中学・高校の国語の授業についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 中学・高校の国語の授業について疑問があります。教科書に載っている作品への長時間の授業は役立たないと思います。多くの文章を読み、定期テストで扱わなかった文章から出題すべきです。
  • 中学・高校の漢文の授業は必要でしょうか?古代の漢文を教えることに違和感がありますし、外国の文学を扱うこと自体も疑問です。
  • 大学入試センターの現代文の配点が少なすぎると思います。全体の半分では不十分で、せめて7割、140点くらいはあっても良いと考えます。
回答を見る
  • ベストアンサー

中学、高校の国語の授業についてです。

以下の疑問について、見解をお答え願います。 回答者さんの身分(教職員、塾講師、文科省関係者、保護者、一般の方etc..)もお書き下されば、幸いです。 (1)私の中学・高校時代は、教科書に載っている1つの作品につき、数週間から数か月かけて解説していました。定期テストでも同じ文章を出題して、設問までも授業に沿った内容でした。 しかしながら、高校・大学の入試では1度も読んだ事がない文章が出題される訳ですし、実社会においても全く新しい小説や論文に接する事になります。 したがって、1つの作品につき長時間の授業をしても、あまり役立たないでしょう。むしろ、1つの作品の授業時間は2~3時間にとどめて、とにかく多くの文章を授業で読み、定期テストにおいても授業で扱わなかった文章から出題すべきと考えますが、いかがでしょうか? (2)中学・高校で漢文の授業がありましたが、これは必要ですか? 現代文の中国語を教えないのに古代の漢文だけを教えるのはおかしいと思いますし、そもそも国語の授業で外国の文学を扱うこと自体に違和感があります。 (3)大学入試センターで、現代文の配点が全体の半分しかないのは、少なすぎませんか? せめて7割、140点くらいはあっても良いと思いますが・・・

noname#189769
noname#189769

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nebnab
  • ベストアンサー率34% (795/2317)
回答No.4

No3です。 さっそくお礼をいただき、恐縮です。 さて、そのお礼の内容についてコメントします。 >(1)について、個人的な意見として、高校で国語力を上げるのは、大学に受かるため、あるいは大学生や社会人となってから、高度な論文などを読むためではないでしょうか? 大学に受かるためかは別にして、高校で国語力をあげるのは将来難しい文章を読みこなせるためである、という点には私も同意します。 ただ、その訓練の方法としては数多くの文章を読むだけではなく、ひとつの文章を一字一句もゆるがせにすることなく熟読する訓練も重要と考えます。 多読は自力でもできますが、熟読は他の人の意見も聞きながら複数人でやるほうが私の経験上からいって効果があります。高校では国語の授業の時間がそれに一番適した時間でしょう。 関西トップクラスの進学校である灘高校には、かつて1つの作品を数ヶ月どころか3年かけて読むという国語教師がいらっしゃいました。 http://matome.naver.jp/odai/2130880487775942101 >授業を理解する事自体に、ほとんど意味はないと思います。 先生が言ったことを覚えてそのとおりに定期テストの答案に書くだけなら質問者様のおっしゃるようにほとんど意味がないと思いますが、授業の過程で個々の言葉についてじっくり考えた経験は将来きっと役に立ちます。 質問者様のうけられた現代国語の授業が生徒にも十分考えさせる授業であれば大いに意義があったと思うのですが、もし単に先生の解説をまる覚えしなさいという授業だったのであれば、質問者様のお気持ちもよく理解できます。 生徒にも十分考えさせる授業であるならばという条件付きで、1つの作品を数ヶ月もかけて学ぶ国語の授業は有効と私は思います。

noname#189769
質問者

お礼

再度、回答頂きありがとうございます。 進学校でも長期間読む先生がいるのですね。 私の受けたテストですか。授業の丸写しに近い問題も少なくありませんでした。

その他の回答 (4)

