太平洋戦争を振り返る

このQ&Aのポイント
  • 太平洋戦争において、日本の勝機はほぼなかったとされるが、日本政府の選択は愚かではないという意見もある。
  • 日本はアメリカの筋書き通りに動いたとの批判もあるが、当時の日本政府は最悪のシナリオを予測し、戦争回避に努めた可能性もある。
  • もし当時の日本政府がもっと聡明な選択をした場合、日本が消滅する運命を免れることができたかについて質問がある。
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太平洋戦争を振り返る

このカテで、太平洋戦争に関する質問を調べなおすと、日本に勝機は万に一つもなかった。 しかしながら、戦争は避けられなかった。でも、一概に日本が愚かだったとは言えないと思います。そして、これでよかったみたいな意見が主流のようです。 確かに、もっとものような考え方のようですが、どうも日本がアメリカのほぼ筋書き通りに動き、これがいかにも正しかったという印象は拭いきれません。 ただ、これは今になっていえるからかもしれません。  しかし、当時だって 日本はアメリカには絶対に勝てないと予測していた人も少なからずいたわけですし、最悪のシナリオだって想定していたはずです。たとえば、日本が南北に分断され、北はソ連の一部として、セベルナヤ・ヤポニヤ共和国とかになり、南はアメリカの最後の州として、サウス・ジャパン州とかになって、日本という国家が消滅していたかもしれません。  そこで質問です。当時の日本政府がもっと聡明だったら、アメリカにハルノートを突きつけられた時、何をしていたと思いますか? 

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  • DieMeute
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回答No.16

