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科学と疑似科学との線引き問題について

素朴な疑問です。 科学と疑似科学とを区別する目的は何でしょうか? Authenticな考え方を、できれば引用や出典付で教えて下さい。 繰り返しますが、「目的」を教えて下さい。

noname#192548
noname#192548
  • 科学
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  • Postizos
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回答No.5

1.疑似科学は効果の不明な商品の宣伝や権威付け、輿論の誘導に動機をおくものが多く、健康を害したり、人生を過ったり、誤った世論を形成しないように警告の意味で疑似科学を批判する立場が多い。つまり区別する目的は社会的な利益のためである。 (害が無いと思われる「非科学」は放置されるが、何らかの危険性が予測された場合は検証や証明をされる) 2.科学は真理や原理を探求研究するので研究と違った結論に対して疑似科学か科学かを問わず批判や検証を行う。つまり目的は科学の目的から。 3.科学的な興味や好奇心を満たすため。それ自体が研究。(2と関連) 4.科学者が自己顕示欲を満たす、威張りたい=権威主義的欲求を満たす目的 5.データーにアクセスしにくい立場の人間の直感的な反対意見に対して、研究機関や学者を持つ側が批判をかわす目的。 *4.5はネガティブな側面をあえて 何が本格的考え方かは私の一存では決められませんがカールセーガンあたりが主流的と認識されているのでは。 科学的懐疑主義団体の目的 ASIOS —— 「超常現象が好きなメンバーが集まり、真相を追究していく」ことを第一の目的としています  —— http://www.asios.org/asios.html skeptics.jp —— (教育性)『超自然現象』をナイーブに信奉する立場も独断的に否定する立場も理性的でないことを提示し、批判的な思考および科学的な研究の必要性を啓蒙する。 (社会性)『超自然現象』を利用または運用することによって、公序良俗に社会的損害を与え得る主張に対しては、これを究明および告発する。 —— http://www.skeptics.jp/kaisoku.html

noname#192548
質問者

お礼

>1. >つまり区別する目的は社会的な利益のためである。 疑似科学を批判する側から見ればなかなかhandyな正当化手段ですよね。 >4. >科学者が自己顕示欲を満たす、威張りたい こればかりは邪推になってしまいますが、心情的にはかなり同意です。 科学・疑似科学の線引き問題に関する不毛な議論を見ていて、 「何のために線を引くのかという目的を最初にはっきりさせないから、議論が不毛に終始するんじゃないかなあ…」と思いました。 議論している人たちは目的を自覚してるの? してないの? それが今回の質問の本当の意味です。 存在の目的がはっきりしないものは、それ自体の価値を判断することができません。 たとえば道具は人間が特定の目的を持って作るものなので、その価値を判断することが容易です。 ふつう「よいテレビ」と言えば、よく映るとか色がきれいとか故障しないとか、いずれにせよ番組視聴の目的に適うものであることは明白です。 中東の王族のように、インテリアとして使う目的でテレビを買う人にとっては、美しい装飾が施されているテレビがよいテレビになります。 一方、自然物は、人間がその存在目的を知り得ないので、価値を決めることができません。 単に「よい動物とは何か?」と言ったって、何のために動物が地球上に生まれたのかは誰も知らないのですから、「人それぞれ」という答えしか出てきません。 そこで、価値判断の目的を限定することにより、判断が可能になります。 「人間の食用によい動物とは何か?」といえば、答えはそこそこ決まってくるでしょう。 科学というものは人間がいつの間にかやっていたことであり、最初から一定の目的の下で行われてきた営為ではないという点で、道具よりは自然物に近いといえます。 したがって、単に「科学とは何か」と問うだけであれば、答えは出せません。 科学と科学でないものとを一義的に区別できないことは自明の理です。 しかし、「科学と科学でないものとをどうやって区別するか」という「議論」は、人間が最初から意図して行うものです。 その意味では、自然物より人工物に近いといえます。 したがって、その目的を何らかの形で確定させることは可能です。 「線引き問題を議論する目的は一律に決められない」などということはありえません。 線引き問題についての議論は、その気になれば目的を確定できるはずであり、また、目的を確定しなければ無意味であるはずのものです。 しかし、残念ながら、議論している人々は議論の目的を自覚しているように見えません。 だから、 >4.科学者が自己顕示欲を満たす、威張りたい という見方をされてしまうのではないかと思っています。 非科学的なものを攻撃している当人たちも、科学的・合理的・論理的な思考が全然できていないのですね。 疑似科学の攻撃者たちが、社会的な利益のために疑似科学を批判すると考えているならまだ救いがあります。 しかし、彼らが本当にそう考えているなら、なぜ経済学や社会学や心理学をもっと批判しないのでしょうか? 最初から何だか怪しいオカルト的言説より、もっともらしい大嘘を言うそれらの学問分野の方が危険です。 再現性のない事象を扱うそれらの学問分野は、厳密な意味では科学と呼べません。 経済学の学説は、確率・統計的な推測すらできない場合がたくさんあります。 心理学や社会学では、仮説を真実とすり替えてしまうことが日常茶飯事です。 そんなあやふやな学説に現実的に影響を受けている人々がどれだけたくさんいるでしょうか。考えれば恐ろしくなります。 それら諸分野は科学より一段劣ったものとしてはっきり位置づけ、全ての主張に「これは仮説にすぎない」という但書red herringの付与を義務づけるべきだと思います。 ソーカル&プリグモンは例の本の中で、インチキくさいポストモダンな学説を批判する目的を述べていますが、社会科学全般を攻撃する意図はない、なーんて甘っちょろい泣きを入れているのです。だから彼らはチンピラ扱いされて一時の流行で終わってしまったのではないでしょうか。 えっと、ここはどこ? ちょっとマジになっちゃいました(^^; No.5さん、ありがとうございました!(^-^)ノ

