日本における思想的座標軸とは何か?

このQ&Aのポイント
  • 日本における思想的座標軸についての議論をまとめます。
  • 日本の思想には独創的な思想家がいないわけではないが、全体的な思想の発展をとらえるのは難しい。
  • 異なる立場が対決し、新たな発展が生まれるような例は少ない。日本には中核的な思想的伝統が形成されていない。
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《日本における思想的座標軸》とは何か?

 次の議論に拠って問います。  ▲ (丸山真男:日本における思想的座標軸の欠如) ~~~~  ( a ) 各時代にわたって個別的には深い哲学的思索もあるし また往々皮相に理解されているほど 独創的な思想家がいないわけでもない。  ( b ) けれども 時代を限定したり 特定の学派や宗教の系列だけを取り出すならば格別 日本史を通じて思想の全体構造としての発展をとらえようとすると 誰でも容易に手がつかない所以は  ( c ) 研究の立ち遅れとか 研究方法の問題を超えて 対象そのものにふかく根ざした性質――無常感とか義理とか出世とか――をまるごとの社会的複合形態ではなくて一個の思想として抽出してその内部構造を立体的に解明すること自体なかなか難しいが(九鬼周造の『いきの構造』(1930年)などはその最も成功した例であろう)   ( d ) たとえそれが出来ても さてそれが同時代の他の諸観念とどんな構造連関をもち それが次の時代にどう内的に変容してゆくかという問題になると ますますはっきりしなくなる。  ( e ) また学者や思想家のヨリ理性的に自覚された思想を対象としても 同じ学派 同じ宗教といったワクのなかでの対話はあるが ちがった立ち場が共通の知性の上に対決し その対決の中から新たな発展をうみ出してゆくといった例はむろんないわけではないが 少なくもそれが通常だとはどう見てもいえない。  ( f ) キリシタンのように布教されると間もなく宣教師自身が驚嘆するほどの速度で勢いをえて 神学的理解の程度もきわめて高度に達したものが 外的な条件で急激に力をうしない 思想史の流れからは殆ど全く姿を没してしまうような場合もある。  ( g ) ひと言で言うと実もふたもないことになってしまうが つまりこれはあらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え すべての思想的立場がそれとの関係で――否定をつうじてでも――自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当たる思想的伝統はわが国には形成されなかった ということだ。  ( h ) 私達はこうした自分の置かれた位置をただ悲嘆したり美化したりしないで まづその現実を見すえて そこから出発するほかはなかろう。   (丸山真男:『日本の思想』 I 日本の思想 まえがき 1961)  ~~~~~~~~~~~~~  1. わたしたちは 日本の思想として 《ちがった立ち場が共通の知性の上に対決し その対決の中から新たな発展をうみ出してゆくといった例》( e )を欲し問い求めます。  2. 《あらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え すべての思想的立場がそれとの関係で――否定をつうじてでも――自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当たる思想的伝統》( g ) これは 次のような視座ではないだろうか。   (α) 日本教=クウキ教      : シントウイズムからブディズムからコンフーシアニズムまで       あるいはクリスチアニズムからコミュニズムまで       あらゆる宗教(オシエ)や思想を《清濁併せのむ》かたちで       寄せて束ね 中核のクウキないしそのミナモトのもとに       《共生》するという社会原理   (β) 《アマテラス公民圏(主導)‐スサノヲ市民社会(従属)》なる      逆立ちした連関制      : これが 前項の《社会原理》の具体的なかたちである。       スサノヲ市民は 姉のアマテラスらに《くにゆづり》をしたので      安易にはその《逆立ちの逆立ち》を図ろうとはしない。       アマテラス公民が おとなになって 主導するチカラをゆづり      返す(大政奉還する)ことを千五百年ほど俟っている。   (γ) アマアガリ・シンドローム       : アマテラス公民へとつまり二階へと出世するぞという意志       であり そうせずにはおかないという意地である。   (δ) アマテラス予備軍症候群       : アマテラス公民の成すことはすべてただしい あやまち得      ないという無謬性の神話をつよく信奉している心性。       言いかえると そのアマテラス公民の成すことに文句を言い      批判をするコトに対しては 条件反射のごとく・何の疑いもなく      否定しようと動くその心性。  3. 前項のことがらがたたき台ですが 全体として 現代日本の哲学をつのります。  4. 引き合いに出した丸山の文章について くわしい解説やあるいは批判をほどこしてもらえる場合 よろしくお願いいたします。   * 日本教やクウキは 山本七平の捉えた視座です。   * 社会形態が 国家として 二階建てになっており その一階と二階とは 主権ないし主導権にかんがみて《逆立している》と言ったのは 吉本隆明です。

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回答No.1

こんばんはです。 高校時代に丸山真男の『日本の思想』を読んだはずなんですが、そんなことを書いていましたっけ。 内容をまったく覚えていないのは、大学入試の国語に出題されるかもしれない、という不純な動機から読んだからに違いない。 小林秀雄も結構真面目に読んだんだよな、高校の時、大学入試によく出題されたんで。動機が不純なので、小林秀雄もきれいさっぱり忘れてしまっているし(笑)。 で、改めて丸山真男の『日本の思想』の一文を読み、ブツッと切れてしまった眠り猫。 ~~~~~~~~~ けれども 時代を限定したり 特定の学派や宗教の系列だけを取り出すならば格別 日本史を通じて思想の全体構造としての発展をとらえようとすると 誰でも容易に手がつかない所以は… たとえそれが出来ても さてそれが同時代の他の諸観念とどんな構造連関をもち それが次の時代にどう内的に変容してゆくかという問題になると ますますはっきりしなくなる。 ~~~~~~~~~ 丸山先生、どこまで日本の仏教をご存知なんですかね~。 空海~鎌倉祖師方に至る膨大な仏教典籍を読んだことがおありになるのでしょうかね~。 わたしが知る限り、 フランス語、ドイツ語を知っていても、空海の著作群にはまったく歯が立たない。 空海の著作を読むためには、仏教のみならず、当時の中国語と中国文学の最高度の知識と素養が必要なのですから。さらに空海のたちの悪いところは、彼の《書》すら彼の思想の一翼を担っている。彼の《漢詩》もそう。唐の官僚詩人───中国最高の知識人であり詩人───たちと詩を送りあう仲なんですよ、空海は。そして、これらすべてを全部ひっくるめて《空海》。 空海の話は、もう、よそう。 空海は、日本文化の特異点であり、人間の規格、範疇ではとらえきれない人だから。 ネコが言いたいのは、 明治以降、日本のいわゆる知識人は、それまでの日本人知識層が有していた仏教や漢文・漢籍などの素養を意図的に切り捨て、西洋追随、西洋万歳の思潮のもと、こうしたものを知りもしないままに価値の低いものと無意識的に見なし、見なしているということ。 これ、今でもそうだけれど、一世代前の知識人、そう刷り込まれているんだもの。そして、自身、意図的に刷り込んでいるんだもの。 仏教が日本人のものの考え方に深い影響を与えていないわけがないでしょう。 《モノのアハレ》は、仏教の無常観がなければ、生まれてこやしなかった。 それがいいことなのかどうかは問題なのですが、仏教の《無常》の感性的理解、日本的受容が《モノのアハレ》ですよ。まったくないとは言いませんが、古事記に現代の日本人にまで連綿とつながる《モノのアハレ》はないでしょう。万葉集は《マスラヲ》《タヲヤメ》が基調なんですよ。万葉に見られる《モノのアハレ》すら、仏教に基づいているんですよ。奈良の官僚歌人たちは、仏教を知っているんですよ。すでに、仏教的世界観にドップリ浸かっていたことを忘れてはいけない!! 「諸行無常の鐘の音…」 仏教的にはこうした理解、あんまり褒めてはいけないのですけれど、 こうした日本的心性は仏教がなければ生まれてきませんって。 「お陰様」もそう、「有難う」もそう。「袖振り合うも多少の縁」。 日本人的心性といわれるものの多くは、み~んな、仏教に端を発している。 宗教としての神道たって、仏教の影響をもろに受けているんでさ~。仏教がその中に入り込んでいるでさ~。 儒教たって、日本の儒教は朱熹の朱子学であり、朱子学そのものが仏教の影響を色濃~く受けている。 日本教たって、結局は、仏教、あるいは仏教の日本的・感性的受容の形態に過ぎない。そして、仏教はもはや空気と化している。日本という土壌に溶け込んでいる。空気を意識しないように、だから、日本人は仏教を意識しない。 日本の古代の神々が仏教を乗っ取ったんじゃなくて、仏教に乗っ取られたんですって。日本の神々は、仏教に吸収されることによって、細々と生きながらえることができたんですよ。日本にアマタある稲荷神社のお稲荷さんだって、仏教の荼枳尼(ダキニ)天と習合し、そののちに真言の人々によって弘められたものなのだ!! ───────── 東寺では、真言密教における荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)に稲荷神を習合させ、真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなった[20]。荼枳尼天は人の心臓を食らう夜叉、または、羅刹の一種で、中世には霊狐と同一の存在とみなされた[7]。このことにより祟り神としての側面も強くなったといわれる[7]。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E ───────── いけませんよ、復古神道、山崎闇斎の垂加神道や明治以降の国家神道の教えに踊らされては。 明治以後は違うのでしょうが、 皇族、天皇、上皇ですら、お願いをするときは、祖先神の《アマテラス》ではなく、仏教の神仏にお祈りをしてたんですよ。 《アマテラス》を買いかぶってはいけない。 《アマテラス》たって、所詮は、《氏神》。 多くの日本人には、何の縁もゆかりもない神さま。 ───江戸時代に《お伊勢講》、《お伊勢参り》などの観光パック旅行は一大ブームになりましたけれども。─── 日本を《アマテラス》教にしようとしたのは、明治~第二次世界大戦のことです。 そして、この《アマテラス》シンドロームや、《アマアガリ》シンドロームが形成されたのも、明治以降のこと。 日本史を見ると、 日本人、結構、お上に逆らっていますよ。 《土一揆》、《百姓一揆》などの反乱を結構起こしています。 民衆パワーで、自身の要求をお上に何度も飲ませています。 お上を屈服させています。 江戸幕府の三大改革、みんな、道半ばで頓挫。 日本人、実は、権利意識、ナワバリ意識が非常~に強いんですよ。 普段は大人しいウサギさんですけれども、時に、狼さんにもなれるんですよ、日本人。 戦国時代という《狼さん戦争》も平気でやってのけます。 この《狼さん戦争》に、庶民も大々的に参加しています。 本当は、ウサギさんの皮をかぶった狼さんですから、 日本人は、とってもおっかないんですって。 中国という《獅子》まで、あわや飲みつくすところまでいきましたし、《日本狼》さんは。 仏教が殺し尽くせなかった《マスラヲ・パワー》が時に炸裂するんですって。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですね。おもしろくなって来ました。  まづは ご回答をありがとうございます。  そうですね。それでは 反論を用意してみますか。それがよいのではないでしょうか。  1. 織田信長 足利義満。ほかに誰がいましたっけ。天皇にはならなかった。  義満は 日本国王とまで名乗りましたが ついに 天皇を引きずりおろさなかったし したがって天皇にはならなかった。  信長も やろうと思えば出来た。天皇の退位だけではなく 天皇制を廃止することさえ出来たはず。でも しなかった。  ◇ ~~~  戦国時代という《狼さん戦争》も平気でやってのけます。  この《狼さん戦争》に、庶民も大々的に参加しています。  ~~~~~~  ☆ でも 大日本教は 《 A-S 逆立連関制》としてビクともしなかった。その A 公民圏に アマテラシテ(象徴たる天皇)がいるというかたち。  つまり 信長らは いにしえの《くにゆづり》を忘れていなかった。スサノヲ市民としては ゆづったことにほこりを持っている。おいそれとは 神だなから降りて来なさいとは言えない。引きずりおろすことは おのれの誇りにかけて しない。  とすれば 《縁起共生》の原理は あくまでいにしえの――言わば縄文人の《混沌とした原始心性》としてでも――シントウを土壌として 培われていた。盤石の社会の基礎でありつづけた。  《一揆》を起こすなら あとで不当にも責任を問われ罰則が待ち受けています。うまく連判状のかたちをつくったと言われますが 要するにアマテラス公民の権力に対して むしろ《ゆづった側としては》 その後始末の処置を受けることに甘んじた。決していつまでもゲリラ戦をおこなったというわけではなく ちっとは庶民の生活のことを考えろというささやかなウッタエであって 《最終的なオオカミごっこ》にはならない心の歯止めがあった。と考えざるを得ません。  2. 日本人は ブディズムを心にいだいたか?  ◇ ~~~~~~  日本教たって、結局は、仏教、あるいは仏教の日本的・感性的受容の形態に過ぎない。  そして、仏教はもはや空気と化している。日本という土壌に溶け込んでいる。空気を意識しないように、だから、日本人は仏教を意識しない。  日本の古代の神々が仏教を乗っ取ったんじゃなくて、仏教に乗っ取られたんですって。日本の神々は、仏教に吸収されることによって、細々と生きながらえることができたんですよ。  ~~~~~~~~  ☆ ここで《結局は、仏教、あるいは仏教の日本的・感性的受容の形態に過ぎない》のさらに《あるいは仏教の日本的・感性的受容の形態に過ぎない》に注目したい。  結論に飛びますが 果たしてブディズムは インドでのそれの面影を残しているか?  日本には文字がなかったし その意味での文献を成すような思想・文化がなかった。ただし ベースは それでもシントウですよ。シントウ以前の神道。  このベースの上に コンフーシアニズムもブディズムも乗っかった。だけ。に過ぎない。のではないか?  ◇ 皇族、天皇、上皇ですら、お願いをするときは、祖先神の《アマテラス》ではなく、仏教の神仏にお祈りをしてたんですよ。  ☆ そもそも《ほとけ》というのは すでに《ブッダ》からかけ離れてしまったらしい。皿(つまり ケ)を浮屠につけたのは 死者の霊を家にて祀るためだったとか。もうすでにブディズムとは何のゆかりもなくなってしまっています。《縁》はあったかも知れないとしても。  言いかえると 《着せ替え人形》であって 人形本体は 日本人でありシントウなのです。着せ替える着物は 儒家であり あるいは道教も入って来ていたらしく あるいは仏家だったのだし 明治以降は 西洋という服を着るようになった。それだけだという見方です。  衣装哲学というのがあったような。 Sartor resartus とか何とか。中身は変わっていませんって。縄文人ぷらす弥生人。  3. 日本教を特にアマテラス教と見る場合は どうか?    ◇ 日本を《アマテラス》教にしようとしたのは、明治~第二次世界大戦のことです。  ☆ これはですね。ひとつの仮説なんですけれど 上山春平の言い出したことで 古事記・日本書紀を書いたときに その色合いが打ち出されたというものです。  けっきょくタカマノハラから アシハラのミヅホの国に支配するためにやって来たホノニニギは アマテラスの息子ではなく 孫なんです。それが 時の天皇(女帝のだれでしたか)が 王子を失くしてその結果 孫に王位を継がせるために 神話の中にもそのように天孫が降臨したという話を差し挟んだのではないかというものです。  つまりは伊勢神宮は その祀る神であるアマテラスオホミカミは 初めヤマトの三輪山・その大神(おほみわ)神社に祀って欲しいと頼んだところ 断わられた。(のちに 大神神社の支社の檜原神社で受け容れてやった)。それで 伊勢にまで飛んだ。しかも伊勢には もともとやしろがあった。それを押しのけて 内宮としてアマテラスを祀った。元の神社は 外宮とされてしまった。  つまり何が言いたいかと言えば (1) 遠い昔にアマテラス教といった色合いも シントウにはつけ加えられた。  (2) 大昔のシントウは 大神神社や伊勢の外宮などを例として アマテラス教ではない社会原理がある。言いかえると それは 二階建てではない。  (3) 元のシントウに・その神話に アマテラスやスサノヲが出て来ることは ほんとうである。  (4) 神話の元のかたちとして 上なるタカマノハラと中つ国のアシハラのミヅホの国とがあるので そのようにして 或る種の二階建て構造はあることはある。  (5) でもシントウは 非アマテラスなる人びとの信仰――三輪山のオホモノヌシの神――がまったきかたちであって それが初源であり主流である。  4. もののあはれを知るについては どうか?  ◇ ~~~~  《モノのアハレ》は、仏教の無常観がなければ、生まれてこやしなかった。  それがいいことなのかどうかは問題なのですが、仏教の《無常》の感性的理解、日本的受容が《モノのアハレ》ですよ。  ~~~~~~~  ☆ これについては ひとことで言って 互いに入り混じり過ぎていると考えます。解きほぐすのは 一苦労だと思います。と言いますか いまわたしのチカラに余ります。  ブディズムの日本版が その中身までをもかたちづくったかも知れないと譲歩します。