No.12です。補足の質問があったようなので・・・ あそこから勝つために更にと言われましても、あそこからはあまりに不確定要素がありすぎるので、なかなか判断に難しいものがあります。 まずは、 アメリカ本土で大規模な内乱が起こせるか。そしてそれを役立てる事ができるか。イギリスが通商破壊にどこまで耐えられるかが鍵でしょう。 特に黒人の暴動、反政府運動を組織化された武力抵抗運動に繋げられるかどうかが問題です。 軍需生産の30%以上を賄っていたデトロイト市の暴動は三日間で終息しましたが、これをもっと長く激しく各地でできるようにしなければなりません。 黒人の反乱はドイツもやろうとしていましたが失敗しています。まあ、ドイツは取り掛かった次期が遅すぎたのが最大の失敗点だったわけですが。 それはともかく当時の黒人はアメリカ南部に大半が住んでいました。第二次世界大戦勃発により北部の工業地帯で労働力不足となり、黒人の北部への移住が進みます。 ところが、どうも日本は南部であまり黒人組織とは接触していないようです。主に北部の大都市の組織と接触していたようです。北部の工業地帯で反乱を組織するのは当然ですが、最も黒人の住んでいる南部地域で反乱を起こさせる工作もするべきでした。 それにアメリカの油田は南部にあります。その石油をタンカーで北部に運びます。しかし、アメリカは戦争になるとその石油輸送ルートをドイツのUボートに狙われ、タンカーを沈められ、アメリカ北部では石油が不足する状況に追いやられました。いかに、工業力が大きかろうとも、石油が無ければどうにもなりません。この事態にアメリカは陸路輸送で石油を北部に送ります。 もし、この時、南部で黒人が立ち上がり組織化された武力闘争をしてこの石油輸送ルートや油田地帯を攻撃すれば、アメリカにとっては大きな痛手になったでしょう。アメリカ軍が鎮圧にくるでしょうが、何も正面から戦えとは言いません。まずは軍との対決は避けゲリラ活動でアメリカを苦しめてくれればいいのです。 アメリカ西海岸ではメキシコ系移民やメキシコ人労働者を唆します。特にメキシコ系の若者はアメリカ人社会において一段低く見られたり扱われたりしている事に非常に不満を持っていました。そのため第二次世界大戦中にアメリカ兵5千人が投入されるような暴動が発生しています。 このメキシコ系の人々の不満を利用し暴動を拡大させ西海岸の防備に穴を開ければ西海岸にある油田地帯へ破壊工作を行ったり、機動部隊での空襲が可能になるかもしれません。 ちなみにこうした扇動工作には雇い入れた中国人や、南米の人々、スペイン人などを利用するのも手だと思います。実際、日本人はスペイン人を介してアメリカ本土にスパイ組織を作っています。 武器、資金、工作員などをどこまで送り込めるか、開戦前にどれだけ準備できるか、有能な指導者が反乱グループに現れるかどうかで色々と結果は違ってくると思います。 なおアメリカにいる日系人は戦争が始まればアメリカ政府から危険視されるのは分かりきっているので、日本政府に与する者については、撹乱要員として、いかにも何らかの活動、破壊工作を計画しているとアメリカ政府に思わせ、アメリカの治安機関を引っ張り回させた方がよかったでしょう。442連隊みたいにアメリカのために戦った日系人もいますが、反アメリカの姿勢を声高に主張しながら収容所で暮らした日系人もいるのです。日本はもっと日系人を有効に活用するべきでした。 さらにはインディアンなどにも働きかけ、あらゆる有色人種を反アメリカ政府への状態にもっていき、各地でゲリラ活動を行い、経済活動を停滞させ、その工業力を揺るがします。 もし、実現できれば、アメリカの軍備が整うのは遅れるでしょう。 そして太平洋での日本軍の活動がうまくいっていれば、その対応に力を注がなくてはならず、アメリカ本土防衛とアメリカ国内の安定に多くの軍と兵器、物資が必要となり、他国への援助が滞るかもしれません。 もしソ連へのアメリカの援助が滞れば、ソ連がドイツに敗北する可能性が高くなります。 アフリカ戦線へのアメリカ軍の投入も遅れるか中止になったり、イギリスへの武器援助も滞ってエル・アラメインでドイツ軍が敗北する可能性も低くなります。 さらにソ連が敗北すればドイツの対イギリス戦力が増し、ますますイギリスは苦しくなります。もしここでアメリカの工業力が発揮できなかった場合、イギリスは通商破壊戦に音を上げ講和の道をとるかもしれません。 そうなるとアメリカは国内問題を抱えながら、日本、ドイツと単独で戦わなくてはなりません。それは厳しいので、ここで一旦、講和の道を選び、まずは国内を安定させ時節到来を待つという事になるかもしれません。 要はアメリカ本土でどれだけの規模で反乱が起こせるかで全ては変わってくるでしょう。 火種は幾らでもあります。それまでの社会的地位に不満な黒人に、黒人の社会進出、特にそれまで白人が占めていた職場に黒人が進出するのを許せない白人。この両者はデモを起こしたり、ストをしたり、些細な噂でも暴動を起こしました。付け入る隙は幾らでもあった筈です。黒人やインディアンに自分達の国を持てと唆すのもありでしょう。 ちょっと別の話ですが・・・ 真珠湾での第三次攻撃は、南雲機動部隊の源田参謀や第二航空戦隊の山口司令官や鈴木参謀、連合艦隊司令部では黒島参謀が主張しています。艦隊の現状が分かっている人達が攻撃を求めています。不可能だったら主張しないでしょう。 現に攻撃した後、空母に戻った第一次攻撃隊は、第二次攻撃隊が戻って来る頃には、燃料、爆弾の補給を終え再出撃が可能であり搭乗員達もそのつもりでした。だから再出撃の命令をなかなか出さない南雲中将に山口司令官は出撃の催促をしています。 南雲中将が第三次攻撃を断念した理由も、犠牲を恐れての事でそう説明しています。 それにこの後、赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は日本に帰国しますが、蒼龍と飛龍はウェーク島攻略に向かい、そこで攻撃隊を発進させ戦闘しています。この時、蒼龍、飛龍は南に北にかなり動いています。そして日本への帰途に着きました。 こうした事から第三次攻撃が不可能だったとは思われません。 また、第一次攻撃隊、第二次攻撃隊の被害もよく検討すると水平爆撃隊に撃墜された機はありません。 第二次攻撃隊で犠牲が大きく出たのは、急降下爆撃隊であり、第一次攻撃隊の戦火により煙で視界が悪く、一度降下し目標を確認するなどして爆撃を行ったため、通常より危険度が跳ね上がったせいです。 絶対、犠牲が出ないとは言いませんし、どこまで打撃を与えらるかも不確定ですが、水平爆撃隊を主力に第三次攻撃を行う事は無謀とまでは言えないと思います。 それとハワイ単独で必要な軍需物資を何もかも賄えるわけではありません。アメリカ本土とハワイ間の海上輸送路を通商破壊で叩くのは基本なので、必ずしもハワイの能力がすぐに回復するかどうかは疑問です。先にも述べましたが開戦初期には東海岸では重要なタンカーにさえ十分な護衛を付けられずUボートに沈められ石油不足になっているのです。

yingtao7
質問者

お礼

ご名答感服致します。DieMeuteさんの作戦でも日本が負ける公算が大きいとは思いますが、それでもうまくアメリカが策にはまってくれれば、望みは残っているて思います。この質問でも否定的で陳腐な回答をした人は 昔の日本人の気概を否定することに難色を示しているのかもしれません。

その他の回答 (15)

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.15

まあ、また漫談です。 アメリカもこの件に関してはお利口とは言い難いところがありました。とくに、日本の航空軍事力と継戦能力を甘くみていた節が大です。 まあ、それも仕方のないことでした。自分たちが石油をとめているのだから、戦争するわけがない、と思っていたわけです。 悲しい現実ですが仮想戦記ゲホッゴホッ、戦記物がダイスキなみなさんの愛の象徴、零戦の取扱説明書に記載されている指定エンジンオイルは、テキサコのものです(アメリカの石油会社)。いかに日本がアメリカの石油に頼っていたかの象徴といえるでしょう。 ハル・ノートだしたら、殴ってくるとは思わなかったよ、がアメリカのホンネです。 中国でドロヌマ、ソ連と満州国は隣り合わせでソ連はつぶれそうにない、石油は禁輸措置してある、 なぜ、攻めてくるのよ。 あと、真珠湾第三次攻撃は無理です。 重油タンクや造船施設を破壊できるのは800キロ爆弾ですが、もうストックがありません。それに、29機無くしています。また、重油は燃えにくく、かつ真珠湾の石油施設の消火・延焼防護施設の増築は終わったばかりです。地上施設の復旧はむずかしいことではなく、この時点での日本空母の攻撃では半年以内に直るでしょう。それに、空母の航空ガソリンのストックも心もとない上に、艦隊の燃料残そのものも危ない。アメリカの空母が反撃していた場合の機動すら危ないほどです。 帰るのがあの場合は正しいと思います。 まあ、惜しかったIfとしては、太平洋艦隊の旗艦ペンシルバニアに命中がなかったことです。このフネが着底していたら、太平洋艦隊と司令部の書類が全滅していたはずなんですが。 ソ連が日本本土に史実以上に攻め込む心配はないと思います。海をわたる能力が極端に低いのと、作戦基地がウラジオストックしかないからです。 ですが、アメリカは戦争経済の3割しか対日戦線に回していませんでした。これであの大惨事です。 万が一にも勝てません。 パールハーバーのショックでルーズベルトが急死してくれるくらいが望める万が一ではないかと思います。

