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差別用語を使ったらなぜいけないのか

私は体が不自由な「かたわ」者です。 「かたわ」が差別用語として禁止されて、「身体障害者」と言い換えられ、さらに最近は「身体障がい者」というのが流行しています。 こういう言い換えは意味があるのでしょうか。 私はこのような安直な言い換えを見ると大変不愉快な気分になります。 「かたわ」という言葉を使っても、差別的に言っているかどうかは、その人の顔を見ればわかります。 差別用語の使用禁止は、ますます日本語の品質劣化を招き、差別行為を助長しているように思いますがどうなのでしょうか、皆さまの御意見をお聞かせください。

noname#134290
noname#134290

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  • hakobulu
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回答No.28

#27です。 >盲人のいる家庭で「めくら」という言葉が飛び交います。 >視覚障害者同士は平気で「めくら」を連発しています。 : なるほど。 もしそうだとすれば、私にとっては新鮮な驚きでした。 つまり、お互いの信頼関係さえあれば、言葉そのものに差別意図はないのだから全く問題はない。 こういうことですね。 この言葉に対する私の概念を変える必要があるのかもしれません。 >言い換え語を使って「私差別していません」というのは、ちょっと安直なように思います。 : これは最も本質的なことですね。 たしかにそういった安直さは存在しているでしょう。 大いに留意されるべき問題だと思います。 しかし、逆に差別用語自体を口にしたくないために言い換え語を使う方も多いでしょうね。 【言葉の問題として言うならば】表現の適切さの問題になるのかもしれません。 差別語でもなく言い換え語でもない言葉を発したとしても差別や侮蔑になる場合はあるわけですから、そういった意図の問題のみと絡めて論じてしまうと差別用語を論点として取り上げる意味がなくなるでしょう。 言い換えて良しとする欺瞞性に気づく必要がある、ということと、差別(を明らかに意図した)用語は禁止すべき。 ということは両立できない論理ではないと思います。 水掛け論になりそうですが^^;、これに関連して以下にもう1、2点だけお伺いいたします。 >日本民族の間でおおむね自然に生まれた言葉と考えていいと思います。 「めくら」は自然に生まれた言葉でしょう。 : 自然に生まれた言葉の中に差別用語は存在しない、とおっしゃっているのでしょうか。 そう思われるのであればそれもひとつの見解として受け止めるしかありません。 もし、そうではないということであれば、やはり禁止されるべき差別用語はあると考えるべきと思うのですが、いかがしょうか。 それとも、 >「堂々と『めくら』を使って喋ってみよ、差別しているかどうか俺様が判断してやるわい。」というのが私の本音です。 : とおっしゃているることからすれば、あえて差別用語を使わせて糾弾することによって何らかの進展かある、とお考えになっておられるのでしょうか。 これにてしつこい回答者は引き上げることにいたします。^^ 真摯にお応えをいただきありがとうございました。     

noname#134290
質問者

お礼

>言い換えて良しとする欺瞞性に気づく必要がある、ということと、差別(を明らかに意図した)用語は禁止すべき。 ということは両立できない論理ではないと思います。 おっしゃる通りです。 ところが差別を目的として成立した言葉はほとんどない、と考えるのが私の見方です。 >自然に生まれた言葉の中に差別用語は存在しない、とおっしゃっているのでしょうか。 絶対にないという自信はありませんが。 「めくら」は「目の見えない人」を短く表現した名詞だろうと思います。 こういう名詞は日常会話上必要で便利な言葉です。 いちいち「目が見えない人」というのは不便です。 必要に迫られて自然に発生した言葉だと思います。 おちょくったり、蔑んだりする以前に、単に「目が見えない人」を表現するのに必要な言葉だったのです。 回答者様と私の違いは育ってきた環境の違いによるんだろうと思います。 私はめくら、ちんば・・・等が平気で飛び交う環境で育ちました。 読む本もそういう言葉がいっぱい入っていました。 いわゆる差別用語を使って差別する人もいましたし、差別しない人も大勢いました。 後者の方がむしろ多かったように思います。 私にとりましては「めくら」は普通の言葉だったのです。 ところが、ある時期から「差別用語だから使わないようにしよう」ということになって、「めくら」というと糾弾されそうな雲行きになってきました。 実際に「めくら」と発言して、若い人から眉をひそめらrた経験もあります。 眉をひそめた若い人は人権に敏感な実にいい方です。 「めくら」なんて、日常会話ではほとんど聞いたことがなく、多分「めくらは悪い言葉だ、差別用語だ」と教えられ、育ってきたのだろうと思います。 差別用語を聞くと敏感に拒否反応が出るんだろうと思います。 回答者様は若い方だとは思いませんが、多分これに近いような環境でお育ちになったのではないかと思います。 私はこの言葉が成立した時代、すべての人が身障者を差別したとは思いません。 昔と今が違ってきたのは「差別は悪いことだ」と知っている人が多くなったことだけです(実際に差別行為をするかどうかとは別です)。 >あえて差別用語を使わせて糾弾することによって何らかの進展かある、とお考えになっておられるのでしょうか はい。本当の進展がみられるのではないでしょうか。 「めくら」を使ったことを糾弾するのではありません。 その言葉以外の言動でおかしなことがあれば叩くわけです。 「視覚障害者」だけで安心させてあげません^^。 頑固ですみませんね。 多少極端なことを言わないと聞いてくれそうにないので、ちょっと言い過ぎた面があるかもしれません。 御容赦ください。 勉強になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (27)

