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「定説」とされる理由は?

orimotoの回答

  • orimoto
  • ベストアンサー率32% (130/406)
回答No.7

【お礼へのお応え】 >・権威ある団体(公式な学会など)で「定説」が“A”であるとされ、 >・民間の研究者(アマチュア研究家など)の間では「定説」が“B”であるとされ、 >・前者より後者の方が信奉する人数が圧倒的に多い、 というような場合、世間一般で通用する「定説」はどちらになるのでしょうか 1)AもBも「世間一般」に普及してなければ、「世間一般の定説」とはなりません。それぞれの研究者仲間内での定説にすぎません。 2)しかし通常はAがどんどん実証され、「世間一般」に喧伝されて浸透していきますから、Aが「世間一般の定説」となっていきます。 3)一方Bを誰かが実証し、それを「世間一般」が信じるようになったら、こんどはBがニュー・パラダイムとして、それが世間一般の定説となります。それでもAを信じる人とBを信じる人と両方いれば、AもBも「世間一般の定説」にはなりません。 つまり定説とは信じるか信じないかの問題で、「真理」とは別ものです。定説必ずしも真理ならずです。

nakrian
質問者

お礼

回答有難うございました。 頂きました回答を読ませて頂いて、(本件とは直接関係ないのですが)エイズウィルスの最初の発見者は誰かという問題があったことを思い出しました。 あの時には人類に貢献するはずだった学問が功名争いのネタにされて、ひどくがっかりした記憶があります。 すべての学問がそうだとは言いませんが、学問には「信じるか信じないかの問題」という以上に、「信じさせられるか信じさせられないかの問題」という問題をはらんでいる気がして、真理の追究の最先端にいる人たちは心してかからなければならない問題であることを再認識しました。

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