親と子供の関係について

このQ&Aのポイント
  • 親と子供の関係について考える
  • 外国出身の母親の教育スタイル
  • 子供を利用して社会を見返す教育ママの存在
回答を見る
  • ベストアンサー

親と子供の「関係」について

親にとって,子供とは「つくりたかった,自分自身の<イメージ>」を,「なすりつける」存在なのでしょうか? 参考までに: わたしの母親は外国出身なのですが,彼女は子供の教育に非常に熱心なタイプでした。それは,日本社会でうたわれているような,いわゆる「教育ママ」といった存在ではなく,「自分自身がなせなかったことを,子供にやらせる」という,「特別な意味」においての,<教育ママ>でした。 たとえば,彼女は書店に行くたびに,何かしらの問題集を買い,それをわたしにやらせました。さらには,彼女が口にする言葉といえば,「勉強のこと」やら,「将来の進学先」,さらには「将来の就職先」などについてでした。これだけ書くと,まるでわたしの母親が,いわゆる「ドラゴン・マザー」のようです。しかしながら,そうではないのです。 外国出身のわたしの母親にとっては,日本は「アウェーの社会」であり,そこは,彼女にとっては「息苦しい空間」でもありました。また,彼女は日本社会において,日本人から種々の「イジメ」にあったことを,わたしによく語っていました。(わたし自身の「日本人にたいするイメージ」が,このような「プロセス」を経て形成されたことは,言うまでもありません。) では,「アウェーの社会」において,彼女がみずからの「存在」をホスト社会に知らしめるための「方法」とは,どのようなものだったのでしょうか? それこそ,<教育ママ>となり,みずからの子供を「利用」して,日本社会を,さらには日本人を「見返す」ことでした。 幸いなことに,わたし自身は勉強の面においては「グレる」ことがなく,さらには,アメリカでの大学教育を受ける「チャンス」にも恵まれました。 このことは,わたし自身にとっては,母親にたいする「複雑な印象」の原因ともなりました。<教育ママ>となり,日本社会にたいする「見返し」やら「仕返し」のための,みずからの子供を「利用」したことについては,わたしは彼女を「厳しく批判」しています。なぜならば,彼女にとって日本社会が「アウェーの社会」であっても,彼女なりの「努力」によって,みずからの人生を大きく飛躍させるような「可能性」が存在したからです。 言葉をかえると,「<教育ママ>になるのではなく,みずからの努力によって,“金美齢さんのような存在”になれたはずだろう?」と,わたしはいつも思うのです。(これで,わたしの親がどこの出身であるか,おわかりになるでしょう。) いまだに日本社会においては,外国出身者にたいする偏見や差別感情があるとはいえ,基本的には,いまの日本社会においては,個人の努力が評価される社会となっています。そして,現在と過去を容易に比較することはできませんが,わたし自身はいまだに,心の奥底では,みずからの母親のことを,「ひねくれ者」,「文句たれ」であると思ってしまうときがあります。 「ひねくれ者」であっても,母親は母親。そこには「愛」があります。容易に語ることのできない「母親への<愛>」をかかえることは,わたし自身にとっては「難しいこと」です。

