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切腹って首を切る事を言うのでしょうか?

「介錯」と言う言葉について調べていたのですが http://www.weblio.jp/content/%E4%BB%8B%E9%8C%AF を見ると、(2)に 「切腹をする人のそばにいて、その首を斬ること。また、その人。」 とかかれています。 「切腹」はお腹を切る事だと思っていたのですが 首を切る事を言うのでしょうか? 首を切る事は斬首だと思っていました。

noname#150498
noname#150498
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回答No.13

こんばんは! 画像も添付しています。 文章に合わせてその状況を理解しながら読み勧めてください。 >『切腹って首を切る事を言うのでしょうか?』 >「介錯」と言う言葉について調べていたのですが >http://www.weblio.jp/content/%E4%BB%8B%E9%8C%AF >を見ると、(2)に >「切腹をする人のそばにいて、その首を斬ること。また、その人。」 >とかかれています。 >「切腹」はお腹を切る事だと思っていたのですが >首を切る事を言うのでしょうか? >首を切る事は斬首だと思っていました。 『介錯』とは、切腹刑を言い渡された者や自発的に切腹する者が、 切腹の場で即死するために、首を切り落とす事です。 その介錯役を行う者を『介錯人』と呼びます。 『斬首』とは、「首を刀などで切り落とす刑罰」の事で、 日本国内では明治十四年七月二十四日まで、刑法で最後の斬首の刑が執行されています。 その翌日の二十五日から刑法改正が施行され「残虐な斬首の刑は禁止」されています。 それ以降は刑法による死刑執行の規定に斬首刑は存在していません。 現在の死刑執行方法は、唯一の方法として『絞首刑』が規定されています。 この「絞首刑」に関しては、私が下記回答で説明しています。ぜひ参照してください。 「教えてGoo」の質問『心臓が止まってから何時間で脳は?』 アドレス:http://okwave.jp/qa/q7246320.html 以下は、回答者の蔵書から 『拷問刑罰史』著者:名和弓雄 発行:昭和43年2月20日 第十二章【切腹】 『切腹の作法』の、 ご質問に関連する「武士の切腹の作法」に関する部分を引用転載します。 文章は基本的に、記述どおりの文字表現で行っていますが、 【説明文転載】は、別項で説明されている部分を読者の理解のために転載しています。 四種の斬首刑(ざんしゅけい)、すなわち、死罪・下手人・斬罪・切腹のうち、 斬罪と切腹は士人(侍)に与えられる刑罰である。 【説明文転載】 「死罪」「下手人」は、平民(農工商)に与えられた斬首刑。 「死罪」には、付加刑は無い。 「下手人」には、 付加刑として「闕所:けっしょ」と言う、本人の財産を幕府が没収する刑。 「斬罪」「切腹」は、士分(侍)以上の者に与えられた斬首刑である。 僧侶の場合は、「死罪」大寺の和尚の場合は「斬罪」に処された。 ―中略― 情状酌量の上、士分の面目を与えて死なせてやろう言う場合は、切腹の刑を与える。 罪状の程度から見ると、切腹は軽く斬罪は重い罪である。 たとえそれが形式だけの切腹であろうとも、 切腹こそが武士が斬首の恥辱から免れる唯一の方法であった。 ―中略― 切腹の作法は種々の説があり、たとえば切腹人のすわる畳にしても、 二枚(縁取りの無い物ともいう)を敷くのが定説ではあるが、 天和二年、中川三郎左衛門の切腹には三枚を敷いているし、 寛政三年、朝比奈弥治郎の切腹には八枚敷くと記録してある。 本書では、最も多く用いられたと推定される定説二とおりと、 伊勢貞丈の「兇礼式」を参考にあげる事とする。 まず身分ある者の場合、または、屋敷預けの者の場合の切腹作法をのべてみよう。 切腹は庭で行うのが正式である。 ―中略― 縁側の下の小石を敷いた所(犬走り)に検視に従って来た同心二名、左右にうずくまる。 やがて徒士目付(かちめつけ)が「切腹人差し出し候え」と呼ばわると、 取次ぎ役の侍が、同様に呼ぶ。 声に応じて控えていた介錯人が無紋の着物に上下(かみしも)をつけ、 袴(はかま)の股立(ももだ)ちをとり、脇差(小刀)を帯びず、 右手に大刀を提げて白幕の間、食い違いの所から切腹席に入ってくる。 