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回答No.10

こんばんはです。 ☆ これは 変な記述ですね。つまり 《高宮神社》と《神坐日向神社》とは どういう関係なのか? これだけでは分からないようなんですが 同じだと言っているのでしょうか? 《延喜式神名帳》に載っているだけで 同じだと言えるんでしょうか。 ◇《延喜式》(907年)は、国の法令集のようなものですから、ここにこのようなことが記されているというのは、国家の公式見解としてこのことを認めたということだと思うのですよ。 わたしの推測ですが、 文武天皇(持統天皇のお孫さん)の死によって《天武系》の皇統が途絶えてしまい、 《天智系》に皇統に変わった。 《天武系》の王朝のもとで『日本書紀』作成の際に行われた神話の恣意的な改竄を正そうとした動きが、ここに見られると思うのですよ。 もっと穿った見方をするならば、 これは、中国の《天子》思想の否定。 なんで、中国の《皇帝》が偉いのか、地上を支配できるのか、といえば、天の子だからなんですよ。天孫降臨もこれと同じ論理ですよね。天・アマテラスの子孫だから、天皇は偉い。地の神さま、国津神発祥では、大王(おおきみ)は天子になれないですよ。 そういえば、《天皇》という言葉が生まれたのも、天武・持統天皇の時代か・・・ やっぱ、この時代に、天武・持統天皇の時代に、何かがあったんだろうな~。 少し脱線したので、話をもとに戻して、 天皇も、一般の人と同じく、この地で生まれたのだよ。 というパラダイム転換が行われた。 第一回目の《天皇の人間宣言》が行われた。 「民を大切にします。民のことをまず最初に考えますよ」という《チョ~上から目線》の表明が行われた。 延喜式は、《醍醐帝》の命令のもと、藤原時平が中心となって作成されたもの。道真は遣唐使を廃止していますし、中国の《天子・天帝》思想からの脱却、政治体制・政治原理の国風化が行われようとしていたのかも知れませんね。 アシカビ・ファミリーの日本人には、そもそも不要なんですよ、アマテラス・天帝思想は。 天皇もカビればいいんです。 それでこそ、国民統合の象徴なんですよ。 カビることによって朽ち果てしまうようなら、 天皇という存在は、もともと、このアシカビの国には、 必要ない!!

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ◇《延喜式》(907年)は、国の法令集のようなものですから、ここにこのようなことが記されているというのは、国家の公式見解としてこのことを認めたということだと思うのですよ。  ☆ そうですか。検索で 次のような説明がありました。  ▲(大神神社・摂社 / 神坐日向神社・高宮神社) ~~~~   http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/miwa-himuka.html  ◎高宮神社  三輪山山頂から拝する冬至の朝日は、山頂から直視できる大和と伊勢の国境・高見山(1249m)の彼方、伊勢の方角から昇ることから、当山頂は冬至の朝日を拝する日向の地であったと解され、三輪祭祀の原点には日神信仰があったと推測される。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ これに従いたいと思いますね。単純に日の神を仰ぐ信仰もあったのだと。  《原点》と言うのには抵抗がありますが。  と言っても 大神神社は 山じたいが神であって 神殿もなければ――拝殿だけであり―― 神体がどこかにあるというのでもないのですから この基本のもとにいまの日向神社の信仰もおさめられているというふうに受け取りたいと思うのです。  ◇ 《天武系》の王朝のもとで『日本書紀』作成の際に行われた神話の恣意的な改竄を正そうとした動きが、ここに見られると思うのですよ。  ◇ 第一回目の《天皇の人間宣言》が行われた。  ☆ そうですね。この仮説は もう少し全体との整合性を見てみたい気持ちですね。にわかにはちょっと。  と言うよりも まだ 残念ながらこれについての判断材料が少ないかも(つまり いまわたしが持ち合わせていないかも)知れないですね。  書紀は 何度かに分けて編集したりしているとか言いますし。  天武と天智とは仲がわるかったようなのですが それがどこまでつらぬかれるか。

