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思ひきや識を作して

『結句は全く実際を描きたる也。然も思ひきや識を作して、間もなく 本願寺事件できせんとは。』 『思ひきや識を作して』は何の意味ですか。 また本願寺事件は東本願寺爆破事件を指しますか。 お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.2

この一連の質問は、原文の当該箇所を前後を含めてそのまま画像添付されるか、その都度PDFの当該箇所を指し示しておかないと、転記ミスや文脈不明によって、皆さんの回答を阻まざるを得ないきらいが生じるでしょう。 徳富猪一郎 著「支那漫遊記」民友社(大正7) 「(30)大谷光瑞氏」57頁(画齣数:76/341) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980813 『結句は全く実際を描きたる也。然(しか)も思ひきや讖(シン)を作(サク)して、間もなく本願寺事件出来(シュッタイ)せんとは。』 大正2年に瀬戸内海の療養のための航遊の途次にて大谷師と出会った際、師に対して口上で即席に詠み贈った七言絶句の結句は、大正6年の今にして思えば、あまりにもその実際を描いたものであったもので、しかして、この讖(シン)(=預言めいた文句)を作った直後、大正3年での本願寺事件(大谷家が抱えていた巨額の負債整理と、および教団の疑獄事件のための、法主辞任に至った事件)が公けになることになろうとは、いかにも思いもかけないことであったものだった。 >『思ひきや識を作して』は何の意味ですか。 前文に掲載されている七絶の結句「黒霧濃雲挟雨飛」(地上では一面真っ黒の霧がかかり、天上は陽光を遮る黒濃い雲がおおっている。しかもその中間帯では雨が飛び交っている)の表現が、そのままにして予言の表現を成したことになろうとはよもや思い至らないことであった。 >また本願寺事件は東本願寺爆破事件を指しますか。 違います。この大正3年での本願寺事件は浄土真宗本願寺派(=西本願寺)の上記説明の通り大正3年の疑獄事件を指します。 そもそもが、東本願寺に関わることとは教団が異なっています。 http://homepage2.nifty.com/hokusai/rekishi/kouzui.htm

kegebousi
質問者

お礼

とても詳しいです。これから前後を含めて質問するように気をつけます。 ありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

    結局の所はまったく実際を描いているのだ。しかも意外なことに(~と)顔見知りになって、まもなく本願寺事件が起ころうとは(誰が信じたであろうか)    思ひきや = 思ひ(文語「思ふ」ハ行4段動詞の連用形) + き(過去助動詞) + や(反語の助詞)     > 思っただろうか、誰も思わなかっただろう > 意外にも     識を作す > 顔見知りになる     手元に原文が無いので見当違いかも知れません。東本願寺爆破事件は1977年ですから。これを指しているかどうかは前後の関係で明らかになると思います。

kegebousi
質問者

お礼

だいたい分かりました。ありがとうございます。

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