yingtao7
質問者

補足

ありがとうございます。戦争は野球と違いますからね。野球なら9回ツーアウトで5点差で負けている状況でも試合を投げ出せませんからね。たとえ6点以上の差が出た場合には地獄の罰ゲームが待っているとしても。

回答No.14

言い忘れましたが日ソ不可侵条約を独自決済で強行に実現した 松岡外務大臣自身がソ連攻撃を主張しました。しかし戦争を避 けたいという人達の代案無き反対で潰されてしまいました。 特に軍人が反対した。何しろ海軍は外務省に恨みと不満がたまって いたので重要事項で外務省の邪魔をする事に大満足という訳です。 陸軍はソ連軍に対する恐怖、海軍の外務省への敵視感情が軍隊と してソ連攻撃に反対。となっていたのです。 選ばれたのは現状維持の推進。南方進駐はその程度の認識。 世界中の強国が生死をかけての大戦争をしているのにのんびりと おいしい食べ物を求めたのが日本政府と軍隊です。 それゃーねえ・・・世界中が束になって潰します。

yingtao7
質問者

補足

ありがとうございます。奇抜なご意見ですね。kawasemi60さんの作戦だと1%の勝算はあると思いますが、無謀な点は否めませんし、もっと賢明な選択肢もあったはずです。しかし、他の回答に見られるようなイマジネーションに乏しい意見とは一線を画した大胆な発想は大いに評価に値します。

回答No.13

前出の過去回答。 甲案 【12月5日5時50分攻撃予定全部隊に対し中止命令発令。 6時00分、全部隊に対し最短コースで本土帰還命令。 12月8日9時00分、アメリカに対し交渉打ち切りを宣言。 12月14日12時00分、大使及び館員の全員に帰国命令。 12月20日9時00分より戦争指導会議開催。 12月25日11時30分、会議結論。 アメリカに宣戦布告するが攻撃はしない事。 本土、台湾、マリアナ諸島に各1000機の防空戦闘機の配備決定。 小笠原に500機。防空戦闘機は開発期間10ヶ月とし戦時生産開始。 防空パイロット6000名の養成開始。防空戦闘機数は5000機以上。 小笠原、マリアナ諸島の要塞化決定。60センチ魚雷2発搭載、有効 攻撃距離25キロの水中突撃艇3000隻の製造配備。秋月型駆逐艦200隻 建造決定。台湾、マリアナ諸島、小笠原、本土を結んだ海域を重要防衛圏 として海軍陸軍共同司令部を設置し独立防衛体制を発令。対ソ戦開始決定。 12月30日。大日本帝国はアメリカ合衆国に対し宣戦布告。 1月10日8時50分。朝鮮駐屯軍に対しソ連国境に集結を命令。予備役動員。 1月12日9時00分。満州軍に対し対ソ戦準備を命令。 1月16日。ソ連に対する侵攻開始命令。 1月20日。ソ連に対し宣戦布告。 モスクワ方面に遁走する極東軍を追撃すると同時に自由ロシア軍を創設 し治安に当たらせる。約1年をかけてウラル山脈まで進撃し侵攻停止。 この頃に来襲するアメリカ艦隊の空母40隻を航空迎撃により撃破。 その後。和平交渉を開始する】 乙案 【南方攻撃部隊に攻撃を下命。 ハワイ攻撃部隊に中止と帰還命令を発令。 フィリピン攻撃部隊に対し中止を命令しマリアナ諸島 防衛を命令。防空戦闘機の開発決定と戦時生産開始。 12月10日。アメリカに宣戦布告するが戦闘は禁止。 秋月型駆逐艦60隻の建造決定。 12月25日。マリアナ諸島に2個師団増援。 硫黄島要塞化開始。60センチ魚雷水中突撃艇製造配備。 台湾、マリアナ諸島、小笠原、本土の領域防衛を強化。 フィリピン米軍を孤立化させハワイとの連絡を遮断。 南方を確保し米軍との戦闘を回避しながら防衛強化。 1年後に押し寄せるアメリカ艦隊の撃破を図る。以後は平和交渉。】 丙案 【南方及びフィリピン攻撃を取り消し全兵力でハワイを攻撃占領。 アメリカ西海岸南方に上陸。内陸に進軍。メキシコに外交交渉 を行いアリゾナやテキサス領有を認める事で参戦を得る。 日本とメキシコ連合軍が大陸を北上。太平洋沿岸北部から日本軍 独自で侵攻。航空小規模攻撃を多数行い攻勢を維持。 ロッキー山脈まで進軍。平和交渉に入る。】 ◎アメリカ連邦軍が最も対応が難しいと判断していたのが丙案です。 日本軍が総力で西海岸から進撃すればロッキー山脈で抵抗線を敷く 他ないと判定していたようです。ゼロ戦を大陸侵撃に使えば威力十分。 敗戦はアメリカ連邦を占領する意思と計画の無い点に在りました。 参考の過去質問は歴史通りという前提条件があるので丙案でした。 ハルノート対処にはソ連攻撃が最適解と考えます。 イギリスは政府国民とも日本との戦争を望みませんでした。 アメリカ政府は対ドイツ参戦であり国民は対外戦争拒否でした。 対ソ連攻撃によりイギリスやアメリカとの関係改善が進む。 ウラル山脈まで進撃し占領地を長期間支配する。 ドイツが勝っても負けても日本の益は得られます。

