解決済みの質問
ちょっと 筆が 飛んでましたね。
秀吉が、最終的に関白として、政権首座に立ったことに関しては、公武合体の上での政権を目指したという説や、将軍になれなかったからという説があります。
前者は、足利義満モデル(ただし、天皇位簒奪までは考えていなかったようですが)
後者は、足利義昭の養子になろうとして断られたという歴史的事実もあります。
少なくても、養子になろうとしたのですから、将軍でどうよ?という、意思はあったかと考えられます。
織田信長が武田家(東夷)を征伐した段階で、朝廷の中には、将軍職OKでないの?という、意見がでてきたので、漠然と時代の雰囲気として、東夷を征伐したら 将軍OKというのがあったのではないでしょうか?(これは、わたしの推測)
徳川家を征伐したら、その流れで東夷成功!将軍就任となったのでしょうが、実際はできなかったので、他の方法を模索した結果が 関白。
途中で、将軍といえば、頼朝・・・どんな事をやったのかを、研究させたかと推測します。
その結果、将軍にはつけなくても、頼朝の行跡をたどったのが、奥羽仕置きになった・・・と 秀吉の心中を おもんぱかるわけです。
投稿日時 - 2003-11-04 14:58:06
17人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
ベストアンサー以外の回答(4件中 1~4件目)
成し遂げた時・・・というと、最終的には、奥州仕置きということになります。
戦いも無かったので、秀吉の歴史の中では、軽視されていますが、意外と彼の心情が見えます。
鎌倉で、頼朝の墓だったかに行くのですが、墓に向かって、「天下を取ったのは、お主とわしだけじゃな」なんて、言い放っています。
さらに、頼朝の奥州藤原氏征伐の行程をなぞって、奥州に行っています。
秀吉が征夷大将軍になれなかったのは、東夷を征伐できなかったから(具体的には、小牧長久手の戦いで、徳川家康を圧倒できなかったから)という説もありますが、この頼朝への対応を考えると、征夷大将軍になりたかったか、あるいは、それを越えたぞ!という意識があったのかもしれません。
投稿日時 - 2003-11-02 01:41:49
補足
>秀吉が征夷大将軍になれなかったのは、東夷を征伐できなかったから(具体的には、小牧長久手の戦いで、徳川家康を
>圧倒できなかったから)という説もありますが、この頼朝への対応を考えると、征夷大将軍になりたかったか、あるいは、そ
>れを越えたぞ!という意識があったのかもしれません。
>>征夷大将軍になりたかった
というのは、「なりなくなかった」の間違いではありませんよね??
ちょっと読んでると、意味がわからない所があったので...
投稿日時 - 2003-11-04 02:30:30
豊臣秀吉に就いて下記URLをご覧下さい
投稿日時 - 2003-10-29 11:38:30