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弘法大師(空海)と道教の知識に関して。

みなさま、初めまして。 下記のことに関しまして、ご教示願います。 1.空海は、三教指帰で道教のことを書いていますが、どの知識まであったのでしょうか。 2.また、空海が道教について触れていると言う事は、日本には道教が伝わらなかったというのが、通説みたいになっているかと思いますが、ひょっとしたら、日本人にはなじまなかったが、渡来人の集団や渡来人だけの村落ではある程度の、道教の信仰集団みたいな組織が形成されていた可能性はありますでしょうか。 形成されていたが、自然消滅みたいな感じになり、道教が残らなくなり、伝わらなかったという感じになるのでしょうか。 3.空海はどこで道教の知識を得たのでしょうか。 ご教示いただけますよう、お願いいたします。

  • 歴史
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  • TANUHACHI
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回答No.3

 早速のレスありがとうございます。僕の専門分野は歴史学ですので、前回の回答はその見地からのものでした。 僕の乏しい知識ですが、「道教」に関与する方々を中国では確か「方士」と読んでいたとの記憶があります。古くは秦朝の頃に始皇帝が自らの運命を占いに任せた際、法士に委ねたとの記載を何かで読んだ記憶もあります。それ以前の春秋戦国時代に端を発する様々な思想を儒家などの呼び方で呼んでいますが、その中に法士と呼ばれる一派がありました。このグループの中心は李斯と呼ばれる人物です。  この李斯は現在で言えば法務大臣と総務大臣そして警察庁長官やらといった統制に関わる職掌にありました。 そしてこの人物がやったことといえば有名な焚書坑儒です。儒家に連なる学者を穴埋めにし、儒教の書物を残らず焼き払いました。それほどに儒家は為政者にとって目障りな存在であったともいえます。そして問題の道鏡ですが、こちらは老子および荘子の流れを汲むグループです。一般にはタオイズムなどと呼ばれています。  このタオイズムにとっての聖典とも呼ぶ書物に『仙海教』もしくは『山海教』があります。あやしげな書物で古代中国の三皇五帝時代の伏義・神農・女媧などの記述がみられます。  儒家が「道徳」に力点をおけば、道家は「超自然的なるもの」に重点を置きます。いってみれば神仙思想の根幹をなすとのことになります。  空海が朝廷との関わり合いをもった切っ掛けが伯父の文学博士阿刀雄足ですので、道教との接点は何らかの形であった可能性も十分にあります。  ただ儒家の様な師弟関係を基盤とする思想集団とは少し性格が異なりますので、中世の門徒集団のような強固な組織があったかといえば、疑問の余地もあるところです。この辺は中国史に余り詳しくはないので申し訳ありません。教団組織との関係でみれば、日本の宗教史ではやはり一向門徒が代表的であり、その他は戦闘的仏教である日蓮教団です。他の宗門では禅の様に様々な分家があり、更に旧仏教に至っては比叡山と高野山のように所領をベースとする経済運営に基盤を置く形として世俗化していきますので、宗門とは少し距離を置いているのが実情です。無論、教典研究を蔑ろにしているはいいませんが。  空海が佐伯氏の出自であることに鑑みて、国立戒壇である東大寺の蔵書に何らかの接点を持っていたとも感じられます(これはあくまでも僕個人の印象ですので、気になさらないで下さい)

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 「道教」をどの様に規定するかとの問題にも関係しますが、日本に「道教的なるもの」が確実に姿を表すのは、陰陽五行を考究する天文道(てんもんどう)を扱う陰陽寮が律令によって設置される8世紀以後のことです。  それ以前にも聖徳太子伝説のような形でチラホラとその姿を見せてはいるものの、具体的に国家レベルのイデオロギーとして登場するのはこの8世紀であり、その後は神仏習合などを経て中世以後もしぶとく生き残っていきます。それが更に強まるのは平安時代です。この時代を境として「地獄」の考え方が登場します。  日本での国家的イデオロギーが仏教となる(王である天皇とその周辺部が勝手に解釈してそうなった。最も彼らは神主と変わらない性質を祭祀者として保持しているが)のが奈良時代であり、道教は神仙思想の形で日本にも導入されてます。  渡来系の人々は技術者として招聘されたのであって、その彼らが技術を実地研修の形で日本に定着させたのであれば、寝食を日本人と共にする機会があったと考えても不自然ではありません。ただその彼らが信奉する神が道教の神であるのかそれとも仏教の仏であるのかは判然としない問題も残ります。  日本人にとって道教というよりも馴染み深いのは閻魔大王であり、これは京都の六道珍皇寺、赤山禅院などに事例を見ることもできます。「六道珍皇寺」は小野篁が境内にある井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたとの伝説も残っています。他にも「鬼門」などの形で道教が占いの形で民間に残り、安倍晴明伝説や応仁の乱で知られる細川勝元が自らの政治生命をかけて道教の祭を行ったことも知られています。  「空海が道教について触れていると言う事は、日本には道教が伝わらなかったというのが、通説みたいになっている」これは逆ですね。空海が道教に触れているということは、日本に道教が信仰の形ではないにせよ何らかの形例えば陰陽道を司る天文博士のような職掌で導入されていたと考える方が自然ではないでしょうか。  質問2の見解が通説であるとの典拠をお示しいただければ調べ直して再度回答致しますが。

gametan
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 日本に伝わらなかったというのは、陰陽道は少なくても平安の後期の方だと思っており、そうなると、空海が三教指帰で書いていた時代には確かに陰陽道まではいかなくても、天文道の形で道教みたいなのは来ていたかもしれません。 しかし、道教の教団が成立したのが、三国志時代だとすると、空海が生まれる前の渡来人では、道教組織があってもいいとおもうのですが。 卑弥呼の鬼道→道教以前のシャーマニズムという説があるようですし。 陰陽道の成立は、空海以後だとおもうし。 (陰陽道は、道教の部分的であるが、道教とは違うと思うし) そうなると、日本に道教が正式な形では伝わっていないと思うのですが。 非公式な民間レベルでは、伝わった可能性がありますが、それでもおそらく部分的な感じだと思いますし。 道士が渡来して渡来人の村落等に居た可能性がないと思うのですが。 以上のことから、部分的には伝わっているが、組織的に伝わっていない限りは、道教が日本に伝わったとは言えないのでしょうか?。 回答者様ほど詳しい事は述べることはできません。 根拠というより、私の思っている感じだと思っていただければと思います。 何らかの形での知識だと、三教指帰で書いている道教の知識は、儒教や仏教よりも知識はなかったと言う事になりますでしょうか。 仏教は別にして、儒教はおそらく、空海が大学時代に学んでいた可能性がありますし。 まとまっていない文書で分かりにくくすみません。

回答No.1

空海は真言密教を会得した人ですから それは表には出ないと思います 道教は空海の弟子のごく一部にのみ秘伝として伝わっています 知識を得たとすれば 渡海した中国では?

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