  • Ae610
  • ベストアンサー率25% (385/1500)
回答No.5

# 身分・・・とうの昔に学校教育を終えているその他大勢の一般人の中の一人である盆暗爺・・・! 1. 受験勉強と割り切って考えるならば、多作観賞は或る意味必要のようにも思われる・・・! ・・・が、当方の考えは、自分で興味を覚えた物事について、自分で選んだ一冊の書物と徹底的に向き合う事の方が後々得られる物が多いように思う! (ANo.4で紹介されている橋本武先生の流儀を支持する・・!) 2. 一党独裁支配の続く現中国から得られるものは何一つ無い・・!! 日本は、「随」(・・・?)から始まる古き良き中華民国から学んできた物が多くを占めていると思っている! ・・・なので、<現代文の中国語を教えないのに古代の漢文だけを教えるのはおかしい> ・・・の考えは相容れない・・! 必要かどうかは置いといて・・・、(個人的には「漢文」には興味があるので!)無くしてしまう事までしなくても良いのではと思ったりする・・! 3. (配点等の・・・)受験内容に関する事については無知であるため・・・・パス!!

noname#189769
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • nebnab
  • ベストアンサー率34% (795/2317)
回答No.3

日本語に大いに興味のある一般人です。 (1) No2さんの意見に、1-1、1-2については全面的に同意します。 1-3について。 >定期テストでも同じ文章を出題して、設問までも授業に沿った内容でした。 >定期テストにおいても授業で扱わなかった文章から出題すべきと考えます 定期テストは授業の理解度を測るものですから、授業で扱った文章を授業に沿った内容で出題するのは当然の事だと思います。 入試対策は定期テストとは別に、問題集を解くなり模擬テストを受けるなりすればいいのです。 中学・高校は高校・大学の入試予備校ではないのです(これは建前に過ぎないのかもしれませんが)。 (2) 漢文は日本の古典なので、漢文の授業は必要と考えます。 中学・高校で習う作品は古代中国(漢~唐)の作品がほとんどだと思いますが、これは昔の日本の教養ある階級の人々にとっては知っていて当然の作品でした。 古代東アジアにおいては中国語が教養階級の共通語であり、中国で書かれた文学作品を知っているのは当然のことだったからです。 また、中学・高校では個別の作品はあまり習わないと思いますが、日本人も多くの漢文作品を作っています。 昔は公文書も漢文で書かれました。 漢文の知識がないと、日本人が書いた漢文作品も読めません。 現代は残念ながら古典があまり顧みられない時代になってしまいましたが、古典の読み方のさわりくらいは学校で学んでおくべきと思います。 (3) 大学側の要求として、古文・漢文もしっかり勉強しておけということではないでしょうか。

noname#189769
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 (1)について、個人的な意見として、高校で国語力を上げるのは、大学に受かるため、あるいは大学生や社会人となってから、高度な論文などを読むためではないでしょうか? 授業を理解する事自体に、ほとんど意味はないと思います。 ただ、他の方もおっしゃっていますが、学生の学ぼうとする意欲度を問うためであれば、現在の定期テストにも意味はあると思います。

