• ベストアンサー

てつげん阿闍梨(あじゃり)をご存知ですか?

わたしのおじいちゃんから聞いたのですが 日蓮宗の偉いお坊さんが能登に島流しに遭ったとき うちの先祖のてつげん阿闍梨 (残念ながら聴いた話なので漢字まではわかりませんが) が禅問答して負けてしまい寺をあけわたしたと聴きました。 確かになるほど、うちのおじいちゃんとこは日蓮宗です。 なにかご存知でしたら是非教えていただきたいので よろしくおねがいします。

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数2

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • asuca
  • ベストアンサー率47% (11786/24626)
回答No.1

参考URLの記述によると、 能登の妙成寺の開創伝承によれば、法華経を至上とする専唱題目(せんしょうだいもく)の教え(日蓮宗)が、能登に初めて伝えられたのは、鎌倉時代も後期の永仁2年(1294)のことであったとされている。  この年、日朗(にちろう)門下で、日蓮の孫弟子にあたる肥後坊日像(ひごぼうにちぞう)が、佐渡の日蓮の旧跡を巡拝し、日本海経由で京都に向かう途中、船中で法論(ほうろん)を交わして折伏(しゃくふく)した能登石動山の住僧乗徴(じょうちょう)阿闍梨(後、日乗と改める)の案内で、能登に立ち寄ったのであった。乗徴阿闍梨は、能登の所口湊(七尾市)で、下船後、日像を伴い石動山に登ったが、衆徒らの襲撃にあい、ともども命からがら逃げ出し、羽咋郡甘田保の領主であり日乗の叔父にあたる柴原将監の元に命からがら逃れたらしい。日像は、その柴原将監一族の帰依を得たのち、再び京都に向かった。弟子となって残された乗徴は、日乗と名を改め、柴原一族の外護(げご)により、その後、甘田保の滝谷に法華堂を建立する。これが発展し、妙成寺となったという。 など、能登へ日蓮宗が伝えられた法話が残っています。 他にも、 http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7726/772603.htm http://www.ne.jp/asahi/akc-98/ogr/howa/houwasyu2.htm に同様の記述が見られます。 ただご先祖様の「てつげん」阿闍梨 についての酎苦節の記述は見つかりませんでした。

参考URL:
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/NichizoAndHokkeSect.htm
riyoran
質問者

お礼

大変分りやすい回答ありがとうございます。 なんと言っても小学生も低学年の頃聞いた話なので ~阿闍梨だったいうことくらいしか断定できるところはありませんが、asucaさんの書いてある内容が聴いた話に非常に近いです。これ以上の情報は得られないかもしれませんがもう少し、わずかな期待を胸に更なる情報を待ってみようと思います。少しだけ。やっぱり自分のルーツって結構気になりますから・・・。asucaさんほんとうにありがとうございました。ポイントはまちがいなく差し上げますので、もうしばらくおまちください。

関連するQ&A

  • 宗派の違う寺で行う法事について

    来月母の一回忌です。法要を考えているのですが、菩提寺がありません。近隣の寺に個人的に相談にいったところ檀家になるのが条件といわれました。私としては、檀家になっても、行事に参加ができないと思うので、法要だけとりおこなってくれるところを探しています。 葬儀や四十九日は葬儀屋さん、石屋さんのつてでご紹介いただいたお坊さんにお願いしました。 一回忌の件について仏具屋さんに相談したところ、近隣のお寺(浄土真宗)のお寺でも頼めるとのことでした。(我が家や日蓮宗です) 宗派が違う寺に頼むことについてなにか考えられる悪い点があればコメントお願いします。そちらのお寺さんは歩いて1分ほどなので、できればそちらでできないかと思っているのですが、日蓮宗の方でないとご先祖様に悪いような気もします。そして、宗派が違うお坊さんも日蓮宗の法要は行えるものなのでしょうか。

  • 「♪喜びの酒、松竹梅」の禅問答について

     確か20年程前に日本酒のCMで「♪喜びの酒、松竹梅」というのがありました。出演は石原裕次郎と宇野重吉だったと思います。その中でお寺の和尚さんに扮した宇野重吉に石原裕次郎が禅問答をし掛けるのです、「男とは?」「子供よ」「酒とは?」「喜びよ」といった問答が繰り返されたような気がしますか゛その当時はボクも幼かったので興味もなかったのですが、今となってはこの問答の前後や続き、或いはそれに類する禅問答に触れたいと思っています。どなたかこのCMで使われた問答の全部、若しくはこのような世俗的テーマの問答などをご存知でしたら、是非お教え願えないでしょうか? 宜しくお願い致します。