  • hakobulu
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回答No.27

#26です。 >私が問題にしていますのは、たとえば「めくら」について、「めくら」という言葉を「揶揄、おちょくり」を込めて言う場合はダメ、そうでない場合は使用OKということです。 : この点に関してなんですが、わたしが今まで言い続けてきたことの骨子に関わっている事柄ですので、念のため再確認させていただきたいと思います。 目の見えない人を「揶揄、おちょくり」を込めて言う場合に「めくら」と言うのではないですか? >最初から、言葉の成立時からの差別用語ってのは、ほとんどないと思うんです。 : とおっしゃっておられますから、これも見解の相違ということになるのでしょうが、「揶揄、おちょくり」という感覚が言葉にならない、ということ自体が考えられないと私は思います。 ですから、やはり、 「最初から、言葉の成立時からの差別用語はある」と考えるのが自然だと申し上げておきます。 また、意図の問題なわけですから、漢語であるか大和言葉であるかは関係ないでしょう。 >安直に「視覚障害者」と言い換えて事足れりとし、肝心の差別意識や行動が消えていないことが多いのではないかということです。 : 質問者さんの骨子はここですよね。 このことを主張したいために、差別用語そのものに関しては的を外れた論を展開なさっているような気がします。 つまり、では、言い換えなければ差別意識や行動が消える、あるいは薄まるのか、というとそうではないはずです。 差別意識とは何か、ということを考える必要があるわけですから、差別意識によって生まれてくる言葉はある、という事実を認めるのは必須のことではないでしょうか。 これを否定されるのは、人間の感覚・感情として揶揄や侮蔑を否定することになりますので、矛盾が生じることになるでしょう。 むろん、では、そういった差別用語を使わなければそれで良いのかというと、そういうことにはなりません。 今回のご質問は、こういった欺瞞性についての問いかけであり、差別用語を云々するよりも差別自体の本質に目を向けるべきだというご主張でしょう。 まったく同感なのですが、「差別用語を云々するよりも」という面を強調しすぎたいがあまり、差別用語などというものは無い、と強引に決め付ける結果になっているような気がします。 ともかく、丁寧にお応えいただいたことを嬉しく思っています。  また、差別の問題は言葉としての表現よりもその心の動きの問題だ、というご主張に関して反論しているものではないことを念のため申し添えておきます。        

noname#134290
質問者

お礼

>目の見えない人を「揶揄、おちょくり」を込めて言う場合に「めくら」と言うのではないですか? そういう場合もありますが、単に目の見えない人を称して「めくら」という場合もあります。 こっちが本筋でしょう。 盲人のいる家庭で「めくら」という言葉が飛び交います。 決しておちょくったり蔑んだりしているのではありません。 「視覚障害」なんていうわけがありません。 「めくら」は普通の名詞なんです。 >漢語であるか大和言葉であるかは関係ないでしょう。 言語学に詳しいわけではありませんが、日本語のおおもとは「大和言葉」です。 日本民族の間でおおむね自然に生まれた言葉と考えていいと思います。 「めくら」は自然に生まれた言葉でしょう。 それに漢語、カタカナ語が入って現在の日本語が出来上がっているわけです。 大昔の庶民は漢語は知らなかったと思いますし、使わなかったでしょうね。 「非人」は漢語です。 「賎民」も漢語です。 庶民の間で自然発生的に生まれたものとは考えにくいですね。 差別目的で、支配層が作りだした言葉のように思います。 ちょうど「視覚障害者」という漢語が、差別用語ではないものとして作りだされたように。 >つまり、では、言い換えなければ差別意識や行動が消える、あるいは薄まるのか、というとそうではないはずです。 消えることを期待しています。 視覚障害者同士は平気で「めくら」を連発しています。 お互いにおちょくったり蔑んだりしていりことはありません。 卑下もしていません。 そういう言葉を使っても差別していない関係が本当です。 言い換え語を使って「私差別していません」というのは、ちょっと安直なように思います。 「堂々と『めくら』を使って喋ってみよ、差別しているかどうか俺様が判断してやるわい。」というのが私の本音です。 「使って差別していない」・・・心底差別感情がなければ平気で使えるはずです。 ちょっと意地悪ですがね。 たびたび抵抗してすみません。