回答No.9

こんにちはです。 ☆神話の時間は ぐるぐるまわっているのでしょうか。 ◇神武天皇・カムヤマトイハレヒコは、《ハツクニシラススメラミコト・はじめての天皇》という名前を持っています。 実は、《ハツクニシラススメラミコト》という名を持つ天皇がもう一人いるんですよ。 崇神(すじん)天皇です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87 日本史の方では、 この二人、カムヤマトイハレヒコと崇神天皇・ミマキイリビコイニエノスミラミコトは同一人物ではなかろうか という説が有力らしいんです。 この二人の神話には、共通点があるんですよ。  玉依姫(タマヨリヒメ)と活玉依姫(イクタマヨリヒメ)  大物主の登場  大物主のイケメン変身、そして妊娠・出産 皇統をより古くするために、記紀神話の水増しが行われているのではなかろうか・・・ そんな気がします。 そして、大物主と大国主を同じ神とする説も存在します。 大物主は、大国主の和魂(にきみたま)とする説です。 大物主 http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E7%89%A9%E4%B8%BB%E7%A5%9E 荒魂(あらたま)・和魂(にきみたま) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%AD%82%E3%83%BB%E5%92%8C%E9%AD%82 であるとするならば、 天孫系のカムヤマトイハレヒコは、大国主の娘さんであるイスケヨリヒメと結婚した、となる。 そして、  スサノヲ→大国主(大物主)→カムヤハトイハレヒコ と、地上支配の権限が婚姻関係で平和裡に譲り渡されたってことになるんですかね。 そして、大国主に《国譲り》を迫ったタケミカヅチの存在は不要。 現に、『古事記』中巻、「美輪の大物主」では、タケミカヅチは大物主(大国主)の子孫になっています。 わたしはよく知りませんが、 《三輪山》というのは、天皇家にとってものすごく大切な山なんでしょっ? 「ここに祀ってほしい」というアマテラスの依頼をすげなく断ってしまうような山だそうですから。 ヤマト王朝はこのあたりで成立した(ミワ王朝)とか、この近くにある箸墓古墳が卑弥呼(アマテラスの原型?)の墓だとか、そうじゃないとか。 そして、崇神天皇の女のお孫さんである《倭姫命・ヤマトヒメミコ》が伊勢に天照大神を祀ったんでしたね。   是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%A7%AB%E5%91%BD Wikipediaの三輪山に関する記事によりますと、 ──────────── 頂上には高宮神社が祀られているが、延喜式神名帳には式内大社として神坐日向神社が載せられている。この日向神社は、古代には三輪山の頂上に祀られ、太陽祭祀に深く関わっていた神社であったと推測されている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%B1%B1 ──────────── 《日向》や《太陽祭祀》が出てきますね。 アマテラス、だからこの山に祀ってほしかったのでしょうか? ──────────── 更に、平安中期の法典であります『延喜式』の巻8、祝詞篇の 「出雲国造神賀詞(いづものくにのみやつこかむよごと)」の中には、 「己(おの)れ命(みこと)の和魂(にぎみたま)を八咫(やた)の鏡に取り託(つ)けて、 (やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと)と名を称えて、 大御和(おおみわ)の神奈備(かんなび)に坐せ」とあり、大物主神は、大御和の神奈備【三輪山】にお祀り申し上げたことが記載されています。 いずれも、大和の東方に独座していた三輪山に、大物主神を祀ったことが記載されています。 http://www.oomiwa.or.jp/frame/f01.html ──────────── というのもありました。 怖いので、これ以上のことは書けないかも、わたし・・・ 絶対に踏み込んではいけない禁断の領域に、既に一歩踏み込んでしまったのかもしれない、わたし・・・

bragelonne
質問者

お礼

 ねむりねこさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ◇  ~~~~  天孫系のカムヤマトイハレヒコは、大国主の娘さんであるイスケヨリヒメと結婚した、となる。  そして、   スサノヲ→大国主(大物主)→カムヤハトイハレヒコ  と、地上支配の権限が婚姻関係で平和裡に譲り渡されたってことになるんですかね。  ~~~~~~  ☆ ここがおもしろいと思いました。  崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトは 三輪山のふもと・纏向の地ですし 大神神社(オホモノヌシのカミ)とつながり イヅモ系つまりスサノヲ=オホクニヌシ系と見ていますが そこに神武カムヤマトイハレヒコもつらなっています。姻族として。  おそらく必ずしも闘いによって政権を奪ったのではなく 言ってみれば政略結婚をつうじて 縁戚関係を持ってからだと思います 政権をうばうというアマアガリ運動を起こしたのは。  ニギハヤヒとは闘ったようですが。ナガスネビコは 融和政策に出たのでしたね。  その三輪市政のあとを襲ったのは 応神ホムダワケ(およびその母 神功皇后オキナガタラシヒメ)のときからだとにらんでいます。〔仁徳オホサザキは むしろ三輪・イリ政権の側の人間で 融和政策のもとに 河内・タラシ政権(もしくはワケ政権)に送り込まれたとさえ思われます〕。  おそらく弥生時代が終わるころ その三世紀は例の卑弥呼の邪馬台国が 中国の史書からは知られますが そのあと古墳時代に入る300年頃に 《初国知らししすめらみこと》として 崇神ミマキイリヒコが出たのだと見ています。  原始心性の《ヨリ(憑り)》から 世界への入りとしての《イリ》なる歴史知性を獲得し その人間宣言のもとにあたらしい社会と時代を切り拓いた。  イリ知性は ひとりの時間的なる者として《世界‐内‐存在》となった。ヨリ心性では この時間がまだあいまいであった。とは言っても 弥生人はすでに稲作の農耕を始めて来ています。そのような植物の育つという《時間過程》について知らないわけではありません。この時間が 人間の死の認識とともに十全に得られたのは けっきょく弥生時代からあたらしい生産(ないし社会的な人間関係)の様式を切り拓いたのが 《初国》であった。  ミネルワの梟は 夕方になって飛んでくる。つまり 弥生時代の暮れ方になってやっと それまでの農耕という作業とともに知るようになった《時間》観を 認識と自覚において成就した。と考えられます。それが 名前に出て来る《イリ(入り)》です。時間過程としての世界への入りです。  (崇神ミマキイリヒコの子や孫にも このイリがついています。その以前は タマ《ヨリ》ヒメやイスケ《ヨリ》ヒメです)。  ◇ 《三輪山》というのは、天皇家にとってものすごく大切な山なんでしょっ?  ☆ 逆です。まだ《天皇》はどこを探してもいませんでしたが もともとの三輪イリ市政の《オホキミ》にとって大切な甘南備山〔カム(神)‐ナ(の)‐ビ(=ヒ=霊)〕です。  ですから のちの応神ホムダワケの河内政権(400年頃から)が その三輪山のオホモノヌシの神の霊験をもとめたのでしょう。  ですが――推測も交じりますが―― 自分たちはアマテラスを祀ることにした。これを大神神社にも祀って欲しいと頼んだが 断わられた。伊勢の地を探し出した。といった経過であろうと見ています。  ◇ そして、崇神天皇の女のお孫さんである《倭姫命・ヤマトヒメミコ》が伊勢に天照大神を祀ったんでしたね。  ☆ これはですね。推測ですが のちに河内タラシ政権の系譜を継ぐ者――ひとつに 継体ヲホド(500年頃) および 欽明天皇のあたりで 三輪イリ市制の系譜とのあいだであらためて和解をしたのだと見ます――が のちに伊勢の宮の由来は ぜひ崇神イリヒコの時代からの話にして欲しいと願ったかたちではないかと考えます。  崇神イリヒコのときの・アマテラス祭祀の記事のあと うんと時代を飛んでからでないと記事が出て来ませんから。  ▲ 神風伊勢國  ☆ というのは 例の672年(壬申)の乱のとき 天武オホシアマが 伊勢の神に勝利を祈ったところからだと言われています。  ▲ 神坐日向神社が載せられている。この日向神社は、古代には三輪山の頂上に祀られ、太陽祭祀に深く関わっていた神社であったと推測されている。  ☆ あっ これは知りませんでした。もともと そもそもオホモノヌシとは ヘビですよ。ナガモノ(長物)とも言うように。じっさいヘビのかたちも山の上にあったかと思います。  アマテラスないし太陽神を祀ったのは 支社の檜原神社だと思います。譲歩したのだと考えます。  でも《神坐日向神社》があるんですか。いやぁ 知りませんでした。  ちょっと待ってくださいよ。  ▲ 頂上には高宮神社が祀られているが、延喜式神名帳には式内大社として神坐日向神社が載せられている。この日向神社は、古代には三輪山の頂上に祀られ、太陽祭祀に深く関わっていた神社であったと推測されている。  ☆ これは 変な記述ですね。つまり 《高宮神社》と《神坐日向神社》とは どういう関係なのか? これだけでは分からないようなんですが 同じだと言っているのでしょうか? 《延喜式神名帳》に載っているだけで 同じだと言えるんでしょうか。  保留とさせてください。(ふつうに一般的な太陽祭祀にかかわる祀りがあっても おかしくはないでしょうが)。  ◇ 絶対に踏み込んではいけない禁断の領域に、既に一歩踏み込んでしまったのかもしれない  ☆ 一般にもし禁忌となっている事柄があるとすれば それは 継体ヲホドの登場がいちばんです。  応神ホムダワケの五世の孫で 越(越前・三国ですが)の国で育てられていたのを引き出して来て――オホキミの血筋が大和や河内では絶えたので―― 据えたのです。それも けっきょくヤマトに入って政権をになうようになるまで 淀川近辺で二十年間 ときを俟ったかたちです。  三輪も河内もみな血筋が絶えたというのも おかしいですし 応神ホムダワケの五代あとの孫だというのも おかしい。まぁ いちおうそのとおりに受け取りますが。  つまり 禁断の領域は この継体ヲホドの問題です。  継体ヲホドがやっとヤマトに入って政権を敷いたあとも 欽明天皇のあたりまでトラブルがくすぶっていたようです。その後 聖徳太子のあたりで 《日本》という国名を名乗ったそうですから だいたい統制が取れて来たのだと思われます。そうして オホキミやスメラミコトに代えて《天皇》という名称も――スメラミコトと読みますが――使われるようになった。  要するに 三輪イリ市制は なるべく平屋建ての社会をのぞんだ。  河内タラシ政権は 二階建てを欲した。ムラムラのマツリを束ね寄せて 中央集権としてのマツリゴトを敷こうと欲した。  これが スサノヲとアマテラスとの・きわめて泥仕合的でありつつ何とか共生しようという・《くにゆづり》にもとづく(それを原点とする)《 A-S 逆立連関体制》だと見ます。《日本教》の成立です。    ・ヨリ原始心性:アニミズム・シャーマニズム     (縄文・弥生時代。一万年以上の歴史)  ・イリ歴史知性:時間的存在として世界に入りした。     (300年頃。やまと・三輪山のふもと)  ・ヨセ超歴史知性:河内ワケ政権(またタラシ政権)の心性および知性。       ヨリをもイリをも寄せて束ねるマツリゴトを始めた。       (応神ホムダワケ=400年頃。        継体ヲホド=500年頃        欽明天皇のころより安定化)

回答No.8

☆だけど サクヤヒメでしたかはお産のときワニになったというのは どうなんですかねエ。 ◇ワニになったのは、豊玉姫です。ホヲリの最初の奥さん。 昔話の《正体露見即離婚の法則》にしたがって、豊玉姫は帰っていきます。 そして、妹のタマヨリヒメがやって来て、二人の間の子供を育てる。 やはり、子供は実家が全責任をもって育てるんですよ。 http://himeluna.exblog.jp/12634993 トヨタマヒメの正体がワニならば、タマヨリヒメの正体もワニだと思うんですが、 現行犯でその現場をおさえられなければOKということなのでしょうか。 たぶん、そうなんでしょう。 《疑わしきは罰せず》の原則があるのでしょう、きっと。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ◇ トヨタマヒメの正体がワニならば、タマヨリヒメの正体もワニだと思うんですが、  ☆ ええ。これこれ。  何だかおかしな話だなぁ。  何が何でもこどもを育てるというのは いいように思うんですが。  この子――ウガヤフキアヘズ――とタマヨリヒメと結婚して その子どもの中から 神武カムヤマトイハレヒコが出る。  もういっぺん イヅモを征服に行くみたい。なんだかなぁ。  神話の時間は ぐるぐるまわっているのでしょうか。