noname#181693
noname#181693

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

こんにちは。 あなたの文章を読んでいるとあなたとお母さんはやっぱり本当の親子なんだなと思ってしまいます。 お母さんのことを「ひねくれ者」で「文句たれ」と感じていらっしゃいますが、それはあなた自身のことではないですか。 あなたとお母さんとの決定的な違いは、あなたはなにもしていないけれどお母さんはあなたという立派な子供を育てているということです。 金美齢さんのことを尊敬されていらっしゃるのかもしれませんが、たぶん彼女も僕と同じようなことを言われると思いますよ。 日本は差別や偏見に満ちた国といいますが、そんなものはどこにでもあるし、あなたの心の中にとても大きく存在していますよね。 僕はあまり人を批判することはしないほうですが、今回あなたに厳しい意見を言うのは、僕自身が母親に対して抱いていた気持ちと似ていたからです。 僕の母親は日本人ですから少し違うかも知れませんが、早くに離婚したせいで母子家庭というハンディを負いながら育ててくれました。 彼女はあなたのお母さんと違って僕のやりたいようにさせてくれたので、親からのプレッシャーというのは感じたことはありません。 ただ大学まで出させてもらってもそれが当たり前のような気持ちでいたのです。 心のどこかで彼女に対して感謝するどころか10代で子供を生んだ母親を自慢できない自分がいました。 人の世話ばかり焼いて自分が苦しくなっている姿をみるともっと楽に生きればいいのにって思っていました。 そんなことを思いながらもうすぐ50年になります。 母親への愛を抱えること、感じることが難しいとありますが、無理に感じなくてもいいんじゃないですか。 それはあなたが正直だという証でもあるからです。 あなたが主人公である世界では、お母さんはひとりの登場人物でしかありません。 あなたが死ぬまで彼女に対して愛情を持つことが出来なかったというシナリオもこの質問に対する様々な回答からあなた自身が気づきを得て、彼女に対しての向き合いかたを変えるというシナリオもあなたが自由に描くことができます。 あなたが男性か女性かはわかりませんが、親となったときに母親への愛を実感できる可能性が高いと思います。 こうしてわざわざ質問されるということは、あなた自身が母親に対して愛情を持ちたいという願望があるのでしょう。 あなたの世界はあなた自身が描いているのですから、主人公の心の中に愛情を抱かせるエピソードを挿入してみてはいかがでしょうか。 出来る出来ないではなく自分が決めれば必ずそうなりますから。 ふたりで食事に行ったり、旅行にいったりすると新しい発見があると思います。 行動することで必ず変化が訪れますから、一度お試しください。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 色々と考えるところがありますので,良いコメントだとおもいます。

その他の回答 (2)

noname#217538
noname#217538
回答No.2

あなたのお母さんは思うところあって受けた差別の経験をばねにし、周囲の日本人を見返そうと思ってあなたの教育にかけた。でもあなたはその結果、思う事は多少違っても満足のいく成果を掴めたのではないでしょうか。あるいはこれからそれに向ってスタートできる幸運を手に入れた、そう思います。親がいくら言っても子供に伝わらない、そういうケースも多い中で、あなたはお母さんの経験を理解し共鳴したからこそ付き従ってきたのだと思います。利用したとおっしゃるがそれだけの感情で長い間子供を必死に育てられるでしょうか。子供も長い間ついていくでしょうか。 お母さんがどんな事をあなたに言っても、金美齢さんがあなたのお母さんだったとして今日の同じ結果を出せた保障はありません。 私も思うことあって異国にいます。息子もあなたと同じような思いをもっているかもしれません。しかしいつも彼を第一に思い大事にしてきたのはおそらく彼も分かっている。あなたのお母さんもあなたの将来を第一に思ったはずです。だからその原動力が周囲への反発であろうと、感情を長く保てた。子育ては長いです。苦い肝を舐め続けたとしても復讐心だけでは長年は無理です。そこに愛を互いに感じるから、あなたも子供としてお母さんの思いを受け止め努力を続けられたのではないでしょうか。 残念ながらどの人の心の中にも世界中どこにでも差別はあります。私にも、そしておそらくあなたにも。大小、強弱の差はあれ、どの人も脳の中に嫉妬と同じように存在させているのと思います。でも海外に出たあなたは日本社会のよさも知っている。関わった日本人も違うでしょう。成功した人間への態度の違いも知っている。国同士の全体的な日本人への評価も知っていますね。だからお母さんの言っている事に理解を示せど、すべてを受入れる事はしないでしょう。でもそれが自然です。 それぞれの経験、関わった人達、そして結果によって考え方は違っていい。でも一つだけ言えるのは、あなたのお母さんだからこそあなたの現在を与えられた。その現在があるからあなたは中庸的なものの見方を打ち出すことができる、そう思うと、お母さんはあなたにとって素晴らしい人なのだと思えないでしょうか。 差別があるから、よりいっそう頑張った、私の息子を見ていてもそう思います。アメリカも差別がありますね。私が昔住んでいた頃はまだ円が300円以上の時代でした。私の知るある人は全米で難関中の難関の試験が一位だったのに一位をもらえなかった。一位はアメリカ人であるべきだから、それが尊厳の問題だからなのです。あとで一位になっていた後輩のユダヤ人にその話を聞いたそうです。でも差別の存在を知っているからこそ笑顔を保った。でもその経験を忘れる必要は感じなかったのです。 先祖、親から子に渡せる大事なもの一つに、経験があります。それは次世代に伝えていく事が可能です。でもどんな時も親子の間に信頼や愛がなければまっすぐには伝わりません。子供はあとでもっと経験を積み、それはそれとしてべつにとらえる選択も可能です。あなたにとってお母さんは多少の意見の食い違いはあれど、決して仕返しに使った、それがすべてではないと思います。あなたは彼女の大事な子供だったはずです。あなたもお母さんを大事な人として認めています。それでいいんじゃないでしょうか。そこを大らかに受け止める、それは同時にあなたの救いにもなる気がします。(長文とわかりにくい日本語でごめんなさいね)