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  • 178-tall
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回答No.8

ANo.2 から。 >疑似科学を科学の枠内で捕らえると言うことは、アドホックな仮説の無責任な追加に他ならず、これによって科学の反証可能性が低下し、信頼性が揺らぎます。これを防止するために科学と疑似科学を弁別する必要があります。 「科学の反証可能性」をめぐる議論は、科学的理論と非科学的理論を区別する判断基準として「反証可能性」を提示した K・ポパーに始まるようです。 その動機は、占星術や精神分析など、反証テストを巧みに言い逃れるアド・ホックな理論を、自然科学から区別することにあったようです。 参照:『知の欺瞞』(A・ソーカル & J・ブリクモン / 岩波原題文庫) p.94~104 反発したのが「非合理論者」の側で、議論はその反論を巡って延々と続いた (ている?) ようです。    

noname#192548
質問者

お礼

>「科学の反証可能性」をめぐる議論は、科学的理論と非科学的理論を区別する判断基準として「反証可能性」を提示した K・ポパーに始まるようです。 わざわざ追加していただいてありがとうございます! 反証可能なものが科学であるというポパーの考えに反対する説もけっこうありますよね。 みんなそれを知らないのかなあ。 「科学とは反証可能性のあるものをいう」 なーんて言い切る人が多くて… 身体がムズムズしちゃいます! ポパーって、たとえばケンカしたことになってるウィトゲンシュタインと比べると、何というか、二流感が漂う人ですよね… 『推測と反駁』とか読むと、なーんかニブいなあこの人… とか思っちゃうんですよ(^^; ありがとうございました!(^-^)ノ

  • tadys
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回答No.7

目的なんか人それぞれです。 一律の答えを求めるなんていうのは間違えています。 科学と疑似科学の境目は人や目的によって異なるでしょう。 疑似科学に似た言葉に 偽科学、似非科学、異端科学、未科学、前科学などがありますね。 疑似科学はSFなどでよく出てきます。 例えば、超光速飛行、慣性を消去する事で超光速を可能にする。 その結果どの様な事が起きるのかをまじめに考慮する。 もし前提とした事が正しかったら、それは科学になります。 科学の場合でも始まりはあやふやなところから始まるのです。 偽科学はまじめな考慮はしないです。 例えば、「xxxを食べたら血圧が下がった」などです。 xxx以外で血圧が下がった可能性などを考慮しない。 似非科学はうわべだけ科学のふりをする。 言葉だけ科学的な事をちりばめ、因果関係などどうでもいい。 異端科学は、当時の科学常識とかけ離れたもの コペルニクスの地動説などが有ります。 未科学、前科学はほぼ同じもの こちらの方はいまだ科学的な研究方法が定まっていないもの 以上、私なりの分類です。 疑似科学、偽科学、似非科学にだまされると、往々にしてお金を損します。 場合によっては命まで無くします。

noname#192548
質問者

お礼

>目的なんか人それぞれです。 >一律の答えを求めるなんていうのは間違えています。 残念! 違うんだなこれが (* ̄ー ̄)"b" チッチッチ 科学の目的は一義的に決定できなくても 科学と疑似科学とを区別する*議論*の目的は決められるんです。 No.5さんへのお礼を参照して下さいね。 No.7さんは一生懸命回答してくれましたが 実はその一段上のレベルでのお話だったみたいですね。 次回はがんばって下さいね。 ありがとうございました!(^-^)ノ

