• 締切済み

哲学は意味が無いという人への質問

私は幸福や死後に対する答えに近いものを提供してくれる学問はこれ以外にないと私は感じています。 どうして否定するのでしょうか? 前提として私は死や幸福を扱う哲学に対する否定者について文句を言っています。 ですからそれら以外の哲学を否定する人に関しては思うところはありませんし、私もそういう人達に近いです。 それからこれはお願いなのですが専門用語はできるだけ差し控えてもらいたいです。あまり哲学には詳しくないので

みんなの回答

  • abc2008
  • ベストアンサー率17% (7/41)
回答No.15

哲学というと何か難しく、ある限られた人たちが思索する学問のように思われがちですが、実は、さにあらずで本当は哲学こそが万人に必要不可欠なものなのです。なぜなら、それは生きていく上での基軸となるべく考え方だからです。それで哲学という言葉を分かりやすくいえば「根幹となる真実を学ぶ」ということなのですが、確かに我々はある程度のことは知っていて生活上不便はないでしょう。しかし、それらは極めて表層的なもので、人間にとっての根源的な苦悩である『生老病死』という四苦を克服するためには、ほとんど役には立っていないかと思われます。 そのような人間の持つ大元の苦悩を解決するためには、やはりそれに見合った的確な知識というものが絶対に必要なのです。それはちょうど飛行機が空を飛ぶことは分かっていても、それなりの知識がなければ航空機を操縦することができないように、生老病死という根源的な苦悩に対処するためには、それ相応の「真実を知る」ということが重要なのです。 例えば、死に対する苦悩については、生命についての真実『我々の本質である生命は永遠の存在である』というものや、生きて行く上での老いや病のような様々な苦悩に対しては、宿命についての真実『幸不幸を決めるのは他の誰でもなく、すべて自分自身である』とか、他にも宇宙についての真実『この宇宙自体が知性ある一つの大生命体である』等々です。これらはいわば生命哲学といってもよいでしょう。そしてこの生命哲学を知るか、知らないかでは、その人生においては天地雲泥の差となると言ってもよいのです。先哲の言葉に「天晴れぬれば、地明らかなるが如し」という言葉がありますが、まさに真実を知るということは、その言葉のように目の前の暗雲が払われて、一切を見渡せるような悠々たる境地へと変革して行くのです。 西洋のことわざに『自然から離れれば離れるほど、病気に近づく』というものがありますが、これを借りれば『哲学から離れれば離れるほど、苦悩は増す』となるかも知れません。ですから、本来、哲学こそが人生必須習得の教科書となるべきか思われます。

314h
質問者

お礼

肯定される方でしたら私と同じですし、大筋では何も言うことはありませんが一つだけ。。。 あなたは哲学から離れれば離れるほど苦悩は増すと述べていますがこれは逆だと思います。 結局人間の自然もしくは神に対する限界を思い知ってより深い苦悩に立たされると同時にそれより小さい深い喜びを獲得し、真理らしきものを発見しまた思索するという方が適切に感じます。(個人の認識次第かもしれませんが) しかしそれでも私が哲学を進める理由はそれが人間の尊厳だと感じるためです。パスカルの言うように人間の尊厳、道徳の根源(社会を真に成り立たすため等に必要なもの)は考えることにあると感じるためです。 ご回答ありがとうございました。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.14

>あなたが愛されている人に哲学が不要といったので... 一般的に考えて大きく哲学に貢献したり 深く哲学をし(納得のいく生き方が出来)た人は存在しますよね? 私の説明不足のせいもあって、論点があやふやでしたね。 例えばガンジーさん。 インドの民主的独立や、カースト制度廃止や宗教間のいざこざを治めようと 政治的な演説したり断食したり行進したりの目立つ行動は示しましたが、 肝心の貧困により自立できない人を産み出さない社会を構築するという 自存自衛のシステム(法や教育やインフラ整備)などを実現するに至れずこの世を去ってしまった。 無念であったと察するに、 それ以上に残念なのはガンジーの弟子達にまで民意の必要性が整えられてなかった。 一代きりの自由や平和への貢献でした。 インドは結局のところ独立を果たせましたが、 それはなんといっても多くの命がけで行動に出た戦士や奴隷と云われる人々のお陰であったと、 偉大なのは忘れ去られてなお自己満足を果たし世を恨んでいないような人ですね。 存在論が賛美するところは、与えられた名誉や評価如何ではなく、自らで裁いた自己満足。 幸福論以外の哲学は何時誰にとっても正しいとされるテーマを選ばなければ普遍的探求になりえない。 しかし、幸福論は人の数だけあって良し、 なのでこれが存在論、方法論としても現象学的にも如何にも可溶に難しいものですなあ。