続いて介添人が幕内に入り、いずれも検視の方に一礼し、 介添人は介錯人の座る座席の筋違いの位置に立ち、介添人は介錯人の側面にうずくまる。 介錯人と介添人の位置が決まると、切腹人が「まげ」を後方に折り曲げ、 襟(えり)の後ろを幅狭く縫い縮めた白衣に、水色無紋の上下をつけ、 後幕食違いの所から入って、設けの席に付き検視に一礼する。 介錯人は自分の性を名乗って切腹人に丁寧に挨拶を交わし、 ついで切腹人は足軽の捧げる水を飲み、 上下(かみしも)をはねてもろ肌をぬぎ腹部まで着衣を押し下げる。 介錯人が静かに立って切腹人の背後に立ち、大刀の鞘(さや)を脱して息を整える。 介添人が九寸五分、平造りの白鞘短刀を抜き身にし奉書紙で巻き、 切っ先だけ少々出したものを三宝にのせて、切腹人の目前三尺の場所におく。 切腹人は一礼して短刀を右手に握り、左手で下腹部をなで、左腹に切先を突き立て、 右腹にかけて真一文字にかききり、切先を上に向けて上に跳ね上げてかききる。 介錯人の大刀が一閃すると切腹人の首はおちる。 この場合首実検はあったものとして、 介添人は用意の白張りの屏風を引き回させる。 切腹が夜分までかかる場合は、十六箇所に高張提灯を立てて照明として執行する。 切腹を見届けた検視正副二名は、一同を引き連れて退出し、 月番の老中役宅に出向き何某(なにがし)の切腹検視終了の旨をのべる。 老中役宅では、お勤めご苦労に存ずると挨拶し、一切はこれで終了するのであるが、 検視が引きとった後の切腹場では、切腹人の家の者の屍骸引取りの要請に応じて、 はなれた首と胴の左の肩の所に置き、引取りの駕籠を待つ。 やがて受取人と駕籠を正面から導き入れ、屍体をのせた駕籠は、不浄門の方に案内し、 裏口不浄門から戻らせるのがしきたりである。 赤穂浪士の切腹も、分散してお預けになっていた各大名の屋敷で、 だいたい以上の様式に従って執行された。 伝馬町牢屋敷内で切腹を行う場合は次のようである。 切腹の執行には、そのつど切腹場を用意する。 練塀際より七尺五寸隔てて砂をしきならし、板塀で三方を囲い、 ただ一つだけ入り口を設ける。 畳二枚を中央に敷き、畳の上に白衣を敷き、白張りの屏風を引き回す。 切腹人を捕らえておいた揚座敷から当人を呼び出し、 評定所において切腹申しつけ、白衣に麻上下をつけさせ、 そのまま駕籠にのせて伝馬町牢屋敷の表門よりはいる・ まず大牢の庭に駕籠をおいて改め、駕籠から引き出し、用意した切腹場に召し連れる。 切腹人は、待ち構えた検視と同心に対して座り、 自分の姓名を名のり、辞世などあればこれを告げる。 やがて設けの切腹場にはいり白衣敷きの畳に座ると、 介添人手伝い肩衣をはね肌をぬいで腹部を出す。 介錯人は白刃を提げて、切腹人の後に立つ。 介添人合図の咳払いをすれば、同心一名が、三方にのせた腹切刀 (前述のように真剣の場合もあり、形式的に木製の短刀型の木刀の場合もあるし、 真剣と木刀の両方を置いて、当人の選択に任す場合もある)を、 切腹人の前方三尺のところに置き、いざ、三宝をいただくべしと命ずる。 切腹人は一礼して、三宝の上の短刀をとろうとして、十分に手をのばし、 少しうつむき加減になった瞬間、 介錯人の刀は風を切ってきらめくと見るや、首はころりと前におちる。 切腹の屍体は試し切りに用いる事は絶対になかった。 ― 続いて「兇礼式切腹記録」の記述であるが、古い文語体での記述であり省略する ― 切腹人や介錯人、そして検視役などの役割分担がご理解いただけたでしょう。 疑問は解消されましたか? この回答が、ご質問者様の問題解消につながり、 尚且つ知識の一端に納められ、後日必要な時にご質問者さまのお役に立てば幸いです。 最後に『お願い』です。 貴重な時間を割いて回答をしています。 この回答でご質問に対する問題が解消できましたら、 速やかにここのルールに従って、 「回答への補足」「回答へのお礼」などと共にポイントを付けて、 次回の質問でも多くの回答をいただけるように、 回答いただいた方々にも感謝を配慮して対処してください。 できれば読後のご意見など感想をいただけるとありがたいですね。 冗長な回答になりました。 誤字脱字などある場合は、機知にてご判断いただきご笑納ください。 なお、回答後の「お礼」「補足」での再質問には、お答えいたしておりません。 その場合は、再度の新規質問でおねがいします。