    • ベストアンサー
    • CM
  • 浄土真宗 四十九日について 今後のことについて

    母が亡くなりました。我が家では(両親と私)、かなり昔は、日蓮宗をしていたこともありましたが、やめて15年。特に宗教にははいっていませんでした。それでも、両親は、毎朝毎晩、ご先祖様、太陽には手はあわせていたようです。 そして母の入院などを、きっかけに、私自身が、浄土真宗を心のよりどころとしはじめました。 母が亡くなり、葬儀社に宗派をきかれ、親戚に確認したところ、日蓮宗とのことであったので、葬儀では、日蓮宗で改名もされました。 しかし、後でわかったのが、浄土宗のようでした。 今更ながら、改名もされてますし・・・四十九日の法要では、浄土真宗でというわけには、いかないのでしょうか。 四十九日はお坊さんにも頼めてません・・・ 宗派を問わないお寺で、納骨と四十九日の法要をしてもらおと思っていましたが、あまり、早い納骨はよくないとも、ききました。 今後まつっていくのに、どのようにしたらよいのかも、わかりません。 最初に、もっと、しっかりとしとけば、よかったのですが・・・今、とても困っています。なにかアドバイス等あればよろしくお願いします。

  • 亡くなった方の戒名について質問です。

    亡くなった方の戒名について質問です。 (1)お通夜葬儀では、葬祭社の紹介してくれたお寺のお坊さんにお経を読んで頂いた (2)先祖代々お世話になってきたような決まったお寺もなく、 この先檀家さんとのお付き合いなども考えられない (3)お墓も新しく霊園で購入した (4)その霊園の会場を借り、49日の時に開眼法要と納骨式をやる (5)お通夜葬儀の時と49日の法要の時は違うお寺&お坊さんであり、 そのお寺さんも葬祭社の紹介 (6)ちなみに宗派は真言宗 上記のような場合ですと、例えばどんな戒名であっても四九日の法要でちゃんと使えるのでしょうか? 極端な話で言いますと、もし使える漢字使えない漢字などもしっかり調べてそれらしくしたら 私が考えた戒名でもお坊さんは法要をして下さりますか? また、その戒名をお墓・お位牌へ彫ったりもできるものですか? 菩提寺や檀家がないこんなケースですと、縁もゆかりもないお坊さんがつけても インターネットの胡散臭いビジネスの人がつけても私がつけても 結局は可能なものですか? 変な質問で申し訳ありませんが、ふと疑問に思っただけですので 単純に「可能」か「不可能」かで見たらどちらだか知りたいです。 もちろん実際にはやりませんし、故人の気持ちを踏みにじるような事はしないです。

  • 日蓮宗について質問

    日蓮宗(日蓮正宗)を信仰しているのですが、お寺の住職さんが毎回、創価学会の悪口を言うので、お坊さんがそんなこと言ってもいいのかなと疑問に思っています。 悪口は言ったら良くないですよね? 間違いを行う人がいたら正しい道に導くのが人としての正しい生き方だと思います。 また、信仰とは、人々の心の平穏のためにあるものという考えを持っており、このまま信仰を続けるべきか、どうなのか迷っています。 ですから、何か平和的な宗教があったら、ご存知でしたら教えてくださると助かります。 神様は形のないものと思っているので、仏壇や神棚を拝んだり、偶像を崇拝しない宗教が良いと思っています。 それから、日蓮宗をやめて他の宗派に改宗するときは、どのようにしたらよいかについても教えてください。 宗教は人間だけしか信仰しないものですし、地球上の他の生物は信仰してないと思うので、無宗教でも良いかと思うのですが、家族は何か信仰したいようなので、宜しくお願いします。

  • 日蓮正宗御受戒について

    二十数年前昭和の時代 日蓮正宗にて御受戒をお受けさせて戴く際は、どの様な儀式が行われていましたか。 又、何か証明の様なものを戴くのでしょうか。 御存知の方がおられましたらご回答の程宜しくお願い申し上げます。 創価学会様と宗門問題以前の昭和に、日蓮正宗お寺様にて御受戒をお受けさせて戴きました。 儀式は記憶に新しいのですけれど、何か証明の様なものを戴いていたのかは定かではなく、確認を兼ね質問をさせて頂きました。 漢字表現方法などに誤りがございましたら失礼致します。