回答No.7

☆ ホヲリ・ホスセリなどのホは 火でしょうか? ◇ホヲリ・火遠理  ホスセリ・火須勢理 なので、この《ホ》は《火》の意味です。 ニニギとコノハナサクヤヒメが一夜の契りを結ぶ。 コノハナサクヤヒメが妊娠。 ニニギ「オレの子じゃないだろう。国津神の子に違いない」 コノハナサクヤヒメは激怒して、「国津神の子供ならば、産むときに悪いことが起きるでしょうね」と言って、産屋に火をかけます。 そして生まれたのが、  火照(ホデリ)→海彦  火須勢理(ホスセリ)  火遠理(ホヲリ)→山彦 です。 長男のホデリではなく、三男のホオリが皇族の祖先です。 古代日本には、もともと、長子相続の考え方はないんですよ。 母親の家柄、そして、子供の実力で後継者を選ぶ。 アマテラスは女の子。 古代日本では、女の子が父親の財産を受け継ぐのがならわしなので、アマテラスはイザナギの財産を引き継いだ、とも考えられます。 男の子は、お嫁さんの実家の財力に頼らざるをえない。お嫁さんの実家の財力次第によって、男の子の運命、出世は決まってしまう。 大国主だってそうでしょう。スサノヲの娘さんと結婚できたから、それまでパッとしなかったオオアナムヂは大国主になれた。《妻問ひ婚》、《通ひ婚》が反映されているんですよ。 子供はお嫁さんの実家が責任をもって育てる。 そして、これは女系社会の特徴とされています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%BB%E5%95%8F%E5%A9%9A スサノヲがクシナダヒメと結婚する。 ニニギがコノハナサクヤヒメと結婚する、というのも、たぶん、こうしたことの反映だと思います。 んっ、 ってことはだ、 天孫という血統だけでは、地上支配の理由にはならないってことか。 地の神であるクシナダヒメやコノハナサクヤヒメというお嫁さん側の血統がどうしても必要になるんだ。 ああ、だからか、「私、子供できちゃいました」と言って、ニニギのお父さんがマサカツアカツさんが、降臨するのを断ったのは。 独身のニニギじゃないとダメなんだ。 今までこんなことを考えもしなかったけれど、 少しお利口さんになったかも、わたし。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ◇ ~~~~  古代日本には、もともと、長子相続の考え方はないんですよ。  母親の家柄、そして、子供の実力で後継者を選ぶ。  ~~~~~  ☆ あぁ 思い出しました。応神ホムダワケが 三人の息子の誰を後継者にえらぶかの話がありました。  末っ子のウジノイラツコだったかがいとおしいと言って えらぶ。そこから 争いが起こる。のちの仁徳オホサザキが そのもう一人の兄とウジノイラツコとの中を取りもとうとするが けっきょく暗殺か何かを図る。オホヤマモリでしたか。どちらもほろんで オホサザキがオホキミの位に就く。  ◇ 古代日本では、女の子が父親の財産を受け継ぐのがならわしなので、アマテラスはイザナギの財産を引き継いだ、とも考えられます。  ☆ ううーん。それは 源氏物語の時代だとかかなりあとの頃ではなかったですか。昔からそうだったのですかね。  ということは 父親は 妻つまり 娘から見た母親に財産をあたえたのかなぁ。家は 女系が所有していたんですよね。  あぁ ちょっと違っていました。  ▲ (ヰキぺ:妻問い婚) ~~~  § 原始日本の妻問婚  日本に置いて妻問婚は、飛鳥・奈良時代に先立つ古墳時代に一般的であったと考えられている[1]。妻と夫はそれぞれの氏族で居住し、妻の財産は妻方の氏族が、夫の財産は夫方の氏族が管理した。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ そうでしたか。  ◇ ~~~~~~~   んっ、  ってことはだ、  天孫という血統だけでは、地上支配の理由にはならないってことか。  地の神であるクシナダヒメやコノハナサクヤヒメというお嫁さん側の血統がどうしても必要になるんだ。  ああ、だからか、「私、子供できちゃいました」と言って、ニニギのお父さんがマサカツアカツさんが、降臨するのを断ったのは。  独身のニニギじゃないとダメなんだ。  ~~~~~~~~~~  ☆ ってことは タカマノハラの住人たちは アシハラのミヅホの国の習慣ないし掟にしたがう心つもりがあったってことですね。あるいはつまり 同族なのかなぁ やっぱり。  だけど サクヤヒメでしたかはお産のときワニになったというのは どうなんですかねエ。

回答No.6

NO5の付け足し。 大体、《天照》という名前からして胡散臭い。こんな神さま、もともと日本にいたのか。 《誓約・ウケヒ》の時にうまれた《アメノホヒ》が太陽神なんじゃないか。  アメノホヒ:《天・あめ》+《火日・ほひ》→太陽神 とする説もございます。 月の神さまは《月読み》だから、アマテラスが太陽神ならば、《日》という言葉が名前に入るべきだ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%9B%E3%83%92 古事記・日本書紀が編纂された時代には、仏教は入っていたわけだし、 アマテラスは  毘廬舎那・Vairocana-budda→《光明遍照》 から名前をパクったとか(アマテラス・名前パクリ疑惑)。 奈良の大仏に直接関係する『梵網経』を訳したのは、鳩摩羅汁(350~410)。 華厳経旧訳は5世紀。 日本に仏教が入ってきたのは、6世紀。(日本書紀によれば、欽明天皇の時代で552年) 『日本書紀』の完成は、720年。 大仏発願は743年。 《アマテラス・名前パクリ疑惑》の十分に根拠はある(笑)。 《アマテラス》なる神さまは、日本神話には元々なく、勝手にこさえた神さまではなかろうか???

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。  ◇ アメノホヒ  ☆ これらは ホノニニギなどと同じく やはり稲の《穂》ではないかと思います。オシホミミ・ホノニニギ・ホホデミ。  ヒは 霊でしょう。霊は 三つの言葉があります。   ・ ヒ〔ムス(生す)-ヒ(霊):生命力(?)〕   ・ ミ〔ワタ(海)-ツ(属格)-ミ(霊):海神〕   ・ チ〔イカ(厳)-ツ(の)-チ(霊):雷〕  ☆ 日と月とのペアは あってもおかしくないと思いますよ。  ☆ マハーワイローチャナの影響を受けたか? それは 何とも分かりません。  ☆ ホヲリ・ホスセリなどのホは 火でしょうか?

回答No.5

こんにちはです。 仏の語源についてすこし調べてみました。 1 「浮屠・ほと」+「家・け」→仏の家の人、仏の道の人 2 「浮屠」+「気・け」:「気」は《もののけ》の「け」と同じく霊的な存在を意味する 3 仏教伝来時(欽明天皇の時代)に「ほとほりけ」という伝染病が流行したので、仏教の国教化反対派が「ほとけ」と名づけた 4 解脱を意味する「解(ほど)け」がホトケになった 死者に対してホトケという言葉がはじめて文献に出るのは、 『後撰和歌集』(951年) らしいです。 江戸時代の岡っ引きが死者に対して「ほとけ」なる隠語を使い、それが一般に用いられるようになったとか、ならなかったとか。 ちょっと調べてみたのですが、  蘇我馬子・仏教VS物部守屋・神道 の戦争があったというのも、結構、疑わしいみたいですね。 (なんと、物部氏の本拠地には《渋川廃寺》という氏寺が建てられていた!!) 物部氏といえば、天孫降臨系の家系、その祖先はニギハヤヒですよ。 馬子VS守屋の争いは、仏教VS神道の争いではなかったのか・・・ 例によって、敗者に汚名を着せたということになるのでしょうか。 アマテラス教が日本を統一する原理になるのかいなかについては、 「アマテラス教は、元々、天皇家の《氏神》で天皇家の個人的な神であり、統一する原理になれない」 と思ったのですが、  アマテラスは同時に太陽神であるのだから、なることもできるかもしれない・・・ しかし、  太陽神って、そんなに偉い神さまなのか???  なんで、太陽神は普遍的な神になれるのか? と新たな疑問が沸いてきました。 太陽神は偉くない  バビロニアではネルガル、ギリシアでは太陽神はヘリオス、ヴェーダではスーリヤ、アイヌではペケレチュプ、ペルシアではフワル・フシュエータと、太陽神の神格はそれほど高くない 太陽神は偉い  エジプトのラー、インカのインティ、マヤ・アステカのケツアコアトルやウィツィロポチトリなどは、最高神。 世界中の神話を調べたわけではないのですが、有名どころの神話では、 太陽神を最高神とするところは意外に少ない。 たぶん、暦が関係しているのかなと。エジプトやマヤ・アステカは太陽暦を使っているので。 であるならば、日本は。。。  三貴紳の一柱に《月読み》がいる。 《月読み》は、暦に関係があるはずなんですよ。 じゃぁ、なんで、《アマテラス》が一番偉いのか。 わからない。 アイヌのペケレチュプは女神で、アイヌの神さまとしてはあんまり偉くない。天孫降臨みたいな話もある。 アマテラスは、元々、さして神格の高くない神さまだったのかもしれない。オオキミ家の権力・支配力の強大化に伴い、神格が上がっていったのかもしれない。 と思って古事記の冒頭部分を読むと、アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビの神々が何故お隠れになったのかが、わかる。イザナミはともかく、イザナギが何故か急に姿を見せなくなったのかも理解できる・・・ アマテラスを最高神にするためには、これらの神に隠れてもらわないと困るから・・・ やはり、日本神話の大改変が、『日本書紀」、『古事記』の編纂時に行われた、ってことになるのだろうか。天皇家に都合の悪い神話は、すべて闇の中に葬られてしまった・・・ などと危ないことを、考えはじめています。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  § 2. 日本人は ブディズムを心にいだいたか?(つづき)  ◇ 馬子VS守屋の争いは、仏教VS神道の争いではなかったのか・・・  ☆ もし政治勢力どうしの争いであったとしても 国家による仏教の正式な受容をめぐって争われたとは考えられると思います。  あるいは 神道が よその国の思想を排斥するものではないとも考えられます。  そして  ▲ (ヰキぺ:仏教公伝) ~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%85%AC%E4%BC%9D#.E5.B4.87.E4.BB.8F.E8.AB.96.E4.BA.89  § 3.2 崇仏論争  欽明天皇は百済王からの伝来を受けて、特に仏像の見事さに感銘し、群臣に対し「西方の国々の『仏』は端厳でいまだ見たことのない相貌である。これを礼すべきかどうか」と意見を聞いた。・・・  ~~~~~~~~~~~~  ☆ というように 《仏像》が初めから ひとつの焦点になっていたと考えられ その意味では 《ほと(浮屠)-け(形): すなわち仏像またその画像》という説は 有力なひとつだと考えます。  と言いますか ほかの説は あまりにも取ってつけたように感じます。  § 3 日本教を特にアマテラス教と見る場合は どうか? (つづき)  ◇ アマテラスは同時に太陽神であるのだから、〔* 普遍的な神に〕なることもできるかもしれない・・・  ☆ これは 天皇家の氏神であるほかに 対馬に阿麻弖留神社(あまてる神社)があります。   http://blog.goo.ne.jp/sadalon/e/d316e169c88b3edd0997a3a062dcad4d  別名の大日孁貴神(おほひるめのむちのかみ)は おそらく日の神のことをふつう一般に言っているのだと思われます。   ひ(日)‐る(属格)‐め(女)‐の‐むち(貴;ヌシ)  め(女)は み(霊)のことかも分からないと思います。  ◇ なんで、太陽神は普遍的な神になれるのか?  ☆ 《日》でなく《火》だと採ると それほどの疑問でもないのではないでしょうか? つまりザラトゥシュトラの神。空海だって 護摩を焚くではないですか。(あれっ ピントはづれ?)  イザナキ・イザナミは 男女であり夫婦であって 《かみ》になっていますが およそ人類の祖だとも考えられます。  その以前の神々は すでに神々のままです ずっと。    イザナキのイザは いざ鎌倉! のごとく声をかけたり誘ったりするそのイザ。ナは ま(目)‐な(の)‐こ(子)=まなこ(眼)のナ(属格)。キは オ(?)‐キ(男)‐ナ(人)のキ。ミは オ(?)‐ミ(女)‐ナ(人)のミと言います。  互いに いい男だ いい女だとほめあっていますね。  ですから アマテラスら三貴子は 最初の人間の対(つい)なるふたりの次の世代となります。そこで 世界を分割して ここを治めよと言ったりするのは 自然ではないでしょうか?  ただし 末っ子のスサノヲは 海原を治めよとか 根の国を治めよとか 何だか必要がなくてもっと言えば 死者の国であるかにも思われる国の王(ないし司祭)になれと言われているのは おかしいと思われます。さもなければ 露骨にいじめているのかです。さらにあるいは第一子のアマテラスが 格段にとうとばれるのは あるいはふつうだったのでしょうか。  記紀が ときの権力者たちのいいように書かれているのではないかという問題は 多くの研究がなされて来ました。  わたしは もしそのような恣意的な記事を書いたとしたら そのように作られた物語として 二階建て国家は進水式を挙げたのだと受け取ります。  言いかえると もし敵という言葉を使うならば 敵の思うように作った神話にしたがって そこから人間と歴史の真実を照らし出して行くといった作業になるかと思います。そうするのみといった態度を取ってすすみます。  でも一例を挙げるなら ホノニニギの天孫降臨があって 神武カムヤマトイハレヒコが大和に入って行ったとき 書紀のほうでは すでにその昔 天孫降臨したニギハヤヒがいたともきちんと記しています。  河内の河上へ 天の岩船に乗ってやって来たとか書いています。  いわゆる日本人に属する人びとが 南(九州あるいは出雲)の先進地域からヤマトにやって来たのか。それとも外国から来たのか。それは分かりませんが そういったふたつのあたらしい歴史の波のことをもちゃんと書いているといったことはあると思われます。

