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古事記と日本書紀の正しく理解するには?

古事記、日本書紀の原文は難しくて読めませんので、 まんがで読破シリーズを購入して読みましたが、 今ひとつでした。 そこで、分からないことがあるのでご存じの方、教えて下さい。 1.草薙の剣について、スサノオがアマテラスに献上する場面がない。 2.草薙の剣が最初から草薙の剣と呼ばれている。天叢雲剣の名前が出てこない。 3.古事記と日本書紀を正しく理解する本

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  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.1

古事記は各地の伝承を纏めた物。さらに古事記の前にその資料となった各地の歴史があります。 また古事記は国内向けに纏めた本、日本書紀は世界(と言っても中国)向けに纏めた歴史書だという考えもあります。 日本書紀は日本という国がどのような考えや経緯で建国されたかを書いた正史(国が纏めた世界に通用する正式な歴史書)です。そして古事記をはじめとする幾つもの別史も併記してあります。逆に本文でははしょることもあります。 何しろ文字のない時代の歴史を文字が日本に伝わってから書き記したのですから、不明瞭な部分があっても仕方ありません。 漫画などでは古事記を再現しているか、日本書紀の一部を使っているだけです。 日本書紀はとくにAというストーリー、Nというストーリーがあるという場合、どちらかを選択するかその部分を飛ばして、但し書きのような形式てAとN両方を記すということをしています。 漫画や現代訳にする際にこの補足部分を飛ばしてしまうと、途中経過が無くいきなり剣が出てくるということにもなります。 それに場面によって名前が変わると繋がりが判らなくなるので、最初から草薙剣としている書物も少なくありません。マトモな漫画や小説なら但し書きがしてあります。 なので最初は余りぶれることの無い古事記を学んだほうがいいかもしれません。 私はネットの口語訳を読みました。一応読んでから探そうと思ったのです。 その前は以前から家にあった主婦と生活社、那須浩監修の古典コミック「古事記」です。これはさらっと読んだだけです。 全体的な解釈を知るために使ったのは学研から出ている竹田恒泰著の現代語古事記です。これは私の疑問について一番納得できる答えを出してくれました。 でも書くほうも人それぞれなので、とりあえず図書館などで読んでみてからの方がいいかもしれません。

tax_sos
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 竹田恒泰さんは、明治天皇の玄孫で学者の人ですね。 この方は、聖書はホテルに完備されているのに、 古事記は置いていない。古事記も置くべきだという 人ですね。 アマゾンで確認しましたが、良さそうな本ですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

私の場合は 岩波書店の『日本古典文学大系,日本書紀(上・下)』 及び『日本思想体系,古事記』 を読み比べました。 書紀の方は,8世紀初頭,皇室権力の正当性を強調する為の,皇室中心の歴史書として編纂されました。その為,万世一系説を強調するものとも成っています。古事記と異なる点は,各地豪族に伝わる伝承も「一書(ある文)に曰く」という形で,複数の説を取り上げている点です。その点では,今日の科学的見地の芽生えをも感じさせます。 古事記は,終始,代表的な一つの筋書きとして纏められています。「語り部」とされる稗田阿礼の口誦する所を,太安万侶が文字に書き起こしたとされています。 この目的は,『三国志』に対する『三国史記』のように,国史を広める為に講談風に面白可笑しく纏めた物,今日で言う講談のネタ本のような役割を果たした物との説もあります。読み比べてみると,確かにそのようにも感じられます。 冒頭の書籍には,原文と読み下し文の外,読者の理解を助ける多数の注釈,補釈も採用記載されていますので,初心者の学習の手引き書にも成ります。 なお,草薙剣はアマテラスに献上されたものでは無く,鹿島神宮に納められた物であることが,書紀に記載されています。また,マンガから学べる物は限られています。

tax_sos
質問者

お礼

ありがとうございました。

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