  • DieMeute
  • ベストアンサー率70% (571/807)
回答No.12

そもそも政府が聡明だったらハル・ノートなどつきつけられていなかったでしょう。 政府が聡明だったらそれより前の時点、南仏印進駐はしなかった筈です。 昭和16年6月11日の会議で松岡外相は南仏印進駐はアメリカの対日全面禁輸の恐れがある。イギリス、アメリカとの戦争に発展する恐れがあると反対していたし、天皇陛下への上奏を起案する段階になっても反対していました。 海軍の親英米派と称された山本五十六、米内光政、井上成実らも松岡外相と同じ意見で南仏印進駐には反対していました。 しかし、甘い見通しのもとに南仏印進駐は行われ、アメリカに禁輸されます。 これについて東條内閣の企画院総裁だった鈴木貞一は「来るべきものがついに来たと思った。とは言っても全面的禁止だったのには驚いた」なんて甘い事言ってます。 もし本当に政府が聡明だったら南仏印進駐はしなかったろうし、そもそも昭和15年3月に日本陸軍首脳部が泥沼の中国戦線を整理し後退し兵力を上海、北支、蒙彊に下げる事を決定した時に、これを強く推進していたでしょう。 そうすれば、泥沼の中国戦線でとりあえずは一息つけるし、対米開戦なども起きなかったでしょう。 まあ、それでも敢えてハル・ノートを突きつけられた時点で日本政府が聡明ならというなら、ある程度聡明なら・・・やはり開戦でしょう。 ハル・ノートのおかげで陸軍内は南進論で沸騰し、海軍も中堅層を中心に対米戦に走りだします。もはや止めようがありません。昭和天皇も言っておられます。もし私が主戦論を抑えたら、陸海に精鋭なる軍を持つのにむざむざアメリカに屈したというので、国内の世論は必ず沸騰しクーデターが起こったであろうと・・・政府であろうと同じでしょう。開戦を回避していたらクーデターで倒され、やはり開戦でしょう。混乱した後に開戦するより、一丸となって開戦準備に邁進し開戦した方が国力を削がなくてよいでしょう。 もっと聡明なら戦争を回避するために天皇を前面に立てて軍部の非主流派を利用した大掛かりな軍部粛清でしょう。以前より軍部の独走は目にあまります。それを押さえる意味でもこの際、大がかりな粛清を行って、軍の手綱を握ります。ただ、軍の主流、多くは主戦論なわけですし、粛清がうまくいくかどうかはわかりません。失敗する可能性も大いにあります。内乱になる可能性もあります。 しかし、成功すれば、軍の独走を抑える事ができますし、アメリカを強硬姿勢に走らせた南仏印から撤退する事にも可能になります。 日本国内で主戦論派を押さえ、アジアの一部から撤退を始めた事を示せば、ルーズベルトはともかく、アメリカ国内の日本との決定的な対立を望まない政治家や企業家を動かして、彼らからアメリカ政府へと働きかけさせ、日本と再度交渉する見込みを作る事も無きにしも非ずというものです。 また、粛清が失敗したとしても日本が内戦になって軍備にある程度被害が及べば、アメリカとの早期開戦を言う声は静まるかもしれません。 いずれにしろ、成功するにしても失敗するにしてもアメリカとの望み無き戦いを避けるために軍部粛清という手段は有りかと思います。 ところで、私は「日本に勝機は万に一つも無かった」とは思っていません。 今年の10月30日にこの歴史カテで立てられた「太平洋戦争の思考実験」での回答に書きましたが、私は日本に勝機はあったと考えている人間ですので、ここのサイトでは非主流派という事になるでしょう。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。すばらしすぎるご回答です。主流派の人がここで回答しても運命論的で新鮮味に欠ける回答になりますが、DieMeuteさんのご意見には参りました。

yingtao7
質問者

補足

「太平洋戦争の思考実験」でのDieMeuteさんのご回答拝見しました。凄い戦略ですね。恐縮ですが、日本が勝つためにはあの戦略から更にどうすればよかったと思いますか?

