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大鏡 花山院の出家

漢字の読みがあやふやで分かりません。 どなたか分かる方教えてください。 ・御母 ・贈皇后宮懐子 ・御女 ・十月二十六日 ・御祖父 ・御時 ・八月十三日 ・御年 ・天元 ・二月十九日 ・御元服 ・永観 ・八月二十八日 ・六月二十二日 ・入道 ・御方 ・御文 ・御身 ・障り ・契りて ・東三条殿 ・御送り ・添え ・京 ・堤 ・一尺

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  • TANUHACHI
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回答No.1

  恐らくは高校の古文の授業もしくは大学の国文科に入学したばかりの方であると察し致しますので、先ずは一言「最初に自分の手で確かめ、不安な部分だけを聴く努力と姿勢」が必要です。図書館には「日本古典文学大系」が何種類か所蔵されています。また「国史大系」にも大鏡は収められています。  さて閑話休題、読み方は以下のとうりです。 ・御母→おんはは(若しくは“はは”でも可) ・贈皇后宮懐子→ぞうくわうぐわう(こうごう)かいし ・御女→おんむすめ(若しくは“むすめ”) ・十月二十六日→神無月(かんなづき) ・御祖父→おんおほじ(若しくは“おほぢ”)藤原伊尹(ふじわら の これただ“これまさ、と呼ぶ読み方ももあります”)のこと。 ・御時→おほんとき(若しくは“おんとき”) ・八月十三日→葉月(はづき)の とおかあまりみっか ・御年→おんとし又はおんとせ ・天元→てんげん ・二月十九日→如月(きさらぎ) とおかあまり ここぬか ・御元服→ごげんぷく(若しくは“げんぷくさせたまふ”) ・永観→えいかん ・八月二十八日→葉月(はづき)の はつかあまり はちにち ・六月二十二日→水無月(みなづき)の はつかあまり ふつか ・入道→にゅうどう ・御方→おんかた(若しくは“かた”) ・御文→おふみ(若しくは“ふみ”) ・御身→おんみ ・障り→さはり ・契りて→ちぎりて ・東三条殿→とうさんじょうどの(藤原兼家を指します) ・御送り→おをくる ・添え→そ(へ)、文脈からは“したが(へ)”でも可 ・京→みやこ ・堤→つつみ ・一尺→ひとさく このあたりでよろしいでしょうか?。

huwahuwaringo
質問者

お礼

とてもご丁寧に解説をして頂き、ありがとうございました。 これからは、自分でまず頑張ることを心がけます。

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