noname#181693
質問者

お礼

良いコメント,ありがとうございます。

  • mis_muffet
  • ベストアンサー率18% (190/1038)
回答No.1

40代の兼業主婦。子持ちです。アメリカ在住ですので、ある意味私も「アウェイ」の社会の中で子育てしています。 >親にとって,子供とは「つくりたかった,自分自身の<イメージ>」を,「なすりつける」存在なのでしょうか? いいえ。私は「自分が自分である事を誇りに思って欲しい」と常に考えています。子どもの人生は子どもの物なので、自分が納得いくよう生きて欲しい、それに限ると思います。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

関連するQ&A

  • 外国に「つながる」子供たちは、家族自慢のネタ!?

    日本人にとって、外国に「つながり」子供たちの存在は、家族自慢のネタになるのでしょうか? 外国出身者と結婚した日本人のなかには、みずからの子供を家族自慢のネタにする人々がいるそうです。日本人同士の結婚を経験した日本人にとっては、外国出身者と結婚した人々は、羨望の対象になるのかもしれません。きっと、ほかの日本人の子供たちとは、姿かたちが異なることなどを理由とするものでしょう。 そのいった、羨望というあやまった<イメージ>の裏側では、外国出身者と結婚した日本人は、家族関係のみならず、親戚との関係において、さまざまな「苦労」を経験します。さらには、生まれてくる、外国に「つながり」をもつ子供たちの育児や教育の問題もかかえます。 外国に「つながり」をもつ子供をもつことは、はたして、家族自慢のネタになるのでしょうか? 表面的な部分においては、そのように受けとめられるかもしれませんが、こういった<イメージ>の背景には、国際結婚をした日本人のカップルのみならず、外国に「つながり」をもつ子供たちへの「偏見」があるのではないでしょうか?

  • 日本が嫌いな人間の「正体」とは,日本人!?

    日本人のアイデンティティを分かちあっている人々が,みずからのアイデンティティに「向きあう」ことはありますか? 参考までに: 「半分しか日本人じゃないけど,それでも,わたしは日本人。」 日本教育時代,わたしは,強く意識することはなかったけれども,「日本」というものが,わたしのなかに宿っていることを,知っていました。 台湾系日本人という,特殊なバックグラウンドをもっていることから,わたし自身は,家庭というバイカルチャーの空間と,日本社会(たとえば,日本教育などに代表される)という,モノカルチャーの空間を,行き来するための「術」というものを,身につけなければなりませんでした。わたしなりの,「ショセイジュツ」のようなものでもありました。 そして,幸運にも,アメリカで教育を受けるチャンスにめぐまれ,アメリカ時代を経て,みずからの台湾と,日本のアイデンティティを肯定的に受けとめることができました。日本教育時代,わたしは,正直なところ,みずからの日本のアイデンティティを歓迎したくなかった時期がありました。それは,日本が悪いとかではなく,日本社会の閉鎖性というものの影響もあったのですが,大きな問題としては,当時の日本教育が,いわゆる「管理教育的な空気」であったからです。こういった,「特殊な空気」によって,「日本を嫌いになる日本人」がつくられるのではないかと,そのようにおもったときもありました。 日本事情について論じるにあたっては,「日本が嫌いな日本人」という「面白い考え方」があります。日本社会には,いろいろな理由があって,「日本」が嫌いで,「日本」を貶めたい,そのようなものの見方をする日本人がいる,という主張です。そういった主張がされるたびに,なぜか,外国につながる人々や,外国出身者が,「スケープゴート」にされます。ひとりの台湾系日本人として,外国につながりをもつ日本人として,みずからの民族的出自を理由に,「スケープゴート」にされることは,許しがたいことです。 「日本が嫌いな日本人」という「面白い考え方」について考えるとき,わたしは,これまでの日本の社会制度や,日本社会における人間関係のあり方にこそ,「問題」なり「病巣」があると考えます。外国出身者とか,外国につながりをもつ人々のせいで,日本社会がおかしくなったのではなく,日本人の「心の構造」にこそ,「日本が貶められているという言説」にかんする「ヒント」があると,わたしはおもいます。 わたし自身は,「半分しか日本人」ではないけれども,日本は好きです。そして,「日本が嫌いな日本人」をみるたびに,不思議に思うことは,「みずからの首を絞めるのが大好きな日本人」という,「異常な姿」です。これについては,日本社会の「問題」とは,その原因というものが,「みずからの首を絞めるのが大好きな日本人」という,「日本人の問題」がその根幹にあると,わたしはおもいます。 ある著名な作家が,“「反日」日本人”,という「興味深い考え方」を紹介しましたが,このような「問題」については,外国がどうのこうの…,ではなく,「日本人が日本人(日本)と向きあっているか否か?」こそ,大きな「ヒント」であると,わたしはおもいます。 わたし自身は,「半分しか日本人」ではないけれども,このような,「ゆがんだ精神性」を日本人がもっていることについては,「とても残念なこと」です。

