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小学校のかけ算の問題について

数学カテゴリと迷ったのですが、こちらで質問させていただきます。 とある掲示板で、小学2年生の算数の問題が話題になっていました。 「子供が5人います。お菓子を2個ずつ配ると、お菓子は全部で何個になりますか?」 回答は以下のとおりだそうです。  2×5=10 ○  5×2=10 × 元の掲示板では、その様に教える様に指導されているとのことですが 下の式が×になる理由がわかりません。 どの様な理由によるものなのでしょか? よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.33

(承前) 「第4学年の内容」には、もう一箇所、(a:1あたりの量)×(n:回数)にも交換法則が適応できるという推論を許す文言が含まれます。 公式としては,第4学年では面積の公式が取り上げられている。例えば,(長方形の面積)=(縦)×(横)の公式を導いていくような一般化の考えは,数学や様々な分野でよく使われる大切な考えである。公式は,どんな数値に対しても成り立つ一般的な関係であることを理解できるようにする。そして,(縦)と(横)から(面積)が求められるという見方に加えて,(面積)と(横)から(縦)を求めることもできるというような,公式の見方ができるようにすることも大切である(p 99)。 この引用でいう公式とは「具体的な問題で立式するときに自然に使っているような一般的な関係を言葉でまとめて式で表したもの(p 98)」も含みます。したがって、(a:1あたりの量)×(n:回数)のような一般的な関係を表現する式も「公式」と考えるべきでしょう。ところで、「(面積)と(横)から(縦)を求める」ような公式の見方は、□ × (横) = (面積)のように、数同士の関係において代数的な手続きで未知数を求めるという既習の概念を「公式」にまで適用することを指示するものです。この例では既知の積と因数から未知の因数を求めていますが、より後に習った既知の商と法から未知の実を求める掛け算や、既知の商と実から未知の法を求める割り算も努力目標ぐらいには入るかもしれません。そして、より基本的な代数法則である交換法則、結合法則、分配法則の「公式」への適用は、より一層「大切」であろうと推論できます。 どれくらい大切かというのは、この文書における「大切である」という言葉の用例を集めなければ正確な判断ができませんが、「何をおいても理解させなければならないほど大切である」とするのがよいと思います。なぜなら、仮に交換法則を「公式」に適用させないとすると、公式の表現が極めて狭小な範囲に限定されるからです。例えば三角形の面積を(底辺)×(高さ)/ 2と定義した場合、(高さ)×(底辺)/ 2の順で書く回答を不正解にしなければなりません。台形の面積の公式に至っては、交換法則を適用すれば4とおりの表現があるところ、交換法則を使わせない場合1とおりしか正しい公式の適用と認定できなくなります(配分法則を適用すれば表現はもっと増える)。「第4学年の内容」では独自の「公式」の定義を採用しているので、(高さ)×(底辺)/ 2が正解なら(n:回数)×(a:1あたりの量)も正解にしなければ矛盾します。この2つが実際の教育活動でどのように関連しているのか、または関連していないのか、現場の先生にコメントをいただきたいところです。 残念ですが、「第2学年の内容」が(a:1あたりの量)×(n:回数)に交換法則を適用することを黙認していることについて十分に述べることができなかったかもしれません。ポストを書き始めた当初の予想とは違い、3年生または4年生が終わるまでには交換法則の適用が明示的に可能になることを論証しなければならないと分かったからです。文部科学省は、掛け算に順序があるという方便を、おそくとも4年生のうちに解除しなければならないと指示しているいう結論をもって締めくくります。

