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孟子の 浩然の気を養うの言葉

孟子の 浩然の気を養うの言葉は、 儒教と言うよりは アニミズム(汎霊説)的な言葉か、 道教的な言葉の方に 近いのではないか? 参照、 曰、敢問、夫子之不動心、與告子之不動心、可 得聞與、告子曰、不得於言、勿求於心、不得於心、勿求於氣、不得於心、勿求於氣、可、不得於言、勿求於心、不可、夫志氣之帥也、氣體之充也、夫志至焉、氣次焉、故曰持其志、無暴其氣、既曰志至焉、氣次焉、又曰持其志無暴其氣者、何也、曰、志壹則動氣、氣壹則動志也、今夫蹶者趨者、是氣也、而反動其心、敢問、夫子惡乎長、曰、我知言、我善養吾浩然之氣、敢問、何謂浩然之氣、曰、難言也、其爲氣也、至大至剛以直、養而無害、則塞于天地之問、其爲氣也、配義與道、無是、餒也、是集義所生者、非義襲而取之也、往有不慊於心、則餒矣、我故曰告子未嘗知義、以其外之也、必有事焉而勿正、心勿忘、勿助長也、無若宋人然、宋人有閔其苗之不長而揠之者、芒芒然歸、謂其人曰、今日病矣、豫助苗長矣、其子趨而往視之、苗則揠矣、天下之不助苗長者寡矣、以爲無益而舎之者、不耘苗者也、助之長者揠苗者也、非徒無益、而又害之、 ご回答のほど、 お待ち申しております!

みんなの回答

  • customar
  • ベストアンサー率17% (68/392)
回答No.1

坊主が遺伝学の概念を使ったり、(神父以上はするのか知らないが)カトリックがガリレオ以降宇宙科学の概念を使ったり。 老荘思想の独占概念ではなく、気は老荘思想が専門的にしていた。それを孟子先生も講釈して対抗してみせた。 坊主がDNAさえも輪廻に含ませようという活動ですね。古典であっても当時のその文脈は全て営業活動ですよ。だから儒学(宗教)は下らないのです。キリスト教の聖書も営業内容でしょう。カエサルの物はカエサルに返せとか。救世主が税務署のキャンペーンに協力ですよ。創価学会の池田先生のお話です。

love_pet2
質問者

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