  • 子供には、親ってどれくらい必要?

    育児では、働くママと専業ママで意見がわかれてしまうのでここで、質問させてください。働くママは、子供は地域で子育てとか、自分の子は親がいなくても、友人を作れる、うまく育ってゆくもの・・と、かかわる時間が少ないだけに、現実をしらないって思われるのです。 息子は、人見知りしない活発な男の子ですが、小さい為にママ同士のつきあいがついてまわります。私が、極端に人見知り、群れるタイプではなく決まった友人が息子ともどもいませんでした。 サークル等でも、連れ立ってくるママさんに、なんとなく、距離をおかれ、私はいいのですが、息子が、かわいそうでなりませんでした。 少しずつ、パートとかにでたのですが、幼稚園にいくようになってもやはり 他のままとの往来が、そうできません。このままだったら、いっそ 私が仕事をして、保育園にでも入れた方が、息子にとってもいいのではって 思ってしまいます。仲良くなれなくて、つらいと、ついつい声を荒げてしまったりするので。 子供は、小学生くらいになったら、母親がかかわらなくても一人で、友人を造ったってどんどんゆききするのでしょうけど、愛想のないママでも、 お子さんがつきあっていて、かまわないでしょうか? それとも、もっと、努力すべきなんでしょうか?? 母親は、何を子供に教えるべきなんでしょう?一般論ではなく、自分自身が いろいろ悩んで問題をかかえているのに、何をしてあげられるのでしょう。