回答No.32

kumada-さん。 文部科学省の文書を示してくださりありがとうございます。 まず初めに、なにを根拠にするのであれ、小学校での教育が一般社会の常識的考え方と乖離している現状はとても問題があります。ポスト毎に繰り返していますが、賛否を明確にしていただくために敢えてくどくもなります。 次にkumada-さんが根拠とされた文書を検討し、31番に引用された文言はより広い文脈で解釈すると、異なる見え方をすることを示します。長くなるのでお暇な時にどうぞ。 『小学校学習指導要領解説 算数編』の「第2学年の内容」は乗法を次のように定義します。 乗法は,一つ分の大きさが決まっているときに,その幾つ分かに当たる大きさを求める場合に用いられる。つまり,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現として乗法による表現が用いられることになる。また,累加としての乗法の意味は,幾つ分といったのを何倍とみて,一つの大きさの何倍かに当たる大きさを求めることであるといえる(引用末尾のページ番号をもって引用符に代える。『小学校学習指導要領解説 算数編』電子版の2番目のファイルのPDF文書としての第27ページ。以下同様。リンクはkumada-さん[31番]に既出)。 驚くべきことに、「一つ分の大きさ」と「その幾つ分か」をどのような順序で結合するかという規則は定義に含まれません。なぜ含まれないことに驚くべきかというと、この文書は「第4学年の内容」の同じような箇所で同じような文言を使って乗法を定義しているのですが、その箇所で明らかな順番に関する規定が盛り込まれるからです。ここでは「禁止されていないことは許可されている」という解釈をとり、4年生になるまでは児童は順番に関する規程を知らなくてもよいと判断しました。「第4学年の内容」については後述します。 この解釈の妥当性を傍証するかのように、「第2学年の内容」には、むしろ交換法則の発見と利用を促進するかのような記述が散見されます。 例えば,「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動を行うと,いろいろな並べ方ができる。下の図のように並べると,2×6,6×2,3×4,4×3などのような式で表すことができる(p 21。図は省略)。 「内容の取扱い」の( 4 )で「イについては,乗数が1ずつ増えるときの積の増え方や交換法則を取り扱うものとする」と示されているように,ここでは,乗法に関して乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増えるという性質や,乗法についての交換法則について児童が自ら調べるように指導する(p 27)。 「イ」とは「乗法に関して成り立つ簡単な性質を調べ,それを乗法九九を構成したり計算の確かめをしたりすることに生かすこと(p 26)」ですから、九九表に関しては交換法則を認めるといっているわけです。 交換法則の適用できるのは九九表だけであるとは、「第2学年の内容」を読んだ限りでは、わたくしには判断ができません。(a:1あたりの量)×(n:回数)への適用は、教師に積極的に教える義務は課さないが、児童が実践することも積極的に禁止はしないというのが常識的な解釈だと思います。「許可されていないことはすべて禁止」という極めて厳格な解釈には無理があります。なぜなら(n:回数)×(a:1あたりの量)は順番付きという定義はまだ導入されていないからです。それは4年生で習う事項です。 「第4学年の内容」には、はっきりと順序の考え方が見られます。 乗法は,一つ分の大きさが決まっているとき,その幾つ分かに当たる大きさを求める場合に用いられる。つまり,同じ数を何回か加える計算と考える。例えば,0. 1×3 ならば,0 .1+0. 1+0.1の意味である。累加の簡単な表現として,乗法による表現を用いることができる。さらに,乗法の意味は,基準にする大きさとそれに対する割合から,その割合に当たる大きさを求める計算と考えることができる(p 82。27ページを参照のこと)。 「一つ分の大きさ」と「その幾つ分か」をこの順序で結合することが、累加の簡単な表現としての乗法の定義だといっています。この文言は確かに(a:1あたりの量)×(n:回数)に交換法則を適用してはならないという考え方と相性がよさそうです。 ところが、この記述を順序の厳格な遵守を要求すると理解すると、同じ学年の学習内容に極めて厄介な記述が存在します。 第3学年までに,加法や乗法の計算の仕方を考えたり計算の確かめをしたりすることの指導を通して,具体的な場面において,交換法則,結合法則,分配法則が成り立つことについて理解させてきている(p 100)。 この文言は4年生ではより一般的に3法則について学習することの背景説明になっています。ところで、「第3学年の内容」の該当部分(pp 46-7)をみても筆算へ展開するようなおもに配分法則に基づく計算の工夫ばかりで、(a:1あたりの量)×(n:回数) = (n:回数)×(a:1あたりの量)のように単位の掛け算にも交換法則の適用できることを示す例はありません。したがってこのポストでは、「具体的な場面」という言葉が何を意味するのか、この文書の中での用法を検討して、間接的判断の証拠とします。 「具体的な場面」の用例を当たると、この言葉は文章問題に相当するようです。例えば「第1学年の内容」では次のような文章問題が「具体的な場面」の例としてあげられています。 例えば,「太郎さんはどんぐりを8個拾ってきました。花子さんはどんぐりを7個拾ってきました。合わせて何個でしょう。」のような問題を通して,計算の意味や繰り上がりのある加法の計算の仕方について考える(p 9)。 学年が上がることによってこの言葉の定義が変わる可能性も想定しましたが、「第6学年の内容」に比に関する「具体的な場面」の一例としてコップに入った二種類の液体が同じ濃さになるようすること(p 145)が記述されています。この文書では「具体的な場面」とは一貫して文章問題を指していると判断できます。 文章問題が交換法則を用いてよい「具体的な場面」なら、「子供が5人います。お菓子を2個ずつ配ると、お菓子は全部で何個になりますか?」のような文章問題を解くのに必要な(a:1あたりの量)×(n:回数)を交換法則にしたがって(n:回数)×(a:1あたりの量)と変換することも、「第3学年の内容」を終えるまでには児童に理解させなければならないでしょう。この文言を極めて狭い意味でとらえ、「2 × 5という『立式』を計算の都合上5 × 2に変換することだけが許される。だから5 × 2 = 10は依然として間違った『立式』である」と考えるのは不適切です。そうすると、「<具体的な場面>において,交換法則,結合法則,分配法則が成り立つ」という限定が空文化してしまいます。 ここまでで、100ページの記述は(a:1あたりの量)×(n:回数)への交換法則の適用は、既に習っているはずだと読めます。順序は定義によって固定されていると考えると、矛盾が生じます。先に非常に厄介と書いたのはこの意味です。 それでは「第4学年の内容」が「例えば,0. 1×3 ならば,0 .1+0. 1+0.1の意味である(p 82)」のように乗法を定義していることをどのように理解すればよいでしょうか。同じ学年で交換法則について学ぶことと調和するように考えるなら、4年生にとっての乗法は順番付きの(a:1あたりの量)×(n:回数)だが、それは形式的な定義で、(a:1あたりの量)×(n:回数)のような別順の等価物を排除しないと見るべきでしょう。「第2学年の内容」が順番に触れずに掛け算を定義していることの意味は、極めて重大です。「第4学年の内容」で初めて掛け算の順番に言及するのは、掛け算に新たな制約を課すためではなく、むしろ交換法則が単位の計算にも及ぶことを理解させるための道具でしかないと思います。