314h
質問者

お礼

ガンジーのことはわかりましたがどの論点が違っているのかわかりません。 確かに幸福論は難しいものですね。 質問の意図と話が少しずれてきましたので、この補足に対するさらなる回答があってももしかしたら応答しない部分がありますが気にしないでください。 ご回答ありがとうございました。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.13

宗教にも経済にも興味がある方なのですね。 それはつまるところ「よりよく生きたい、幸せになりたい、安定した生活が欲しい」 なんかを追求したいからだと思いました。 誰でもそう願い日々の糧を得るよう努力していますよね。 哲学は「当たり前なことなど何一つとしてない」という態度です。 これについて今晩からじっくり書きますね。

314h
質問者

お礼

安定したと言うよりも自分の好きな仕事が就職の中ではないと考えているので、トレーダーを目指しているんですが底に至るまでの過程で興味を持った感じです。 私は人生に対する者よりも死後の問題が大きいですね。キリスト教を否定するか信じるに至れば私はこの世、もしくは来世に焦点を絞れるのですがね。。。 >哲学は「当たり前なことなど何一つとしてない」という態度です。 そういう態度なら理解しました。

  • arcorb
  • ベストアンサー率28% (35/122)
回答No.12

哲学と宗教の違いは何かと言いますと、それは「信じる」という言葉があるかないかです。哲学の場合は「信じる」というのを極力減らしつつ進んでいくのに対し、宗教の場合は「信じる」事がベースとなって進んでいきます。死後や幸福に対するお話は主に宗教の分野かと思いますし、それをミックスしてしまうと双方の存在意義がなくなるような気がします。わたしは哲学や宗教をルールのごとく扱うのは間違っていると思っています。なぜならばルール的な哲学感や宗教観というものは、ともすればわたしたちの、規制された人間の生をのた打ち回りながら生きている現状について、これをよしとし、正当化することを妨げる場合があるからです。わたしたちはこの規制された人間の生を主軸にすべきであって、哲学や宗教はすなわち道具程度に扱い、またはそれを使いこなすように扱うが正しい作法と思っています。

314h
質問者

お礼

>死後や幸福に対するお話は主に宗教の分野かと思いますし、それをミックスしてしまうと双方の存在意義がなくなるような気がします。 幸福についての功利主義の議論や、死後に間接的に関係する神に関する思索は主に宗教の分野だと言うんですか? 現実では歴史上の多くの人が宗教に頼らず神の存在証明に挑んでいるし、死後についてパスカルなどといった人が思索を残しています。それが最終的に宗教につながることはありますが。 ですから宗教の分野と決め付けるのは行き過ぎと思いませんか。 またパスカルなどは哲学と宗教を分けて述べ、それらの結論をあわせてパスカルの賭けといったものも残しています。 存在意義が両方にあり、それらがお互いに影響し合う事は疑いの余地がないように思います。 >正当化することを妨げる場合があるからです。 自分の哲学の結果や宗教が生きている現状の正当化を妨げるといいますが、そうして自分の信じている哲学や宗教から外すことはそもそもどちらかが間違っている証拠でしょう。 ルールは変わるものですし、考えを改めると機会として受け止めればいいのではありませんか? >哲学や宗教は道具程度に扱い これはつまり超全的なものだったり思索による論理から導き出されたものを人生の下、つまり人間の下に置くということですよね。 これは神や自然の摂理、もしくはその両方を人間という有限の手に収めることができるという傲慢な考え方に見えてしかたがないのですが。。。