  • アイデンティティを「伏せる」ことが強要される日本

    わたし自身は外国につながりをもつ日本人ですが、多くの日本人は、「外国につながりをもつ日本人のアイデンティティ」を、どのように受けとめているのでしょうか。 (1) 外国につながりがあっても、日本のアイデンティティも分かちあっているのだから、日本のアイデンティティを「最重要視」あるいは「最優先」してほしい。 (2) 外国のアイデンティティと、日本のアイデンティティ、これらを「両立」できるようにしてほしい。日本と当該国の友好のために、何らかの「貢献」をしてほしい。 (3) 少なくとも、日本社会で生活をしている限りは、外国のアイデンティティを表向きにしてほしくない。日本のアイデンティティにのみ向きあってほしい。 (4) 日本社会で生活をしているわけだから、外国のアイデンティティと向きあうべきではない。完全に日本社会に「同化」することが望ましい。 (5) その他 先日、ある地方公共団体の市会議員が、このようなことをインターネット(ツイッター)をとおして主張しました。 “日本という一つの国で同じ教育を受け、同じ言葉、同じ法制度で生活する中で アイヌであることをわざわざ証明する必要もないのが現状です。” わたし自身は外国につながる日本人であり、アイヌではありません。 しかしながら、外国につながる立場から、このようなコメントは、外国につながる人々の尊厳を著しく傷つけるものであると、受けとめています。 “日本という一つの国で同じ教育を受け” たとえば、この部分については、わたし自身は日本教育を受けた経験があり、そこでは管理教育とう名の「同化の強制」が存在しました。わたし自身、みずからの日本教育時代は、教育そのものが嫌だったことや、心無い日本人からの嫌がらせ、イジメ行為に耐える日々でした。外国につながりをもつ立場の人々のなかには、日本の教育制度、日本の社会制度に「疑問」をもち、それらを批判する人々は少なくありません。多くの日本人が考えているほど、日本社会、さらには、日本の教育制度は、いまだに多様性の包摂という点において、さまざまな問題をかかえています。 “アイヌであることをわざわざ証明する必要もない” この市会議員のコメントは、アイヌにたいする「不理解」のあらわれだと、解釈することができると思います。そして、このようなコメントは、外国につながりをもつ人々にたいしても、当てはまるものではないでしょうか。“わざわざ証明する必要もない”という言葉から、アイヌの人々のみならず、外国につながる人々にたいしても、みずからのアイデンティティについては、それを証明すること―たとえば、具体的にはそれについて語ること―を控えるべき、してはならないというのが、この市会議員の「ホンネ」なのかもしれません。 わたし自身は、「半分しか日本人」という立場です。どんなに頑張っても、「ガイジンの血」がはいっている以上、「半分しか日本人」です。それでも、ほかの、大多数の日本人以上に、日本のことを学び、日本社会のなかで受けいれられるための「努力」を積み重ねています。アイヌの人々についても、同様のことがいえると思います。 さらには、「半分しか日本人」という立場ですから、残りの半分は、外国のアイデンティティです。日本のことを、外と内から、客観的にみることができます。そういった「アドバンテージ」があるので、日本のこと、日本人について、さまざまなことを学ぶことができました。そして、日本について学べば学ぶほど、日本にたいして「特別な思いいれ」をもつようにもなりました。わたしなりに、「愛日」という言葉で、このことを説明しています。(愛国ではなく、日本のアイデンティティを大切にするという意味の「愛日」です。)きっと、多くの日本人からみると、わたしは、ある種の「知日的存在」にみえるのかもしれません。 今回の、この市会議員の「失言」は、外国につながりをもつ立場からすると、みずからのアイデンティティの「否定」につながりかねない、極めて危険な発言だと、受けとめています。 わたし自身は、外国のアイデンティティを分かちあいながらも、日本のアイデンティティを大切にしています。この市会議員は、わたしのような存在のことを、あまり理解していないのだと思います。

  • 外国人の子供と、教育を受ける権利

     噂の東京マガジンというテレビ番組で、横浜市泉区の、外国人住民の割合が高い地域が取り上げられました。外国人の子供も、公立の小学校に通っているようで、先生が外国語の看板をもって挨拶したり、雇われた通訳が活動しているようです。  教育を受ける権利は憲法で保障されていますが、確か社会権は基本的に、国籍の属する国に対するものではなかったでしょうか?日本は憲法に基づかず、法律で外国人の子供を無償の義務教育に受け入れているのでしょうか?外国人の子供の受け入れにかかる費用は、通訳などを考えれば日本人より高いはずですが、全額公費負担は妥当でしょうか??  人種差別をするつもりはありません。外国出身者でも、日本国籍さえ取得すれば立派な日本人です。ただ、日本人と名乗る以上は、日本語をまともにしゃべれるようになって欲しいとも思います。

  • 子供は親に似ますか・・・。

    “子供は親の背中を見て育つ”っていいますが、やっぱり、子供は親のようになるのでしょうか。 昔から、わたしは気が小さくて、なのに変にプライドが高く、無責任で人に迷惑かけてきたり、学校などでも人に馴染めず・・・といった感じです。親になった今では、子供のすることにいつもイライラして、自分の機嫌が悪いと子供に当たったり・・・なんだか、書いてると私って最悪だ~って思ってしまいます。こんな親、子供がかわいそうだから変わらないといけないって、努力はしてるつもりです・・・。 わたし自身は母親とは全く違った性格で、母親は明るくて社交的で、なんで似なかったんだろうって、子供のころから思ってました。そのことで、いつも辛かったです。 とにかく、子供が心配なのです。絶対、私のようになってほしくないです。わたしは、どうしたらいいのでしょうか。

  • 親との関係について

    初めまして。 親との関係に悩んでいます。 結婚してもう4.5年経つのですが歳を重ねるにつれ母親との価値観が違うことに悩まされています。 特に子供が生まれてからというものの、教育論などを熱く語られます。 母親は自分の教育論に自信を持っており、私に助言しているのでしょう。 ですが、私自身素晴らしい教育を受けたかと思うと、そうではありません。 とにかく早く実家を出たかったという理由もあり、結婚も早かったです。 結婚してから母親に会う頻度は年に1.2度になりましたが、それでもちょくちょく嫌なことを言われます。(本人自覚症状なし) 例えば、20で結婚し、21で出産した私のことを親戚に対してこんな早く子供作って恥ずかしい。などと言う。 主人と結婚してから、生活もがらりと変わりお金に困ることはなくなりました。 そんな中、調子乗ってたら教えてあげるね。と言われたり、飛行機の話になると誰の金でビジネス乗ってんの?自分のお金じゃないじゃん。などと言われます。 子供のことでも口出ししてきて、意見が違うとキレられます。まああんたの子供だからいいけど。 などと言われます。 幼少期から、理解できない部分はありましたが、大人になってもこのような発言をされると、見下されてるんだなぁ、と思います。 母はずっと仕事をしていた人間ですが、女性が結婚して生活が変わることはよくあることだと思いますし、私も仕事はしています。 子供の頃は親に頼るしか生きる術が無かったですが、今は自分の家庭で生きていけます。 今後、本当に価値観の合わない母親にどの程度合わせるか迷っています。 大人になってもなかなか意見が合わないので関わっても嫌なことを言われるようだったら関わりたくありません。 このような場合どうすれば良いか分かる方いらっしゃいましたら回答お願いします。

  • 子供を叱る親とほうっておく親どちらが正しい?

    「ファミレスで走り回る子供を、叱る親とほうっておく親はどちらが正しい?」 お 笑いコンビ、クワバタオハラのくわばたりえがブログで「ファミレスで走り回る我が子を、叱る親とほうっておく親はどちらが正しい?」と子どもの躾について 問題提起したところ、多くの反響があった。彼女は国によっては日本とはまったく違う反応があることを紹介しているが、それについても「日本と外国は環境が 違う」、「叱らない育て方にも一理ある」といった意見も出ている。 くわばたりえはブログ『やせる思い』で、1児の母親とし て育児の様子や悩みなどを綴っている。10月にも、寝つかない我が子の顔を叩いてしまい後に自己嫌悪に陥ったことを告白して、子育て中や経験のある母親た ちから大きな反響があった。その、くわばたが11月23日に「どちらが正解?」と題して、ファミリーレストランでの例を出して問題提起した。夫婦が3歳の 子どもと10か月の赤ちゃんを連れてテーブルに着く。すると3歳の子どもは店内を走り回り、赤ちゃんは声を上げて泣き出した。その際に「走る子どもをパパ が注意して、ママは赤ちゃんを外に出てあやす」夫婦と、「走る子どもはそのままに、ママは泣いている赤ちゃんを店内であやしながらパパとおしゃべりを楽し む」という夫婦。「どちらがアカンと思う?」と読者に問いかけた。 さらに彼女は「子どもを注意して、赤ちゃんは外であや す」ことが一般的としながら、海外ではまったく逆な反応をする国があると紹介する。その国の人々は「3歳の子どもが静かに座っていられるわけがない、なぜ 注意するのか?」と不思議に感じるらしい。外食しているのだから、夫婦でゆっくりおしゃべりを楽しむのが一般的だということだ。 また、くわばたりえ自身が、電車の中で子どもが泣いた時に憂鬱だった経験を明かしている。泣き方がひどいときはいったん降りて 次の電車に乗ることも考えたという。「もう電車乗りたくない、外出したくない」とまで思いつめるほどだったのだ。 ところがある国では満員のバスで赤ちゃんが泣き出すと、その母親とはまったく関係のない初対面の男性の乗客が抱っこしてあやし てくれる。しかも、他の乗客も交代して赤ちゃんをあやしてくれるので5時間の長距離バスを母親はゆったりと過ごせたという。 そんな話を例に出すと、彼女は「ファミレスで子どもが走り回るのを叱ることは“やってはいけないことを教える”ために必要」だが、「やっぱり私は、出先では自分の為に隊長(長男)を叱っている気がする」と葛藤する のだ。そんなくわばたに読者からも様々な意見が届いている。 「外国よりも日本の考え方が好きです! ファミレスは食事をする場所であって、子どもが騒ぐ場所ではない」と叱るのが当然だという声がやはり多い。一方で“叱らない育て方”をされた子どもを知っているという 読者からは「とても行動的で失敗してもめげないし男らしい」、「男の子の場合、厳しい躾は精神的な去勢なのではないか」という感想も出 ていた。 他にもブログに寄せられた声は多岐にわたり、体験談にもとづいたいろいろな意見がある。そんな声をうけて、くわばたは翌日に「とても考えさせられる」と題して更新すると、「ファミレスで子どもが走 り回るのを許す国は、許すんじゃなく大人たちみんなで子どもを躾ける国」、「これって昔の日本じゃないの?」と指摘。地域で子育てすることで、そん な日本の良さをとり戻せるのではないかと提案している。 http://news.livedoor.com/article/detail/7173339/ たまに外で、 ガキが他人に迷惑かけてるのに親が放置してると、 怒りたくなるけど、 今の時代他人に口出しするのはヤバい? 他人の糞ガキを、叱るのとほうっておくのどちらが正しい?