回答No.2

暇な一般人です。 (1-1)1つの作品につき長時間の授業をしても、あまり役立たないでしょう。 そうは思いません。授業の内容が濃ければ、1つの作品をじっくりやっても、多数の作品を取り上げても同じだと思います。授業が表面的ならば、どちらもあまり効果はないでしょう。多数の作品を取り上げた場合、授業の進め方や生徒の状態によっては、ただ目先が変わっただけでまったく実質的な学習にならないことがしばしばあるそうです。国語も無意味な暗記物ではなくて、理解や思考を深めることを目的にしているなら、授業内容は濃くないとならないでしょう。一つの作品を取り上げる長時間かけても、表面面を追うこともあると思いますが、個々の意味や表現、全体の構成、関連する事項などを取り上げていくのであれば、文章の理解には多数の知識があることが大事なこと、表現を表面だけで理解しないことなどが自然に身につく可能性もあると思います。 (1-2)とにかく多くの文章を授業で読み それが良い場合もあると思います。ですが、それはある程度しっかり作品を読む力を持っている人について言えるだけです。作品の理解や文章理解があまりできない人の場合、同じ100時間を使っても、「1作品を読んで説明してもらい次の作品に移る」ことを繰り返すと、100時間がほとんど無意味になることは多いように思います。 (1-3)定期テストにおいても授業で扱わなかった文章から出題すべきと考えます 私もその方が良いことが多いように思います。ただし、「定期テストでも同じ文章を出題して、設問までも授業に沿った内容にする」ことがダメということもないと思います。1つの作品を長時間かけたということは、多くの説明を、多方面からしているのであれば、30人の生徒がちゃんと授業を聞き、理解するように仕向けるのは大変です。10人くらいの生徒は、途中でまだ不十分な理解しかできていないにもかかわらず、その作品はわかったつもりになって、もう興味を失い学習意欲を失い、授業を聞かない状態になる危険があります。そうした生徒でも最後まで授業内容を聞いているだけは聞いていて、授業内容だけでも一時的にでも記憶して欲しいと先生が思ったのであれば、テストはひねった問題でなく、授業で説明したままを出すかもしれません。十分に作品理解できる生徒には、あえてテストで何かを採点しなければなならないこともないでしょう。(入試の選抜試験ではないから)十分に作品理解ができる力がついている生徒には校内試験をする必要もないと先生は考えているのかもしれません。   (2)中学・高校で漢文の授業がありましたが、これは必要ですか? 難しい質問です。私は老人です。私が高校生の頃、大人の知識人は漢文、漢詩の知識もたくさん持っていて、日常会話にもしばしばでて来ました。文学作品を読もうとしたとき(多くの作品は、明治や大正、昭和の作家です)漢文漢詩の知識なしには、理解が難しいことがたくさんありました。今後、2020年とかになった場合、日常会話で大人が漢文漢詩を引用することは多くなさそうに思います。文芸作品でも、平成の作品でそういうものがないとわからないものは急激に減っています。もちろん、漢文、漢詩の知識があった方が良いでしょうが、現代風俗や、科学、国際事情、社会的話題などを理解する力と、どちらをより優先するか、そのバランスはどうかだと思います。なお、国語が日常会話や新聞、テレビの理解力だけでなく、50年以上前の日本の文芸作品の理解もできる力の獲得を目指すのであれば、日本では漢文や漢詩の知識はある程度必要ですから、学校でこうした授業があるのもわかります。また、おそらく国語の授業で、外国作品の翻訳文を取り上げることもあるのではないですか。漢文や漢詩は、もとは中国語ですが、日本ではそのままの形で昔から読んだり書いたりしています。中国語の発音ではなくて、書き下しの形で読むように習うことが多いと思いますが、それが昔からの「日本の慣習であり日本の知識、日本の文学的理解の源」だからだと思います。   (3)学入試センターで、現代文の配点が全体の半分しかないのは、少なすぎませんか? 私には、まったくコメントできません。英語の配点が多いのでしょうか? もしそうであれば、大学で学ぶ学生を選抜するという目的からしたとき、現代文は受験生はある程度できて当然なら、現代文のテストには重きを置かないのではないでしょうか。英語は中高で学校の勉強をまじめにしたのかどうかを判定するときに役立つテストと大学が思うのであれば、大学で熱心に勉強する学生を選びたいという立場から、英語に重きを置くのかもしれません。 自動車免許のテストでは英語は軽視されます。国語も極く簡単な理解ができれば、運転免許では問題ないと見るようです。テストというのは、運転免許、資格取得、大学入試、就職試験など、そのテストのネライで、試験内容も配点も変わるのだと思います。

noname#189769
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 (1)について、1つの作品に多くの時間を割くことが良いという意見もあるでしょうし、それなりの理由もあるでしょう。 しかし、私は同意できませんが・・ (3)について、確かにまじめに勉強してきた学生を選抜する目的で、試験を行うというのは納得できます。

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (638/1650)
回答No.1

一般人の国語好きのおっさんです。 (1)について  全面的に賛成 (2)について  国語という教科の守備範囲を考えれば、漢文は国語科に含まれるでしょう。日本の書き言葉は漢文から始まり、漢詩は日本の文芸に大きな影響を与えましたから。古典の一部と考えられます。時間数の割合は多くなくていいかもしれませんが。  現代中国語は外国語であって、国語の守備範囲外です。しかし外国文学の訳文は翻訳文学というジャンルでもあり、日本で出版されている書籍であるなら守備範囲内です。  まあ大学入試のためだけに学習する高校生にとって、という話ならば、漢文など邪魔者かもしれませんが。 (3)について  それをここで議論しても制度も配点も変わらないので、意見は控えます。  感想としては、(2)の観点から、現代文4、古文2、文法など知識的な問題2、小論文1、漢文1くらいの割合ならいいのになあ、と思いますが。ありゃ、センター試験に小論文は出せないのか。

noname#189769
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 確かに、古代の漢文日本語の現代文や古文に大きく影響を与えていますね。