noname#150498
質問者

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その他の回答 (12)

  • choibaka
  • ベストアンサー率26% (18/69)
回答No.12

切腹のお作法を簡単に。 まず、腹を横一文字に左から切ります。 そして下から上に向け、縦一文字。 内蔵を出します。 そして最後に刀を首の後ろに当て、刀の左右に腕を乗せ腕の重みと最後の力をもって、一気に首を切り落とします。 本来は自分で己が首を切り落とすのですね。 って、こんな事、まともな神経じゃやってられません。 そして次第に、介錯がつくようになった、と。 血達磨話と云うのがあって、腹を切って掛け軸を守るって話なんですけど、詳しくは、 「大江戸残酷物語」 氏家幹人著 洋泉社(新書) に、載ってます。

noname#150498
質問者

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ありがとうございます。

noname#177763
noname#177763
回答No.11

切腹は腹を切る事です。 介錯とは切腹している人に対し、苦しまないようにする為に 首を切る事です。

noname#150498
質問者

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ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.10

切腹はお腹を切ることです。 他の人が既に沢山説明していますので だぶらない範囲で説明します。 当初は、斬首をする人はいませんでしたが、 それでは苦しませることになるし、見苦しい ので、斬首をするようになりました。 その場合も、腹を切ってから斬首するように していたのですが、やがて一突きしただけで 斬るようになり、更には切腹は形だけのモノに なりました。 場合によっては扇子を短刀の代用にしたことも あります。 扇子を腹に突き立て、その瞬間斬首するんですね。 武士もだらしがなくなりました。 日露戦争で有名な乃木大将は、明治天皇が崩御した とき、介錯無しで切腹し、上着をきちんと着用してから 喉を突き、自決しています。 奥さんもその後を追って喉を突き、自決しています。 女性が自決するときは、裾が乱れないように 足を縛ります。 大東亜戦争後、某中将の奥さんも喉を突いて自決して います。 これからみると、自決に失敗した東郷さんは 少し情けないです。 数十年前、米国勤務の会社員が仕事の失敗を理由に 米国で切腹したことがあり、米国で大いに騒がれました。 勿論介錯人などいませんでした。 後は三島由紀夫ですね。 彼は、腹に刃を入れて、まだまだ介錯するなと言って 充分に刃が入ってから、介錯してもらった、と いう話です。 検視結果によると、刃は充分に深く入っていたそうで 彼の意思の強さを伺わせた、とのことです。

noname#150498
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • 0128t
  • ベストアンサー率13% (65/475)
回答No.9