  • hakobulu
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回答No.26

#25です。 >「めくら」は目の見えない人を端的に表現した大和言葉だろうと思います。 「つんぼ」「ちんば」も同様です。 私には揶揄が含まれているとは思えません。 : なるほど。 そういう見方もあるわけですか。 当事者の方から伺える機会は少ないもので勉強になります。 後学のためにぜひ教えていただきたいのですが、その不自由をかこっておられる該当者の方がその言葉を浴びせられた場合でも、「揶揄が含まれていると思うのは、あなたの勘違いですよ。憤慨するあなたのほうが間違っている」とおっしゃる、ということでよろしいでしょうか。 >今日これらを揶揄目的で使っている人は多いとは思いますが。 : 上の質問にも関連するのですが、それを踏まえてもなお差別用語ではないというご見解、ということでしょうか。 >私は差別用語とされるものを安直に言い換えてしまって、かえって差別問題をかくしてしまっているような現状を憂うるものであります。 : おっしゃることの意味はよくわかります。 つまり、差別用語であるか否かということよりも、なぜそういった差別用語が生じてくるのか、その心根の問題だということだと思います。 たしかに、それが本質的な問題でしょう。 その点ははわたしも同感です。 言い換えれば済むという問題ではあり得ません。 ところで、 >差別用語とされるものを安直に言い換えてしまって : というご発言は非常に重要な要素を含んでいそうです。 つまり、差別用語たるもの自体、安直に言い換えられる性質のものでしか本来ないのではないだろうか、ということです。 なぜならば、差別用語の成り立ちそのものが、そもそも安直な感覚でしかなかったはずだからです。 しかし、安直なるがゆえに根深い、厄介である、ということもまた言えそうです。 結局のところ、言語とはいえ、ほぼ感覚に近いものではないかという気がします。 感覚・感覚は自由であって良いわけですが、それをあからさまにすることの程度・限度、兼ね合いといったようなことにつながっていくのかもしれませんね。 こちらこそ色々しつこくしてすみませんでした。      

noname#134290
質問者

お礼

>後学のためにぜひ教えていただきたいのですが、その不自由をかこっておられる該当者の方が のっけから文句言ってすみませんが、「私は不自由を託っていません。」 まあ障害者も人それぞれですが、そのように一律視されることを障害者は嫌います。 >該当者の方がその言葉を浴びせられた場合でも、「揶揄が含まれていると思うのは、あなたの勘違いですよ。憤慨するあなたのほうが間違っている」とおっしゃる、ということでよろしいでしょうか。 「浴びせる」という言葉には不穏なものを感じますので、「揶揄、おちょくり」が入っていると思われます、憤慨するのが当たり前です。 私が問題にしていますのは、たとえば「めくら」について、「めくら」という言葉を「揶揄、おちょくり」を込めて言う場合はダメ、そうでない場合は使用OKということです。 安直に「視覚障害者」と言い換えて事足れりとし、肝心の差別意識や行動が消えていないことが多いのではないかということです。 最初から、言葉の成立時からの差別用語ってのは、ほとんどないと思うんです。 「非人」・・・これは漢語ですから、役所のようなところが差別目的で作ったと思います。 「えた」・・・これはわかりません。穢多という漢字が当てられたころから差別目的になったと思います。 「めくら」ですが、「めくら」は目の見えない人を端的に表現した大和言葉だろうと思います。 おっしゃるとおり、安直に発生していると思います。しかし差別目的とは思いません。 「目がくらむ」、「めくるめく」も同源でしょう。 「めくら」を侮蔑的に使う人は多くいたと思いますが、そうでなく「目が見えない人」という当たり前の使い方の人も多かったと思います。 「ちび」は、侮蔑的に揶揄的に使われていますが、差別用語にはなっていないと思います。 この言葉を浴びせられて傷つく人は多いと思います。 要は使い方でしょう。 障害者が不自由だから不幸だとは限りmせん。 文句ばかり言ってすみませんね。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.25