関連するQ&A

  • 高校の国語の授業

    よく数学や理科については「社会に出ても使わない」とか「勉強しなきゃいけない意味がわからん」とかという話を聞きますよね。 でも、私がいちばん疑問だったのは国語の授業、特に現代文でした。小説を朗読して、登場人物の心理の変化をまとめる。作者でもない国語の教師が主人公の心情について説明し、正解を決める。評論文を段落分けして(これにも正解がある)、指示語の指す内容を答えさせる……。こんなことして何の役に立つんだろうって思いながら授業を受けていました。 大学入試対策以外で高校の国語の授業は何かの役に立つのでしょうか?

  • センター入試の国語

    私立のセンター入試利用受験をしようと思っています。 その私立は近代以降の文章のみで古典、漢文は課さない ということなのですが、 これはテストを受けるとき、古文と漢文はやらずに 現代文だけを時間いっぱいやってしまって良いと言うことなのでしょうか? なんだかバカみたいな質問ですがよろしくお願いします。

  • 高校入試の国語と英語の出題範囲

    高校入試の数学で、積分を出題するのは反則です。積分は高校数学のカリキュラムであり、中学数学の習熟を計ろうとする高校入試の出題範囲外です。円周角の定理を用いた証明問題より、放物線と直線で囲まれた部分の面積を求める方が機械的でかつ簡単だったりしますが、それでも積分は反則です。 では、高校入試の英語や国語の出題に、反則はありますか?出題範囲内か出題範囲外かを判断する境界線はありますか? 例えば現代国語の長文問題だと、高校入試にふさわしい文章だったり、大学入試にふさわしい文章だったり、区分があったり性格が違ったりしますでしょうか?英語だと、ボキャブラリなどでザックリ区分できそうな気はします。しかし、難関高校の入試と偏差値低い大学の入試なら、どっちに相応しいのか、境界線が曖昧な感じがします。 ある高校入試の国語で難しい表現が出題されれば、「これはセンター試験レベルだよ。義務教育を終えたばかりの生徒に、こんな難しい表現を要求するなんてキツいよ。」みたいなクレームを誰かが言いませんか?逆に、センター試験で新美南吉のごんぎつねを出題すると、「大学入試に童話を出題するとは悪ふざけだ」みたいなクレームを誰かが言いませんか?ごんぎつねだと表現が簡単すぎて、高校教育の成果を試すにはズレた出題になりますか?ごんぎつねでも、大学入試レベルまで設問を難しく出来るんじゃないかな?

  • 国語と現代文って何が違いますか??

    中学入試、高校入試?まで?の国語と 大学入試以降?の現代文は 何が違いますか?? 社会人なんですが、文章読解力がないので、適当なテキストを購入して 勉強しなおそうと思っているのですが、どれを選んだらいいか検討もつきません。 池袋のジュンク堂とかにいっていろいろ見て買ったほうがいいですかね? 現代文と国語の違いすらよくわかりません。