noname#181644
noname#181644
回答No.4

そうですね、私も質問の意図をちゃんと理解していなかったかもしれませんが、回答は、大体理解していただけたと思っています。 また、思想の系譜ではなく思想のネットワークというのは、(アメリカ一極ではなく)多極化の進む世界においても、意義ある考え方だと思いました。 あと、隣の芝とは、西欧世界の思想体系の事です。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 思想の系譜ではなく思想のネットワークというのは、(アメリカ一極ではなく)多極化の進む世界においても、意義ある考え方だと思いました。  ☆ そうですね。《辺縁型のネットワーク》――残念ながら まだしらべていません。  ★★(回答No.3) ほぼ全ての思想が相互関連性を持つような  ☆ ということでしたので だったら《座標軸とか、中核というものを求める時点で西洋的だと私は思いました》というそのアプローチの仕方と同じではないかと思ったからです。得られる結果は さして違わないであろうと。    そのことをも言わずに黙っていたのは けっきょくどんなアプローチをするにしても 結果が大事でその中身で勝負だと考えているからです。  前振りは どうでもよいと思っているからです。  今回の説明によりますと 《一極集中型》と《多極分散型》とでアプローチの仕方がちがってくるのであって 後者の場合には 《辺縁型ネットワーク》のほうがよいのだと。こういうことのようですが 初めから言って来ているようにわたしは どっちでもよいと考えます。  そもそも魚を料理する包丁であれば どんなものでもかまわない。料理したその結果を問題にします。  ところで 丸山真男は ちらっと拾い読みしていたら こう書いていました。  ▲ (丸山真男:無構造の伝統) ~~~~  直接的感覚にピッタリと寄り添い いかなる抽象化をも拒否した宣長の方法は 社会的=政治的な面では逆に     儒を以て治めざれば治まりがたきことあらば 儒を以て治むべし。     仏にあらではかなはぬことあらば 仏を以て治むべし。     是皆其の時の神道なればなり。       (本居宣長:『鈴屋答問録』)  という機械主義をもたらし これに対して《神道》の世界像の再構成をこころみた平田篤胤においては 《道》が規範化された代償としてふたたび儒仏はもとよりキリスト教までも《抱擁》した汎日本主義として現われた。   (丸山真男:『日本の思想』 1961 p.21)  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 丸山が《機会主義》と言っているのは わたしが《着せ替え人形》形式だというものです。  《汎日本主義》というのは 日本教=クウキ教のことで 《あらゆる思想を・つまり特にはよそからの思想・宗教をみな みづからのクウキの内に抱擁する》というかたちのことです。    誰だったかが小説のタイトルに使った例があったようですが この日本教のちょっと変な包括志向は 《無限抱擁》だと言われています。ちょうど母親が赤ちゃんに対して採るひとつの態度だとも言われます。――すべてをつつむ。ただし そのようにつつみ続けるのみ。互いにきちんと自分の考えを述べて意志疎通を図るつもりがない。ただ抱擁しつづけるのみ。・・・  クリスチアニズムも そのオシエはどうでもよくて ただそのクウキの支配≒抱擁の体制におとなしく入って来てくれていれば よい。あとは何にも要らない。・・・  中心ないし中核の無でもあり 有でもある。  辺縁志向ないし遠心的であったり 中心志向ないし求心的であったりする。  こういう《日本社会》の了解としての《日本の思想》です。

noname#181644
noname#181644
回答No.3

座標軸とか、中核というものを求める時点で西洋的だと私は思いました。そうでなくても、ほぼ全ての思想が相互関連性を持つような辺縁型のネットワークとも言うべき立ち位置は見出せるのではないでしょうか。言うなれば東洋的なそれがあると。 止揚に則って思想の繁栄を目指すというアプローチ自体がステレオタイプであり、相互関連性を持つネットワーク型の方がむしろ現代的な思想の立ち位置であると思います。誰が言った、どんな伝統がある、などは歴史としては意味を持ちますが、これからの世界を切り開くに当たっての正味の部分で勝負するならば、結局は思想の中身ということになると思います。 日本における思想的座標軸というものは、アミニズム、仏教、近代思想、の三つくらいが軸になっていると私は思います。大化の改新や文明開化と時期は重なるのでしょう。しかし、別にそんなものを規定し無くても、思想の発展や前進、進歩はあり得ると思います。純粋さを求めるなら。 思想の座標軸や核、これらは勉強には良いかもしれませんが、結局は中身でしょうから。 隣の芝が青く見えているだけではないかと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 れいんとーくさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  ★ 座標軸とか、中核というものを求める時点で西洋的だと私は思いました。  ☆ そうですね。われわれが生活の中で思想やその中核となる概念や理念を 意識して行動しているかとなると おっしゃるとおりでしょう。  ここは 学問の問題としてです。特に座標軸や中核となるものを意識していない生活やその社会についても そうであっても学問は ではその思惟や行為の形式(イデア)は どのようになっているか? これについて問い求めるはずです。  ★ そうでなくても、ほぼ全ての思想が相互関連性を持つような辺縁型のネットワークとも言うべき立ち位置は見出せるのではないでしょうか。言うなれば東洋的なそれがあると。  ☆ そういう方向でありあるいはその志向性であることをいま述べようとしていました。  ただし  ★ 辺縁型のネットワーク〔とも言うべき立ち位置〕   ☆ というのは 知りませんでした。それが《東洋的》だということも 知りませんでした。まづこれについての勉強から始めなくてはなりません。  ★ 止揚に則って思想の繁栄を目指すというアプローチ自体がステレオタイプであり、  ☆ たぶん視点ないし重点が違っていて そういう見方をなさるのだと考えます。わたしの場合は 中身で勝負です。どういうアプローチの仕方であっても それには構いません。結果が・結果で ものを言います。  ★ 相互関連性を持つネットワーク型の方がむしろ現代的な思想の立ち位置であると思います。  ☆ これが まだわたしには分からない。わざと茶々を入れるなら この《相互関連性を持つネットワーク型》自体が・あるいはまたその型式を容れた社会自体が 言うなれば弁証法的な過程をたどるとも見られなくもない。とは ふと思います。  ★ 誰が言った、どんな伝統がある、などは歴史としては意味を持ちますが、これからの世界を切り開くに当たっての正味の部分で勝負するならば、結局は思想の中身ということになると思います。  ☆ ええ。そうですよ。もともとそういう立ち位置にわたしはいます。そのように自己表現して来たと思っています。  誰が言ったかは――そう言えば いつもと違ってここでは 最初の提言者の名前をわざわざ出していますね これは―― わたし自身のオリジナルではない部分を明確にしておくべきだと思った。そういう意図であり それのみのことです。  ★ ~~~~~~~~~  日本における思想的座標軸というものは、アミニズム、仏教、近代思想、の三つくらいが軸になっていると私は思います。大化の改新や文明開化と時期は重なるのでしょう。しかし、別にそんなものを規定し無くても、思想の発展や前進、進歩はあり得ると思います。純粋さを求めるなら。  思想の座標軸や核、これらは勉強には良いかもしれませんが、結局は中身でしょうから。  隣の芝が青く見えているだけではないかと思います。  ~~~~~~~~~~  ☆ このくだりが よく読み取れないのですが こうでしょうか?   ○ 《純粋さを求めるなら》 そのいま・こことしての現在時においてわれわれが当面する社会をそのまま受け容れ そこに展開する問題を一つひとつ捉えて行くのがよいし そうして行けば問題なく《思想の発展や前進 進歩はあり得る》。  こういうことでしょうか?  いづれにしましても――《辺縁型のネットワーク》についてはまだよく分かりませんが―― すでに述べましたとおり 《中身で勝負》です。  その中身をうかがいたいと思いました。  《隣の芝》とは 何を言うのでしょう? 西欧の学問の進展のことでしょうか。  わたしに関するかぎり これを鵜呑みにしたりそれらに追随したりということはありません。そのことは分かってもらっていると思っていましたが。つまり ここではたたき台を――オリジナルでない部分はその提唱者の名前を明らかにしつつ――提出しています。  ここから出発してもらってよいと考えるのですが どうでしょう。