回答No.6

戸田山和久著「科学的思考」のレッスン(NHK出版新書) の中では 『100%の真理と100%の虚偽の間のグレーな領域で、少しでもより良い仮説を求めていくのが科学という営み』と解説しています。 しかしながら『科学と疑似科学の間にすっぱり線を引くことはできない』ともいっています。

noname#192548
質問者

お礼

>『科学と疑似科学の間にすっぱり線を引くことはできない』 そりゃそうでしょうね。 No.5さんへのお礼に書いたとおりです。 ありがとうございました!(^-^)ノ

noname#175206
noname#175206
回答No.4

>科学と疑似科学とを区別する目的は何でしょうか?  明らかな疑似科学は有害だから。たとえば世界的なことなら以下のようなことがあった。 「ルイセンコ論争」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B3%E8%AB%96%E4%BA%89  このように世界的に死者を含む多数の深刻な被害者が出ることがある。  上記に比べれば規模も程度も小さいが以下のようなこともある。それでも小さなものではない。 「水からの伝言」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%80  特に、信じて、そして真相を知って傷ついた子どもは哀れだった。教えた大人ら、まるごと信じられなくなるわけだから。  医療が絡む事例だと、非常に深刻なことが起こりえる。詳細は述べない。 >Authenticな考え方を、できれば引用や出典付で教えて下さい。  そういうものはない。こういう方面では古典となった「奇妙な論理」(マーチン・ガードナー)でも述べていない。  そういう「Authenticな考え方」を求めるのは、科学について根本的に誤解がある。  科学と分類されている何か自体が個別事例の集合体。科学の定義があって、そこに向かって何かが構築されているわけではない。  ここまでが科学、そこからが非科学ということも言えない。科学とは何かが哲学で未だに問題にされている。知りたいなら、ご自身で調べて欲しい。  だから、その科学を騙る疑似科学が何かという定義もない。個別事例について、主張を事実を以って検証するしかない。それも人によって異なることも多い。  霊魂の存在を証明すること自体を疑似科学と思う人もいれば、手法さえ大丈夫なら科学と称して問題ないと思う人もいる。  その手法も個々人で考えていることが違う。あるケースについて、ある人は、再現できなければ科学と認めない。別の人は矛盾がなく事実を説明できていれば良しとする。それが、別のケースでは、言うことが正反対になったりもする。  もし私が何かを指して、「それは疑似科学だ」と主張するときは、私がルールブックになっている。他人が従う必要のないルールブックだけど。別に私もルールブックの正しさを説明したり、論証したりしない。お互いに徒労だから。  単に、個々の疑似科学事例が疑似科学であることを、その主張の内部矛盾、事実との相違、現在までに「ほぼ確実に検証済み」なことを説明もしくは反論できていないことを指摘するだけ。そして、「それは間違いだ」と言う。それを相手が認めなければ疑似科学に分類する。  相手からすれば、私が疑似科学に見えているのだろうけど。  しかし、明らかに間違っていない場合は、少なくとも私は批判しない。そういうことを仕出せば、新しい、突飛な、よく内容が分からない、新しい研究の芽を全部摘んでしまうことになりかねない。グレーなものは、白黒が明らかになるまでは、不用意なことは言えない。  ちなみに専門家はほとんど疑似科学批判をやらない。よほどに公共に害悪があれば別だけど。みんな、自分の研究で忙しいから。ごく一部の奇特な研究者が積極的に批判をしている。

noname#192548
質問者

お礼

>明らかな疑似科学は有害だから。 うーん、これは非論理的かもしれませんよ… だって、さして有害でもない説が攻撃されていますから。 「必要条件と十分条件」ということを勉強してみて下さいね!(^-^) >そういう「Authenticな考え方」を求めるのは、科学について根本的に誤解がある。 あ、authenticという言葉や考え方が難しかったでしょうか(^^; 今度からは初心者の方にもわかりやすく書くよう気をつけますね。 科学の様々な分野で、主流あるいは正統とされている説や理論がありますね。 そういうものを想定すればいいと思います。 >ここまでが科学、そこからが非科学ということも言えない。 あらら。No.4さんは質問の趣旨を取り違えちゃったかな? 科学と疑似科学とはどうやって区別すべきか?という話じゃなかったのですが…(^^;; そこから先、一生懸命回答していただきましたが、いろいろズレちゃって空回りしてしまいましたね。 No.4さんにはちょっと難しい話題だったかもしれません。 No.5さんへのお礼に詳しく書いておきましたので読んでみて下さいね。 今回は残念な回答になってしまいましたが、頑張って勉強すればいい回答者になれる可能性もあると思います。 これからも頑張って下さい。 ありがとうございました!(^-^)ノ