  • kumada-
  • ベストアンサー率46% (40/86)
回答No.31

kumda-です。 ANo.30に対する回答です。 (1)>どうして「2かける5」は2を5回足し合わせることなのですか? 乗法は,一つ分の大きさが決まっているとき,その幾つ分かに当たる大きさを求める場合に用いられる。つまり,同じ数を何回か加える計算と考える。例えば,0. 1×3 ならば,0 .1+0. 1+0.1の意味である。累加の簡単な表現として,乗法による表現を用いることができる。さらに,乗法の意味は,基準にする大きさとそれに対する割合から,その割合に当たる大きさを求める計算と考えることができる。 (2)>日本には(n:回数)×(a:1あたりの量)という慣習もあることはご存知ですか? そういった、習慣があるのはわかります。ただ、『小学校学習指導要領解説 算数編』では、 乗法の意味は,B を「基準にする大きさ」,P を「割合」,A を「割合に当たる大きさ」とするとき,B × P = A と表せる。 としています。また、例題として、 1メートルの長さが80 円の布を2メートル買ったときの代金は,80 ×2という式で表せる。同じように,「1メートルの長さが80 円の布を2.5 メートル買ったときの代金が何円になるか」という場合,布の長さが2.5 倍になっているので,代金も2.5 倍になるということから,80 × 2.5 という式で表せる。 と示しています。 (3)>ちなみに、英語圏では、・・・ こちらに関しては、すいません。日本語での考えが先にあったので、自信の根拠の補強のように使ってしまったかもしれません。 (1)(2)に関しては、文部科学省のHP上に公開されている『小学校学習指導要領解説 算数編』からの抜粋です。日付が平成20年6月付で最新版とは言いづらいですが。 http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_1.pdf http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdf siffon9 さんの質問の趣旨が、『学校でのかけ算の順序に関する指導の根拠』との認識でしたので、結論としては、文科省が上の様に定めているから、でいかがでしょうか。 もちろん、『数学』としてのかけ算を考えると、また違った結論が出るかもしれませんが…。