回答No.2

義満はともかく、信長は結構、怪しいですよ。  自身の神格化 をしています。 暦や年号を決める権利を朝廷から奪おうとしています。そのことを朝廷に要求しています。そして、これは天子にのみ与えられる権利。時の支配者こそが天子なので。 朝廷側は、その対応に苦慮します。官位を与えて何とか手懐けようとしたけれど、信長はその申し出を受けなかった(三職推任問題)。そして、そうこうしているうちに、本能寺の変が起きた。 どうやら、信長は、《禅譲》を狙っていた節があるんですよ~。 中国の歴史、《献帝》→《曹否》の《禅譲》にならって、その準備を着々としていた節があるんですよ~。 だ・か・ら、 朝廷の誰かが光秀をそそのかしたとか・・・ すべては歴史の闇の中、なか、ナカ~♪ Wikipediaの記事には、 ───────── その他  信長は本能寺の変のほぼ1ヶ月前に征夷大将軍・太政大臣・関白の三職推任を受けている(三職推任問題)が、フロイスは「予(信長)がいる処では、汝等(イエズス会宣教師ら)は他人の寵を得る必要がない。何故なら予が(天)皇[105]であり、内裏である[106]」と記述しており、信長は足利義満のように自ら天皇になろうとしていたのではないかと見られる記述がある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7 ───────── 義満は、生前、朝廷から上皇と同じ待遇を受けています。そして、その死後、《鹿苑院太上法皇》の諡号を送られています。義満もちょっと不自然な死を遂げています。皇位簒奪を企んでいて、暗殺されたのではないかという説もございます。 おそらく、アマテラスの神罰を受けたんでしょう、お二人とも。 ですので、 ☆でも 大日本教は 《 A-S 逆立連関制》としてビクともしなかった。その A 公民圏に アマテラシテ(象徴たる天皇)がいるというかたち。 ◇結果的にはそうなっていますが、大ピンチに何度か立たされていたのは、事実のようです。《アマテラス》さんのお陰ではなく、朝廷を守ろうとした貴族さんたちの政治的手腕でピンチを脱したのではなかろうかと。 ☆☆☆☆☆☆ ☆結論に飛びますが 果たしてブディズムは インドでのそれの面影を残しているか? ◇奈良仏教の法相、真言は、かなり色濃くインドのそれの面影を残しています。 法相宗は、インド唯識を持ち帰った玄奘三蔵と、その弟子である窺基(キキ)を出発点としていますから。 真言も、不空などがインドの密教をそのまま持ち帰り、それを出発点としていますので。空海、インド出身の《般若三蔵》からサンスクリットを習っています。。。 でも、これも平安時代の中期くらいまでの話なんでしょうね~。 時代が降るにつれ、インド色は失われていきます。 漢訳経典、注釈書などに基づく日本的理解が進んでいきます。 天台、華厳などは、最初から、中国臭プンプンです。 禅に至っては、かなり老荘が混入しています。 日本でも、原点回帰、つまりインド仏教に戻ろうの動きがなかったわけではないのですが、その動きは大きな潮流にはならなかった。 真言ですと、鎌倉期の戒律復興の《良観忍性》、江戸時代の《慈雲尊者・飲光》あたりが有名です。 日蓮系の人たちはボロクソに言いますけれど、《良観忍性》は大変立派なお坊さんです。 忍性 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E6%80%A7 慈雲尊者・飲光 http://www.horakuji.hello-net.info/jiun/about.htm ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~  日本には文字がなかったし その意味での文献を成すような思想・文化がなかった。ただし ベースは それでもシントウですよ。シントウ以前の神道。  このベースの上に コンフーシアニズムもブディズムも乗っかった。だけ。に過ぎない。のではないか? ~~~~~~ 古事記の国生みの記述などには、たぶん、中国の陰陽思想が入っていますよね~。 清き明きココロといっても、これは日本独自のものというよりは、世界中で見られるものでしょう。 シャーマニズムも世界共通ですし、これといって日本独自のものという感がしません。 ミソギも世界各地に見られますし、ユダヤ教ですら、水で洗礼をしますでしょう。そして、ミソギで流すのは、罪ではなくて、ケガレでしょう、偶有的なケガレ。これも、世界の各地で見られます。 自然、「自ずから生る」も、考えようによっては、中国の老荘のパクリかもしれないし、たぶん、この可能性は非常~に高い。 はたして、日本独自のものがどこにあるのでしょうか。 まぁ、 これらをシントウ以前の神道と呼ぶことはできると思いますけれど、そうしますと、世界中にシントウ以前の神道が存在していたことになるのではないでしょうか。 むしろ、これらは世界共通のものと考えるべきなのでしょう。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ ◇ 皇族、天皇、上皇ですら、お願いをするときは、祖先神の《アマテラス》ではなく、仏教の神仏にお祈りをしてたんですよ。  ☆ そもそも《ほとけ》というのは すでに《ブッダ》からかけ離れてしまったらしい。皿(つまり ケ)を浮屠につけたのは 死者の霊を家にて祀るためだったとか。もうすでにブディズムとは何のゆかりもなくなってしまっています。《縁》はあったかも知れないとしても。 ~~~~~~ イザナギがイザナミとの間に《言戸》を立てちゃうようなお国柄ですよ、日本は。 死や死者は《ケガレ》です。 火葬場から戻り、家に入る前には、お塩でお清めをしたりしますでしょう。 《ケガレ》である死者の魂を家に持ち込んだりしませんて。 古来、日本人が死者を神として祀る場合には、往々にして、死者の祟りが深く関係しています。 怨霊を鎮めるために、神として祀るんですよ。 実家の近くにある神社には、昔々、村人が食べちゃった亀の甲羅まで、「どうか、これで祟りませんように」と祀ってありますよ。 そして、 ご先祖さまを広く一般に祀るようになったのは、士農工商によって身分の固定化が進み、生産・生計の手段が先祖から代々引き継がれるようになってからです。意外に新しいんですよ。仏教がお葬式に本格的に関わるようになったのも、江戸時代とされています。 江戸時代ですよ、江戸の宗教政策、《寺請け制度》で仏教が変質してしまったんですよ。江戸時代に葬式仏教に変わってしまったのだった。 仏教のお葬式の儀式は、基本的に受戒の儀式です。なので、《生きているうちに》お葬式をするのが正しいんですよ。 仏教も死者には関わらないんですよ、本当は。 ゴータマさんが亡くなったときでさえ、仏弟子たちは、その葬儀に一切関わっていないくらいなんですから。 仏教は、キリスト教同様に、生者のための宗教です。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですね。一つひとつ受け取ってまいります。  まづは ご回答をありがとうございます。  § 1 義満や信長が 天皇にならなかった問題  ◇ 義満は、生前、朝廷から上皇と同じ待遇を受けています。  ☆ ですから それに甘んじたということになります。  むろん 義満が かつての《くにゆづり》のことを意識してそうしたかどうかは 分かりません。ただし 庶民でもその自覚も無しに 《 A-S 逆立連関制》なる制度(または からくり)を問題意識として・つまりイメージのごときかたちにて 持っていたかも知れない。そういう問題だと捉えます。  信長は 推測ですが みづからが天皇になろうとしたというよりは 天皇制を廃止しようとしたと思います。それは 急がなくてもよかった。  そういうことだとすると 《くにゆづり》の問題意識はなかったと考えられるかも知れません。  ということは まだまだこの問題意識について煮詰めた考えにまでは到っていなかった。  こういう推測をするかぎり 信長を義満と同じように扱うことはマチガイであるかと確かに考えます。  わづかに言えるかも知れないことは 自分が――天皇は廃止しても――その《 A-S 逆立連関制》の A 圏の主として君臨するようになるのですから そしておそらくそういう場合には 自分の織田家も かつての源氏や平氏と同じく 天皇家の子息から臣籍降下した同じ血筋の人間だと思っていたかも知れないですから いにしえの《くにゆづり》の契りをないがしろにしたわけではない。となります。逆の立ち場でですが。    早い話が 名称はどうであれ 信長は第二天皇制を敷く用意があった。よって くにゆづり神話の現実社会における有効性にきずがつくことはなかった。  すべては 推測のお話ですが。  § 2 日本人は ブディズムを心にいだいたか?  ◇ ~~~~~~  奈良仏教の法相、真言は、かなり色濃くインドのそれの面影を残しています。  法相宗は、インド唯識を持ち帰った玄奘三蔵と、その弟子である窺基(キキ)を出発点としていますから。  真言も、不空などがインドの密教をそのまま持ち帰り、それを出発点としていますので。空海、インド出身の《般若三蔵》からサンスクリットを習っています。。。  でも、これも平安時代の中期くらいまでの話なんでしょうね~。  ~~~~~~~~  § 3 日本教を特にアマテラス教と見る場合は どうか?  ◇ 自然、「自ずから生る」も、考えようによっては、中国の老荘のパクリかもしれないし、たぶん、この可能性は非常~に高い。  ☆ おそらくこのタオイズム(道教)は 日本人に・つまりシントウに合っていたのだと思われます。しかもその道教を受容したとすれば そうしたとしても ほとんど跡形も分からないようなかたちで受け容れている。つまり そのかたちも シントウ流だと考えられます。  ◇ はたして、日本独自のものがどこにあるのでしょうか。  ☆ 無い。《無い》という答えが シントウとしての 一面として独自のものであり もう一面としては 世界中どこでもそういう側面はあったのではないかと捉えられる。こういうことかと見られます。  ◇ ~~~~  まぁ、  これらをシントウ以前の神道と呼ぶことはできると思いますけれど、そうしますと、世界中にシントウ以前の神道が存在していたことになるのではないでしょうか。  むしろ、これらは世界共通のものと考えるべきなのでしょう。  ~~~~~~  ☆ ええ。そして 問題は・また大事なことは 日本人はその《世界の人びとに共通の原始心性としての自然で素朴な心のあり方》を現代にまで保ち続けたということにあります。これが 日本人の独自性です。  着せ替え人形なるパタンを採った。人形本体は 大昔のままの心性でありその上に着る物は むしろよその国から受け容れた思想であり これを次から次へ変えて行ったのだと。  最近のアメリカ衣装は 内側の心をもむしばむかも知れないとおそれられますが。    2. 日本人は ブディズムを心にいだいたか?(つづき)  ◇ ~~~~~~~~  《ケガレ》である死者の魂を家に持ち込んだりしませんて。  古来、日本人が死者を神として祀る場合には、往々にして、死者の祟りが深く関係しています。  怨霊を鎮めるために、神として祀るんですよ。  ~~~~~~~~~~~  ☆ ほとけを 浮屠‐ケ(皿)として捉える見方は 俗説中の俗説であるかも知れません。  その昔 神々は目に見えないが山の磐座(いはくら)や神木に霊として降りるとも思われていた。そのような神々の依り代として ケ(皿・器)説がおもしろいと思ったのですが あまりにも少数意見のようですので 控えることとします。  * カ(漢字は公の下に瓦)とその転( ka > ka-i = ke; cf. ma 目 > ma-i = me 目 )であるケ(竹冠に司)が 《物を・特に食べ物を盛り 容れる器》のことで ケはさらに朝餉・夕餉のケに使われるように《食べ物》をも表わすようになった。  大野晋は――日本語学の観点からですが―― ケ∽カ (かたち⇒け(気))説です。  ● (大野古語辞典:ほとけ) ~~~~  ケは 接尾語ゲ〔* あやしゲ・さびしゲ あるいは ほのカ・きよらカなど〕の古形。目に見える形の意。  従って ホトケは仏の形。仏像(* またその画像)の意が原義と思われる。  ホトケは これに向かって物を供え 自分の心の中を打ち明けて頼れば 教導し 救い助けてくれる 身近な 慈悲のある人間的存在と受け取られ また 人も修行によってホトケになれると信じられていた。  これは 日本固有のカミ(神)が恐怖・畏怖の対象として受け取られ 非人間的な存在と思われていたことに対して著しい対照をなしている。  ただし平安朝以後 本地垂迹説によって仏と神との融合がはかられて来た。  ~~~~~~~~~~~~~~    なお死者の場合 まだ死んで間もないころは 山の上に霊がただようと思われていた。ヤマト姫が弟の霊を二上山に見ているウタがあったと思います。  ケガレの問題とは別に 祖先という死者の霊をまつることはあったと思います。  ◇ ~~~~  イザナギがイザナミとの間に《言戸》を立てちゃうようなお国柄ですよ、日本は。  死や死者は《ケガレ》です。  ~~~~~~  ☆ くつがえそうと思ってではありませんが この記事は 特にはそもそも人間は死ぬのだ・その人生には限りがあるのだと知ったときの思いが強く表わされているように思います。  墓を掘って遺体を見てみたら うじ虫がたかっていて見られたものぢゃなかったというように 人間は眠りに就いたのではなくはっきりと死を死ぬとさとった。その上で 死者やその国と いま・うつつの人間とは違うのだと強調して表現しているように思います。    ケガレ(穢れ)は 死体やその処理にかかわって 生まれた感覚ではないでしょうか。  ケ(褻・日常性)からのカレ(離れ)は ケ‐カレ(涸れ・枯れ)と捉えられて 日常の活動性をうしなうことと言うようになったと思われます。  ケ‐カレ(離れ)の場合には 逆にハレ(晴れ・つまり 非日常性)のことを言った・または言えたとも考えられます。葬式に晴れ着を着て喪に服したといったこともあったとか。    ◇ ~~~~~  仏教も死者には関わらないんですよ、本当は。  ゴータマさんが亡くなったときでさえ、仏弟子たちは、その葬儀に一切関わっていないくらいなんですから。  仏教は、キリスト教同様に、生者のための宗教です。  ~~~~~~~  ☆ 現代の教会は 葬式にもかかわっているようです。

