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学問のすゝめと天賦人権説

福沢諭吉の著書「学問のすゝめ」は、学問の重要性を説いた書物だと思っていましたが、福沢諭吉が天賦人権論者で、学問のすゝめは天賦人権説を説いた書物であるという指摘を受けました。 そこで質問したいのですが。 神の下では皆平等と言うが、現実世界を見渡せば、愚者、貧乏、金持ち、身分の高い人低い人たちがいて、世の中は決して平等なんかじゃない。 その差は何だと考えると、それは利口か馬鹿の違いだ。 要するに、神にとって人は平等なかもしれないが、人は違う。人は人を平等に扱わない。だから学問は大切。負け組になりたくないなら勉強しなさい。 これがわたしの見解なのですが、間違っていますか? 福沢諭吉が天賦人権論者だという論拠があるなら、それを詳しく解説して下さい。

みんなの回答

  • AandZ
  • ベストアンサー率25% (8/31)
回答No.6

『天賦人権』論とは次と全て同じだと思って良い。 『自然法』『自然権』『自由主義』は全て『天賦人権』と同じ思想と意味を指します。 これら全て同じなんです。 『ペンは剣より強し』と福澤諭吉が、授業中に引用した話は有名です。 ちなみにこの原典は、イギリスの政治家・小説家ブルワー・リットンの戯曲『リシュリュー』にある「The pen is mightier than the sword.」の訳で、文章で表現される思想は世論を動かし、武力以上に強い力を発揮するということを意味し、まさに『言論の自由』を意味します。 14 天賦人権論のあゆみ(東京大学付属図書館) http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2005/tenji/index-n.html > 人間には自然法的な各種の自由が備わっているとするこの思想は、18世紀後半から19世紀前半にかけての欧米の著作に多かれ少なかれ影響を与え、たとえば上野戦争の際に福沢諭吉が講義を続けたウェーランドの『経済学』にもその影響が見られるという。 > 慶應義塾で当初より教科書として用いられたウェーランドの『経済書』。福沢諭吉が、慶応4年7月4日(新暦では5月15日)、上野彰義隊戦争の当日にも砲声を聞きながら講義を続けた書物として有名だが、この中にも自然法思想の影響が見られるという。 この砲声が鳴り響くなか、福澤諭吉は『ペンは剣より強し』と生徒たちを説いて授業を続けるのです。 私は一応、これでも本物の福澤諭吉の弟子の系統に居ますから、まあ福澤先生に直にあった事はないけれども、最初に福澤諭吉の逸話として教わったのが、『ペンは剣より強し』の逸話です。 だから『学問のすゝめ』の第二編は、『天賦人権』を述べたものとして常識の知識だったわけです。 貴方がお知りになりたいのは、福澤諭吉が『天賦人権論者』である『明白な証拠』でしょうが、それは正に福澤諭吉が何を教育し、何を啓蒙したかに如実に現れています。 私の説明が不足していたのは、自分には当然のことが、恐らく貴方には当然でなかったことです。 だから次の言葉を繰り返します。 『天賦人権』とは、別の言葉で言えば、『自然法』『自然権』『自由主義』のことです。 そして福澤諭吉が何を教育したか、良く思い出してください。 貴方は福澤諭吉が『自由主義』者だと言うのは、納得されますか?されませんか? もし貴方が福澤諭吉が『自由主義』者だと納得しているのであれば、貴方は彼を間違いなく『天賦人権論』者だと認めなければなりません。 なぜなら、『自由主義』者とは『天賦人権』論者のことだからです。 『天賦人権』論を否定したら、それは『自由主義』者とは呼びません。 それは似非の『自由』であり、全く『自由主義』者では無いんです。 なぜなら『自由主義』とは、『天賦人権』でしか成立しないからです。 つまり『天賦人権』論者で有る者は『自然法』『自然権』『自由主義』論者でもあることと全くイコールであり、そのれらは切っても切れない『全く同じ思想と意味』だからです。