回答No.11

私見ですが。 ちょっと物理から切り離しての返答です…(物理までとなると面倒なので) 広い意味で,死,幸福,自己,存在,時間,次元,空間,に近いもの(心)を探求していく… それが哲学に近いと思います。 死後,輪廻,転生,邪悪,悪魔,神(多神,一神),聖,運,運命,宿命など… は,神学,倫理,仙(占)術,等になると思います。 かなりの人が,哲学を誤解し理解しているように思います。 ま~,突き詰めれば全ての境界が完全ではなく,パラドックスに陥る人が多いようです。 そういう質問を,多く見ます。 要は,哲学の本当の意味を誤解(理解してない)しているか,思いこみの強い人か,IQが低いかだと思います。

314h
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

314h
質問者

補足

>要は,哲学の本当の意味を誤解(理解してない)しているか,思いこみの強い人か,IQが低いかだと思います。 これは私に対するものですか?それとも質問の死や幸福を否定する人たちに対するものですか? 多分私の質問の求めている結果に合うのは後者なので、そう受け止めますがもし間違っていたら、なにかしらまた書き込みをしていただけると助かります。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.10

天然ですねん。 自分さえ信じなてないと公言すると欺瞞に映るのも当然ですよね。 誰だって自分が好きでも嫌いでも、自分を監視して守ろうと勤めてくれるのは結局自分しかない。 けれども信じることが欺瞞を何重ねているのかというと、 可能性を否定してまわることだったり、すぐ鵜呑みして疑えない未熟さだったり、 捏造の背任逃れだったり、恩義背だったり、まだ一杯あるかも。 >>私が哲学好きなのは「自分さえ信じるに値しない」という哲学を始める前提があり >それは哲学のうちの懐疑論ですよね?哲学すべてみたいな言い方をされていたので一応質問します。 哲学に便宜上の理由以外で確定された理論も体系もはないから懐疑論ばかりなのですが、 逆がないと志向性を見いだせなかったり、 相対的観測やら信憑性の比較級で示せないものばかりになってしまう。 それよりか逆説がいい意味で皮肉とは違っても面白いです。 >あなたはキリスト教信者かつ哲学者で大きな実績を残した人を知らないのですか。 また、前提もなしに断定するのは行き過ぎに思います。 大きな業績を残した人は前提として、どうやって存在しうるのか。 社会の基盤を成しているのは先人が残してくれていたものや 多くの無名の人々からの協力と同意あってです。 そんな俗世間のことを知らずに育ち、 人に頼らずに偉業を成せた仙人のような方のことは私は知らない。 >あなたは自分自身ですら疑い、最後には死が待ち構えているというのに何に感謝できるんですか? 自分の誤りに気付けることも新鮮で感動ありますよ。 疑い続けてることで騙されたり裏切られることないかと探したりする。 権威を持った先生に会ったこともありませんし、 授業料を払って哲学の講義を受けたことないです。 けども哲学ボランティア?に演技力までも期待できません。 冴えない女を騙して自慢にもならないでしょうから寂しいぐらいです。 >社会規範には自分の確立された哲学にそぐわないことでない限り従う方が得策じゃないですか? 空気を読むとかは哲学とは異なったまた別の問題だと思うんですけどね。 社会規範は信じる対象になりますがほとんどが人間が作り上げたもの。神様の規範には現代にマッチしてない印象があります。 勝手な自己満足で回答しますけども、 それが存在論的に哲学の構築作業記録として意味重大なのです。 他でこんなのやってませんから、よそではぼちぼちやってます。 さらにお礼と回答者冥利な質問ありがたやです。

