解決済みの質問
光圀の「光」は、将軍家光の「光」ですが、中国の古書である晋書のなかの「聖徳龍興して大国の光を有す」という一節からとられたものです。しかし、「大国の光を有す」とは天子(日本では天皇)のことであり、天皇の臣下である大名にはふさわしくないとして、自ら改名したと言われています。天和元年(1615)10月、光圀54歳の時です。
「圀」という字は、則天武后が国(旧字)の中に「惑う」という字があるのをきらって作ったといわれています。この字を選ぶにあたっては、光圀の学問の師である朱舜水の意見も聞いていたそうです。
投稿日時 - 2003-11-12 21:15:19
お礼
時代劇はともかくとして、光圀は江戸幕府崩壊へ至るキーパーソンの一人として有名ですので、興味を持ってはいました。おかげさまで昔からの疑問が氷解しそうです。朱舜水のことをつっこんで調べてみようと思います。ご回答いただきありがとうございました。
投稿日時 - 2003-11-12 21:58:08
2人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています