憲法改正につい疑問「個人の尊重」が消えて...

このQ&Aのポイント
  • 日本国憲法第13条で「個人の尊重」が消滅し、国民は「人として尊重される」とされていることが注目される。
  • 草案では、「個人」よりも「国家」を優先し、人権は「公益及び公の秩序」の制約を受ける可能性もある。
  • 表現の自由や言論の自由にも影響を与える可能性があり、その価値観は現行の日本国憲法とは大きく異なる。
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憲法改正につい疑問

「個人の尊重」が消えて… まず注目すべきは、「個人の尊重」の消滅。 日本国憲法第13条は、まず最初にこう書かれている。 〈すべて国民は、個人として尊重される〉 一人ひとりの「個人」が等しい価値の存在として尊重される。一人ひとりが、自らの生存と自由を守り幸福を追求していく権利を有する。その権利もまた等しく尊重されなければならないーーこれは、憲法の土台であり出発点であり、憲法全体を貫く価値観と言えるだろう。 これによって、立法その他の国政は、個人の人権を最大限に尊重しなければならない。人権と人権がぶつかり合う場合などは、「公共の福祉」の観点から調整し一部の権利が制限されることはある。だが、それは「個人」より「国家」が優先される、という類の発想とは本質的に異なっている。 ところが、「草案」ではこうなっている。 〈全て国民は、人として尊重される〉 国民は、一人ひとりの違いを認め合う「個人」として扱われるのではなく、包括的な「人」というくくりの中に汲み入れられる。違いよりも「人グループ」としての同質性に重きが置かれる。しかも、その人権には、「公益及び公の秩序に反しない限り」という条件がついた。ここには、明らかに「人権」より「公益及び公の秩序」、「個人」より「国家」を優先する発想がある。 「公益」や「公の秩序」に反すると認定されれば、「個人」の言論や思想の自由も認められないことになる。ツイッターやフェイスブックなどが普及した今、表現の自由は、多くの人にとって、情報の受け手としての「知る権利」だけでなく、発信者としての「言論の自由」に関わってくる。 戦前の大日本国憲法は、表現の自由に「法律ノ範囲内ニ於テ」という条件をつけていた。この旧憲法下で、様々な言論が制約され、弾圧が行われた。曖昧な「公益」「公の秩序」は、国家の方針やその時の状況によって、いくらでも恣意的な規制や制約ができそうだ。 表現の自由に限らず、「個人」より「国家」を尊重する。「人権」は「公益及び公の秩序」の下に置かれる。これが、自民党「草案」の基本。日本国憲法と似た体裁をとっているが、まったく別物であり、その価値観は天と地ほども違うと言わなければならない。 想定すればこの書き込みも自由がなくなることを意味します それでも改正論に賛成ですか このソースは http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130503-00024690/

  • OROYY
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質問者が選んだベストアンサー

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  • octopoda8
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回答No.8

公の秩序という曖昧な物で人権を制限できるという事になれば、かつての治安維持法が憲法に組み込まれるような物でしょうか。 安倍さんの美しい国思想の本音が透けて見えていますね。 最終決定である国民投票だって、個々の改正案件ごとなのか一括での賛否なのか曖昧なままだったような。

その他の回答 (7)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.7

今の憲法は、個人の権利が強すぎます。 例えば、生活保護などは権利とされている訳ですから、 そこには恥も外聞も入ってくる余地はありません。 結果、もらえるものはもらう、仕事なんぞ無理して 探す必要など無い、ということになります。 その結果が、200万受給者で、防衛費に近づく金額に なっています。 仕事などいくらでもあります。 工場労働者はいくら募集しても応募してくるのは外国人 ばかりです。 中小企業は万年人手不足で、有効求人倍率は3倍も あります。 こんなことを続けて行けば、日本人のモラルが崩壊します。 資源も無く、ろくな政治家もいない日本で、国民のモラルは 最後の砦です。 モラルが崩壊すれば、日本など途上国になってしまいます。 今の憲法は、次の二つの原理から成り立っています。 第一は、日本が欧米支配の構造に、二度と立ち向かわないように 去勢すること。 第二は、欧米キリスト教文化に基づく、権利中心の個人主義です。 第一の表れが9条です。 第二ですが、これも問題です。 欧米は権利中心の個人主義でも良いのです。 欧米にはキリストの神様がいます。 個人は神と直接契約を交わすのだから、それさえ守って いれば、他人にどう思われようと関係ない、という 個人主義です。 そこには、キリスト教という倫理の軸があります。 ところが、日本にはそんな神様はいません。 そんな日本に、欧米流の個人主義を導入したら、 それはただの自己中になるだけです。 モンスターペアレントなどというのは、まさに 権利中心の個人主義が産みだした怪物です。 今の、欧米の価値観で造られた憲法が存在する限り、 日本人はますます自己中になり、モンスターペアレント が増殖していくでしょう。 現代日本の問題点は、自由や権利が少ないことでは ありません。 自由や権利が過多であることによる問題点ばかりです。 これを何とかしないと、日本に未来は無くなります。

