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シュルレアリスムについて、どうお考えですか

シュルレアリスムについてどうお考えでしょうか

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noname#210533
noname#210533
回答No.3

絵画は非言語の表意方法。 だが、具象には主張や詩情などのビジュアル的な 「単語」や「文脈」が存在する。 鏡を見るように、自らの表意をつまびらかにすることで 自らという存在について「真理」を知ろうとする営み。 その一つが芸術の創出であり、それへの傾倒である。 自らが生み出したそれらの芸術という、非言語の単語や 文脈というものには自分という個人が余りにも色濃く 反映されてしまう。 その「自分らしさ」、言いかえれば自然由来ではないと 感じさせる不自然さは、矛盾するようだが本当に知りたい 「自らという存在」の実体とは異なる。 自己、という絶対的な孤独が、巨大な生に由来し、回帰する。 その大いなる「命の海」への、「真理の空」への連なり、系譜を 確かめたいという欲求が、自分らしさの解体や解剖を行わせる。 つまり、「自分というカメラに投影された世界」という像を何らかの 手法で描くこと(表意)は、自分というレンズを通じて視た自分固有の 世界を切り取った像である。 自分という「視て、感じて、連想する」形而上的レンズの個人差、 言わば凹凸と歪みに応じて歪んだ世界は、真実の世界の写像である。 この写像の歪みは、他の写像と比較することで歪み成分だけが 浮かび上がる。 この歪みは、暗喩的にそれを創作した自分自身の像である。 自分自身を他人の視点を通してみた自画像ではなく、自分という 「キャメラ・オブスキュラ」の空っぽの空洞の形と、そこについた 自分固有の世界の視方・とらえ方という形而上レンズを顕す 裏返しになった自画像である。 この、世界と自分という対立する二者を同時に表現しなければ ならないという逆視点やそれ故の矛盾を内包せざるを得ないため、 シュールレアリスムの創作活動にはしばしば、具象と抽象を 同時に描かねばならない作業になる。 自分らしい、ということはどういうことなのかを追求することは、 ユニーク(唯一無二の絶対存在)という、「切り取られた世界」と その故郷・由来である「世界」とを常に対比させて描こうとする 思索の営みである。 だから、具象・抽象いずれの表現にもついてまわる自分らしさ、 その絶対的な表意の、恣意的な思惟を廃して、自らが由来する 原始的な根源を明らかにしようとする営みの一つとして分類された シュールレアリスムは、分解と再構成を主な手法として手放せない。 何故なら、根源を探るためにあえて自分らしさを徹底的に廃して 「表意」を導き出そうとするために、自分カメラを動作しない状態で 結果を得ようとしたオートマティズムは、狂人や寝ぼけ眼の 夢遊病状態で自動的に筆記することで、表現を表現たらしめる 「表意」まで放棄してしまう結果にならざるを得なかったからだ。 ただ、便器という「記号」を「美術館」という「背景」に置いて、 それを観る観客という「自分カメラ」、という三点セットで作品として マルセル・デュシャンが提示したことはギリギリ「表意」と看做す ことが可能な、そして絶対に「表意」ではない、と言いきれない 一発勝負のグレーゾーンだった。 その怪しさ故、それはシュールレアリスムの定番の手法として 定着しきれなかった・・・が、ナンチャッテ、というジョークの匂いを 毒消しに使いながら、パロディというシュールレアリスムの対極に ある社会運動(あれは芸術である以上に革命的社会活動。)の 中に生き続けている。 シュールの思想の中で生まれた表意が、思想という形でもう一度、 シュールと正反対の近視眼的な表現世界に再生し、進化を続けて いることは興味深いことだ。 思想は、シュールレアリスムが生み出したものも沢山あるが、 シュールレアリスム自体はそこから最も遠く深い真理を探究する 哲学でもあったのだ。 言語や理論によらない、哲学である。 目指すものが元々「絶対と相対」、「個人と世界」、「地と図」等々、 対立する二者を、解体と再構築というこれまた対立する二法により 根源たる「真理の表意」に近づかん、垣間見ようとするということで、 他の様々な具象・抽象の絵画的表現の広さよりも表現手法そのものに 制限が掛けられている分だけ、シュールレアリスムそのものは 変質しにくく、それ故に時代とも切り離され、時代遅れにもならない ジャンルになった。 ダリの絵を古いと感じる人はいても、現代作家がシュールレアリスムの 根源的な相反二物の哲学を踏襲している限り、その時代時代において 作品を通じて伝達せんとしている感覚---クオリアと呼べるもの---、 狂騒であったり、躁鬱、或いは漠然とした不安であったり、そういう 「シュールレアりスティックな個人的体験」を伝達する営みは多数派では ないにしても脈々と生き続ける。 現代において、煉瓦造りの建物を建てる建築家はいないし、(アレンジは別。) ルノワールそっくりの絵を描き続ける画家も(贋作作家や土産物画家は別。) いない。 それらは時代とともに模倣され、別な手法を産み、別なモチーフを取り上げ、 変質して原型を留めなくなってしまったが、シュールレアリスムはそれ自体が 人間が人間である限り手を変え品を変え続いていく、非言語の哲学である。 さて。 これらの理由で、シュールレアリスムの作品には様々な対立する二つの ものを解体し、統合しようとしてしまう。 そうしなければシュールレアリスムでは なくなってしまう。 男女、明暗、前後、表裏、天地、内外、有無、生死、原子と宇宙、肉と骨、母子、終始。 そして、孤独と狂騒、躁と鬱、顔と体、騒乱と静寂、巨視と微視、動と静、空虚と充填。 シュール絵画に砂漠や崖、人跡未踏の山脈や、人気のない公園、月を移す池や海、 孤独や寂寥感を表すものがとても多いのは、世界から切り離された個人が、 中が空虚なカメラ・オブスキュラであると考えることにもつながっている。 でも、これらの対立を通じて人間を描こうとする絵画ははるか昔から存在した。 宗教画。 神と悪魔を時代を超えて描き続けてきた。 でも、そこにヒューマニズム(人間賛歌)は存在していなかった。 あくまで全ての価値は神によってもたらされ、神の代理人を名乗るものによって 世界は支配され続けた。 ルネッサンス、英語ではRe/New/senseにも通じるのかな? 生々しい人間の肉体を使って宗教画を描きだすことで、神と天使と悪魔と その関係者だけが存在していたところに、生身の人間が登場した。 その後ミレーが貧しい農民だけで素晴らしい絵を描くようになった時代、 そしてその後、益々神と人間を知ろうとする想いは哲学方面の一形態として シュールレアリスムを生み出した。 その点では、シュールレアリスムは、ルネッサンス以降の時代に訪れた、 ルネッサンス同様に革新的な、宗教画の本流と言えるものかも知れない。 人間の根源的な自分の生と死に対する不安、心もとなさ。 人はどこから来てどこへ行くのか?、ということ。 様々な現代科学技術を使った様々な表現方法は、シュールリアリスムを 単なる絵画や演劇、音楽のみならず、完成品として提示される作品に とどまらずにネット上で様々な「シュールレアリスム」というスタイルとして ダンスなど、元々非言語であった領域にも広がっているように思える。 現代の求道者たちの、長杖として。 広大なネット、電脳空間に私たちの意識は益々取りこまれていく。 ネットの海に漂いながら、離合集散を繰り返し、様々な人格の解体と 融合が進む。 シュールレアリスム、という絵画や表現方法は今でも健在だが、その 求めるモノに最も近いものは、インターネットそのものだ。 個と群が多種多様な繋がりを紡ぎながら瞬時瞬時に変貌を遂げて もう、一つの巨大な意識集合体と呼んでも無理のないレベルに さしかかっている。 平凡な個人の意味がどんどん社会で消失していく現代では、 神と悪魔を書いた古代から人間賛歌を経て、神も悪魔も消失してしまい もはや、我々人間自体がその役を演じている気さえする。 今から数十年後、高度にAIと制御技術の進んだロボットが人間と 共存している社会になり、ある程度個人の代替モジュールをネット上に 置くことができる・・・人格アバターとでも云えばよいか・・・そんな時代に なろうとしている。 ふと我に返ると、ネットも世界もとてもシュールだということに気がついた。 なんて夕焼けはきれいなんだろう。

