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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「日本が好き」を伝えるために)

「日本が好き」を伝えるために

このQ&Aのポイント
  • 日本を愛する表現とは何か?
  • 台湾系日本人としての特別な思いを伝える難しさ
  • 日本への愛と認識の相違

質問者が選んだベストアンサー

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  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.2

そのへん、難しいですよね、日本は。 日本語もペラペラで、自分たちと変わりなく見えるからこそ、 「出る杭は打たれて」しまうのです。 黙っていればわからないのに、自分は違うんだとわざわざ自己主張することが許せない人がけっこういます。 自分たちと似ていれば似ているほど、少しはみ出ることを許さない、いわば嫉妬のような文化があるんです。 逆に、「出過ぎた杭はうたれない」という文化でもあるので、 あなたが明らかに他の人種とのミックスで、 日本語も不自然なアクセントが入っていたりしたら、別あつかいになります。 だから、外国人らしい外国人が「日本を好き」と言えば、好意的に受け止められやすいようです。 特別扱いに見てもらいたくて、わざと日本語をたどたどしく話す人までいると聞いた事あります。 たとえ日本生まれ、日本育ちでも、見た目が違っていれば、特別扱いの枠に入れられやすいと思います。 わたしはあなたのお気持ち、素直にうれしいと思います。

noname#181693
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その他の回答 (8)

noname#224207
noname#224207
回答No.9

少子高齢化社会を迎え、今後大量の外国人を受けいていかざるを得ない状況下で、非常に大切な問題を指摘されておられますが、残念ながら思いの丈が高じて個人的な解決策への問合せと、一般論社会論的な問題への解決策についての質問とが混然一体というか、ごちゃ混ぜになっています。 質問本文の「それにかんして,どのような「表現」(言葉の使い方なり・・・・ポジティヴなものとして,他者によって受けとめられるのでしょうか?」までの文章であれば個人的な解決策となりますが それ以下の「「日本がとても好きです! 日本人の味方です!」と主張したとしても・・・・一蹴」されてしまうだろうと,わたしは考えています。」までの文章と、回答No6での補足説明の「マイノリティを「包摂」する社会に日本社会を変えていくためには,何が必要なのか,どんなことが要求されるのか,そういったことを考えたうえで,「質問」を繰り返し出しました。」とは一般論社会論的な問題提起となっています。 このままですと、何度質問を繰り返されても回答者の方々も混乱するだけです。 もう一度、ご自身の気持ちを全て書き出して整理してみて下さい。その上でご自分が「こうあるべきだ」と心に描いている事柄を書き出して、ご自身で読み比べてみて下さい。 質問の本文中に「いわゆる純日本人」と書かれていますが、具体的にどのような人物像を考えておられるのでしょうか?アキノ大統領のような南米在住の日系二世三世は含まれていますか?米国の日系海兵隊員は含まれていますか?外国生まれ、外国育ちの宇多田ヒカルのような方々は含まれていますか?日本生まれ日本育ちのダルビッシュ選手のような方々は含まれていますか?永平寺で修業されている白人系の方々は含まれていますか?日本国籍を取得されたドナルド・キーンさんは含まれていますか?小泉八雲は含まれていますか?ジュディ・オングやアクネス・チャン、横綱白鳳はどうなりますか? ご自身で使われる言葉をご自身で吟味して定義して見て下さい。 生まれ育った土地を離れ見ず知らずの土地へ移住すると、誰でもその土地の人々に受け入れてもらうのに苦労します。 転校生は、どこの国でもどこの土地でもよくいじめられます。 人種の坩堝と言われる米国にもWASPという感情は厳然として残っています。 今ヨーロッパ諸国では嘗ての植民地からの移住者との間でギョクシャクしています。 以上のようなことを冷静に考えて整理されれば自ずと答えは得られると思います。 社会的問題を解決されたいのであれば、一生を掛けて社会活動に取り組む覚悟が必要です。 ネットで安易に質問して得られるような安直な解決策では、ご自身で納得できないのではないのでしょうか?

noname#181693
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  • kofusano
  • ベストアンサー率13% (190/1435)
回答No.8