  • staratras
  • ベストアンサー率40% (1438/3508)
回答No.5

>天賦人権説は「現実世界を見渡せば、愚者、貧乏、金持ち、身分の高い人低い人たちがいて、世の中は決して平等なんかじゃない」という現実論も内包されると言うことですか? つまり「神の下では皆平等 ≠ 天賦人権説」で宜しいでしょうか? 前段はご賢察の通りだと思いますが、後段は違うと思います。天賦人権説の天から与えられた(人が生まれつき持っている)権利が平等だという主張の背景に、キリスト教の「神の下の平等」という思想があることは明かです。ただし、天が与えてくれたのは一定の権利であって、結果の平等まで天や神様が保証してくれるというものではありません。当時「学問のすゝめ」と並んで「天は自ら助く者を助く」という冒頭の言葉で有名な「西国立志編」(スマイルズの"Self Help”「自助論」の訳書)が若者に広く読まれ、影響を与えていたことも参考になるかと思います。 つまり、神の下の平等という思想と人の世の不平等という現実とは矛盾するものではなく、むしろ人の世が不平等なるが故に神の下の平等という思想が生まれたのだと考えます。ご質問の式の形にすれば、「(神の下では皆平等)≒天から与えられた権利はみな平等(現実の社会には不平等が存在) = 天賦人権説」であって、「神の下では皆平等 ≠ 天賦人権説」ではないと考えます。 >例え話を抜き出して、福沢の言う学問とは「教育がベースの実学」とするのは、流石に無茶ですよ。 福沢が「学問のすゝめ」の初編などで言っている「学問」は、初学者の段階でもその後の進んだ段階でも「学問のための学問」ではなく、「実社会で役立つ学問(実学)」です。それは江戸時代まで、世間では学問が道楽の一つのように考えられていて、学問好きの子どもに対して「心ある町人百姓」は、やがて身代を持ち崩すのではないかと親心にも心配する者がいると「学問のすゝめ」に書いていることとも関連します。「学問に精を出すより、家業に集中してほしい」という世間の学問への無理解に対して、「これからの学問は単なる道楽ではなく、家業でも役立つものですよ」と主張しているのです。このことを私は「基礎的な教育をベースにした実学」と書きました。 「お礼」に引用された部分の少しあとに「右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賎上下の区別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に士農工商各々その分を尽くし銘々の家業を営み、身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり」とある通りです。 >要するに、「神にとって人は平等なかもしれないが、人は違う。人は人を平等に扱わない。だから学問は大切。負け組になりたくないなら勉強しなさい」ですね? ご質問者様がそのように現代風に理解したいのであれば、それも一つの考え方でしょう。ただし、この「学問のすゝめ」の初編が出されたのは日本に近代的な学校制度ができる前であったことは忘れてはならないと思います。「学問のすゝめ」の初編が出されたのが明治5年2月、明治政府が教育制度を定めた「学制」を発布したのが同じ年の8月であって、まさに近代的な「学校制度」が日本で始まろうとしていた年でした。(「端書」にも本書の原型を執筆したきっかけが、福沢の郷里中津に学校を開くことであったと記されています。) 「負け組になりたくないなら勉強しなさい」という考え方は、全国に小学校から大学まで広く普及し、義務教育の就学率はほとんど100%、大学進学率も約50%となった現代の人には理解できても、小学校さえほとんどなかった明治初めの多くの人には理解が困難だったと考えます。つまり、学校教育を受けること、学問を修めることによる利益さえよく理解できなかった(学制に反対する農民の一揆が起きた地方さえあった)当時の多くの人に、学校教育を受けないこと、学問を修めないことによる不利益を理解させるのはさらに難しいだろうということです。 福沢の主張の趣旨をあえて現代風に言えば、「勝ち組になりたいなら勉強しなさい」であって、逆の「負け組になりたくなかったら…」ではないだろうと私は考えますがいかがでしょうか。

HEAVYGUN
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 > ご質問の式の形にすれば、「(神の下では皆平等)≒天から与えられた権利はみな平等(現実の社会には不平等が存在) = 天賦人権説」であって、「神の下では皆平等 ≠ 天賦人権説」ではないと考えます。 じゃあ天賦とは何じゃらほいって疑問が出てきますが? この質問に対する具体的な回答がほしかったです。天から与えられた権利とは何を指すのか? 現実世界を見渡せば、天賦人権説なんてものは理想論としても機能してない。天は人の上に人を作らずはアメリカ独立宣言からの引用らしいが、リンカーンの奴隷解放宣言が発布は独立宣言から100年後です。 アメリカ独立宣言の著者であるトーマス・ジェファーソンが大奴隷主だったという事実が、天賦人権説と現実社会の乖離を物語ってます。 一六四八年ウェストファリア条約に始まる西洋国際体系など、日本ではとっくに聖徳太子の時代からやっています。だから、たかだか目の前の科学技術力や経済力の劣勢に臆することなく明治維新ができ、日露戦争に勝って誰に屈することもない大国として生きていけたのですから。 倉山満の華夷秩序は東アジア共同体の根拠かから引用です。 アメリカ独立宣言どころか、ホッブズもジョンロックもルソーも居ないずっと昔から、日本は平和と秩序を保ってきたが、それは何で維持されていたのでしょう?天賦人権説? > 福沢の主張の趣旨をあえて現代風に言えば、「勝ち組になりたいなら勉強しなさい」であって、逆の「負け組になりたくなかったら…」ではないだろうと私は考えますがいかがでしょうか。 同じだと思いますけど。 勝ち組負け組の境界線を何処に引くかで、多少は印象は変わるかも知れませんが。 わたしは天賦人権説そのものを否定する気はありません。現実論としてそんなもん嘘っぱちだとは思っていますが。 無論、福沢先生もわたしと同じだと思っています。 わたしが訊きたかったのは、福沢諭吉が天賦人権論者だという論拠でした。 たくさんの回答ありがとうございました。