切腹は腹を切る事です。 切腹にも色々な作法があります。 介錯人が付くのは、苦しまず死ねるようにです。 1人で行うのは『一人腹』などと言います。

noname#150498
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.8

>切腹って首を切る事を言うのでしょうか? 残念でした。 切腹は、その名の通り「腹を切る事」です。 英語でも「HARAKIRI」で、通用しますよ。 生麦事件の責任を負わされた滝善三郎の切腹を、外国人が興味深い視線で見学した事実は有名ですよね。 日本で最後の切腹といえば、島田紳助でしようか? 「暴力団との関係は、一切ありません。あれば、皆さんの前で切腹します」 日本語で、「腹黒い」という言葉がありますよね。 そこで、腹を開いて「私には、何らやましい事は無い」と証明するのが切腹です。 正式の切腹では、「腹を十文字に切り+内臓を腹の外に出す」までの行為を切腹と言います。 自害も、切腹形式で行なわれました。 江戸時代を通じても、内蔵まで出した者は片手ほどですね。 武士の場合「刑場での斬首」は、お家の恥なんです。 他人に命を落とされるよりも、自刃の方が武士の名誉です。 介錯で首を落とすのは、死を美化する為です。 生きたまま自分で腹を切るので、口では表せない苦痛を伴いますよね。 で、首を切る事で「痛みを終わらせる効果」をねらったのです。 (フランスのギロチンと、同じ理屈) 政治的な意味がある場合は「敵将・敵の首実験」で、必要な場合です。 日本各地に、胴塚・首塚が点在していますよね。 >首を切る事は斬首だと思っていました。 武士は、基本的に斬首刑はありません。(時代劇でも、悪代官に「腹を切れ!」と言ってますよね) 江戸時代の庶民の死刑には、6種類ありました。 1.下手人 2.死罪 3.獄門 4.火刑(火あぶり) 5.磔(はりつけ) 6.鋸挽き(のこぎりびき) このうち、1と2(奉行所内で処刑)と3(刑場で処刑)が、斬首刑ですね。 1は、斬首の後「遺族に、遺体を返還。埋葬・供養が認められる」 2は、斬首の後「試し切りに用いた後で、遺族への遺体返還・埋葬・供養は認めない。破棄」 3は、斬首の後「晒し首。その後遺族への遺体返還・埋葬・供養は認めない。破棄」 時代考証が全く出来ていない水戸黄門・銭形平次などは、下手人を「容疑者」としてシナリオを書いていますよね。 情けない・・・。

noname#150498
質問者

お礼

とても詳しい説明ありがとうございます。

回答No.7

切腹時は、 本人が腹を出した状態でひざまづき、左手後ろ側に介錯が居ます。 切腹する本人は短いわきざし、介錯は長い一般的に知られた日本刀を持ちます。 そして、本人が腹を切り、一拍おいて介錯が首を切り落とします。 男に二言は無いというように、 切腹すると決意した以上、生きながらえては恥なのです。 ですので、恐怖心のあまり中途半端にならないよう、いこうで介錯をつけます。 もちろん、突然の敵襲に、介錯をつけずに切腹する人もいました。

noname#150498
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.6

正直言って詳しくは分かりませんが、三島由紀夫が<割腹自殺>をしたときは介錯人がいましたね。 三島由紀夫自身も<割腹>しただけで死ぬことが困難であることは承知していたのだと思います。 まあそういう自殺のあり方が何かのメッセージを含むものかどうかは判断しようがありませんが、その時代にいた人間としては驚きよりは不思議な感じを受けました。

noname#150498
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1844/8835)
回答No.5

切腹は、お腹を自分で切る行為です。 介錯は、その切腹人のやや後ろに立ち、首を切断するのです。 だから、時代劇に出てくる切腹シーンでは、「介錯を頼む」というと、介錯人が刀を振り上げ、切腹を待ちます。

noname#150498
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • aozou3
  • ベストアンサー率28% (87/310)
回答No.4

腹を切ることです ですが、自分で切る、しかもお腹、ということで死に至るまで時間が掛かるので介錯人がいます まあ首を切っても即死にはならず数秒は意識あるみたいですけどね

noname#150498
質問者

お礼

痛そうですね。ありがとうございます。

noname#227111
noname#227111
回答No.3

切腹って案外技術がいて、難しかったみたいですよ。 おなかを刀で斬ってもそれだけでは死ねる人は 少なかったみたいなんです。 そのために「介錯」ってのがいて、 すぐに死ねずおなかから血を流して苦しみ悶えている人の 首をいっきに斬り落として楽にしてあげるのです。 逆に、介錯なしで切腹の作法どおりに 自分の力だけで果てることは武士の誇りであったようです。 さまざまな作法があるようですが、 漢字の「七」のようにまず真一文字に横に刀をいれ、 次に上からはらわたをえぐりだすように斬ったりするのですから 最後まで正気を保って自分の力だけで死ぬなんて、本当にすごいことですね。 普通の人なら痛みのショックだけですぐ死んでしまいそうです。 だから介錯の人が必要なのです。

noname#150498
質問者

お礼

ありがとうございます。

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