大きな勘違いをしていますね 欧米では夫は妻に毎日 I love you. を10回繰り返さなければ愛がなくなったとして離婚までいくことがあります 日本では I love you. を毎日言い続けると妻からうるさがられます これは文化の違いというしかないです 日本では友人に向かって【日本が好き】を一日10回言い続けたらうるさがられて敬遠されますよ あなたの 「日本が好き」は何度も聞いて 【聞き飽きました】 です これが日本の文化です 日本では【ワビ】【サビ】の文化ですから【言葉にしなくても心で感じる】文化なのです

noname#181693
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noname#181386
noname#181386
回答No.7

 貴方の質問は、一見さほど難しいものではありません。いろいろの体験や伝聞を例示したり、道徳的・哲学的・宗教的解説によって、それらしくお答えすることが可能かと存じます。  しかしながら、そんな回答が果たして相手(貴方)にとって本当に有益なのでしょうか?その時点ではとても納得が行ったとしても、次の日には忘れてしまったり、役に立たないと実感してしまっては、余り意味のあることのようには思えません。  そんな訳で、小生は貴方に対して、単に自分の考えていることを言うに留めたく存じます。論評や解説・分析とかを持ち出すのでなく、ただ小生自身の「印象」をお伝えするだけにします。  先ず、貴方自身が真っ先に持ち出された「物は言い様」なる表現に就いてですが、小生の考えでは、あくまでも「ケースバイケース」であって、別に一般化してこだわる必要はないのでは?例えば、近辺にちょっと嫌な人がいて時々場に合わない物の言い方をする場合、それを「物には言い様がある、本当に失礼な奴だ!」と感じることはよくあると思います。  それだからと言って、常に「私の口の利き方は、これでいいのか?どうすれば、もっと良くなるかな?」と意識し続けることで自己にプレッシャーを掛けて、一体何の意味があるのでしょう。  小生は今年、還暦を迎えました。これまで何度「後悔」や「反省」をし、何度「新たな心掛け」に努めてきたことでしょう!結局、元に戻っただけでした。今では、「これが自分だ。自然体で行こう。ただ、他人から注意されることがあったら、その時には、何故なのか、どうすれは改善できるか考えることにしよう」と気楽にとらえることにしています。でないと、人生の道のりは長いし、山あり谷ありでとても疲れるよ!そう思わない?人は変わるにしろ、長い長い時間を掛けて少しづつ(自分でもわからない内に)変わっていくものだと考えます。但し、中には「話し方教室」や「宗教」や、その外の手法で「変わったつもり」の人もいるようですが(小生個人の見識です、誤っている可能性大いにあり)、小生にとっては、やはり「誰か・何かの力を借りるより、自分自身で己の性(さが)を改善していく方が、それこそ性(しょう)に合っている、それも自然体で・・・」と自覚しています。  さて、貴方の質問に対して、これからが「本質」的な意見(あくまでも“ご参考まで”)になります。  もしも、貴方が何かをする、何かを尋ねる、何かを語る時、小生(!)なら、貴方の言動にどの程度「誠意」があるかを見ようとします。もしも、小生が「誠意」を以て何らかの言動をとったにも拘らず、相手がその「誠意」を汲み取らないような反応を示した場合、小生も「相手がその程度の価値しかない」と判断し、以後それなりの付き合い方で対応することにします。これは、あくまでも小生のやり方ですが、結構応用が利きますよ。  例えば、貴方が提起した次の「差別」問題に就いても、同様です。小生は、かって比較的長期に亘り外国に滞在していたことがあります。その間、さほど差別的な対応を受けたことはありませんが、かと言って皆無でもありません。頭にくることもありました。しかし、そんな差別的態度をとる連中は、総じて「彼ら自身、レベルが低いか、コンプレックスを抱えている」ことにも気付きました(その範疇に入らない人物からちょっと皮肉的なことを言われた場合は、大抵、むしろ小生自身に非があったことを後になって認識した次第です)。  つまり、貴方が「誠意」ある対応をしたにも拘らず、貴方に差別的な態度をとる者がいた場合、貴方こそ相手を「価値のない奴」と見做し、以後それなりの接し方をするのがいいのでは?無理に「お付き合い」する必要はないのでは?もしも、貴方の「物の言い様」が相対的に好ましくなく、それによって大勢の人たちから何か「差別」的な対応を受けるようならば、小生(!)は、それは「貴方の誠意が十分でない」のではないかと懸念します。小生は僭越ながら、「誠意」で相手の人格を評価するよう心掛けています(いつもそう、とは言えないけどね)。                    「巧言令色、少なし仁」  最後に、小生、台湾が大好きです!現世に別れを告げる(若しくは、告げさせられる)前に一度、リュックサック(現在では“バックパック”というのかな?)を背負い、ひと月位掛けて徒歩で一周するつもりです。 在日本忍受地震和海嘯時,台灣向日本給予不可想像的大量援助。我們永遠也忘不了你們的好意。我僅代表所有日本人表示衷心的謝意。台灣對日本來說,是永遠的朋友!

