解決済みの質問
まず、大前提として、政権は国会の多数を占める勢力で構成されるのが原則ですね。
細川内閣の時は、自民党は第1党でしたが、過半数を持っているわけではなく(これを「比較第1党」と言います)、当時の日本新党、新政党、社会党、公明党などの議席を合わせれば過半数をとれる状態だったのです。
そこで、これらの政党は連立内閣を組んで細川内閣が誕生しました。
このとき、自民党は比較第1党でしたが、内閣に閣僚を送ることも無く、野党になったのです。
その後、連立政権から「さきがけ」と社会党が離脱し、当時の羽田内閣は、国会の少数派で与党という異常な状態になったことがあります。
55年体制というのは、簡単に言うと自民党が万年与党で社会党が万年野党であった状態のことです。
まだ社会に社会主義・共産主義への期待があり、東西冷戦が続いていた時代の政治の姿でした。
連立内閣というのは、
たとえば今は大臣は自民党・保守新党・公明党の人がいますよね。
こんな風に、2つ以上の政党が「政策協定」といって「この問題はこういう風に解決していきましょう」と約束して、内閣に大臣を送り込む場合を言います。
当然、内閣に大臣を出しているので政策協定に対して重い責任があります。
これに対して、「協力はするけど、大臣は出さないよ」と言ってしまえば、政策協定があっても必ずしもそれには縛られません(これを「閣外協力」と言います)。
普通は政権の安定のために「連立内閣」が選ばれる訳です
投稿日時 - 2003-11-03 22:47:35
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