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.11

まあ、漫談です。 ハル・ノート、突きつけられましたよね。聡明だったら持ち帰って検討し、回答期限を引き延ばす、まずこれをしたとおもいます。 1941年12月となると、ドイツのモスクワ攻略が絶望となったわけですが、これはソ連が簡単につぶれてくれないことを意味します。この状況をもうすこし冷静に判断することができたかもしれません。 この時点での日本の軍事ドクトリンは、ドイツがソ連に勝利することが前提です。満州国が安全になるからです。だから南に行きましょう、仏印進駐しました、ドイツ勝っているから……の、ドイツがおおこけしたことがわかったらどうなったか。 中国からの撤兵は陸軍として譲れませんが、仏印から引くのを条件のひとつにして、外交しましょう、となるかもしれません。外交しているうちに、ドイツがいろいろまずくなるのを知れば、また方策も出るというものです。 その先は、ほかの賢い方にまかせます。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。漫談大いに結構ですよ。それにしてもなかなか鋭い分析ですね。ドイツとソ連の動きも忘れてはいけませんよね。

  • Knotopolog
  • ベストアンサー率50% (564/1107)
回答No.10

#7です. 補足に対する回答: >今の日本政府ならハルノートを突きつけられたらどうすると思いますか? 現在の日本政府(野田首相)と当時,米国のモーゲンソー財務長官の特別補佐官ハリ・デキスター・ホワイト氏の起草になる「ハル・ノート」とを結びつけるのは,如何にもナンセンスなので,お答え出来ません.悪しからず・・・.

yingtao7
質問者

補足

再度ありがとうございます。歴史にifはないと言われるようにこの質問自体ナンセンスかもしれませんね。しかし、戦国の武将たちはそういうシミュレーションをして戦を勝ち抜いてきたのだと思います。ただ一つ言えるのは多くの人が見落としているかもしれませんが、日本が開戦したのも敗戦したたのも必然的な流れだったかもしれませんが、戦後の復興は奇跡的な幸運に恵まれた結果だと思います。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.9

>当時の日本政府がもっと聡明だったら、アメリカにハルノートを突きつけられた時、何をしていたと思いますか?  やはり戦争を選んでいたと思います。ただしちゃんとした戦略とそれに基づく戦術、そして重要なのは「どの時点で講和に持っていくのか」ということを戦略に入れて、です。 アメリカへの宣戦布告から最初の2年間、大体ミッドウェー海戦の敗北までは日本軍はそこそこ優勢に勝ち進んでいたといえます。 簡単に言えば「そこでやめておけばよかった」ということです。 日露戦争のときもそうですし、今の日本の政治家(自民党も民主党も)も「出口戦略」というものが一切ないように感じます。 日露戦争の時は、戦費が国家予算を圧迫しアメリカの仲裁を受け入れる形で講和していますが、実際には日本の体力は限界で、あれ以上の戦費投入はかなり困難な状況でした。もちろんロシアも国内紛争がありましたので、どちらも「戦争をやめたい。しかし自国に有利にやめたい」という状況で日本全権小村寿太郎がなんとか交渉を纏め戦勝国になったわけです。あの時点ではかろうじて「戦略」が存在したといえますし、リアルな現実を見る目も持っていたといえます。 しかし、太平洋戦争は「どこで戦争を終結し、日本の利益をどう守るか」という視点で議論した後がほとんどありません。 1940年当時の数少ないリアリストである山本五十六が「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」 と発言しているのですが、実際に真珠湾攻撃の以後、日本は海軍も陸軍も侵攻するばかりで「何をしてどこを取り、どこでやめるのか」というが、後世の視点から見てまったく分からないといえるからです。 この当時「総帥権」の問題などで、軍部が独立肥大し関東軍などの誕生もあって、シビリアンコントロールが効かない状態だったとはいえますが、それにしても文民として「戦争を始めるのは簡単だが、戦争を終わらせるのはどうするのか、文官に任せるつもりはあるのか」と問う姿勢が政府に無かったのが残念です。 ですので、ハルノートを突きつけられた以上、戦争は不可避だったのかもしれませんが「勝っているうちに戦争を終わらせる」という聡明さがあれば、だいぶ違う結果になっていたと思います。 ちなみに「原子力発電を作るのは簡単だが、万が一のときにどのように収束させるのか?」という問いを封印してきたのですから、自民党も民主党も官僚も、太平洋戦争の頃とまったく同質だと思います。 今の日本政府が聡明なら「出口戦略」を持つことを切に願います。

yingtao7
質問者

補足

ありがとうございます。今の日本政府だってそれほど賢くなったとは言えませんが、当時と比べて、よく言えば慎重になりましたが、悪く言えば臆病になりましたよね。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.8