回答No.3

科学を唱える人の話を聞く人はよく考えます.場合によってはそれを信じず自分の考えを提出します.これは健全なことで,人間の思考力が鍛えられます. 一方,疑似科学を唱える人自身はそれなりに自分で考えているのですが,それを信じる人はあまり考えていないような気がします.ある意味カルト宗教に近いものがあります.つまり,疑似科学が広まるという現象は考えない人が増えるということなのです. 例えば,数式をみせるとほとんどの人は引きます.英文を見せると同様です.科学はそういう壁を乗り越えないと理解できないので,理解しようとする人は必死に努力します.こうやって人々の思考力は鍛えられるのです.ところが,疑似科学を唱える人は例え宇宙理論の話をするときも感覚的な言葉で分かりやすく感情に訴えることが多いです.相対論を否定する人の本をみてもほとんど数式は出てきません.こういう分かりやすい甘い言葉でこの複雑化した世の中を理解できるはずがないです. 疑似科学が主流になれば,人間は間違ったことを考えずに信じて行うようになり,挙句の果ては人類の絶滅にもつながるかも知れません.地球が温暖化しているか寒冷化しているかは科学的に面倒でも膨大なシミュレーションや観測データ,経済学などを駆使して議論すべきなのです.誰か教祖様がそう言ったからそうなるという単純なものではありません. 参考:池内了著「疑似科学入門」(岩波新書) ・非合理を安易に許容することで人間の考える力を失わせるのではないか. ・情報化時代になってかえって世の中が一様化している.情報を信じすぎて自分で考えない.

noname#192548
質問者

お礼

>疑似科学が主流になれば,人間は間違ったことを考えずに信じて行うようになり, たしかにそのとおりだと思います。 ただ、それが議論の目的かというと、どうでしょう? 若年人口が減ると困るからと考えて子供を作る人はいないように、 疑似科学を排斥しようとする人が大衆の思考力低下を心配しているとはどうも思えないのですが… でも根拠のないことを信じるのはいけませんよね!(`へ´) ありがとうございました!(^-^)ノ

  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.2

疑似科学を科学の枠内で捕らえると言うことは、アドホックな仮説の無責任な追加に他ならず、これによって科学の反証可能性が低下し、信頼性が揺らぎます。これを防止するために科学と疑似科学を弁別する必要があります。 科学と疑似科学の線引きに反証可能性がよく挙げられますが、テレンス・ハインズは証明責任の転嫁、検証への消極的態度などを追加しています。 反証主義についてはカール・ポパー、テレンス・ハインズの定義に付いては「ハインズ博士「超科学」をきる1/2」「ハインズ博士再び「超科学」をきる」(いずれも化学同人刊)のどこかに書いてあったと思います。

noname#192548
質問者

お礼

>これによって科学の反証可能性が低下し うーん… 反証可能性というのは 科学と疑似科学とを区別するためにポパーが考えたことですが 上記引用箇所ではそれが所与のように扱われていますね。 これは自己言及じゃないかなあ…。 だから、「科学の反証可能性を保つため」ということは 科学と疑似科学とを区別する目的にはなれないかも…。 自分のしっぽを飲み込むヘビみたくなっちゃいますよぅ(>_<;) ありがとうございました!(^-^)ノ

noname#192548
質問者

補足

>疑似科学を科学の枠内で捕らえると言うことは、アドホックな仮説の無責任な追加に他ならず、これによって科学の反証可能性が低下し、信頼性が揺らぎます。これを防止するために科学と疑似科学を弁別する必要があります。 上記について出典があれば教えて下さい。 多くの科学者がそう考えていることがわかる典拠でもけっこうです。

noname#194996
noname#194996
回答No.1

分類という人間の行いは、人間本来のやむない好奇心から来ているもので、学問自体に本質的な目的がないように、目的はないのです。 もちろんいろんな理屈はあとづけで付けられます。たとえば >科学と疑似科学とを区別する目的 も、最初からそのあたりを学ぼうとしている人には先人の考えが手引きになって手間が省け、どちらに向かうにせよ、より早く(一般に言われる)自身が予想し願っていた真理に近づくことができるだろうと思われます。ま、一般論です。もちろんその逆にそういった先入観が真理へ近づく邪魔をすると言った場合もあるとは思います。

noname#192548
質問者

お礼

>分類という人間の行いは、 >目的はないのです。 目的を持って行う分類もありますよ(^^;ゞ 視野を広げて、いろいろ考えてみて下さいね。 ありがとうございました!(^-^)ノ

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