  • 遺骨?のこれからについて

    お坊さん教えて下さい。 内容がややこしく長文になりますが回答よろしくお願い致します。 去年の8月の後半におじいちゃんが亡くなりました。 おじいちゃんが亡くなるまでは毎年おじいちゃんと一緒にお寺に行き、私のお父さんの納骨料(2千円)とお布施?(2千円)と後何か2千円合計6千円ぐらいお寺に渡していました。 去年はおじいちゃんが亡くなっておじいちゃんの遺骨?をお寺に納骨するさいにお父さんの納骨料(2千円)だけ払いました。 ここからがややこしいのですが… 私(22歳)はお父さんと小1の時に離婚しています。 お父さんは私が小6の時に交通事故で亡くなりました。 お父さんとは亡くなるまで年に1回は会ってたと思います。 おじいちゃんというのもお父さんのお父さんです。 離婚はしましたが、おじいちゃんとは仲が良く小学生の時はよく遊びに連れて行って貰ってました。 亡くなる直前にケンカをして口聞かなくなりましたがそれまでは介護までは行きませんが買い物の手伝いなどして交流がありました。 お父さんに兄がおり、亡くなってからこれから納骨料(遺骨)をどうするかという話になり、お父さんの兄には子供(小6、女)1人がいるのですが、子供にお父さんとおじいちゃんの分を見るのは大変だから、お父さんの分は見て欲しいと言われ確かにそうかなと思い了解しました。 ということでこれからのお父さんの納骨料を払っていかないといけないと思うのですが、もし私が亡くなった場合それをする人がいなくなると思うのですが、どうなるのでしょうか? 子供はまだいないですが、私は嫁いでるので旦那の方に入るし迷惑はかけたくありません。 おじいちゃん曰わくおじいちゃんの奥さんの分は一括で料金を払ったが、お父さんからは毎年払って下さいと言われたそうです。 私は、お寺はお母さんのおじいちゃんの分も行かないといけない(お金や段取りは今のところお母さんのお兄さんがやってます)のと宗教というか先祖の相性が悪く両方行くのも実は気が引けています。 ちなみに葬式後お父さんの兄とは連絡取れません。 嫌われているのか着信拒否されています。 (おじいちゃんの老後の面倒をすべて見てきたのは私でこんなことされる覚えはありません)

  • 卒塔婆の文面と意味について教えてください

    ご存じの方、教えてください。 お盆に故郷の寺に行ったところ、その村に住んでいた福田家の墓に新しい卒塔婆があり、「平成20年7月15日 施餓鬼 為福田三郎家先祖代々精霊盆会水向供養」とありました。これは三郎さんが最近亡くなったことを意味するのでしょうか。それとも健在で、三郎さんが施餓鬼供養をしたということでしょうか。 「為」の次は死者の名だとばかり思ってましたが、そうではなくて(健在である)施主の名なのでしょうか。寺は日蓮宗です。 (村人も知っておらず、住職も不在。福田さんの住所も不明なのです)

  • ご近所つきあいについて

    最近引っ越してきた新婚です 引越しして数日、ご近所のおばさんから「地域集会があるから」と声を掛けられたので近所付き合いは大事にしないといけないと思い、誘われて公民館に行きました 会場はじいさんばあさんしかおらず、私だけ浮いてました。その集会というのも地区にあるお寺のお坊さんの話で「死後の世界」「ご先祖の~について」などの仏教の話ばかり2時間・・・でうんざりでした 集会に行ったことを後悔してます その後、同じような集会に何度も声を掛けられるようになりおばさんはほぼ毎週ウチに来ます 私は毎日アルバイトに出かけるので朝来ます さっきも来ました 「その日は用事があるので」「バイトしてるので」と断るのですが、何度言ってもダメです ほんと・・・ウンザリしているのですが もっと上手な断り方とかないでしょうか 同じような経験をお持ちの方、ぜひご意見ください

  • 宗旨の違う葬儀その後

    先日、父が亡くなりなした。 私は1人娘で母と父は離婚しており、父にと共に暮らしてきて結婚してからも父と私達夫婦と私の息子と4人で暮らしておりました。(主人は婿養子ではありません) 父は次男ですので生前は「俺の代で終わるから墓も要らない、散骨でもしてくれ」と言っておりました。 元々、父は先祖代々のお寺(真言宗)の檀家ではなく(長男は檀家です)枕お経から何処にお願いしたらよいのかと親戚に相談すると真言宗の長男が檀家になっているお寺では檀家にならないとお経だけ揚げることはしないと言う事でした。 今後の事を考えても檀家にはなれるはずも無く結局は早くお経を頂きたい為、檀家や他宗教等にこだわらないで来ていただけるというお坊さんを紹介して頂き(日蓮宗)お世話になりました。 今後も49日まで幾度か来て頂けるとの事でお願いしました。 お墓にしても父1代のお墓を建てても私達や息子までは安心できても私同様の問題が息子やその次の代までを考えるといつかは無縁仏になってしまいそうですし、重大なことを後世に託すのは辛いです。 それで今回のお寺さんに永代供養をお願いするつもりですが、本当は先祖代々の墓に入りたいだろうし入れてあげたいとも思います。 ○○家として生きてきた父がいきなり違う宗派でお経も違うし、このような供養の仕方しか出来ない自分が情けないのと父に申し訳無い気持ちが離れません。 父は成仏できないのでしょうか?そんな事は現世の私達の都合で供養にはならないのでしょか? 今回のお寺さんは元々は仏教は1つでそこから枝分かれをしているだけであり供養と言う事に宗派も宗旨も無いと仰っておりました。又「えっ?お布施や永代供養の料金もそれだけ???」と言う位良心的で決してお金の為に誰でも彼でも受け付けると言う方ではなさそうです。 父はあの世でご先祖様から異端児とされてしまわないか等考えてしまい祭壇に誤ってばかりです。 私はタブーと言われている事をしてしまったのでしょうか? 散骨はまだメジャーではなくここの地域ではありませんので考えておりません。