- ベストアンサー
歴史
歴史学についてです。回答お願いします。 ドイツにおける一般兵役制、もしくは「武装せる国民」について、ナポレオン戦争からドイツ統一戦争期における変化 の、できれば「武装せる国民」について変化を教えてください!
- yangenakata
- お礼率70% (29/41)
- 歴史
- 回答数2
- ありがとう数0
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
http://researchmap.jp/read0134001/?lang=japanese この先生の本を読め ってことだと
その他の回答 (1)
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1977/11763)
そーゆーのはネットで調べよう
関連するQ&A
- トルストイの「戦争と平和」の歴史観
ナポレオン戦争を描いたトルストイの大河小説「戦争と平和」は、それまでになかったユニークな歴史観で貫かれたものだといわれます。 一体どこが、「戦争と平和」以前の歴史小説とは違ったところだったのでしょう? また、トルストイが提示した歴史観はいまでも通用するものなのですか?
- 締切済み
- 歴史
- 歴史の if を考える
ちょっとした齟齬・要因で、齎せられる結果が180度変わってしまった事例はそれこそ枚挙に暇が無いでしょう、だからこそ余計に歴史の if ・ 個人的な if を語る事はさして意味をなさない、その点は充分に承知しております。 つまり全ては座興という事で御容赦頂きたいのですが、例えばワーテルローの戦い ( 及びその後継続したであろう一連の戦争 ) でナポレオンが勝利しておれば、 その後の歴史は若干違ったものになったかも知れない。 欧州大陸に対するイギリスの影響力は一時的に後退したでしょうし、オーストリア・ハプスブルク家は再びフランスに擦り寄るその一方でロシアは孤立化、更には後年ドイツ統一の核となったプロイセンの軍事力も当時はさほどのものではありませんでしたから、欧州の勢力図がその後と随分違ったものになった可能性は否定出来ないでしょう。 まあグルーシーというさほど有能でない将軍に、別働隊の指揮を委ねねばならなかった台所事情からして、ナポレオンの命運が既に尽きていたという見方も出来ますが・・。 一方本邦の歴史であれば、御存知の通り関ヶ原・幕末辺りはその種の逸話の宝庫でして、個人的に色々と夢想してしまうのも事実。 さて冒頭で述べた通り、歴史の if を語る事はさほど意味をなさない、それでも尚皆様がどうしても考えてしまう歴史の if ( 個人的な if でも結構です ) があれば、お教え願いたいと思います。
- ベストアンサー
- アンケート
- ドイツとは…?(プロイセンとの違い)
歴史の教科書を読んでいると、ドイツという国が生まれたという記述なしに「ドイツ」という表記が出てきます。 たとえば、ナポレオンとの戦いに敗れたのがプロイセンだと書かれながらすぐ下で (ナポレオンとの)「戦争の敗北で自信を喪失したドイツ人に対して、哲学者フィモテは「ドイツ国民に告ぐ」という講演でドイツ人の愛国心情を鼓舞した。」(改訂版 詳説世界史研究、山川出版、2009年、P352) とあったり、いきなり「ドイツ統一運動」という言葉が出てきます。 世界史は苦手なので記憶違い、読み飛ばし等々あるかとは思いますが、ドイツとは一体いつできた国なのでしょうか? ドイツの正式名称はドイツ連邦共和国ですが、様々な民族の集合体をドイツというなら、そのドイツという概念はいつ生まれたのでしょうか?また、プロイセンの敗北がドイツ人の敗北とイコールになるのはなぜでしょうか? 下手な説明で申し訳ありませんが、ドイツとプロイセンの違いを説していただけたらと思います。
- ベストアンサー
- 歴史
- 西独・波蘭間の歴史認識と日中韓の歴史認識
統一日報のwebにある http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=57755&thread=01r05 ですが、この最後に金両基氏は 「西ドイツとポーランドが歴史認識を共有し、共生の未来を築いているのに、日中韓はその姿が見えないのだろうか。」 と述べております。 この「西ドイツとポーランドが歴史認識を共有し」とはどういう意味でしょうか? そもそも、西ドイツというからには現在のドイツは歴史認識を共有していないのでしょうか? ドイツあるいは西ドイツはポーランドに対して行ったことを悪として認識し、そのことをポーランドに表明しているのでしょうか? ポーランドにおけるユダヤ人虐殺に対するポーランド人の関わりについて、ドイツ・ポーランド政府はどのような統一見解を持っているのでしょうか? 西ドイツのアデナウアー首相は、1952年12月3日、連邦議会で 「私は連邦政府の名において宣言します。気高い軍の伝統の名において、地上や海上あるいは空で戦ったすべてのつわものを、われわれは是認する」 「ドイツ軍人の誉と偉大な功績は、過去数年の間に傷つけられはしたが、まだ生き続けており、さらに生き続けることを確信する」 なんてことを言っておりますが、このこともポーランドは同じ認識を持っているのでしょうか? 大戦の結果、元々はドイツの領土の一部をポーランドが支配することにになり、住んでいたドイツ人が土地を追われることなったことを、両国はどのような統一見解を持っているのでしょうか? カチンの森の事件について、西ドイツはソ連の顔色を伺わなければならなかった当時のポーランドと同じ見解だったのでしょうか? ドイツとポーランドにおいて、戦後処理について現在は見解において両国は何の齟齬もないのでしょうか? また、金両基氏は 「歴史的事実の確認がなければ歴史認識は生まれないことは周知の事実だが、歴史的事実よりも認識論がしばしば先行する。歩平氏は歴史観、歴史認識、そのベースにあるのが歴史の事実だと言い、現状では「歴史の事実の一致ですらむずかしい」、「歴史の事実を共有することは、両国(中日)の努力によって可能ではないか」と続けるが、日本側には通じない。」 といってますが、 中国人の趙宏偉氏がSAPIOの2005年1月19日2月2日合併号で 「韓国併合は、国際連盟が認めたから当時、国際法違反ではなかった。」 と発言しておりますが、 金両基氏は現在韓国政府が国際法違反とみなしていることが問題だと考えているのでしょうか? ノーと言える中国という書籍には 「中国人にとって、戦争は労働を意味し、また道徳的に自らを引き締めることをも意味する。たとえ国中が戦争の熱に浮かされている時でも、見識のある人が見れば、そこに利益を掠め取ろうという意図は微塵もないことが分かるだろう。 集団としての中国人の品位は、中国に帝国主義の起因となるもの、すなわち貪婪という悪徳を生じさせない。さらに言えば中国人は、対外戦争においてすらある種の一般的傾向、すなわち暴力的傾向に欠ける。正史に記された中国の戦争は、仁義あるものが"謹んで天罰を実行する"教訓の歴史である-私たちの父祖は、このような"戦争道徳"を私たちに注入した。」 と言う記述がありますが、韓国や金両基氏も同意見なのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 国民に正しい歴史を
ドイツでは戦争中に行った残虐な行為をどのように国民に教え、相手にどのように保証・謝罪などしているのか知りたいです。そういう面では日本はどうなのでしょう?他の国の事情も知りたいです。
- 締切済み
- その他(社会問題・時事)
- 三国同盟を結んでからの国民党への支援はなくなった?
日中戦争時にドイツが蒋介石の国民党を支援しており第2次上海事変は日本海軍陸戦隊僅か4千名が守る日本租界に対してドイツ式装備で重武装の蒋介石軍87師・88師の精鋭3万の大軍から突然攻撃されたりと、日中戦争では日本とナチスドイツは対立してましたが、その後に三国同盟を結んでからは、ナチスドイツの国民党への支援は完全になくなったのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史