noname#181693
質問者

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  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.6

> どのような「表現」であれば,その「思い」が肯定的なもの,ポジティヴなものとして,他者によって受けとめられるのでしょうか? そもそも「他人に受けとめて欲しい」などと言う考え方が奇異です。 「私は父(母)が好きである」などと言ったところで、「普通でしょ?」と言う話しです。 「いや、私の方が好きだ!」なんてのは、答えの無い無意味な話しです。 「好きで好きでたまらない」となれば、ファザコン/マザコンの領域です。 「どうしてそれを判ってくれないの?」に至れば、重度のコンプレックスと依存症です。 自国愛や家族愛なども、自然発生的な感情で、普通は自分の誇りやアイデンティティにするだけの感情です。 それを「他人に判らせたい」と言うのは、自我が確立しておらず、周囲に認知を求めることで、自己を確認しているに過ぎません。 アナタが日本人らしくないのは、「外国系」と言うよりは、コンプレックスが大き過ぎで「普通では無い」と思われます。 同種の質問を繰り返していることからも、執着性などの異常性が窺われます。

noname#181693
質問者

補足

わたしがこのような質問をする「理由」は,外国につながりをもつ人々にたいする「ヘイトスピーチ」,「ヘイトクライム」が日本社会の「ガン」となっているからです。ひとりのマイノリティとして,マイノリティを「包摂」する社会に日本社会を変えていくためには,何が必要なのか,どんなことが要求されるのか,そういったことを考えたうえで,「質問」を繰り返し出しました。わたし自身は,幸いなことにも,日本社会のなかでは「活躍の場が十分にある」という認識をもっていますが,その一方で,特定の民族的アイデンティティをもつ人々にたいする「ヘイトスピーチ」の問題が指摘されています。彼ら,彼女らが日本社会の「一員」,「フルメンバー」になるためには,何が必要なのでしょうか? 台湾系というアイデンティティからうかがえる「アスペクト」はないのか? そういったことを,わたしは毎日のように考えています。 どうやら,あなたはマイノリティ事情については,あまり「知識」がないと,わたしは思います。「心理的」,「精神的」な<言葉>を使っていますが,おそらくは,そういった「チシキ」はあるのでしょう…。しかしながら,マイノリティを受けいれるという点においては,あなたは,あまり深く考えていない,あるいは,今の日本社会においては,さほど重要な問題ではないと受けとめているのでしょう。「認識の問題」なのかもしれません。 しかしながら,台湾系日本人というバックグラウンド,言いかえると,ひとりのマイノリティとして,「誰もがWAになって踊ることのできる社会」をつくるための「責務」がわたし自身にはあると,わたしはそのように受けとめています。 あなたが一方的に思っているような「程度」のものではなく,わたし自身は「真摯な態度」で向きあおうとしています。

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  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.5