 No.4です。質問者様が前提とされる「ハルノート」ですがその内容に関してご存知でしょうか?。ご存知ならばこの様な質問をなさらないはずです。  いわゆる「ハルノート」には中国およびフランス領インドシナからの即時撤退、が明記されています。これを当時の外務省や陸軍省を含む内閣や官僚が認めたでしょうか?。それまでの「戦果」に酔いしれていた愚か者達にとって将来の敗北など想定の中にあったといえるでしょうか?。彼らの認識に有ったモノは全て「自分達の想定通りに事が運ぶ」との現代と変わらないものです。「日本政府がもっと聡明だったら………」とする前提には意味などありません。彼らには「失敗した時の弁明」やら「敗戦処理」といった発想そのものが欠落していたと考えるのが史料から読み取ることの出来る経過です。  中国大陸の奥深くに進むことで日本は退路を失い、またインドシナ半島でも奥深くに入り込むことで第二次大戦後のベトナム戦争でアメリカが犯した過ちと同様の経過を辿ったともいえます。

yingtao7
質問者

補足

再度ありがとうございます。この質問自体半ばナンセンスかもしれませんが、前回のご回答の補足でも書きましたが、現在の日本政府ならどうすると思いますか。

  • Knotopolog
  • ベストアンサー率50% (564/1107)
回答No.7

>そこで質問です。当時の日本政府がもっと聡明だったら、 >アメリカにハルノートを突きつけられた時、何をしていたと思いますか?  質問者さんの言われる「当時の日本政府がもっと聡明だったら、・・・」という表現は,「明治憲法の構造的問題」から始まり,「日清・日露戦争」,「満州事変」,「支那事変」などに至る当時の複雑な国内事情(特に『統帥権の独立』問題)等を熟知しているならば,そう簡単には出てこないと思うのですが・・・. 「ハル・ノート」は,当時の日本としては,絶対的に受け入れられない内容でした.質問者さんの言われる「当時の日本政府がもっと聡明だったら・・・」どこの話では到底ありませんでした. それより,タイトルの「太平洋戦争を振り返る」に因んで,過ぎ去った過去の大東亜戦争(太平洋戦争)に関する教訓を列挙しておいた方が有益でしょう. ◆ 教訓1:賢明さを欠いた日本の大陸政策. ◆ 教訓2:早期終結を図れなかった支那事変. ◆ 教訓3:時代に適応しなくなった旧憲法下の国家運営能力. ◆ 教訓4:軍事が政治に優先した国家体制. ◆ 教訓5:国防方針の分裂. ◆ 教訓6:的確さを欠いた戦局洞察. ◆ 教訓7:実現に至らなかった首脳会議. (以上,教訓1から教訓7までの出典:瀬島 龍三 著「大東亜戦争の実相」) 念のために,瀬島 龍三 著「大東亜戦争の実相」を下記に記しておきます. ------------------------------------------------- ● 瀬島 龍三 「大東亜戦争の実相」PHP文庫,2000年7月初版. ★ 瀬島 龍三氏は,昭和14年から終戦近くまで,大本営陸軍部参謀,すなわち,1939年末から1945年7月まで,陸軍最高統帥部の作戦部で,全軍作戦の企画立案指導に従事した人物ですから「大東亜戦争の実相」に書かれている内容の信憑性には全く問題ないでしょう. ▲ この本は,瀬島 龍三氏が,1972年11月,米国ハーバード大学での講演の内容を書籍にしたものです. ------------------------------------------------- ご参考に,如何でしょうか.334ページの文庫本ですので2~3日で読み終えられます.非常に良く書かれた面白い本です.

yingtao7
質問者

補足

ハルノートが絶対に受け入れられなかった内容だったことは承知しております。それでは 少し質問を変えます。 今の日本政府だって聡明とは言えませんが、今の日本政府ならハルノートを突きつけられたらどうすると思いますか?

noname#177763
noname#177763
回答No.6

日本軍による真珠湾攻撃はアメリカの挑発によるものだそうですね。 実際にアメリカ軍の被害にあったのは戦艦とかもやられましたが、 空母は全て無事でした。 アメリカ軍もわざと犠牲を払ってでも、 日本軍攻撃という大義名分が欲しかったのです。

