管理教育の問題と子供たちへの拘束について

このQ&Aのポイント
  • 日本の公教育においては、「管理教育的な教育」が実践され、部活動などによって子供たちを「縛り付ける」という過去の傾向が残っている。
  • しかし、学校の部活動だけが子供たちの社会性を身につける唯一の方法ではなく、ボーイ・スカウトや宗教団体、地元のスポーツチームなどでも社会性を身につけるチャンスがある。
  • 部活動至上主義による子供たちへの管理や縛り付けは、過去の「管理教育」時代の名残であり、日本の公教育には健全でない傾向があると言える。
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管理,縛り付けることが,ニッポンのキョウイク!?

現在の日本の公教育においては,「管理教育的な教育」が実践され,拘束や部活動などによって,子供たちを「縛り付ける」という,過去の「悪い傾向」,「悪い概念」が根強く残っているのでしょうか? 参考までに: わたし自身のことですが,滞米経験があったこと,日本においてボーイ・スカウトなどの経験があったことから,日本社会においても,外国の社会と同様に,社会のさまざまな場面において,子供たちが「社会性」を身につけるための「チャンス」が存在すると,わたしは考えています。 これにかんして,日本社会においては長らく,学校の部活動にたいする「ウエイト」が非常に大きいと,わたしはおもいます。 わたし自身は,学校,とりわけ,公教育の,中学校などの部活動をとおして,多くの子供たちが「社会性」を身につけていることは,日本社会にとっては,非常に良いことだとおもいます。 しかしながら,学校の部活動の「重要性」が「一定の評価」を受けている一方で,このような「傾向」が,「部活動至上主義」というかたちで受けとめられることが,しばしばあります。わたし自身の「理解」ではありますが,いまのニッポンの公教育においては,「部活動至上主義」という「タイギメイブン」にもとづいて,子供たちを「管理」する,あるいは,「縛り付ける」ことが実践されています。(部活動が,子供たちの「非行防止」につながると信じて疑わない日本人は,少なくありません。)すでに,かつての「管理教育」の時代ではないものの,いまだに,ニッポンの公教育というものは,「管理教育的」,「管理教育の“残り香”」がプンプンする「キョーイク」をやっているものと,わたしはそのように認識しています。 「社会性」を身につけるという点においては,何も,学校の部活動がそのための「絶対の選択肢」ではないと,わたしはおもいます。前述の,ボーイ・スカウトの活動や,宗教団体(とくに,日本においてはキリスト教関連の組織や,新宗教の組織などがおこなっているとおもいます)などが主催するユース・キャンプ,あるいは,地元のスポーツ・チームなどの活動に参加することも,「社会性」を身につけるためには,重要なチャンスであると,わたしはおもいます。部活動に参加することだけが,「人生のすべて」のような「傾向」は,不健康なものがあると,わたしはおもいます。

noname#181693
noname#181693

質問者が選んだベストアンサー

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noname#213637
noname#213637
回答No.3

「社会性」をどう捉えるかも重要になってくると思います。 「社会性」とは、遵法精神・コミュニケーション能力・相手を思いやるなどの、 社会で生き抜く力だと個人的に考えております。 もちろんachievecharityさんのおっしゃる通り、部活動以外の活動も社会性を 身に着けるのに十分役立っていると思います。 もし「部活動に参加していなければ人にあらず」などという意見があるのなら、 その意見は明らかに間違っているでしょう。 しかし、世間的にはやはりどうしても部活動を志向する向きが強くなってしまうと思います。 その理由は、部活動における「評価」「厳しさ」が大きいと思います。 部活動はインターハイ等の各種大会があるお陰で、大会の規模や順位を見ることで、 どれだけ頑張ったかが客観的に一目で評価できます。 (もちろん、部活動以外の活動を下らないとか頑張ってないなどと言うつもりは毛頭ありませんが…) また、厳しい勝負の世界で、お互い切磋琢磨することも大きい要素だと思います。 つまり、「部活動をやる=厳しい評価の世界の中でも頑張ってきた」と世間からは みなされているのだと思います。 ボーイスカウトなどの活動も、今よりももっと成果を挙げて社会からの評価を向上 させようとするならば、管理体制や評価基準が厳しいものになると思います。 また、(管理の厳しい)部活動は非行防止につながらないというご意見には疑問を感じます。 部活動の内容をインターハイ等の大会で評価されるには、どうしても管理が必要に なってきます。栄養・体調・時間・スケジュールなど、管理は多岐にわたります。 しかし、厳しい管理も受け入れて、大きな成果を残すことに挑戦することは、 社会で生き抜く力を養うことに大きく貢献すると思います。 社会で生きるということは即ち、成果を出すことと言えるからです。 また、団体戦の場合、高度なチームワークも必要になりますので、上に挙げた 社会性も自然と身に付きます。 社会性を身に着けるということは、非行に走らなくなるということだと思います。 一言で表すなら、なるべくしてなったのではないかと考えます。 もちろん、ボーイスカウトなどの活動も社会から評価されているでしょうし、 個人的にも、意義のある活動だと思っています。 それに、熱心に活動するのならば、成果に関わらずどちらもすごいと感じます。 長くなってしまいましたが、参考になれば幸いです。