opnic
質問者

お礼

成り立ったものの上に成り立って、地盤のルールが壊れたら、大地が溶けたら、何が残るんでしょう。 夜空も綺麗です さっき落として割った硝子のコップの破片もきれい。 ちょっと難しいので噛み砕いてみます、有り難うございました 風邪を引いて喉が痛いです。お礼が遅くなってごめんなさい、感謝。

その他の回答 (2)

回答No.2

芸術の歴史は、リセットできない。 「自分のスタイル」を創ろうにも、先に誰かがやっていれば、 たとえそれが本当に自分の中から湧いて来たものであれ、 “二番煎じ”になってしまう。 その結果、芸術は常に新たな刺激を求め、そのままな写実 から、表現主義のように表現方法においてフィルターを通したり、 シュールレアリズムのように対象の方をフィルターを通したり、 キュービズムのように両方をフィルターに通したり、様々に オリジナリティを加えようとする。

opnic
質問者

お礼

そろそろスタイルが出尽くして、行き詰まりそうですね デジタルの時代でしょうか。 アナログが好きです 御回答、また、時間を使って頂き、ありがとうございました。

noname#186640
noname#186640
回答No.1

検索して、絵を見ましたので、感想を書きます。 後ろ向きな恐怖と、前向きな驚きが混在する。 まるで、永く患った病のカルテを、一枚一枚 読み直しながらも、ときおり光る空を、見上 げるような様は、人間的な、あまりに人間的な ものではないでしょうか。 今という、あいまいで、脆弱な、私たちの 存在が、陸地を求めながら溺れている。 そこには陸地など無いというのに。 私たちは、いかにして陸地を目にすることが できるだろうか? それはおそらく雷光であり、人間的な驚きで あろう。 私たちは驚きの中に、泉をたたえた豊かな 陸地を見るのではないだろうか。 せめて芸術の世界はそうであってほしい。 あまりに人間的な欲求でしょうか。

opnic
質問者

お礼

貴方のいう通り人間的な欲求ですね 夢に現実を見る絵画、今日寝るのも楽しみです 御回答、ありがとうございました

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