  • 外国に「つながり」をもつ日本人は日本人なのか!?

    いまだに、日本社会においては、外国に「つながり」をもつ日本人にたいする偏見や誤解というものが、根強く残っているのとされますが、外国に「つながり」をもつ日本人は、ほんとうの意味において、日本人なのでしょうか? 彼ら彼女らは、日本社会の真の構成員として、認められていますか? 先日、外国に「つながり」をもつ日本人の芸能人にかんする記事が発表されました。これは、インターネットをとおして閲覧することもできるものでした。 記事にたいするコメントにおいて、このようなものがありました。 ・[外国に「つながり」をもつ日本人の芸能人の]父が外人で母が日本人 → 外国に「つながり」をもつ日本人には、外国出身の父親をもつ人々も多いですが、外国出身の母親をもつ人々も多いです。 ・フィリピン人だけ父が日本人 → 父親が日本人で、母親が外国出身のカップルの場合、中国大陸出身、台湾出身、タイ出身など、アジア出身の女性が多いことを、知っているのでしょうか? 父親が日本人で、母親が外国出身という組みあわせは、フィリピンだけではありません。 →韓国人のハーフなんかは当たり前のように日本人のフリして(ママ) ハーフは差別語ですが、あえて使いました。外国に「つながり」をもつ人々も、日本国籍保持者であり、日本人です。外国に「つながり」があることを理由に、一方的に、「ガイジン」扱いしていいものなのでしょうか? ちなみに、わたしも、外国に「つながり」をもつ日本人であり、日本国籍を保持し、日本のパスポートももっています。はたして、わたしは「本物の」日本人なのでしょうか?

  • 外国につながるわたしの「キャラ」は難解?

    ご覧になってくださり,ありがとうございます。 ・この質問は,恋愛に関連した言説にかんするものです。 ・わたし自身,恋愛の経験がありませんので,皆様からの回答をとおして,いろいろなことを理解できれば幸いだと考えています。 数年前,まだ学生だった頃,このようなことをある日本人から言われました。 『ハーフを彼氏にするのだけは,嫌だ。ハーフと結婚なんて,絶対にありえない。子供とか,すごいことになるでしょう』(ママ) わたし自身は「外国につながる日本人」のひとりで,台湾系日本人です。外見や,姿かたちは,多くの日本人のそれとほぼ同じものの,台湾という「外国」につながりを持っています。ですから,このようなことを言われたとき,日本人はいまだに,建前では「氏より育ち」といいながら,その本音とは,「血」とか「門地」にこだわっている人々が多くいるのだろう,それはとても悲しいことだ」と思いました。 当の本人にとっては,あくまでも,みずからの「好み」,あるいは「タイプ」を素直に言っただけのことなのかもしれません。しかしながら,当時のわたしはその人に対して恋愛感情を持ってはいなかったのですが,そのような「発言」があったことで,みずからの「血」を理由に,「拒絶」された気持ちになりました。 思わず,小学校に通っていたときに,「お前が日本人ならば,日本人であることを証明してみせろ!」,など言われたことを思いだしてしまい,さらに気分が悪くなってしまいました。 皆さんは,「外国につながる日本人(日本国籍保持者)」であっても,その方をパートナーにすることができますか? あるいは,「なるべくなら,関わりたくない,パートナーにはしたくない,生まれてくる子供がかわいそうだ」,と思ってしまいますか? このような質問を出した理由は,日本社会において「排外主義」の風潮が高まっているからです。わたし自身は台湾系日本人ですから,「日本社会における台湾のイメージ」の影響を受けることが多々あります。いまの日本社会においては,台湾に対しては,東日本大震災にたいする「巨額の義援金」という良いイメージがある一方で,尖閣諸島の領有権問題に関連して,「領土ドロボー」という,とても悪いイメージも存在します。