回答No.30

kumada-さん。 今までここに投稿されたポストを読まれていれば、そう簡単に断定なさらないであろうことを論証なしに述べておられます(29番)。 <引用>例として2×5を考えます。このとき、日本語では、「2かける5」と読み、2を5回足し合わせることを意味します。</引用> どうして「2かける5」は2を5回足し合わせることなのですか? 「2かける5」は「2を、5かける」という意味だからなのですか? 同じ表現は「2に5をかける」や「2を5にかける」や「2と5をかける」という意味にもとれますが、最初の解釈を優先する根拠はどこにありますか? <引用>何が言いたいかというと、日本では、(a:1あたりの量)×(n:回数)の順で考えます。</引用> 日本には(n:回数)×(a:1あたりの量)という慣習もあることはご存知ですか? 社会に流通している官民の文書で掛け算をしているものを探せば、証拠はすぐに見つかります。レシートや伝票、統計の集計結果など必ずしも掛け算の順番は一通りではありません。 <引用>慣習化れたa×nの順番で答えることが大切だということで、順序の違いによる式には×をつける</引用> なにがaつまり1あたりの量であるかは自明ではありません。 とりあえず、1あたりの量を先に書くという計算ルールに従うと仮定しましょう。まず5人全員にお菓子を1個ずつ配り、もう一度5人全員にお菓子を1個ずつ配る場合、1あたりの量は5です。回数は当然2。よって文章題の状況は、5 + 5または5 × 2と表現できます。この式は「慣習化されたa×nの順番」を遵守しています。慣習化された1あたりの量を用いていないだけです。 以上の説明を聞いてどう思われますか? 当然、この式は文章問題に出てきた数字をその順番どおり機械的に掛け算したものかもしれません。児童が5 × 2と書いたらその意味を説明する機会が与えられていますか? または説明するよう指導するべきでしょうか? わたくしは繰り返し書いてきましたが、式の表現する現実は一通りではありません。一通りに見えるとしたらそれこそ何かの慣習で見方を固定しているからです。 慣習どおりに2 × 5 と書く児童も機械的に解いただけかもしれません。つまりパターン認識によって機械的に「単位のサンドイッチ」を作っているだけなのか、掛け算の意味を理解して解いたのかどうか分かりません。この児童には式の意味を説明する機会や義務はあるべきでしょうか? <引用>ただの「計算」を考えれば、どちらでも同じ事です。</引用> 量は数と単位の積で表されるので、文章問題もただの計算です。この例でいえば、 5[個/回] × 2[回]= 2[回] × 5[個/回] 5[回] × 2[個/回]= 2[個/回] × 5[回] です。どれも計算結果は10[個]。本当は[個]や[回]は単位ではありませんが、便宜上単位だとみなしても矛盾しません。 <引用>ちなみに、英語圏では、はじめに回数ありきの、(n:回数)×(a:1あたりの量)の順で立式することが慣習化されています。なので、同じ文章題でも、英語圏では5×2の順で表記されると思います。 読みも「2times5」が普通ですから。ここで、「2multiplied by5」と読むのなら「5回にわたって増殖される2」となり、2×5となります</引用> 念のため確認しますが、5×2はtwo times fiveではなくfive times twoと読みます。これはfive multiplied by twoの日常的な表現だそうです。 http://oald8.oxfordlearnersdictionaries.com/dictionary/multiplied+by#times__1 または http://en.wikipedia.org/wiki/Multiplication 英語圏でどのような順序が初等教育の掛け算で施行され、その順序がどのくらいの期間有効なのかはわたくしは寡聞にして知りません。しかしtimesとmultiplied byが同義語として辞書で説明されているということは、一般社会では掛け算の順序は重要ではないことを示唆しています。 英語圏での掛け算の慣習が一様でないことには、さらにto times the x by yという表現も参考になるでしょう。 http://oxforddictionaries.com/definition/times?q=times この表現はおそらくthe a by nのような(a:1あたりの量)×(n:回数)の順序を意味しているのでしょう。ところがbyが独立してtwo-by-fourのようになると、もう順序はどうでもよさそうです。 ちなみにWikipediaでmultiplicationを調べるとつぎのような文書が注1に引用されています。 http://www.globaledresources.com/resources/assets/042309_Multiplication_v2.pdf 著者のMakoto Yoshida氏は掛け算を足し算の繰り返しだと教えることを「後で訂正できるだろうという見込みから嘘を教える」(p 8)と批判します。改善案として(a:1あたりの量)×(n:回数)という順序固定で式を解釈する方法を提唱しています。お手本として挙げられているのが東京書籍の算数の教科書の英語版。あくまでも印象論ですが、始めの数ページにわたる図による導入からは、足し算の繰り返しとみなすと式が2通りに解釈できる(5 × 2は5 + 5なのか2 + 2 + 2 + 2 + 2なのか)ことを問題視しているようです。このように徹底して交換法則の証拠を排除する必要はどこにあるのだろうと考えてしまいます。

  • kumada-
  • ベストアンサー率46% (40/86)
回答No.29

まず始めに、提示された式が文章問題から式を立てなさいという前提に立っていることが重要です。 基本的に掛け算の構造は、(被乗数:a) × (乗数:n)で示されます。 例として2×5を考えます。このとき、日本語では、「2かける5」と読み、2を5回足し合わせることを意味します。 何が言いたいかというと、日本では、(a:1あたりの量)×(n:回数)の順で考えます。 よって、文章題から立式しようとすると、aとnの値がわかってしまうので、慣習化れたa×nの順番で答えることが大切だということで、順序の違いによる式には×をつけるということなのだと思います。 ただの「計算」を考えれば、どちらでも同じ事です。 [補足] ちなみに、英語圏では、はじめに回数ありきの、(n:回数)×(a:1あたりの量)の順で立式することが慣習化されています。なので、同じ文章題でも、英語圏では5×2の順で表記されると思います。 読みも「2times5」が普通ですから。ここで、「2multiplied by5」と読むのなら「5回にわたって増殖される2」となり、2×5となります

回答No.28

ふたたび天むす名古屋です。すみません。第二段落の冒頭で変なコピーペーストをしてしまいました。正しくはこうです: まずは基本事項の確認。掛け算に正しい順序はありません。それは単に数と数の関係を扱う「計算」の世界にだけ当てはまる事実ではなく、現実世界から数で表すことのできる断片を切り取り、断片同士を量や単位の概念で操作する、算数でいういわゆる文章題の世界でもそうなのです。