yingtao7
質問者

補足

ありがとうございます。日本が開戦をさけられなかったとしても、敗戦ムードが濃厚になった時点で原爆を落とされるまえにもっと早く降伏する余地はあったと思います。

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    日本は太平洋戦争でどうして勝ち目のない戦争に挑んだのか、避けることはできなかったのか というような質問がこのカテでも過去に何件かありました。そして、比較的多くの回答がつく傾向にありますが、決まって大半は反論的な回答です。どうしででしょうか? 私なりに若干補足を加え整理していました。確かに、当時の段階で戦力を分析するのは難しかったかもしれませんが、山本五十六たちは日本は逆立ちしてもアメリカには勝てないと踏まえていたし、最悪のシナリオも想定していたはずです。 (1)歴史にifはないと 言われるように、タラ・レバを語るのはナンセンスだから。 (2)結果論の後知恵なら誰にでも言えるから。 (3)こういう質問は歴史の認識が浅い人の典型的な愚問の一つであり、複雑な背景を考えると 単純に当時の日本の中枢部が愚かだとは結論を導けないから。 (4) 当時の日本は 窮鼠猫を噛む 状態にあり、万に一つの可能性に賭けたから。東京裁判のパール判事が ハルノートを突きつけられたら、モナコやルクセンブルグのような小国でさえ アメリカと開戦するだろう と言ったように、ハルノートはそれほどまでに無茶な要求であり、ましてや、日清・日露戦争で勝利した日本がハルノートを受け入れることはあり得なかった。 (5)日本は倒幕、または黒船到来の時から いずれアメリカと衝突する宿命にあった。宿命は誰にも変えられない。 (6)当時の日本は政府も国民も一種の集団マインドコントロールを受けていた状態にあり、開戦を回避するのは もはや不可能だったから。 (7)当時の日本の中枢部は最悪のシナリオを想定外に置いていたから。その点では 今回の福島原発事故に通じるものがある。 (8)当時の日本人は元寇の時のように、ピンチの時には神風が吹いて 奇跡が起きると信じていたから。 (9)ハルノートを突きつけられた時点でもはや手遅れだった。l日本は満州に進出した時から、その流れは理屈や論理で歯止めが利かない状態にあり、アメリカとの開戦の流れは誰にも止められなかった。もし、戦争を回避するなら もっと早くから舵取りする必要があった。 (10)日本はアメリカ本土に上陸することは考えておらず、日露戦争の時のように、最初の段階で相手国に打撃を与え、自国に優位に講和を持っていく思惑があったから。 (11)日本は同盟国のドイツがイギリスとソ連から戦勝することを見込んでおり、そうすれば、日本は必然的にアメリカに勝てると思ったから。 (12)そういう質問は祖国の為に散った戦没者を貶めることになるから。 (13)当時と現在ではまるっきり価値観が違っていたから。当時の日本の軍隊はアメリカに降伏するくらいなら、一億玉砕の道を選ぶ“気概”があった。 今の日本政府ならハルノートも受け入れるだろう。 (14)日本は敗戦したおかげで、現在の繁栄があるから。万が一にも 日本がアメリカに勝っていても、日本は遅れた国になっていただろう。 (15)戦争は時の運であり、日本にも勝機があったから。日本は作戦で負けた。 (16)当事の日本の中枢部は ハルノートを受け入れて戦争を回避するよりも、敗戦した方がダメージが少ないだろうと、綿密で周到な計算をしていたから。 (17)ハルノートを受け入れても、アメリカはベトナム戦争や湾岸戦争のように、強引にでも戦争を仕掛けてきただろうから。 (18)アメリカとの開戦は避けられなかった言うのは、一種の定説であり、この手の質問に限らず、定説を否定するような質問には反論したくなるのが人情だから。ただ、関心度が高い質問だけに、回答数に比例して反論も多くなる。 (19) この手の質問に限らず、また定説は抜きにしても、このサイトでは同調的よりも反論的な回答が付きやすいから。そして、この手の質問は昔の話であり、また、プライベートな悩み事に関することではないので、回答者は心置きなく質問者を叩きやすい。 *おそらく、いくつか該当すると思いますが、一番大きい要因は何だと思いますか? また、その他にも反論的な回答が多くつく理由はありますか?

  • 太平洋戦争は避けられなかったのか?

    日本は太平洋戦争でどうして勝ち目のない戦争に挑んだのか、避けることはできなかったのか というような質問がこのカテでも過去に何件かありました。そして、比較的多くの回答がつく傾向にありますが、決まって大半は反論的な回答です。どうしででしょうか? 私なりに若干補足を加え整理していました。確かに、当時の段階で戦力を分析するのは難しかったかもしれませんが、山本五十六たちは日本は逆立ちしてもアメリカには勝てないと踏まえていたし、最悪のシナリオも想定していたはずです。 (1)歴史にifはないと 言われるように、タラ・レバを語るのはナンセンスだから。 (2)結果論の後知恵なら誰にでも言えるから。 (3)こういう質問は歴史の認識が浅い人の典型的な愚問の一つであり、複雑な背景を考えると 単純に当時の日本の中枢部が愚かだとは結論を導けないから。 (4) 当時の日本は 窮鼠猫を噛む 状態にあり、万に一つの可能性に賭けたから。東京裁判のパール判事が ハルノートを突きつけられたら、モナコやルクセンブルグのような小国でさえ アメリカと開戦するだろう と言ったように、ハルノートはそれほどまでに無茶な要求であり、ましてや、日清・日露戦争で勝利した日本がハルノートを受け入れることはあり得なかった。 (5)日本は倒幕、または黒船到来の時から いずれアメリカと衝突する宿命にあった。宿命は誰にも変えられない。 (6)当時の日本は政府も国民も一種の集団マインドコントロールを受けていた状態にあり、開戦を回避するのは もはや不可能だったから。 (7)当時の日本の中枢部は最悪のシナリオを想定外に置いていたから。その点では 今回の福島原発事故に通じるものがある。 (8)当時の日本人は元寇の時のように、ピンチの時には神風が吹いて 奇跡が起きると信じていたから。 (9)ハルノートを突きつけられた時点でもはや手遅れだった。l日本は満州に進出した時から、その流れは理屈や論理で歯止めが利かない状態にあり、アメリカとの開戦の流れは誰にも止められなかった。もし、戦争を回避するなら もっと早くから舵取りする必要があった。 (10)日本はアメリカ本土に上陸することは考えておらず、日露戦争の時のように、最初の段階で相手国に打撃を与え、自国に優位に講和を持っていく思惑があったから。 (11)日本は同盟国のドイツがイギリスとソ連から戦勝することを見込んでおり、そうすれば、日本は必然的にアメリカに勝てると思ったから (12)東条英機などの軍部トップたちに、日本軍は質素剛健で強い(はずだ)という過大評価があり、米軍は贅沢に慣れきって弱い(だろう)という完全に間違った思い込み・過小評価をしていたから。