  • staratras
  • ベストアンサー率40% (1438/3508)
回答No.4

No.3です。少し補足します。 >すべて人間は生まれながら平等だという思想論者が、それをベースにした著書で、教養によって生じる職業格差を否定しないのは何故なんでしょう? 学問をやる動機付けは消えてしまいますが、天賦人権論者が学問のすゝめに拘る必要はないように思いますが。 福沢の言う「学問」はいわゆる「教養」ではなく、「いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱いを心得、なおまた進んで学ぶべき箇条は甚だ多し」と言っているように基本的な教育がベースの「実学」です。 また学問を修めたものが「むつかしき仕事」に就いて「身分重き人」となることは、本人の努力の当然の結果として正当に認められるべきことであって、不当な「格差」だとは考えていません。このあたりの議論は、No.3でも少し触れましたが、現代の途上国で教育支援活動を推進する理由に通じるものがあります。例えば日本ユネスコ協会連盟のサイトにある「世界寺子屋活動」の説明文には次のようにありました。 「基本的な読み書き計算が出来ないと、さまざまな職業に必要な技術を身につけることが大変困難です。簡単な足し算や引き算が出来ない、注意事項やマニュアルが読めなくてもできる仕事があったとしても、日雇いなど労働条件が厳しくなります。季節や天候、雇用者側の都合に左右され、毎日、安定した収入が得られるとは限りません。」 「基礎教育や訓練をうけていない人たちは安定した収入を得る仕事に就くことが困難で、過酷な労働条件でも低賃金で働かざるを得ない状況があります。また読み書きや計算が出来ないと、労働者としての権利が分からず、賃金や労働条件をだまされ、搾取されてしまうこともあります。」 泉下の福沢がこの文章を目にしたら、「我が意を得たり」と思うのではないでしょうか。「天賦人権論」の、「人は生まれながらに平等である」ということは福沢も言っているとおり「平等な権利を持つ」ということであって、社会で「平等に扱われる」ということを意味するものではありません。むしろ「平等に扱われない」社会の現実が厳然として存在する事実を認めたうえで、これを打破する手段(武器)として学問(実学)の重要性(有効性)を説いた点に、「学問のすゝめ」が、なお身分制度の残滓が残る明治初年の日本で広く読まれた理由があると思います。 福沢の主張は「人は人を平等に扱わない」から「人は平等ではない」ではなく、「人は本質的に平等な権利を持つ」が現実には「貴賎貧富の別が厳然として存在する(人は人を平等には扱わない)」「その差異が生じるおおもとは学問のあるなしによる」「だったら学問を修めよう」ということだと考えます。

HEAVYGUN
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 天賦人権説は「現実世界を見渡せば、愚者、貧乏、金持ち、身分の高い人低い人たちがいて、世の中は決して平等なんかじゃない」という現実論も内包されると言うことですか? つまり「神の下では皆平等 ≠ 天賦人権説」で宜しいでしょうか? じゃあ天賦とは何じゃらほいって疑問が出てきますが?w > 福沢の言う「学問」はいわゆる「教養」ではなく、「いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱いを心得、なおまた進んで学ぶべき箇条は甚だ多し」と言っているように基本的な教育がベースの「実学」です。 されば今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条は甚だ多し。地理学とは日本国中は勿論世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見てその働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行いを修め人に交わりこの世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。 例え話を抜き出して、福沢の言う学問とは「教育がベースの実学」とするのは、流石に無茶ですよ。もしかして騙そうとしてます? 確かに虚学で勝ち組にはならないと思うけど。 > 福沢の主張は「人は人を平等に扱わない」から「人は平等ではない」ではなく、「人は本質的に平等な権利を持つ」が現実には「貴賎貧富の別が厳然として存在する(人は人を平等には扱わない)」「その差異が生じるおおもとは学問のあるなしによる」「だったら学問を修めよう」ということだと考えます。 要するに、「神にとって人は平等なかもしれないが、人は違う。人は人を平等に扱わない。だから学問は大切。負け組になりたくないなら勉強しなさい」ですね?