私はそういう日本人もいれば違う日本人もいると思います。 きちんと情報を持っていれば台湾がどれだけ親日で深い関係があるかすぐ分かりますよ。 ですからむしろ台湾系日本人で日本が好きですと言うのは肯定的にとらえます。 何しろ日本では学校ですら国旗に敬礼したり国歌を起立して歌うのを嫌う教育者、つまり公務員さえいますからね。 祝日に国旗も掲げなくなったし、日本嫌いの日本人ばかり増えてしまいました。 そんな日本でも好きと言ってもらえるならやはりうれしいものです。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 さて,「日本嫌いの日本人」ということについてですが,こういった「問題」は,日本人の「心の構造」などにヒントがあると,わたしは思います。

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回答No.4

心配ありませんよ。 日本に住み着いて日本国籍を取得する外国人は、ほとんど全員「日本が好き」なんだから、貴方も普通です。 普通でないのは、「日本が嫌い」なのに私利私欲の為に「日本に住み続ける」韓国系と朝鮮系の人間だけですね。 この人達は異常ですよ。 注意して距離を取らないと、彼らの私利私欲にやられてしまうかもしれません。

noname#181693
質問者

補足

まずは,特定の民族的出自,特定のアイデンティティをもつ人々にたいする「誤解」,あるいは「誹謗,中傷」がみられるような回答を出されたことについては,「非常に遺憾」であると,申しあげておきます。 あなたが指摘したところの,いわゆるコリア系の人々の問題については,台湾系日本人という立場から,わたしなりの「意見」を書きますが,「いわゆる純日本人の態度」に「問題」があります。 「いわゆる純日本人」が彼ら,彼女らを受けいれないから「問題」になるのです。そして,「いわゆる純日本人」が,「上から目線」で,彼ら,彼女らに接することについても,「問題」であると,わたしは強く指摘しておきます。 さて,コリア系の人々の事情に関しては,ある大学の教授(コリア系二世)が,「在日なんていなくなればよい」という主張をされました。彼が「理想」とするのは,アメリカ社会のアジア大洋州系アメリカ人というプリゼンスなのですが,そういった社会を構築するにあたっては,「マジョリティの態度」が大きな鍵をにぎります。わたし自身は,台湾系日本人ですが,台湾系日本人が認められるのであれば,韓国系日本人なり,朝鮮半島系日本人というプリゼンスが日本社会のなかにおいても認められるべきだと,強く思います。 そういった人々を,彼ら,彼女らを,受けいれられますか? 一方的なステレオタイプをなすりつけている,ヘイトスピーチを平気でやる,そういった社会は,台湾系日本人であるわたし自身にとっても,「大いなる脅威」です。

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  • kofusano
  • ベストアンサー率13% (190/1435)
回答No.3

>日本社会という,「単一民族」とうたわれた社会において 見本は単一民族のように見えても3つの民族からなっているのですよ 北から【アイヌ民族】【大和(ヤマト)民族】【琉球民族】の3民族です 今まで何度かあなたの質問を拝見していますが私の意見を繰り返します 日本人でも【江戸っ子】になるためには江戸(東京)に3代住んで初めて3代目でやっと【江戸っ子】になれるのです あなたの【日本が大好き】はすでに十分私たちに伝わった来ています あまり何度も繰り返してもこちらがとまどってしまいます 日本では【自分は日本が好き】を繰り返すことなく【さりげなく生きる(生活する)】ことでより日本人に溶け込んでいくと思います 私も山形からいくつかの県で生活しながら山梨県の甲府市に住んで四十数年になってもまだ【甲州人】になりきっていないことを感じます でも【甲州】は大好きですよ 日本大好きだけで【十分】です あまり何度も繰り返することなくさりげなく【日本に溶け込む】のが一番だと思います