回答No.27

天むす名古屋です。しばらくこの掲示板に来ないでベンチ番を決め込んでいましたが、20番でtosa-bashさんにコメントをいただいたのは積分定数さんではなくわたくしだと気づいて、またコメント致します。 のできる断片を切り取り、断片同士を量や単位の概念で操作まずは基本事項の確認。掛け算に正しい順序はありません。それは単に数と数の関係を扱う「計算」の世界にだけ当てはまる事実ではなく、現実世界から数で表すことする、算数でいういわゆる文章題の世界でもそうなのです。やや異なる文脈ですが、遠山啓がユーモラスに表現しているとおりです。「もし有限の集合において数える順序にしたがって計数が違うようなことがあったら、いったいどんなことになるだろう。そうしたら『10枚の千円札を20枚に数える秘訣』というような本が飛ぶように売れるだろう」(『無限と連続』)。掛け算に順序が<ない>ことは、ある種のルールを歩行者が赤信号で道路を横断したり、自転車で車道の右側を走ったりして人間が勝手に破ることができるのとは、わけが違います。現実世界からもっとも抽象的な理論の世界まで、交換法則は妥当します。 してみると、掛け算に順序を定めるのは、個々の状況に応じた便宜上の定めでしかありません。経理伝票やレシートに会社ごとにことなるかもしれない掛け算の順序があるように、算数の教育もなんらかの順序を採用していることでしょう。はたしてtosa-bashさんによれば教科書には統一的な順番があるそうです。 <引用>教科書には5年生にも6年生にも「1あたり×いくつ分=全体」に類する記載があります。これは「必ず」あります。</引用> 教育界での地位が児童、生徒、学生であったことしかないわたくしには順番のないリストのように見えますが、「教師用の教科書」にはこの記述は順番を厳密に指定しているので「いくつ分×1あたり=全体」は指導の対象にするべきであると書いてあるのでしょう。「先人の知恵に基づき、小学校教科書6社の記述に沿った内容」であるとか「常識のように受け継いできた」文化であるというだけでは、数字があっているからといって順番が違うので正解ではないという方針の根拠としては不十分だと思います。もし小学校教科書6社や文化や慣例の権威に基づいて掛け算に順番があると主張するなら、より大きな権威である学習指導要領が掛け算の順番を否定していることとどのように折り合いをつけるのでしょうか。ある権威にしたがわない(文部科学省の指導要領にしたがわないというのは、個人的にはとても魅力的な考え方です)なら、ほかの権威とたまたま意見を同じくする場合でも、なぜ同意するのか合理的な説明をするべきです。さらに、「順番はどうでもよくない」という考え方は教えるための方便に過ぎないのに、有害な副作用がおおく知られています。部数かける単価の順で注文書を送ってきた客を嘲笑する会社員や、長方形の面積を横かける縦で「立式」した答案を不正解とする無能な教師などは、算数教育の研究団体で報告されているかどうかは寡聞にして知りませんが、必ずしも少数の例外ではないようです。前者は自己責任のような気がしますが、後者は看過できません。特定個人の無能さを責めるためではなく、教育には個々の教師の能力に質を左右されるにはあまりにも重要な事項が存在すると信じるからです。数学の素養豊かな教師は掛け算の順番という方便をつかって見事に四則演算を教えている、のかもしれません。しかしこの方便は能力の低い教育者(教育者が高い能力をもっていることは重要ですが、かならずしもいつでも実現可能とは限らない)の手にあってはかなり有害だということが判明しつつあるのではないでしょうか。 わたくしが18番を書いたとき、このような弊害は、児童が方便である掛け算の順序にあまりにも長い間なれていたために、もう順番は気にしなくてもよいと明示的に指導された後でも順番にこだわっているからだと思っていました。しかし「基本的に、小学校の間は『この順序での立式』で通します」という回答を読んで、もう順番は気にしなくてもよいという明示的な指導はなく、また掛け算の導入の時点でこの順序は方便だけれどわかりやすいから採用するという断りもなさそうだと分かってしまいました。となると掛け算に正しい順序はないということを一度も教わる機会がない児童がでる可能性があることになります。小学校では教わらないし、中学校ではそもそも小学校で学習指導要領と関係のない指導が行われたかどうかを調査する責任がないからです。