  • 中学・高校の国語科(現代文)教育は小説・物語などの文学作品に偏りすぎて

    中学・高校の国語科(現代文)教育は小説・物語などの文学作品に偏りすぎているのではないでしょうか? 大学受験の話に持っていくつもりはありませんが、 大学受験では、国語の現代文の問題で、小説文の問題はセンター試験や一部大学を除き 主要私立大学ではほとんど出ません。なぜ小説の問題は出題されにくいかというと 文章中の行と行の間の心情を読み取る行間を問題にするとどうしても主観的な要素が あるので解答しにくい、また出題者も文章中に明確な解答の根拠があるものでないと 批判される恐れがあるのでやりにくいというのを先生から聞いたことがあります。 また学校の現代文教育はどちらかというと物語などの名作に触れて生徒の感性を高めることに 力が配分されているのではないでしょうか? 前置きとして私の個人的な主観的な印象なので事実誤認があるかもしれませんが 自分の経験では、現代文の教科書は夏目漱石や芥川龍之介など著名な文筆家の文学作品をはじめ 最近の気鋭の作家の作品を授業で多く学んだ印象があります。 もちろん小説や物語も話として購読することは楽しく感じました。 ただ、外山滋比古などの小難しい評論文の作品はそれらの小説作品に比べて 教科書のなかで扱ってる数が少ない印象でした。 これらの難解で抽象的な内容の評論文を読みとくことで論理的な文章理解や思考が できるとされており文章に根拠があるので大学受験の現代文も評論文が主流ですよね。 自分が大学に入って感じたのは法律などの抽象的で難解な文章を読むことが結構 多いので、高校のときにもっと評論文などの論理性の高い文章に触れておいたほうが 事前の訓練としてよかったのではないかと思いました。 社会に出てから、上記の論理的な文章の読解力とともに、意見を述べてディスカッションして まとめて、問題解決を図る能力や 明瞭かつ論理的な文章を書ける能力も必要と感じました。 高校のときも、現代文の授業で一応申し訳程度に文章作法の単元もありましたが、 特別なコラムみたいな内容としてほんのちょっとしか扱われてませんでした。 中学高校の現代文教育は、全体的なカリキュラムを小説や物語に偏りすぎず、評論文の論理的読解力養成や 議論する能力や、文章作成能力の養成にもっと力の配分を傾けるべきではないのか?と思います。 いまの現代は文系理系問わず、ディベート力や文章作成力、コミニュケーション能力に関する 人気の本もよく出版されておりこれらの能力の必要性がよく話題にされています。 もちろん個々人の努力で身に付けるべきだというのは言うまでもないですが 教育のなかでもこれらの分野も強調して指導すべきではないでしょうか。 時代のニーズに現代文教育も合わせるべきではないでしょうか?

  • 学校の定期テストと大学入試の国語について

    学校の定期テストでは教科書の文章の問題が出題されますが、センター試験で高得点する力があればその定期テストでも高得点できるのですか? 高1の何も知らない自分が言うんですが定期テストの問題(特に古文漢文)を見るとどう考えても1回問題を見て訳などを知らないとうまく解けないような気がします。 どうなんでしょうか? 逆に言うと大学入試レベルの国語の基礎知識がしっかりついていれば定期テストの勉強をしなくても取れるんでしょうか?

  • センター国語

    私は理系だったので 国語を全く授業をうけて いませんでした。 現代文は得意なので 7-8割ほどとれるのですが 漢文 古典が全くできません。 もう時間もないので今更ですが センター国語では古典 漢文は なにをやっておけば いいでしょうか? かなり焦っています。 お願いします。

  • 高校現代国語について

    現代国語について こんにちわ。 現代文に伸び悩んでいます・・・TT そこで現代文の解き方でいくつか質問です。 ●僕は現在 ひと通り読んでから、問題に向かっているのですが、これは正しいのでしょうか?  読みながら説いた方がよろしいのでしょうか。(初っ端から傍線部がある問題は除きます) ●僕が文章を読むときにすることは、接続詞に<>をつけるだけなのですが、これで大丈夫でしょうか? ●漢文と古文のオススメ問題集を教えてください 現代文ではないですね・・・^^; スイマセン お願いします

  • レジュメで授業する大学(法学部)の授業。僕は中学、

    レジュメで授業する大学(法学部)の授業。僕は中学、高校と問題集を何度も解くことで得点し、大学まできました。しかし大学では問題集は配られず、レジュメを配って授業をし、定期テスト、小テストはそのレジュメから出題する。という形式です。 レジュメは2通り読みましたが、問題集を間違えなくなるまで解くというのが僕には合っていると感じました。(自分が本当に覚えているか確認したい) そこで法学系のおすすめの参考書を教えていただきたいです。特に民法入門の問題集ないですかね? ちなみに、緑ペンで覚えたい箇所を塗って赤シートという方法以外でお願いします。汚くなるし、ある程度時間が経つと、赤シートで隠しても見えるようになるので

  • 大学入試の国語の出題範囲

    大学入試の国語の出題範囲 東京書籍の高校用教科書を個人で購入予定です。 大学入試はセンター試験も個別試験も受験します。 大学の募集要項に出題範囲「国総現文古典」とある場合、どの教科書に取り組むのが一般的でしょうか? 東京書籍の教科書は、『新編国語総合』『国語総合(現代文編)』『国語総合(古典編)』『現代文I』『現代文II』『古典(古文編)』『古典(漢文編)』などがあります。