OROYY
質問者

お礼

お礼は出しませが回答のニアンスが違うので 政治家の意図によって改正する目的は色んな意味で制約付きになります (震災と憲法/被災住民に響かぬ改憲論  復興途上の被災地に歓迎する雰囲気は乏しい。むしろ、戸惑いを隠せないでいる住民が多いのではないか。  活発化している憲法改正をめぐる動きについてだ。安倍晋三首相が積極発言を繰り返し、今年夏の参院選で争点に浮上する可能性もある。  東日本大震災から2年余り。憲法を改めることが、思うに任せない復興を加速させるてこになるわけではなく、論戦が激しさを増し焦点化すればするほど、被災地再生への関心がかすんでしまうことを懸念する。  地元にはそれでなくても風化が進むことへの焦り、いら立ちがある。「震災復興を前に進めるのが先だ」。心の内はこんな形に集約できるだろう。) つまり政治家の都合の悪い事は制約するでしょう そのことが目的と思う事 本当に理解して書いているのか....?

OROYY
質問者

補足

生活保護などは権利とはまるで関係ありません すみませんがその関連とは別物です 国民が全て関わる事なのであなた自身が制約をされても良いと考えですか 本当に...?

回答No.6

公(国家、警察、政治家、公務員、裁判所等々)と言うのが常に正しい事をするわけではないから、それを監視する必要があるけれど、公は監視批判されるのを嫌う。 民主主義とは手間のかかるもの。 個人の利益と多数の利益が対立した場合、いきなり多数の利益を押しつけてしまうのはファッショであろう。 公の利益が個人の利益を排除するには時間をかけた話し合いが必要だろう。そうして常識的な解決を図る。 公の利益に反しない限りと言う条件をあえてつける必要はなく、これまで通りでいいのではないか。 話し合いの中で「公」の言っている事の方がおかしいと言う事になるかもしれない。 独裁と言うのはすごく効率がいい。 話し合いの手間を省いて「公」の利益(多分に国家、警察、政治家、公務員、裁判所の都合)を国民に押し付けようと言う意図があるように見える。 そのうち選挙なども公の名の下、権力に都合がいいようにやる事になるのだろう。 あの北朝鮮でさえ選挙をやった事がある。 対立候補はなく、得票率98%で金正日が当選したが。同じような選挙が行われるようになるのだろう。

noname#190680
noname#190680
回答No.5

賛成なんてできないですよね。 「公」なんていう曖昧な表現では、解釈次第で誰でも「公」になれますし。 特に権力を持つ者が「公」ということになれば、それに逆らう者は拘束できるということですから。 実際に昔の日本がそういう国だったので、有りえることです。 憲法9条改正に皆の目が向いている間にこっそりこういう部分を勝手に変えてしまおうという政治家のやり方に、ほとほと嫌気がさしてきます。

OROYY
質問者

補足

わたしも同感です そのやり方に政治家の都合づけの国民は道具になってしまう それに韓国みたいな国民を強制的に軍隊に派遣する目的です 嫌でも入隊できるのではないかとおもいます

  • hgg83474
  • ベストアンサー率28% (37/131)
回答No.4

国家における個人の自由と言うものは好き勝手という意味ではありません。 あたりまえの話です。 江川昭子さんはかなり特殊な立場の方のようですし飛躍しすぎですね。 いまだかつてない特殊な憲法に独善的にかえるわけではないと思いますが? おおよそ世界中のどこにでも当たり前のようにある憲法にしようという話だと思います。