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     《クウキ》論のこれでもかこれでもかです。  というよりは 先にこの質問を問うてそのあと《 KY 》の主題を問うべきでした。    この問題が広くみなさんの視野に入ることを欲して再度問います。    *  玄関を一歩出ると そこは 運河である。  人びとの いや われわれの頭の中に深く穿たれた観念の水路網。  まづは ゴンドラを誂えなければならない。  船をうまくあやつれないと 通行はむつかしい。見えざる交通法規。  ゴンドラは 何を載せているか? いや ゴンドラが 何で出来ているか?  クウキですって? いやでも吸わざるを得ない空気のことですか?  ええっ?  クウキで出来たそれぞれの船。  ところが その船の材料であるクウキは 一人ひとりがあつらえるのではなく すでに千年二千年も昔から仕立て上げられて来たお古である。  お古のお仕着せ これが われらが運河の通行手形であり うるわしきゴンドラである。     *  では このクウキは 何で出来ているか?  思うに マクロとして アマテラス公民の無謬性〔なる神話としてのクウキ〕であり ミクロとして 上司のガミガミ電波であり いづれからも ややもすると 《意識の排泄》が交じって出ている。  《主権者たるスサノヲ市民 ‐ 公僕たるアマテラス公民》という二階建てから成る社会が 国家という社会形態の構造として 逆立ちしてしまった。一階よりお二階さんのほうがえらい。それが アマテラス公民の無謬性なる神話であり そういうクウキとしてゴンドラをかたちづくっている。  官僚や政治家は 間違いを侵さないというお仕着せの船であり 実際にかれらが犯した間違いを知っていても これを口に出してはいけないというのが 通行手形の中身である。〔ここのところ この神話は 崩れて来ただろうか?〕  この逆立ちした《アマテラス‐スサノヲ》連関制のもと その上下関係に似せて形作られているのが 《上司‐部下》の関係である。  しばしば送られてくるガミガミ電波は やみくもに発する意識の排泄をともないながら その観念の運河としては・そこを通行せずばなるまいという部下のあたまの中には けっきょくみづからがアース役となって この電波を受け止めざるを得ないことになる。  スルーすることも出来なくないが そうすると このミクロの・ミニ《観念の運河》は いつまで経っても 同じ絵柄しか写しださない。  まじめな人は アース役となって受けとめ 少しでも運河の水をきれいにしようと努める。  あるいは問題は ガミガミ役にかんしてその自分ひとりの昇進のためや地位の保守のためではなく その電波を会社のためという心つもりで発信するときである。  会社がつぶれたら 元も子もないというところから――いかに人間であることを守り人格をとうとぶ人であっても―― その電波の命ずる仕事を引き受けなければならないと考える。そういうゴンドラの歌もある。  一般に 資本主義の問題である。  かくて 観念の運河を クウキなるゴンドラは今日もゆく。    *  現代の哲学を つのります。

  • 国家のアウフヘーベンを!――いまでしょ。 

     1. 感性と理性を伴なった或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見た。  2. イリなる歴史知性すなわち 《世界〔内存在〕への入りをおこなう知性人》 この種の人は このまぼろしをそのままなぞとして心にしまっておいた。  3. ヨセなる超歴史知性すなわち 《世界を押しなべてその知性によって束ね寄せるスーパー知性人≫ この種の人は まぼろしに取り憑いた。  3-1. その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。いよいよ その《いと高き者》に似て来たとき――きわめて人間的な人間になったとき――周りを見てみれば このまぼろしには誰も 関心がない。それは 程度問題なのだと澄ました顔をしている。  3-2. ヨセ人は ここであきらめなかった。このまぼろしによって人びとを感化し 世の中を束ね寄せる。そうしてみせる。そうすれば《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。と踏んだ。  4. このアマテラス種族でもあるヨセなる超歴史知性が 世の中のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったときスサノヲらはとうとう根競べに負けて 《くにゆづり》をした。  4-1. ふつうのイリ歴史知性のスサノヲ市民らがムラムラでおこなう《まつり》は ことごとく第二階によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  4-2. かくて 《アマテラス公民‐スサノヲ市民》連関制の完成である。くにのいへと言う。家というからには 構造があり 二階建てである。    5. 《ひかり あるいは まぼろし》は どうなったか?  5-1. 《ひかり ないし まぼろし》と現実とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言にも・つまりそれぞれの自己表現である誰の発言にも 本音と建前とがある。  5-2. あるいはさらに 二枚舌の問題がある。人びとのあいだで利害の一致がむつかしいとすればその限りで 必然的に現われがちである。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  5-3. それは 広くマ(間・間合い)の問題である。人びとのあいだのそういった心的および社会的な《関係ないし連関》のあり方を問題としうる。ここでは 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマである。  6. さて 大政奉還――国家のアウフヘーベン――のもんだい。  6-1. 大政奉還の問題は    《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》なる連関制  としてのマのあり方を問う。  6-2. 第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そこに起こるマチガヒをめぐるその正し方 こういった問題である。  6-3. 端的に言ってこのマの問題は おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしている ということではないか? そしてそこから マチガヒがつねに起こり得るのではないか?  6-4. 細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガヒが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられる。けれども問題は そもそもは    《 S (大政主権)- A (従属)》の連関  だったものが A圏主導の《 A主導 - S 従属》連関として逆立ちしているというところにあるのではないか。  6-5. つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  品行方正なるその人格は むしろただ理念に合わせただけのものではないか?  6-6. イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  6-7. こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えられる。超歴史知性として ふつうの歴史知性の上をアマガケル振る舞いに出た。お二階へのアマアガリをおこなった。  6-8. つまりそれが アマテラス普遍語(つまり科学語および人格語)であるが これは実際には アマテラス語方言とよぶべき言語類型である。神聖にして侵すべからずという無謬性の神話に包まれている。クウキである。つまりそのクウキとしての神話につつまれなければ チカラを発揮しえないからである。  6-9. つまりはその無謬性の神話から必然的に現われると言っていいところのダブル・スタンダード現象である。  6-10. ゆえに普遍語をよそおうところのアマテラス語方言であるに過ぎないと言いたい。訛っていなくても 舌が二枚 使い分けられている。アマテラス科学語は資料等において部分的にしか表に出さない。アマテラス人格語は ウラとオモテとを使い分ける。  6-11. これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は 無謬性を帯びさせようとするアマテラス神話なる反措定に対するための反措定であるから 肯定的な綜合であり 人間のふつうの存在(知性)の復権(ルネサンス)であると考えてよいのではないか?   6-12. これが 逆立ちする《 A (アマテラス)主導‐ S (スサノヲ)従属》連関制としてのマチガヒからのマの回復であり つまりは ムラムラの主権の実現としての大政奉還である。  7. これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。のかも知れない。  7-1. 時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス語方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。ウラで何をやっているか分からないばかりである。そして 経済・財政的にも立ち行かなくなった。  7-2. アマテラス公民の無謬性なる神話がくづれた。D.トランプ現象?  7-3. この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  7-4.  A - S 連関は 社会形態として国家のことであるのだから 現代においてこの逆立ちの逆立ちは じつは国家の止揚として世界史的な課題であるのではないか?  7-5. 国家ゆえに領土問題と戦争と経済戦争があるのだ。――かな?

  • 《くにゆづり》を台無しにした事件は起きたか?