noname#181693
質問者

補足

「日本人でも【江戸っ子】になるためには江戸(東京)に3代住んで初めて3代目でやっと【江戸っ子】になれるのです」 こういた「意見」からうかがえることは,いまだに日本社会には「閉鎖性」があることです。そして,そういった「意見」を,まるで「伝家の宝刀」のごとく主張しているあなた自身の考え方に,わたしは何らかの問題性があると受けとめています。 さらには,「日本大好きだけで【十分】です」という指摘についても,これが,わたしが台湾系日本人だから,そういった「意見」をしたのではないかと,わたしは思うときがあります。では,ほかの外国につながりをもつ人々にたいしても,あなたは同じことを主張されるのでしょうか? そして,「【日本に溶け込む】のが一番」という「意見」を出しているということは,マイノリティにたいしては「同化の強制」が「正義」なのだと,そのように受けとめているのでしょう。わたしは,そのようには考えません。 また,「私も山形からいくつかの県で生活しながら山梨県の甲府市に住んで四十数年になってもまだ【甲州人】になりきっていないことを感じます」という指摘については,これは,あなた自身の問題ということよりも,その土地に長らく住んでいる人々のメンタリティの問題であると,わたしは考えます。「閉鎖的」,「排他的」,「排外的」,そういった要素は,日本人の「負の要素」であると,わたしは思います。そういった「負の要素」をできるだけ,ひとつでも「抹殺」することが,マイノリティであるわたし自身の「責務」でもあると,そのように受けとめています。

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noname#185504
noname#185504
回答No.1

台湾系であるアイデンティティはあるのでしょうが、そこまで自分をマイノリティだとして、際立たせる意味がよくわかりません。外見で、何かそれほど違いがあるわけでも無いだろうし、自分から言わなければ、誰も、台湾系だとは分からないでしょう。 日本人は、個よりも全体を鑑みますから、あまりでしゃばらないことを徳とする文化があります。もちろん、これは、日本人のいい所でもあり悪い所でもあると思いますが。しかし、同じ日本人の間でさえ、お互い遠慮し合うところがあるのに、自分は台湾系であるのに日本が好きだ、と何か恩着せがましくしたり、あえて台湾系であることを全面に出して、敢えて自分を際立たせること自体が、本当に日本を理解しているのか、日本が好きなのか、疑問を持たれると思います。郷には言っては郷に従え、という諺もあります。 あたなには、自分はマイノリティだ、という台湾系であるアイデンティティがあるのも事実であり、台湾に対する愛情もあるのですから、日本も好きであり、台湾も好きなのでしょう。穿った見方する人からは、その台湾への愛情が、日本に対しての忠誠心にかけると見られても致し方ないと思います。 ヘイトスピーチなどは、どこの国にでもいる、ごく一部のグループに過ぎないのでスルーでいいと思います。

noname#181693
質問者

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コメントありがとうございます。 非常に日本人的,モノカルチャーの日本人的なコメントだと思いました。

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    あなたが、排外主義の高まる日本社会で、「外国につながる」立場として生活をしていたら、あなたは高まる排外主義の問題を、どのように受けとめると思いますか? 現代の日本社会では、排外主義の問題が国内外から厳しく指摘されるようになりました。 国内外から「カイゼン」を求められている、日本社会の排外主義の問題について、日本人の受けとめかたは、まちまちです。恥ずべきこととして受けとめている人々。ガイジンの「いいがかり」であると受けとめる人々。さまざまです。 それと同時に、このような問題に関心をしめさない日本人も、少なくありません。排外主義の問題は、おなじ日本社会のなかでありながらも、「対岸の火事」なのかもしれません。 わたし自身も、外国につながる立場として、日本のなかで生活をしています。 外国につながるという、特殊な立ち位置ではありますが、日本語を話し、日本の歴史を学び、日本の文化に慣れ親しんでもいます。 日本人のことは、日本人以上に理解をしているものの、昨今の排外主義の問題は、非常に気になるものです。なぜならば、外国につながりがある以上、何らかの理由によって、日本人から「敵視」されることが考えうるからです。 日本のアイデンティティを分かちあいながらも、日本人から「敵視」あるいは「蔑視」されることの「深刻さ」を、日本人は十分に理解すべきではないでしょうか。 参考: まんが クラスメイトは外国人 入門編 (みなみ ななみ) ttp://www.akashi.co.jp/book/b114478.html まんが クラスメイトは外国人 (みなみ ななみ) ttp://www.akashi.co.jp/book/b65953.html ハーフが美人なんて妄想ですから!! (サンドラ・ヘフェリン) ttp://www.chuko.co.jp/laclef/2012/06/150420.html ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ (サンドラ・ヘフェリン) ttp://www.kadokawa.co.jp/company/release/detail.html?id=2013200269

  • 日本が嫌いな人間の「正体」とは,日本人!?