小学校で導入した方便は小学校のうちに明示的に解除するのが正当だと思います。中学校に進めば自然にランドセルを使わなくなるように、掛け算の順序を自分の考えで破棄できる児童、生徒ばかりではないことは、上の例を見れば明らかです。 20番の回答を読んでもうひとつ感じたのは、「1あたり×いくつ分=全体」という順序が掛け算の理解を促進するという「方便」としての効用も検討する必要があるということです。tosa-bashさんはこの順番を制定する根拠として自然言語からの類推を挙げておられます。 <引用>かけ算の順番にこだわることは「日本語の順番に従ってのこと」と述べました。イメージしやすい普通に使う言葉と関連付けるのが子どもたちの感覚に沿った道筋だと思うからです。</引用> 再度書きますが、日本語では「2が5個」も「5個の2」も文法的な表現であり、自然言語は「いくつ分×1あたり=全体」という順序さえも正当化します。どちらの順序を採用するにしても、あくまでも教科書の表記や教師による説明の慣例に留めるべきであって、児童の表記は自由でよいと思います。 tosa-bashさんは同意されるかどうか分かりませんが、いろいろ調べると、掛け算の順序を規則として定めるのは「児童の発達程度に応じた」指導法であるという論旨が繰り返されます。これは「1あたり×いくつ分」と「いくつ分×1あたり」が同じであることが児童には分からないといっているに等しいです。ところで、乗算記号や加算記号は、演算子としての機能を度外視すれば、二つの数を等位に結ぶ連結子ということでは共通です。そこで児童が他にも等位の連結子を知らないかどうか検討し、知っていたらそれからの類推で「乗算には正しい順番はない」ことを理解させることは、少なくとも掛け算の順序を制定するのと同じくらい論理的に妥当でしょう。児童は知っています。助詞の「と」がこの例です。「リンゴとミカンを食べた」は「ミカンとリンゴを食べた」と同じ意味の文です。したがって、掛け算を順序という方便に頼らないと理解できない児童の発達程度というのは、この2つの文が同じ意味だと分からないレベルだということです。ことわざになったの朝三暮四は猿に対する明らかな過小評価ですから、ましてや人間の7歳児なら当然理解できます。乗算記号は等位の連結子だといっても児童には理解できないでしょうが、大事なのは抽象的な用語を導入することではなく用語の表す概念をある程度でよいので理解させることです。助詞の「と」を例示すればよいでしょうし、物理的な連結子を見せるのも役立つでしょう。たとえば2枚の穴あきカードを1つのリングでまとめたとき、リングは上下どちらかのカードの「もの」ではなく、どちらの「もの」でもある、のように。 順番を固定することの利点としてよく主張されるのが、児童が文章題を理解しないのに単に問題文に出た順番に機械的に計算しているかどうかチェックするという考え方です。しかしそれでは「1あたり×いくつ分=全体」を機械的に問題文に適用しているケースを検出することができません。このような児童がいる可能性を想定することは、少なくとも問題文に出た順番に計算する児童を想定するのと同じぐらい合理性があるということは直ちに了解できるでしょう。もともと乗算は可換なので順番に着目することで理解・不理解を測定できるはずがないのです。可換な演算は「適切な役者さえそろえば、役者がどの順序で登場してもよい芝居」のようなものです。したがって理解度のチェックは、不適切な役者を紛れ込ませた文章題に正しく答えるかどうかや、必要な役者がいない文章題を「回答できない」と判断できるかどうかで行うべきです。 このポストでは「1あたり×いくつ分=全体」の検討に集中しましたが、20番を読む中で「何算か」を判断することで問題をとく態度や「立式」という概念など、掛け算の順序に限らず、算数教育一般に関していろいろ理解しがたい点がでてきました。その中から一つだけ取り上げます。 <引用>数学の世界では普遍的な形だからと言って円の面積を「円周率×半径×半径」とはしません。</引用> これはなにかの間違いだと思いますが、面積の公式を証明するときに円を縦=半径、横=円周率×2×半径/2の長方形に変形することから、正しくは「半径×円周率×半径」の順であるという意見が存在するのでしょうか。だとしたら「円周率×半径×半径」は交換法則を使って掛け算を整理した例といえますね。