     《アマテラス公民圏( A )‐スサノヲ市民社会( S )なる逆立ちした連関制》 この社会形態において 逆立ちを逆立ちさせる動きは いままでにあったか?  革命は起きたか?  逆立した《 A-S 連関制》は スサノヲ市民らが《くにゆづり》したという歴史上のほこりによって成り立っている。  次に触れられている虎ノ門事件は このほこりをないがしろにしたか? これが問いです。  ▼ (丸山真男:《國体》における臣民の無限責任) ~~~~  かつて東大で教鞭をとっていたE.レーデラー( Lederer )は その著『日本=ヨーロッパ』( Japan-Europa, 1929 )の中で在日中に見聞してショックを受けた二つの事件を語っている。  一つは大正十二年末に起こった難波大助の摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)である。かれがショックを受けたのは この狂熱主義者の行為そのものよりも むしろ《その後に来るもの》であった。  内閣は辞職し 警視総監から道筋の警固に当たった警官にいたる一連の《責任者》(とうていその凶行を防止し得る位置にいなかったことを著者は強調している)の系列が懲戒免官になっただけではない。郷里の全村はあげて正月の祝を廃して《喪》に入り 大助の卒業した小学校の校長ならびにかれのクラスを担当した訓導も こうした不逞の徒をかつて教育した責を負って職を辞したのである。  このような茫とした果てしない責任の負い方 それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。  (丸山真男:『日本の思想』 1961 pp31-32 )  ~~~~~~~~~~~  1. 昭和天皇が皇太子のときに 難波大助が狙撃した事件である。  これは 一般にスサノヲ市民が アマテラス公民に《くにゆづり》をしたからには おいそれと返してくれとか まして政権を転覆させるために革命を起こすことなど 考えられないという見方をくつがえすであろうか?  すなわち そのスサノヲ市民の《ほこり》を 裏切り・台無しにし したがってこの《非戦論にもとづく くにゆづり》によってこそ《 A-S の逆立連関制》が成り立ったという理論をも 崩壊させるものか?  2. ひるがえって見るに 首相や警察関係の役人等々は アマテラス公民圏の住人であるのだけれども このとき《無限責任》を負ったと言う。すなわち 《 A-S 逆立連関制》を広く解釈してその《 S (スサノヲ人間語)》の位置にいる人間という人間は 国を挙げてその責任を負ったという。  すなわち どういうことか?  この《くにゆづり》という歴史の伝統とほこりとを 回復させるかのように 大助に代わってみなが責任を負った。  3. すなわち  ▲ このような茫とした果てしない責任の負い方 それをむしろ当然とする無形の社会的圧力  ☆ と見るのではなく そうではなく 日本人の歴史的伝統を守ろうとする人間の真実 としての心の要請 であった。と考えられまいか?  いちどゆづったのだから 二度と返してくれとは こちらからは言わない。という伝統とほこり。  4. この《くにゆづり》史観において おおよそ日本史とその社会は 解釈が可能なのではないか?

  • 世界のどんでん返しは われらが日本から

     (あ)  昔むかしの話から始めます。  感性と理性を交えた或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見ました。  イリ(世界への入りをおこなう)人は このマボロシをそのままナゾとして心にしまっておいた。  ヨセ(世界を束ね寄せる)人は マボロシに取り憑いた。その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。  やがて修行の甲斐あって いよいよその《いと高き者》に似てきたとき――きわめて人間的な人間になったとき―― 周りを見てみれば このマボロシには誰も 関心がない。  ヨセ人は ここであきらめなかった。    このマボロシによって人びとを感化し     世の中を束ね寄せる。    そうしてみせる。    そうすれば 《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり    世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。  と踏んだ。  (い)  このヨセ人なるアマテラス種族が 社会のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったとき スサノヲらはとうとうその根競べに負けて  《くにゆづり》をした。  イリ知性なるスサノヲ市民の村々におこなわれる《まつり》は 第二階によって束ねられ おまけに税を取られ全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  かくて 《アマテラス公民 ‐ スサノヲ市民》なる連関制の完成である。  《くにのいへ》と言う。家というからには 二階建てである。  二階のアマテラスなるアタマで立つなら その連関制は 逆立ちしている。  (う)  《ひかり もしくは まぼろし》と現実の大地とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言(自己表現)にもつねに 本音と建前が出て来る。  あるいはさらに 二枚舌の問題が必然的に現われる。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  (え)  広くマ(間・間合い)が 人びとそれぞれにおけるそういった心的および社会的な齟齬を容れた《関係ないし連関》のあり方として成り立って来ている。  すなわち むろん この問題が問題なのだ。ここでは     《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》逆立連関制  としてのマである。  第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方でありそこに起こるマ‐チガヒとその正し方の問題です。  おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしているのではないか? そこから マチガヒがつねに起こり得るのではないか? トヨス? モリトモ?  (お)  細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガヒが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられます。  問題は そもそもは 《 S (主権)- A (従属)》の連関だったものが A 圏主導の《 A - S 》連関として逆立ちしているというところにあると見ます。  つまりは ヨセ人なるすぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。イデアは 何ものかを指し示すための指=シルシである。  ヨセ人は 指を・指そのものを見ている。このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えます。テーゼは アンチテーゼに社会のイニシアティヴをゆづった。  つまりそれが アマテラス普遍語の恣意的な用法としてのアマテラス語お二階方言という言語類型でしょう。それは 普遍語として無謬性の神話に包まれているのですが その指先を見ようとしないとなれば 必然的にと言っていいと思われるごとく二枚舌現象が生じる。あやまつは 人のつねではあるのですが。・・・モリトモは どっちが方言なのか?  そう言いたいのですが これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は すでに有る或る反措定に対する反措定ですから 綜合であり 人間のふつうの存在の肯定であると考えてよいのではないでしょうか?   (か)  マチガヒからのマの回復。つまり 市民主権・住民自治の実現としての――二階から一階への――大政奉還。  これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。    時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。また経 済的にも立ち行かない情況を背負っている状態となった。  アマテラス公務員の無謬性なる神話がくづれた。  マの問題。この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  じつは 広く大きく 国家のアウフヘーベンとして世界史的な課題であるのではないか? 国家ゆえに領土問題と戦争がある。ムスリムの中の一部に国家に対抗するような暴走が起きて来た。・・・うんぬん。うんぬん。  添削をどうぞ。

  • ハラスメントは 観念の運河をゴンドラでやって来る

     〇 パワハラ・セクハラは 人びとのあたまの中にすでに歴史的に穿たれた観念の運河(共同幻想)をクウキなるゴンドラに乗ってやってくる  1. 玄関を一歩出ると そこは 運河である。  人びとの いや われわれの頭の中に深く穿たれた観念の水路網。  ――共同なる観念 または 幻想。  まづは ゴンドラを誂えなければならない。  船をうまくあやつれないと 通行はむつかしい。見えざる交通法規。  ゴンドラは 何を載せているか? いや ゴンドラが 何で出来ているか?  クウキですって? いやでも吸わざるを得ない空気のことですか?  ええっ?  クウキで出来たそれぞれの船。  ところが その船の材料であるクウキは 一人ひとりがあつらえるのではなく すでに千年千五百年も昔から仕立て上げられて来たお古である。  お古のお仕着せ これが われらが運河の通行手形であり うるわしきゴンドラである。     *  2. では このクウキは 何で出来ているか?  3. 思うに マクロとして アマテラス公民のお上としての無謬性〔なる神話としてのクウキ〕であり ミクロとして 上司のガミガミ電波である。両者は 《アマテラス公民‐スサノヲ市民》の二階建て構造として 互いに相似形を成している。  4. いづれからも ややもすると 《意識の排泄》が交じって出て来る。意識のウンコである。虫の居所がわるかったか。あるいは 虫の居所によってクウキの香りもよくなる。  5. ゴンドラを漕げば 国民も右へ倣えでそれにしたがう。反対してもよいが 反旗を掲げても 同じ運河を通るしか自己表現することがむつかしい。運河の一画を通せんぼしてみるわけだ。  6. かくて パワハラもセクハラも この水路をすすむ船を同じくするかぎり いかに反対をさけんでも むなしい。・・・  7. ・・・か? 哲学は何と言うか?

  • KY は 草の根民主制への第一歩である

     民主制には わざわざクウキを読む必要はなく クウキをかたちづくる必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。  日本人にあるまじきKYだ と言ってそれを読めという意味でのクウキは このいわば白紙であるという意味での空気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとしたその結果であり その手段じたいであろう。  いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程の中に持ち込み人びとに飲み込ませようとするときの思潮やまた圧力と感じられもする雰囲気のことである。  この国には お上には逆らえない・長いものには巻かれろ・寄らば大樹の陰といった《アマアガリ・シンドローム(公民アマテラスへの出世志向)》が人びとの心の中に見られる場合がある。  あるいはそのアマテラス公民のおこなうことは《あやまち得ない》という無謬性の神話が浸透していて アマテラス公民を無条件に信奉するという《アマテラス予備軍症候群》がしばしば見られる。  これらの風潮がはびこっている。  この風潮を読まないというKY は 未来社会への旗手である。  たぶんその場合にも KY はダメだと言われるときのクウキはそれをも読むことだけは読んでおいたほうがよいはずだが 読んだ結果として KY という現象が起きても構わないし 起きたほうがひとは よりいっそう自由である。  ご見解とご批判をどうぞ。  なお最後にですが あらためて定義です:   ○ KY の定義 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   広い意味での会議において 会議としての意志決定をするときに    言論をとおしてというかたちを超えて    おもにヨリ高い権限を有する者の意向を人々がすでに汲み取って   ――必ずしもまだ発言されていなくとも噂で流されているところの   意向をすでに汲み取って――    多くの参加者の意向がそれになびいているとき    そのような同調という風潮を意に介さない傾向および志向性。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  • KY は 草の根民主制への第一歩ではないか。

     KY とは 草の根民主制への第一歩ではないか  民主制には わざわざクウキを読む必要はなく クウキをかたちづくる必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。  日本人にあるまじきKYだ と言ってそれを読めという意味でのクウキは このいわば白紙であるという意味での空気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとしたその結果であり その手段じたいであろう。  いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程の中に持ち込み人びとに飲み込ませようとするときの思潮やまた圧力と感じられもする雰囲気のことである。  この国には お上には逆らえない・長いものには巻かれろ・寄らば大樹の陰といった《アマアガリ・シンドローム(公民アマテラスへの出世志向)》が人びとの心の中に見られる場合がある。  あるいはそのアマテラス公民のおこなうことは《あやまち得ない》という無謬性の神話が浸透していて アマテラス公民を無条件に信奉するという《アマテラス予備軍症候群》がしばしば見られる。  これらの風潮がはびこっている。  この風潮を読まないというKY は 未来社会への旗手である。  たぶんその場合にも KY はダメだと言われるときのクウキはそれをも読むことだけは読んでおいたほうがよいはずだが 読んだ結果として KY という現象が起きても構わないし 起きたほうがひとは よりいっそう自由である。  ご見解とご批判をたまわりたく。  なお最後にですが あらためて定義です:   ○ KY の定義 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   広い意味での会議において 会議としての意志決定をするときに    言論をとおしてというかたちを超えて    おもにヨリ高い権限を有する者の意向を人々がすでに汲み取って   ――必ずしもまだ発言されていなくとも噂で流されているところの   意向をすでに汲み取って――    多くの参加者の意向がそれになびいているとき    そのような同調という風潮を意に介さない傾向および志向性。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~