哲学の問題:有機体論と実証主義

このQ&Aのポイント
  • 有機体論とは、部分の存在が全体に依存するという側面を持つ哲学的な考え方です。ライプニッツはモナドを有機体として考えました。
  • 実証主義とは、経験科学の相対的な知識を重視する哲学的な考え方です。コントは実証主義的科学が形而上学的知識に勝てないと述べました。
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哲学の問題です。 有機体論と実証主義です。

問1 有機体論の特徴として次のうち正しいものを2つ選べ。 (1) 全体は部分の総和でしかない。 (2) 部分の存在が全体に依存するという側面をもつのが有機体である。 (3) ライプニッツはモナドを生きた点として考えた。 (4) ライプニッツは近代科学の原則に従ってモナドも物質的な点と考えた。 (5) 自然界の表面の形は真理ではない。 問2 実証主義の考え方として正しいものを2つ選べ。 (1) コントは、哲学において探求された形而上学的真理は経験科学の相対的な知識にとって代わられるとした。 (2) コントは、実証主義的科学は形而上学的知識に勝てないと言った。 (3) マッハは、時間や空間すら、人間の要素的感覚同士の関数的関係でしかないと言った。 (4) マッハは、われわれの経験は超越論的自我に支えられていると言った。 (5) マッハは、実証主義的科学によって、不動の自然認識が可能となると考えた。 よろしくお願いいたします。

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回答No.1

問1:(2)と(3) 問2:(1)と(3)

syu-makumaku
質問者

お礼

ありがとうおざいます。助かりました。

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  • キリスト教に興味のある方お願いします。

    『科学的知識において知ることは科学的検証が伴い、検証可能なものが真理として受け止められるが、経験世界を超えた存在や現象を信じる宗教的心理は主体的真実であり、科学的検証を超えている。言葉を変えて言えば、信じることは実証を越える側面を持ち、信仰は飛躍の契機を内包している。』 前半部分の科学的検証は理解できますが、後半の宗教的心理あたりから内容が意味不明です。 どなたかできるだけ早くお願いします。本当に。(汗)

  • 社会人の進学~博士課程前期(修士課程)~

    大学院へ進まれている方のほとんどは、 志望する際には「研究テーマ」が具体的に決まっているのでしょうか。 例えば、 「ベンサムやH・L・A・ハートの法実証主義に興味がある」 と、いったような抽象的な「興味」の段階ではないのでしょうか? もっと具体的に 「ベンサムの『無政府主義的誤謬論』にみる自然権批判」 とか、具体的なテーマが求められるのでしょうか?