noname#175206
noname#175206
回答No.26

 すみません、#21で、大チョンボしました。 >さらに、「たこさんが8匹います。足は全部で何本?」と問います。  馬鹿でえ~、あたしゃ(泣)。聞いた子どもから即座にツッコミ入ります、これじゃあ。orz(でも、間違いにツッコミ入れてもらうのは、関西人としては嬉しかったりします^^;)  2匹のたこさんは足が8本だから、って思って、たこさんの数ではなく、足の数を書いてしまいました。  書きたかったのは「たこさんが『2』匹います。足は全部で何本?」です。  大変申し訳ありません。

noname#175206
noname#175206
回答No.25

 No.7での質問者様のお礼欄を拝読して、少々気になりましたので。 >本の固まりは2個であり、それが5人分であるから2×5になる >5人に対して2個ずつですから、5人という基本の固まりに対して2個ずつ配る。であるから5×2となる  子どもが、そう説明したのなら、二重丸を付けて大いに褒めてあげればいいですね。  でも、大人が子供の書いた2×5=10や5×2=10という式を見ただけて、上のように対応付けて考えてしまっては駄目です。  子どもが書いた式を、その子に尋ねて、たとえば全く逆に、 「基本の固まりは2個だとして、それが5人分だから、5×2で10になるんだ」 「5人が基本の固まりだから、それに2個ずつ配るから、2×5で10だよ」 と説明してくれても、二重丸で大正解です。私は上記の説明にケチの付けようがないと考えます。  掛け算のどこにも、「(基本となる)固まり×それが幾つ」などというルールはありません。順序を逆にして「(基本となる)幾つにするか×固まり」でもいいのです。掛け算において、基本となるもの(の数)がある、と考えること自体が間違いの始まりだとも言えます。  時として、「(掛け算は)被乗数に乗数を掛ける」という説明もありますが、被乗数も乗数も式の順番を見て、便宜的に区別するときだけの話です。  被乗数にはこういう数でないといけない、とか、乗数はこういう数を選ぶべき、とかは有害無益な考え方です。  子どもの答えを見る大人として、掛け算においては結果が同じだから順番がどうでもいい、と思うのは間違いで、掛け算の性質(本質・定義)としてどちらでもいいからです。  少し、数学基礎論から自然数の乗法について説明しましょう。  自然数(0, 1, 2, 3, …)からm, nを選び、n'=n + 1とすると、乗法「×」は以下のように帰納的に定義されます(「+」という足し算は既に定義されているとします)。 1.m×0=0 2.m×n'=(m×n) + m  こういう定義ですから、mを自然数からどう選んだとしても、掛ける数(乗数)が0, 1, 2, 3, …と増やせて行けますから、足し算の拡張として、どんな二つの自然数でも掛け算ができます。  ちなみに、足し算と同様に掛け算は、答も自然数になってくれますね。  引き算だとマイナスもあるので答の数を整数まで、割り算あるいは同じことである分数も、答は有理数まで拡張しないといけません。自然数かでしか習っていない前提だと、引き算では「できない」、割り算では「余り」ということが必要です。  さて、じゃあ「基本の固まり」はやっぱりmじゃないか、という疑問も出ます。答えはもちろん「いいえ」です。これは算数を超えて、しかし算数の元になり基本的な正しさを支える数学、その数学の正しさを支える数学基礎論です。  こういう数学基礎論では、物の数といった具体的な現実の数を「自然数」という抽象概念まで高めて、数学の正しさを保証しているわけです。こういう乗法の定義の前に、具体的な物に縛られない自然数というものを定義しておいて、そこから演算について定義しています。  そして、この議論は自然数の掛け算についてですから、行列の乗法だったら、とか、ベクトルの乗法では、とか言い出したら、切り捨てて構いません。一言、「何の話をしているか分からないなら、数学基礎論から見直してこい」でお終いです。  ちなみに、数学基礎論では「数学原論」という大著があります。300ページ以上を数学の定義に費やして、ようやく「だから数学では1 + 1=2としてよいのである」と述べています。そんな当たり前のことに、それだけ労力を費やしているわけです。それでも数学基礎論をやる人は、「数学原論はまだまだ甘い」と言います。普段、何げなく電卓やエクセルでしている計算は、そこまで理論的に正しさが保証されているわけです。  掛け算に戻ると、そういう風にしてできている数学の乗法、つまり掛け算ですから、そこに具体的な物である「基本の固まり」とか、それに対応する「それが幾つ」というものはありません。あってはならないのです。そんな条件付きでは、数学は条件付きでしか応用できなくなりますから。  大元である数学が、徹底的に抽象化された世界で成り立つとしているからこそ、正しく使えばどんな分野にも数学が使えます。そして数学の一部分である算数はもちろんのことです。  算数は実用のために使うものです。その起源は数学まで高められていない商取引などの実用計算などですし、実際に算数を使うのも、それであることに間違いはありません。  ただし現在の算数は、経験論的な実用計算を寄せ集めたものではなく、純粋なまでも抽象化された数学を経由して、実用に供するに使いやすいように作られた学問です。  そこに、ルールとして余計な物を付け加えることは許されません。ルールは数学を逸脱してはいけません。それでは、算数の正しさを数学が保証できません。数学から逸脱したルールを持つ裏切り者の算数を勝手に作って、子どもに教えてはいけません。  ただ、教えるにあたって、いきなり純粋に抽象化されたものでは無理です。そこで便宜的に、そして実用に富むよう、現実の物と対応付けて学んでいくようにするわけですね。  そこで「基本的な固まり」と「それが幾つ」という便宜も大いに有用です。その二つを掛け算すれば欲しい答えが出ると分かってもらえればいいわけです。  もし、そこまで分かっても、「どっちから式を書き始めていいか分からない」と言う子もいるでしょう。そうしたら、その子が最も分かりやすいように掛ける数の順序を決めてあげればいいのです。その順序は慣れるまでの便宜的なものであることは言うまでもありません。  小学校で教える先生も、クラスの多数の子どもに対して一人で教えます。そのクラスはたくさんあります。さらに小学校もたくさんあります。いろんな子ども同士で掛け算の話をすることも、当然あるでしょう。  そこを考えるなら、先生が個別の子どもではなく、教壇で掛け算のやり方を説明する方法は、統一しておいた方が良いですね。  まだ、掛け算の取り掛かったばかり、掛け算、ひいては算数、さらには数学の表面をなんとか読み取ろうとしている子どもですから、二人以上の子が掛け算の話をして、 「ぼくが聞いた掛け算はこうだよ」 「あれ、わたしが聞いた掛け算は違うよ」 「えー、どっちが正しいのかなあ?」 などと無用に悩むような事態は避けるべきです。  九九を覚える過程で、掛け算の順序はどっちでもいいと気が付いたり、長方形を立てたり寝かせたりしても同じ面積だと気が付いたりします。  子どもがそういう応用に入ったら、「そうだね、それは」と教えて見たり(そもそも可換については後で習いますが)、子ども同士がワイワイと話しているのを見守って、もし間違った方向に考えが進むようなら、ちょっとヒントを与えて行けばいいことです。  だから掛け算の順序を云々するのは、算数に入ってもらうための便宜的なものなんですね。つまり、嘘も方便の類です。  ならば教える大人のほうは掛け算の順序を、入口にうまく入ってもらって、慣れてもらうための便宜的なもの、ときちんと認識する必要があります。  たとえ教科書指導書に「こう教える(のがよい)」とあっても、それが唯一無二の真理であるかどうか、きちんと考えねばなりません。  もしそれが自分の教わった通りであっても、子どもが違うことを言ったら、自分がそう教わったという理由だけで言下に却下してはいけません。  調べ直してみて、子どもの言い分を考えてやらねばなりません。ましてや、言い分も聞かないようではいけません。多数の子どもを相手に大変な苦労ですけど、それが「子どもに教える」ということの義務です。  まあ相手が大の大人なら、「馬鹿もん、勉強し直してこい」なんてことで済ますことも多いですけれども(^^;。実際に大人になっても掛け算に順序があると信じ込んでいる人もいましてね。  見積書や請求書に、品名・数量・単価・合計の順で並んでいるのを見て、「馬鹿でえ、こいつ。掛け算の順序間違ってやんの(笑)」とかね。馬鹿はお前のほうだ、客に分かりやすいように並べるもんだ、と(^^;。