314h
質問者

お礼

文章に理解できない点がいくつかあるのでわかる範囲で答えます。 >自分さえ信じなてないと公言すると欺瞞に映るのも当然ですよね。 そこまでは思っていませんよ ただその発言と他の発言が矛盾しているように見えていることについて言っているのであって単独の発言について言っているのではありません。 >哲学に便宜上の理由以外で確定された理論も体系もはないから 便宜上じゃなくてこれは基本として考えていくべきだろうというものの上に成り立つのが形而上学でしょうし、それも立派な哲学の一派ですよね? 哲学をはじめる前提であり。と述べていた文章と矛盾しませんか?という意味での補足です。 >そんな俗世間のことを知らずに育ち、 人に頼らずに偉業を成せた仙人のような方のことは私は知らない。 そういうことを聞いているのではないですよ。私はこの質問ではあなたが愛されている人に哲学が不要といったので、そうではないキリスト教信者かつ一般的に考えて大きく哲学に貢献したり深く哲学をした人は存在しますよね?と言うことを提示したかったんです。(真のキリスト教信者は無限の愛を受けているため) そのように大きな功績の人の意味合いを厳密に図ろうという意図ではありません。 それにそこを突き詰めたら哲学上の立場の違いというだけでしかなくなってしまい、質問ともずれるので一般的、辞書的な意味合いで行きましょうよ。 >>あなたは自分自身ですら疑い、最後には死が待ち構えているというのに何に感謝できるんですか? この質問は不適切でした。申し訳ない。 私の感覚に基づく質問でした。 >社会規範は信じる対象になりますがほとんどが人間が作り上げたもの。神様の規範には現代にマッチしてない印象があります。 私はあなたが空気読みなさいと言われていると書いてあったので、そこからあまり大きなことではない、小さな事だと感じたので、それがあなたの神の規範とずれることはないんじゃないかと想像して書いたのですが違ってましたか? >それが存在論的に それとは一体何を指すんですか? ええ、こちらこそご回答ありがとうございました。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.9

哲学は幸福や死後の答えがあるかないかというと「あります」 それは、疑うのは否定者や確定された論理以外にも自分さえ疑うことをする。 神様が自分を疑ったりしないのなら、神様も信者ですよ。 信者なりに内心にある道理では人を幸せにしてやってるんだから 人気者や偉くなって「すごいすごい」言われたいとかね。 私が哲学好きなのは「自分さえ信じるに値しない」という哲学を始める前提があり、 終始守る鉄則があるせいです。 自分は信頼されていて尊敬されていて、しまいには愛されている。 と信じられる人に哲学は不要、とうか不向きです。 哲学を進めると発見や驚きや感動、感謝という拾得物が増えます! なので「変わってる」とか「空気読みなさい」とか 「幼稚園か!?」←先日職場で言われた…。 実際贅沢も出来ないし頭も悪いけど、それを指摘されても自分が不幸と感じないです。 哲学好きなりに、もっと自助努力が必要に思いますが(汗)

314h
質問者

お礼

いくつか文章としておかしいところや間違った風に思っているところがあるようですね。 >神様が自分を疑ったりしないのなら、神様も信者ですよ。 それは傲慢だと思いませんか?神は完全であって全知全能であるのです。人間は不完全だから疑い、理屈では不完全だから疑いそれでも信じるから信者どまりなんですよ。 >私が哲学好きなのは「自分さえ信じるに値しない」という哲学を始める前提があり それは哲学のうちの懐疑論ですよね?哲学すべてみたいな言い方をされていたので一応質問します。 >自分は信頼されていて尊敬されていて、しまいには愛されている。 と信じられる人に哲学は不要、とうか不向きです。 あなたはキリスト教信者かつ哲学者で大きな実績を残した人を知らないのですか。 また、前提もなしに断定するのは行き過ぎに思います。 >感謝という拾得物が増えます あなたは自分自身ですら疑い、最後には死が待ち構えているというのに何に感謝できるんですか? >それを指摘されても自分が不幸と感じないです。 社会規範には自分の確立された哲学にそぐわないことでない限り従う方が得策じゃないですか?空気を読むとかは哲学とは異なったまた別の問題だと思うんですけどね。 ご回答ありがとうございました。

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.8

「神」というものを前提とすれば、どのような理屈も可能になります。 そこがずるいという印象はもってしまいます。 しかし同時に、「神」の存在を否定することも論理的に考えればできません。 そうなれば、「神」の存在は不可知ということに落ち着くものだと思います。 しかし、執拗に否定するひとは「神」の存在を否定することも論理的にできないという点を納得していない。 または、「神」の存在を感情的に許容できないのではないかと思います。