  • staratras
  • ベストアンサー率40% (1438/3508)
回答No.3

天賦人権論と学問の重要性を主張することとは矛盾しません。というより福沢諭吉の「学問のすゝめ」においては、同じ方向性を持っていて、前者が後者のベースとなっています。 「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なるものは貧人となり下人となるなり。」と初編にあるとおりです。天賦人権論については第二編に詳述していますが、「人と人との釣合を問えばこれを同等と言わざるを得ず。但しその同等とは有様の等しきを言うに非ず、権理通義(英語の「ライト」という字に当たる、と第三編に記述)の等しきを言うなり」とあります。 人は生まれながらに同等の権利を持っているのに、そのありさまは等しくはない。それはなぜかといえば学問を修めたどうかによって、「やすき(簡単なだれにでもできる)仕事」にしか就けないか、「むつかしき(複雑な専門的な能力が必要な)仕事」にも就けるかが決まり、これによって貴賎貧富の別が生じるからだというのが主張の要旨です。逆に言えば、人が生まれたときから同等の権利を持たず、武士の子は武士、農民の子は農民でその中の役職も世襲で決まる世の中であれば、学問の有効性は低くなります。そんな世の中ではなくなったのだから学問を修めましょうよ、ということです。 質問者様のご見解のように、「神の下では皆平等と言うが、現実世界を見渡せば、愚者、貧乏、金持ち、身分の高い人低い人たちがいて、世の中は決して平等なんかじゃない。…」と要約したとしても、その大前提には「人と人との釣合を問えばこれを同等と言わざるを得ず」ということがありますので、福澤が天賦人権論者でない証拠にはならないと考えます。 もちろん、ここで言う学問とは「ただむつかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世情に実のなき文学」ではなく、「人間普通日用に近き実学」のことです。 これだけを読むと、明治維新直後の日本で文明開化の時代の流れにうまく合致したベストセラー書という印象を受けますが、現在途上国で行われている教育支援活動などを見れば、福沢の主張の本質的な部分は21世紀の今も世界的に通用する普遍性を持つことがわかります。途上国の中には識字率が日本の江戸時代より低いのではないかと思われる国もあり、基礎的な教育を受けることによって得られる社会的・経済的利益は、「学問のすゝめ」が書かれた明治初めの日本よりさらに大きいかもしれません。

HEAVYGUN
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 すごく単純な疑問なんです。 すべて人間は生まれながら平等だという思想論者が、それをベースにした著書で、教養によって生じる職業格差を否定しないのは何故なんでしょう? 学問をやる動機付けは消えてしまいますが、天賦人権論者が学問のすゝめに拘る必要はないように思いますが。 > その大前提には「人と人との釣合を問えばこれを同等と言わざるを得ず」ということがありますので、福澤が天賦人権論者でない証拠にはならないと考えます。 人の生まるるは天の然らしむるところにて人力にあらず。この人々互いに相敬愛しておのおのその職分を尽くし互いに相妨ぐることなき所以は、もと同類の人間にしてともに一天を与(とも)にし、ともに与に天地の間の造物なればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦しくするは、もと同一家の兄弟にしてともに一父一母を与にするの大倫あればなり。 ゆえに今、人と人との釣合いを問えばこれを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは有様の等しきを言うにあらず、権理道義の等しきを言うなり。 中島岳志、トポスを取り戻せから引用です。 福沢は、「存在の根源的な平等性」に注目する。人間は「人力」で誕生するのではない。 人間は等しく「天」によって命を与えられた存在であって、存在そのものは平等である。しかし、人の「有様」はそれぞれ異なる。人は決して均一の存在ではない。姿かたちも性質も異なる存在として、世界を生きてる。 この解説を読む限り、神にとって人は平等なかもしれないが、人は違う。人は人を平等に扱わない。ですよね? つまり、福沢諭吉の「大前提」は「人は人を平等に扱わない」になりませんか?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

”世の中は決して平等なんかじゃない”     ↑ 平等でないから平等にせよ、という思想が出てくるのです。 平等であったらそんな思想は出現しません。 ”その差は何だと考えると、それは利口か馬鹿の違いだ”     ↑ 学問のすすめ、ですね。 これは正確ではないと思います。 バカでも金持ちの家に生まれれば金持ちになれます。 政治家の後を継げば、バカでも政治家になれます。 利口でも運に恵まれないで、困窮しているひとは 沢山います。 ”人は人を平等に扱わない。だから学問は大切。負け組になりたくないなら勉強しなさい。”      ↑ 「学問のすすめ」を素直に読めば、そう読めますね。 福沢諭吉は、教養などはバカにして、 現実社会に役に立つ実学を奨励していましたから。 でも、役に立つ学問は、すぐに役に立たなくなるんですよ。 役に立つ学問は、時代の変転に伴い、すぐに役に立たなく なります。 福沢諭吉は、たいしたこと言っていないように 感じます。 当時は斬新的だったので、大のベストセラーになっただけでしょう。