    日本人のアイデンティティを分かちあっている人々が,みずからのアイデンティティに「向きあう」ことはありますか? 参考までに: 「半分しか日本人じゃないけど,それでも,わたしは日本人。」 日本教育時代,わたしは,強く意識することはなかったけれども,「日本」というものが,わたしのなかに宿っていることを,知っていました。 台湾系日本人という,特殊なバックグラウンドをもっていることから,わたし自身は,家庭というバイカルチャーの空間と,日本社会(たとえば,日本教育などに代表される)という,モノカルチャーの空間を,行き来するための「術」というものを,身につけなければなりませんでした。わたしなりの,「ショセイジュツ」のようなものでもありました。 そして,幸運にも,アメリカで教育を受けるチャンスにめぐまれ,アメリカ時代を経て,みずからの台湾と,日本のアイデンティティを肯定的に受けとめることができました。日本教育時代,わたしは,正直なところ,みずからの日本のアイデンティティを歓迎したくなかった時期がありました。それは,日本が悪いとかではなく,日本社会の閉鎖性というものの影響もあったのですが,大きな問題としては,当時の日本教育が,いわゆる「管理教育的な空気」であったからです。こういった,「特殊な空気」によって,「日本を嫌いになる日本人」がつくられるのではないかと,そのようにおもったときもありました。 日本事情について論じるにあたっては,「日本が嫌いな日本人」という「面白い考え方」があります。日本社会には,いろいろな理由があって,「日本」が嫌いで,「日本」を貶めたい,そのようなものの見方をする日本人がいる,という主張です。そういった主張がされるたびに,なぜか,外国につながる人々や,外国出身者が,「スケープゴート」にされます。ひとりの台湾系日本人として,外国につながりをもつ日本人として,みずからの民族的出自を理由に,「スケープゴート」にされることは,許しがたいことです。 「日本が嫌いな日本人」という「面白い考え方」について考えるとき,わたしは,これまでの日本の社会制度や,日本社会における人間関係のあり方にこそ,「問題」なり「病巣」があると考えます。外国出身者とか,外国につながりをもつ人々のせいで,日本社会がおかしくなったのではなく,日本人の「心の構造」にこそ,「日本が貶められているという言説」にかんする「ヒント」があると,わたしはおもいます。 わたし自身は,「半分しか日本人」ではないけれども,日本は好きです。そして,「日本が嫌いな日本人」をみるたびに,不思議に思うことは,「みずからの首を絞めるのが大好きな日本人」という,「異常な姿」です。これについては,日本社会の「問題」とは,その原因というものが,「みずからの首を絞めるのが大好きな日本人」という,「日本人の問題」がその根幹にあると,わたしはおもいます。 ある著名な作家が,“「反日」日本人”,という「興味深い考え方」を紹介しましたが,このような「問題」については,外国がどうのこうの…,ではなく,「日本人が日本人(日本)と向きあっているか否か?」こそ,大きな「ヒント」であると,わたしはおもいます。 わたし自身は,「半分しか日本人」ではないけれども,このような,「ゆがんだ精神性」を日本人がもっていることについては,「とても残念なこと」です。