314h
質問者

お礼

えっと、、、これはもう一つの並行して出した質問と間違えて回答されたんでしょうか? 一応もう一つの質問に対する回答だという前提で話しますね。 もちろんただの神なら否定出来ないでしょうが、聖書という人間でもある程度分かる形で表されているものがあるのだからそれを否定出来れば十分に否定できたといって良くないですか? そういう意味ではイスラム教はムハンマドが聖書基準にし、しかもそれは完全無欠であるといったにもかかわらず、それが聖書と矛盾することがわかって今はコーランは聖書よりも優れている(笑)と言われているそうです。 私はこういう批判を待っているんです。 (もちろん聖書が変わっているからという考えで今は成り立っているそうですが熱心なクリスチャンを渡ってきているのに細かい部分はともかく重要な部分が変わるとは思えない) 他の有名宗教は私の考えにおいてイスラム教と同じような原理で破綻していると考えているのであとは唯一キリスト教だけなんです! これの破綻さえ証明出来れば私は晴れて宗教から精神的に脱出することができるんです。 ですからなんとかキリスト教の矛盾の指摘をできるのであればお願いします。

回答No.7

哲学とは論理的思考の帰結する場所なんだから、文句を言うのではなく、論理的な反証を 挙げるべきですね。それができなければ、哲学不要と言っている者と大差ない。 但し、ここの哲学カテに常駐しているのは、自分が哲学的嗜好ができると 思い込んでいる狂人ばかりなので、アテにしない方がいいですよ。

314h
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

314h
質問者

補足

本来は反証を持って質問すべきなんでしょうが、私は意見が固まっているとは言い難いです。(話するうちに自己矛盾に陥ったり) ですからしっかり根拠のあるそういう批判者に意見を述べてもらってそれに対して反論するつもりでした。 それじゃ質問として不適切ですかね? 私も対して哲学的思考が出来ないけども、2chでやるよりましでしょうし現実では議論する相手いないので、、、 それにほとんどの回答が当てにならなくても1つでも気付かされる回答があればいいなと思って質問してます

  • compequal
  • ベストアンサー率42% (61/145)
回答No.6

 哲学を趣味の一つとしてからだいぶたちます。  あえて否定的なことを書いてみると、  むかし感じていたよりは、意味がうすく感じられてきています。  「哲学は意味がない」とまでは思っていませんが  「昔よりは意味がなくなってきた」と思っています。  理由はいくつかありますが、  哲学の固有の問題というものが昔よりも少なくなってきた印象があるからです。  まず、「どうしたらみんながもっと幸福だと感じることができるだろうか?」とか、「多くの人にとってよいこととはなんだろうか?」といった幸福をめぐる問いは、経済学の影響なしでは考えることが難しくなったように思います。経済学の考え方を用いたほうが、話がわかりやすくなるところがかなり増えてきました。※1  次に、「わたしとはなんだろうか?」「考えるとはなんだろうか?」といった、認識や自我に関する問いは、心理学とか、脳科学とかの影響なしでは考えることが難しくなりました。※2  もちろん、それでも、経済学でも心理学でも扱い切れない「幸福」にまつわる問題はまだまだ沢山ありますし、脳科学でも扱い切れない「わたしとはなんだろうか?」という問いも、沢山のこっているとは思っています。  哲学の「問い」自体の価値は、永遠に消えないとは思います。「死とは何だろうか?」「幸福とはなんだろうか?」「考えるとはどういうことだろうか?」。こういった問いの価値は残り続けるとおもいます。  しかし、哲学の「方法」の価値。たとえば、過去の哲学者の議論を整理していく哲学史家の人の仕事の影響力や、思弁的にものを考えていく方法の価値は、実験や計算といった他の分野の方法に、ゆっくりと負けてきているように思います。  なお、本文から省いた専門?用語は、一応、脚注に書いておきます。 ※1 専門用語とくに「功利主義」と呼ばれるような哲学の分野は、「厚生経済学」や「ゲーム理論」と呼ばれる分野の影響は甚大だったと思っています。アマルティア・センや、ジョン・ロールズといった20世紀後半の哲学者はこの二つの分野の関係を考えた人だと思います。 ※2 たとえば、ダニエル・デネットなどの哲学者は、認知科学の話をごりごりとしています。

314h
質問者

お礼

わざわざ説明を書いていただき恐縮ですが、そのぐらいのことであれば私も勉強させて頂きました。特に経済は純粋に好きですので。 確かに方法の価値は衰えてきているかもしれませんが、個人を対象とした幸福や死こそ哲学の最たる命題だと考えているので、むしろそちらの方面で新しい考え方が生み出されては発達していくのではないかと考えていますがどうなんでしょうね。 具体的な説明ありがとうございました。

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