  • 太平洋戦争で日本が得たもの

    太平洋戦争は日本が開戦すべく開戦し、敗戦すべく敗戦したと言えると思います。 確かに、ハルノートは日本が到底受け入れることができなかったというのは分かりますが、 どうせ勝ち目の無い戦争に望まないでハルノートを呑むのも選択肢の一つにはあったと思います。 結局、日本は満州だけでなく、台湾と樺太も失ってしまい、おまけに原爆まで落とされてしまいました。 そこで質問です。日本がアメリカと開戦したのはネガティブな理由であれ、ハルノートを蹴って戦争に踏みきったことには結果的にはどんな意味があったのでしょうか?

  • もし、第2次大戦後 日本も分断されていたら

    第2次大戦後、ドイツは東西に、朝鮮は南北に分断されました。当時はソ連も日本を狙ってはずなので、ソ連の力が日本に及んでいれば、日本も南北に分断されていた可能性はあったと思います。 もし、日本も南北に分断されていたら どうなっていたと思いますか?

  • ベトナム戦争の疑問!!

    こんにちは!今回の質問では、ベトナム戦争についてです。私は、ベトナム戦争が南北ベトナム同士の戦争とみせかけて、アメリカとソ連の戦争と聞いていました。しかし、最近読んだ本では、ベトナム戦争はアメリカが最初にベトナムの攻撃を受けたという偽りの元、発生した戦争と書いてありました。そして、日本もアメリカの戦争に賛成していたと・・ そこで質問なのですが、 (1)なぜ南北にそもそもベトナムは別れたのでしょうか? (2)そして、なぜ日本はアメリカの侵略に賛成したのでしょうか? (3)この頃ソ連はアメリカと平和公約を結ぶという思いでいっぱいだったが、アメリカはソ連をいつか侵略しようと企んでいたと聞いたのですが、いつからソ連とアメリカの二者の戦争になったのでしょうか? (4)アメリカが最初ベトナムを侵略したのはなぜなのですか?ソ連を攻めるために、ベトナム→中国→ソ連と攻める目的だけで(各個政策?)ベトナムを侵略したのでしょうか? 数多くの質問ですが、どなたか回答お願いします。またこの戦争についての本もありましたら、教えてください。お願いします・

  • 太平洋戦争から~

    始めましてこれからよろしくお願いします。 最近色々思うんですが中国・韓国が色々文句言ってきますよね。それって内政干渉だとおもうんですけどどうでしょうか? あと太平洋戦争で日本だけが悪者扱いされて世界から叩かれてますがアメリカのほうがひどい事してると思うんですけど・・・・ たとえば無差別攻撃も狂った米の上層部が日本は家内工業で兵器を生産してるからという屁理屈のような理由で無差別攻撃を敢行。 原爆も実験や後々の対ソ連政策のために日本を極東の対共産圏の拠点にする為に威嚇も込めてなんらためらいもなく落とすし そもそも戦争始めるように日本にABC包囲網やハルノートを提出したのもアメリカですこんな国がなぜ今世界の警察と呼ばれ自らの正義感だけで世界を手中に収めて闊歩しているのでしょうか? 長文長々とすいませんm(__)m

  • あえて、太平洋戦争どうなの?

    日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦したのは教科書にも載ってる周知のことですが、 ある本にはアメリカが戦争をしかけたとも過言ではないようなことがかいてありました。 対日石油輸出全面禁止→で、ハルノートで戦争を起こせざるを得ない状況になったと。 色々な意見があると思いますが私は右でないのであしからず。

  • もしも,太平洋戦争がなければ・・・

    もしも,太平洋戦争がなければ・・・ 昨日22日は,太平洋戦争において沖縄戦が事実上終了した日だそうです。もし,仮に,ハル・ノートを受け入れて満州から撤兵して米英との戦争を回避したとしたならば,当時の世界情勢,日本の国力(人口,衆情,庶民の生活など)からどうような展開になったと考えられますか。また,戦争を回避した日本に対して,米英はどう対応したでしょうか。

  • 太平洋戦争は回避できなかったのか?

    太平洋戦争を考える度、日本は随分無謀なことをしたものだと思います。 確かに、アメリカにハルノートを突きつけられ、止む無く戦争を開始したそうですが、 日本の勝算、また最悪のシナリオ(東郷7だけでなく天皇も処刑され、日本が分割統治される)を考えれば、無謀としか言いようがありません。 もし、東郷が信長や秀吉でも開戦していたかもしれませんが、家康だったら思いとどまったと思います。

  • 太平洋戦争はなぜ起きた

    太平洋戦争で日本はアメリカに惨敗しましたが、戦争は回避できなかったのでしょうか? 当時、日本は石油や鉄鋼など重要な資源の半分以上をアメリカからの輸入に頼っていたので、兵糧攻めであっさり負けるのは誰の目にも明らかなはずですが、なぜ、日本は無謀な戦いに挑んだんでしょうか?