noname#181693
質問者

お礼

とても良いコメント,ありがとうございます。 「部活動における「評価」「厳しさ」」という指摘については,わたし自身は,部活動以外の活動においても,「評価」や「厳しさ」があると考えています。たとえば,わたし自身はピアノの勉強をしていたこともあって,部活動という次元ではないものの,「評価」と「厳しさ」のある世界があることを知っています。そういったものを評価することも,重要です。(すでにあなたも理解されているとおり。) さらには,あなた自身,生徒や児童,学生を「管理」することに重きをおいている考え方に,わたしは疑問をもっています。ここでいう「管理」とは,いわゆる教育的な範疇をこえたものであり,ある種の「抑圧」のようなものでもあると,わたしは受けとめています。チームスポーツにおいて,試合に勝利するための「集団の努力」は,わたしはそれを否定しませんが,そういった「努力」の過程において,「抑圧」ととられかねないことがあってはならないと,わたしは考えます。 また,あなたのコメントからうかがえることは,いわゆるチームスポーツにたいする関心があまりにも高いので,さきほどわたしが挙げたように,ピアノやら,囲碁や将棋など,個人間の競争にたいして,あなたがあまりそれを高く評価していない,あるいは,その意義をあまり深く理解していないという印象を,わたしはもっています。 いくつかの「異論」はありますが,良いコメントであることは,確かなことです。

その他の回答 (2)

  • merciusako
  • ベストアンサー率37% (909/2438)
回答No.2

学校教育は、「国がどのような人間を欲しているのか」によって変わるものだと思っています。 ゆとり教育の導入・廃止、教科書検定、英語の小学校導入などなど。 結局、その時々の国が求める人間を作り出すための教育です。 しかも、発想から末端の具体的な現場まで、様々な法律や規制によって貫徹されています。 学校の「部活動」もその例外ではありません。 国が考える「教育」の方針と合致するかどうかですから。 右も左も分からない子供達を教育するに当たって、「管理する」ということは必要だと思いますが、「何のために」管理するのか、の「何」の部分が問題ではないでしょうか。 で、ご質問についてですが、公・私に限らず、学校教育における部活動は、部活動の目的としては変わっていないと思います。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

noname#232424
noname#232424
回答No.1

・「股間のバットとボールをいじって不健全な行いをするよりも,野球でエネルギーを発散しろ」という思想は,ひろく世界(とくに欧米?)にあると思います。日本のむかしのテレビ学園ドラマでは,新任の熱血教師が,おちこぼれの3年C組をサッカーで更正させるのが定番でした 笑。 ・学校では,部活動を必須にしているところもあるようですし,そうでなくても「帰宅部」ということばもできているようです。これは,次の問題をふくむと思っています。 ・・自宅で自習する時間やエネルギーまで部活で費やしてしまう。おまえら,馬鹿か。 ・・土日返上で指導する顧問教員の労力がたいへん。そんな時間がありゃ,ちゃんと教材研究や指導法研究しろ。 ・・いま私立大学は学生募集に苦慮し,学力ではとうてい拾えない生徒も「課外活動にすぐれる」の名目で入学させようとしている。おまけに,国家的に「入試では多面的な能力を評価せよ」などという,ばかげたお達しをだしてもいる。高校も生徒もそれを知っており,「高校時代になにをやっていいんだかわからない」状態になっているのではないか。 こういう具体的な問題があるのですね。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

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