  • マイノリティの問題解決に向けて

    ひとりの台湾系日本人として,わたしは日本社会に存在するマイノリティの「問題」に向きあってきました。 マイノリティの「問題」を解決するにあたり,わたし自身が考えたことは,マイノリティ自身の,うそ,いつわりのない,「ほんとうの心の内」を明かすことが解決法のひとつであると,わたしは考えるようになりました。 「ほんとうの心の内」を明かすことで,マイノリティの人々が「日本人と共に歩みたい」,「日本人と同じ価値観を分かちあっている」,「日本をまもりたい」,「日本の将来のために,何かをしたい」,「日本社会のなかで受けいれられたい」,「日本人から認められたい」などの「特別な気持ち」があることを,多くの人々が理解できるはずです。 「ホンネ」で語ることが,マイノリティの問題解決につながるのでしょうか? 参考までに: わたしは台湾系日本人で,日本教育を受けた経験があり,日本語でコミュニケーションをすることが可能です。 それと同時に,わたしは台湾にたいする「特別な思い」があります。わたしは,「台湾は東アジアに存在する国民国家のひとつ」であると考えています。台湾の将来については,「危惧」することがいくつかありますので,「台湾という国民国家がなくなってほしくない」という「特別な思い」があります。 台湾への「特別な思い」を強調することが多々ありますが,わたしはそれと同時に日系人の歴史に向きあい,日系人との「対話」に取りくんでいます。 歴史を学ぶことは小さい頃から好きなことではありましたが,滞米生活を機に日系人の歴史に向きあうようになりました。 (言葉は悪いのですが)「半分しか日本人でないわたし」が日系人を歴史に向きあったのですが,そこには「もうひとつの理由」がありました。それは,わたしがみずからの「日本のアイデンティティ」に真摯に向きあっていることを,日本人に「証明」したいという「強い気持ち」です。 多くのマイノリティにとっては,日本ににたいする「(良いイメージの)特別な思い」があると,わたしは考えています。それを,マジョリティが理解すること,さらには,マイノリティ側の人々がそれを「説明」することが,いまの日本社会には必要だと思います。 マイノリティだって,「皆と仲良くなりたい」と思っているのです。

  • 純日本人にこだわる「理由」とは?

    いまの日本社会において、社会の構成員であるための条件として、いわゆる純日本人であることを強調する人々がいますが、そのメリットには、どのようなものが挙げられますか? ここ最近になって、純日本人という言葉を使う日本人が増えてきました。両親ともに、日本生まれで、日本育ち、日本国籍であり、外国との「つながり」が一切ない(と自負、あるいは確信)ことが主な条件であるとされます。 ひとりの外国に「つながり」をもつ日本人として、純日本人という考え方や、それを強調する人々にたいしては、つねに疑問をもっています。わたし自身は、異質な存在ではありますが、日本語を母語とし、日本の歴史を学び、日本事情を深く理解し、日本社会にたいしては「特別な思い」をもっています。それは、わたし以外の、非常に多くの外国出身者や、外国に「つながり」をもつ人々にとっても、同じことです。 外国に「つながり」があることは事実ですが、日本のアイデンティティを受けついでいることも、事実です。日本のアイデンティティを受けついでいることが正当に評価されずに、異質であることを理由に、差別や偏見、イジメのターゲットにされるということは、あってはなりません。

  • マイノリティは脅威!?

    ・マイノリティは脅威であるという「根拠」はどこにありますか? 外国に「つながり」をもつ立場として、ここ最近の日本社会における排外主義の高まりに危機感をいだいています。 排外主義を標榜する市民団体のなかには、活動の第一の目的に、「純日本人」以外の日本人を日本社会から「排除」することを挙げている組織があります。こういった組織に属する人々は、日本社会においては少数派ではありますが、そういった人々の存在、組織の存在は、外国に「つながり」をもつ立場としては、非常に恐ろしいものです。 わたし自身は外国に「つながり」はもっているものの、日本の歴史や、日本の文化を学び、「知日」、「愛日」という立場をまもっています。日本社会にたいしては、やや批判的ではありますが、批判をする以上に、日本社会を深く理解している立場です。 外国に「つながり」をもつ人々をふくめた、マイノリティの人々は、いまの日本社会にとって「不都合な存在」なのでしょうか? すでに外国に「つながり」をもつ日本人の多くが、社会人となり、日本社会に「貢献」しています。彼ら彼女らは、日本社会の脅威なのでしょうか? いくら外国に「つながり」をもつ人々が<努力>をしたとしても、日本社会が外国に「つながり」をもつ人々にたいする<まなざし>を改めない限り、彼ら彼女らにたいする偏見や誤解は解けないだろうと思うときがあります。

このQ&Aのポイント
  • JD-800ソフトウェアシンセサイザーのプリセット音を誤って削除してしまいました。プリセットを復元する方法を教えてください。
  • JD-800ソフトウェアシンセサイザーのプリセット音を復元する方法について教えてください。誤って削除してしまった場合の対処法を教えてください。
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