  • Epsilon03
  • ベストアンサー率24% (868/3495)
回答No.3

自民党案がどうのとか言う事では無く、憲法の改正は必用です。 特に争点となるのが9条。 これは自滅条項であり、平和憲法ではありません。 9条があるから日本は戦争をしなかったと言うのは大きな間違いであり、アメリカと言う抑止力があったから日本へ他国も戦闘行為もしなかったと言うだけでしょう。 日本国憲法は日本国内の法ですから、他国にとっても何の拘束力もありません。 単に「あっ、そっ!。それがどうしたの!?」で終わりです。 9条擁護派は妄想に取り憑かれ完全に平和ボケしていますしね。 今ではその抑止力となっていたアメリカも軍縮ですし軍事費も抑制されて居る中、膨大な軍事費を注ぎ込んでいるのが隣国中国。 太平洋の覇権をも我が物にしようとしている中、尖閣諸島は地下資源も手に入れたいですが太平洋へ出やすくするためにも必用になってしまったと言う事です。 そこに軍事侵攻されても、日本は自前で防衛できません。 自分の所を自分で守ろうと出来ない条項など、自滅条項です。 まっ、占領され、次に八重山諸島が危ないとなっても憲法改正に反対するのでしょうね、この妄想に取り憑かれ完全に平和ボケした人種は。 特に存在が害である社民党が先頭になって叫くのでしょう。 社民党なんて共産党より主義主張が無いですからね。 ただの害党ですから。 とピンポイントに飛んでしまいましたが、自民党案の中身が悪いから憲法改正はダメと言うのでは無く、根本的に憲法は改正しないとこの国は外交交渉でも戦えないです。

回答No.2

私は至極当たり前だと思いますが…。公益や公の秩序って おっしゃる通り漠然としていますが 中学卒程度の教育レベルで判断出来ると思うし、誰もが特別に気にする事無く普通に生活してる訳です。 個人の尊重<公益&公の秩序、これって何か問題有りますか?公益&公の秩序より 余程 個人の尊重の方が漠然としていて 万人万様に(百人百様の上級表現)認識の違いが有るんじゃない? 25人の法律素人のアメリカ人によって作られた現行憲法をいつまでも後生大切にしてる事が異常。 『To the Japanese、For the Japanese、By the Japanese』の真の日本国憲法を作った上で 我々日本国籍有する日本人は国民一人一人が国を護る義務が有る事をあらためて認識する必要が有るんとちゃう? 国が有っての個人、国の繁栄有っての個人の尊重♪中国に占領されたら個人の尊重なんて言ってられんのとちゃうの!? 日本国民の定義とは…、日本人で有る事を誇りに思い 日本の正義に忠誠を誓える日本国籍を有する者。 改憲に賛成とか反対とか言う前に、俺はアメリカのケツをいつまでも嘗めさせられるのは嫌だ!! 改憲反対論者は 『kiss my ass!』って言われてる現行憲法でオ〇ニーしてればいいさ(笑)(^3^)/~☆

回答No.1

憲法上の義務を果たさない個人が「個人の尊重」を唱える現状こそが、今の日本を 病んだ状態にしています。憲法改正という言葉自体がまやかしなんですが、法律の 最高峰である憲法を改正するのだから、過半数ではなくて2/3や3/4の議席数を 満たさないといけないのは、至極当然のことではないかと思う。 自公正拳が謳う「児童ポルノ規制」は、彼らが活動してから10年以上経過していますが、 規制すべき対象を未だに定義付けできずに、天下り団体を作ることに躍起になっている。 こう言うのを本末転倒と言います。また、靖国に天皇陛下万歳と謳うのは愚かとしか 言えない。その言葉を謳った者は、半世紀以上前に大戦で惨敗している。戦禍に酔い、 戦局を認識できずにやけっぱっちになっただけである。今の自民党も、軍導入に関しては 当時と大差ない全体主義を持ち込もうとしている。上述の児ポ規制と併せて考えると、 手法が中国と大差ない。 改憲を謳うのはいいが、彼らの改憲の方向性には説得力がない。だからといって、 反対派が社民や共産だけでは話にならない。彼らは日本に害を及ぼす政党だからです。 理知的で日本に国益をもたらす者が慎重論を謳って欲しい。 俺は改憲の手法は既存どおりでいいが、もし改憲するならば内実が伴ってからに して欲しい。日本は情報後進国であり、スパイ防止法も一本化された国家情報機関も ない。情報を軽んじて戦略を立てたから敗戦した。情報関連の強化は、現代日本に とってもっとも必要なピースと言える。だからこそ、その強化ができない限り、 軍備かなんてカネと時間と人命の浪費に過ぎない。 俺は保留としか言えない。まあ、日本の政治を考える者は、銀河英雄伝説を 全編視聴してからにして欲しい。俺が学校教師なら宿題にするレベルですよw

OROYY
質問者

補足

私が思うには国民を政治が軍隊の為に思うがままに運営するために 改正する目的と思います どこかの国と似てますね

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