっち???

     「歴史」というのは、「過去を積み上げて、現在を築き上げていくもの」(私見)だと思います。太平洋戦争にしても、「第一次世界大戦後において、すでに日本とアメリカは闘わざるを得なかった。」というような論評もあったようにかすかな記憶があります。その意味では、歴史というものを理解しない、短絡的で、無意味で、極めてバカバカしい質問だということは覚悟の上で、それでも、あえてこの質問を読んでいただいた皆さんのご意見を伺いたいと思いました。 (1)米国と日本が戦争を最終的に決断した(あるいは、戦争の回避を不可能とした)のは、それぞれいつの時点、あるいは出来事だったのでしょうか??? (2)上記(1)に関連して、早く決断した方が「戦争を仕掛けた」と理解しても良いのでしょうか???太平洋戦争を仕掛けたのは、日本と米国、どっちですか???という疑問です。 (3)この戦争は日本や、日本の軍部が悪いわけではなく、本当に避けられない戦争だったのでしょうか???あるいは双方の国家が成り立つやり方で戦争を避ける方法があったのでしょうか???  「ご意見を伺いたい」という趣旨ですので、BAは選ばないで、締め切ります。それでもよろしければ、お考えを披露して下さい。お考えを思うままに綴っていただければ有り難いので、(1)、(2)、(3)の順番にはこだわりません。

  • なぜアメリカの開戦理由はワンパターンなのか?

    先日、NHKドラマ「坂の上の雲」を見てましたら アメリカに留学した秋山真之とマハンの会話で 以下のようなやりとりがありました。 マハン「我々に必要なのはきっかけなんだ・・・それで宣戦布告できる」 真之「戦争の大義ということですか」 マハン「そんな大袈裟なものではなく、     アメリカ国民を怒らせる、単なるきっかけがあればいい」 ドラマではこの後、キューバでメイン号爆沈事件が起こり、キューバ戦争が始まるの ですが、アメリカは実際の歴史でもWW1ではルシタニア号爆沈、 ベトナム戦争ではトンキン湾事件と、似たような理由で開戦していきます。 なぜアメリカはこのようなパターンで開戦するのでしょうか? (アメリカ人の開戦パターン・思考パターンについての質問です。 個々の史実についての道義的是非や捏造については 回答をお控えください。真珠湾、911についても同様です)

  • 日本の太平洋戦争について

    日本の太平洋戦争について 1937年11月日独伊防共協定 1939年9月ドイツ軍ポーランド侵攻 1940年9月日独伊三国軍事同盟 1941年12月ハワイ真珠湾攻撃 この第二次世界大戦の経緯でわからないことがあります。 戦争は、武力戦の前に、経済・金融戦争がはじまります。 そのため、軍事同盟にもそういった内容が取り決められたりします。 一国が戦争状態になったら、同盟国は同時に宣戦布告する。一国が侵略された場合は、他国は侵略国に宣戦布告する。など。 それで質問です。 質問1. 日独伊軍事同盟では、他国との戦争についての条項がありましたか。たとえば、一国が攻撃されると、他の同盟国は当然に戦争に参戦する。とか。 質問2.日本は第一次世界大戦では軍需景気に沸きました。漁夫の利を得たのでした。第二次世界大戦でも、真珠湾攻撃までは、世界の貿易で相当な漁夫の利が得られたと思いますが、連合国側から貿易制限はありましたか。特に、英米との貿易は継続されていましたか。 質問3.日本は、第一次世界大戦の時のように、概ね傍観していれば、あるいは、積極的に米国に物資・経済の面で協力すれば、莫大な漁夫の利と、英米に対する、大きな「貸し」を作ることが出来たはずです。その観点から見ると、日本は愚かな選択をしたように見えますが、何故、日本は、敢えて愚かな道を選んだのでしょうか。 質問4.ハワイ真珠湾攻撃直前まで、ハワイとの貿易・渡航は平時のように行われていましたか。それとも、既に戦時下のような状況でしたか。 回答は、一部でもかまいません。その他関連事項の回答でも結構です。よろしくお願いします。

  • 太平洋戦争 日本が口火を切らなかったら?

    太平洋戦争は、日本の真珠湾への先制攻撃で回戦されました (↑この点も間違いがあれば、ご指摘ください) では、もし日本がアメリカはもちろん、どの国にも軍事的行動を起こさなかったら、第二次世界大戦の戦禍には入らずに済んだのでしょうか? それとも、日本からは手出ししなくても、どこかが侵攻して防戦は余儀なくされたのでしょうか?

  • ベトナム戦争 北爆の犠牲者

    ベトナム戦争においてアメリカ軍の爆撃による犠牲者の数を教えてください。 南北ベトナムの内戦の巻き添え、ゲリラを含む戦闘員の戦死者などは含まず、純粋にアメリカの爆撃によって犠牲になった人の人数を概算でいいので教えてください。 尚、御手数ですがその情報の出所なども教えてください(ベトナム政府発表、アメリカ軍発表、第三者機関発表など)

  • 日中戦争の原因は何ですか?

    ・日中戦争の原因は何ですか?昭和40~50年代の歴史の授業では、盧溝橋の一発の発砲が発端を教えられました。 ・アメリカは偶然にも日本の真珠湾攻撃の信号を傍受して、攻撃されるのを待って参戦のきっかけを得たそうすね。真珠湾は浅かったので沈没した艦艇は全て修理して使用可能になったとか、、、