文学作品を読む事について客観的に教えて下さい

このQ&Aのポイント
  • 文学作品を読むことの意義と効果について客観的に教えてください。
  • 文学作品を読むことで人間の様々な気持ちや痛みを理解し、優しくなれる反面、自己思考を放棄する傾向もあると感じます。
  • 文学作品の読者にとって、相手の思いやりはあるものの、相手の本当の心の裏に気付けないと思うことがあります。
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文学作品を読む事について客観的に教えて下さい

私の偏見かもしれない事です。  文学作品を沢山読んだ人は、  人の様々な気持ちや痛みを理解できて優しい反面、  解からない事が有るとすぐ自分で考えるのをやめて、  本(人の言葉)に頼りがちに感じます。 相手の事を思いやっているのに、 相手、時に夫婦の相手の本当の心の裏に気付けていない。 教えると途端に気付いて配慮し始められるのに。 そう感じてしまう事がありました。 この印象は、女性3人、20~60代からです。 文学作品をお読みになられます方。 私と同じ印象を持った経験は有りますでしょうか? 他にどんな印象をお持ちになった事がありますでしょうか? 否定、肯定、様々な視点のご感想を頂けますと幸いです。

noname#228046
noname#228046

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • deesmith
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.1

直接の回答には為りませんが、少なくとも私が文学(純文学)を読むのは、「観念の具象化」の為が、第一義です。ここで謂う観念とは、意識の中に捉え持つ心的形象の総称としての観念ですが、要するに日常的な事柄を含めて、我々(この場合は私限定としてもいいですが)が、心に浮かび、感じ、考える事どもをより具体的に、ひいては理念(理性で判断し得る最高の概念)に迄高める手だてとなるのが、文学、文学作品を読む事だと思っています。その意味からすると、他人の気持ちを理解し、配慮する心の礎としての文学作品を読む(仮にそういうものが有ったとして)立場とは、かけ離れているかも知れません。 凡そ文学を読む者の心の持ち様と言ってしまえばそれ迄ですが、「人が一人では生きてはいけない事があらゆる罪の温床」であるという、謂わば、この事等も文学により理念昇華されたと思っている私の様な者からすると、他者との関係概念が文学(こと純文学)としての位置付の上で重要とは思えません。 この事も、御質問の趣旨とは離れる事ではありますが。

noname#228046
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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    お読みいただき、誠にありがとうございます。 下記文面をみて頂いて 何をしているように感じられますでしょうか? 客観的評価、よろしくお願いします。 ここで何年も前の事で騒いでる、スパイと呼ばれている人と以前に同じ職場で働いていた者です。 人伝に特定掲示板で大暴れをしていると聞いて、覗いて見ました… 以前はこの人もこんな事をする人ではなかったように思えます。 人付き合いもよく、よく笑い、仕事もテキパキとこなしていました。 私はあまりお話しした事はありませんが、しっかりした人だなという印象はありました。 しかしその反面、時折見せる奇妙な行動に理解できない人も沢山いたように思えます。 会社のパソコンに執拗に触りたがったり、誰も居ない時に勝手に机の引き出しをあけてゴソゴソしていたり… この時は何か資料を探してるのかなと思ってましたが、こういう事だったんですね… この方はそれからすぐ、突然出社されなくなり辞めたという事でしたが。 もう人の物を欲しがったり、迷惑かけたりしないで欲しいと願うばかりです