HEAVYGUN
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 > 平等でないから平等にせよ、という思想が出てくるのです。 > 平等であったらそんな思想は出現しません。 ? > バカでも金持ちの家に生まれれば金持ちになれます。 > 利口でも運に恵まれないで、困窮しているひとは沢山います。 社会全体の話に個別な事例を持ち出すのはどうかと。 学問のすゝめは額面通り学問の必要性を説いてるだけだと思っているのですが、違うのでしょうか? まあ、それが質問なんですがw > 福沢諭吉は、教養などはバカにして、現実社会に役に立つ実学を奨励していましたから。 質問からやや外れますが、具体的にどう馬鹿にしていたのですか?興味があります。 機会があったら教えて下さい。別に福沢信者ではありませんので、遠慮はいりませんよ。 > 福沢諭吉は、たいしたこと言っていないように感じます。 脱亜論も含めそうかもしれませんね。 ただ、現在でも未だ脱亜論とは真逆を行く言説も根強く残っていますから、というかつい最近までそちらが優勢だったこと考えると、当時として福沢諭吉は最先端の中の最先端、尖りに尖った人だったのかも。

  • barasui
  • ベストアンサー率28% (2/7)
回答No.1

『学問のすすめ』とは明治時代に出版されたことに大きな意味を持っていると考えます。福澤にとって、明治以前の江戸時代はそれはもう窮屈な時代だったわけです。 「何故、大名や公卿、さむらいは本当に偉いのか? 奴らは生意気にも偉そうにしてやがるが、優れた能力なんて持ってないじゃないか。 先祖代々の資産とか役職を持ってるだけだ。外面は偉そうだが、中身はたいしたことない人間だ。」 福澤さんは大変不満でした。江戸時代では、自分の立場が先天的な要因で決定してしまうので無能者が偉そうだったり、金持ちだったりする、しかも身分とは固定化されているため、現在の地位から出世することも難しかったわけです。 しかし明治時代になることで、生まれの不平等から脱出できるようになります。福澤さんは『学問のすすめ』で「人間は平等だよ」ということを言いたかったのではなく、むしろ「学問をすることで、自由や平等、金持ちにもなれる時代が来た、だから勉強しようね」と主張したかったのかと思います。 江戸時代だったら、「天は人の上に・・・・・・・」なんてこと言えないわけです。封建社会のために身分秩序があって、大名は偉くて、下級武士は大名に仕えなければならない、非常に不平等な世界です。明治時代になって、四民平等の時代が来ました。明治になってようやく「天は人の上に・・・・・・」といえる時代が来たわけです。 「ほとんどの人は平民となり、名目上は平等と言える時代だ。しかし、現実は平等じゃない・・・・・・・・・・だが学問という手段によって我々は不平等や不自由を克服できる時代になったのだ。」 福澤は「社会は不平等だ」なんてネガティブなことが言いたかったのではなく、「学をつければ偉くも金持ちにもなれるというポジティブな社会になったんだ」って言いたかったんではないですかね。

HEAVYGUN
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずは、福沢諭吉の言葉ではなく、アメリカの独立宣言の一節を意訳した説が有力です。 因みに、アメリカ独立宣言の採択は1776年。奴隷制度が廃止されたのは1865年です。 > 江戸時代はそれはもう窮屈な時代だったわけです。 本当にそうなんでしょうか?何を基準に窮屈だったんでしょうか? 現在でも、身を粉にして働いたからと言って出世できるとは限りませんよ。 > 「学をつければ偉くも金持ちにもなれるというポジティブな社会になったんだ」って言いたかったんではないですかね。 金持ちがいるということは貧乏人もいるという結論になりませんか? 天より平等が保証されているなら、勉強の必要性、動機付けに「格差」を持ち出すことは、天賦人権論者として矛盾しているように思えるのですが? 本当にそうなんでしょうか? 現在でも、身を粉にして働いたからと言って出世できるとは限りませんよ。 > 「学をつければ偉くも金持ちにもなれるというポジティブな社会になったんだ」って言いたかったんではないですかね。 金持ちがいるということは貧乏人もいるという結論になりませんか? 天より平等が保証されているなら、勉強の必要性、動機付けに「格差」を持ち出すことは、天賦人権論者として矛盾しているように思えるのですが?

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