回答No.24

補足 教師が求める「型」を再現できる子が「理解している」とは限らない。 普通の通分は難なくできる。方程式も解ける。 という子に、1/a+1/bの通分や、ax+b=cをxについて解くように言ったらできなかった。 具体的数字ならできるが文字になるとできないと言うのは一般的によくあるがこの子のできなかった理由は私からしたら意外な者だった。 「通分は最小公倍数でないとならないので、a,bだとそれが分からないのでできない」 「方程式は係数が分数や小数なら全体に何かを掛けて分数や小数を消してからやらないとならないが、a,b,cだと整数なのか分数、小数なのかが分からない」 というものでした。 教師の目には模範解答をする「出きる子」と認識されていると思います。 1/20+1/5=5/100+20/100=25/100=1/4  0.3x+0.2=1.4 0.3x=1.2 x=1.2÷0.3=4  などとする子は「やり方が違う」と注意されるかも知れません。 でもこうやる子は、「模範解答と違ったやり方と違う方法でも答えに行き着く」という点では、模範解答以外では駄目だと思い込んでいる子よりも正しく理解しているとも言える。  前のコメントでも書いたように 700円の3割を求める方法は多様であり、100円の3割が・・・と考える子は割合を理解している。 「くもわ」に当てはめて「教師の求める正しい答え」を出せる子が理解しているとは限らない。 (x+3)^2 公式を覚えてなくて、括弧を1つずつはずすような子の方は、(x+3)^3も解く子とができる。 公式を使ってぱっと解く子は、3乗では「そんなのならっていない」などと言いかねない。 「連立方程式の解き方は加減法と代入法がある」ときっちりと覚えている子よりも、「何法だか知らないがとにかくなんかやって文字を片方落とせばいい」と言う子の方が未知数が3つのときにも柔軟に対応できる。  高校生に教えていていつくづく思うが、「型をしっかり覚える」という勉強をしてきた場合、中学までは何とかなるが、高校で躓く。 時速4kmで3時間歩く場合の距離 も 縦4横3の長方形の面積と同じように捉えていて、どちらがいくつ分かなんて意識しない子の方が伸びる可能性が高いと思う。  化学のモル計算が苦手な子が多い。 物質量が2倍なら質量も2倍というのは割と分かるのだが、物質量は同じで分子量が2倍なら質量も2倍というのがわかりにくいらしい。かけ算の順序をさんざん言われたからではないかと、疑念を持っている(これに関してはよく分からない)。  (1あたり)と(いくつ分)の区別よりも、積を長方形のように捉えて、縦が2倍なら面積2倍、横が2倍でも面積2倍、という考え方の方が重要である。

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