#24です。 補足質問を拝見しましたのでお応えいたします。 (1)#22の >同様に身体的な不自由を揶揄したような表現も、言う本人自身がよく恥ずかしくないものだと私などは感じます。 ・・・どのような表現なのか例を挙げてご説明願えれば、回答者様の真意が伝わりますので、教えてください。 (2)#22の 人を侮蔑したり揶揄したりという感情から脱却するのはなかなか難しいものですが、これを言語として面白おかしく定着させたものが差別用語だと思います。 質問者様のおっしゃる本当の差別用語、このような差別用語を沢山教えてください。「えた、ひにん」だけですか。 : (1)(2)は同じ内容になると思いますのでまとめて述べさせていただきます。 該当される方が見ておられることもあるでしょうから、あまり直截的な表現はなるべく避けたいと思っていますが、今回は必要になっているようなのであえて表記してみます。 不愉快にお感じになられる方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げたいと思います。 すぐ思い浮かぶのは、 めくら・つんぼ・ちんば、ですね。 目の不自由な方・耳の不自由な方・足の不自由な方に対する用語です。 これがなぜ差別用語かというと、明らかに揶揄が含まれているからです。 つまり、面白おかしく表現しようとする意図がある。 目が見えないことを「目が暗い」 耳が聞こえないことを「耳がつまっている」 足の不自由なことを「足が揃っていない」 という意味にわざわざ置き換えているわけです。 人間の無邪気な、そして愚かな残酷さがそこにはあるでしょう。 (3)#23の伏せ字差別語につぃては、みんな質問者様のおっしゃる差別語ですか。 : ・レオポンは豹を父とし、ライオンを母にした○い○こです。 →差別語でしょうね。 ・バ○ち○んカメラとはピント合わせも露出調整も不要な簡単操作のカメラです。 →バカが差別語とは思わないのですが、ち○んは朝鮮人の方への侮蔑表現として使われていた歴史がありますから、全体的に見て差別語でしょう。 ・今度の社内コンペ、A常務には案内して、B常務には案内しないってのは、片○落○だぞ。 →「片○落○」は「片+○落○」でしょうから、たぶん当てはまらないと思われますが、これに関しては今のところ判断を保留させていただきます。 ・部長が役職定年したでしょ。今までの部長会議に参加しなくなったので、まるでつ○ぼ桟敷だと言っていました。 ・ 差別語と判断されるべきと思います。 このような使い方をした場合、その用語に該当する人が聞いていたとして、使ったひとに差別意識があるという認識はおそらく抱かないでしょう。 しかし、いい気持ちがしないことは間違いないと思うのです。 だから使ってはいけない、ということもありますが、そういった感情的な論理だけではなく、 そういった言葉が人を揶揄、あるいは侮蔑する意図で発生した用語である、ということが本質的な問題なのです。 その意味で、差別用語として使われなくなることを目指すべきでしょう。 この点に関しては後ほどもう少し触れます。 (4)>いや、差別するつもりで言うとは限らない、ということを、こういった用語に対しても質問者さんは言えるのでしょうか。 はい。言えます。現に回答者様は「えた・ひにん」と明りょうにご回答文にお書きになっています。 私もそういう言葉が日本語として成立しているのであれば、使うべきところでは使いたいと思います。 : 「使うべきところ」とは何を意味するのかを考えれば、私の見解とほぼ同じことになると思いますよ。 つまり、「そういった用語がある」ということに関して述べるような場合には使うこともあるが、「該当者その人を直接・間接を問わず指す言葉として使うことはない」ということでしょうからね。 違っていたらお知らせください。 ◇ #23さんの挙げられているような使い方は、わたしもつい使ってしまうような内容だと思います。 汎用されるうちに、本来の意味が薄まってきたため「普通の日本語」という感覚になるのはむしろ自然でしょう。 しかし、本来は人間を差別するために生まれた用語であるという事実は動かしがたいと思います。 最初の用語などは、現在の若い人の間では、殆んど使われていないのではないでしょうか。 ハーフとか混血とかに「言い換える」ことでむしろ優位的用語にすらなっているような気がします。 バ○ち○んカメラに関してですが、これは朝鮮人の方をそのような言葉で差別した歴史を知っている、つまり、実際に自分で使ってきたか、あるいは父母なり祖父母なりがそのような意図で普通に使っているのを聞きながら育った世代が使うと差別語になる。 こういうことになると思います。 何十年後かわかりませんが、こうした意図を全く理解できなくなる世代の時代になったとき、この言葉は正真正銘の「普通の日本語」になるような気がします。 なぜかというと、「ち○ん」とは、本来、ちょっとしたこと、おろかなこと、という意味にすぎないからです。 これを「朝」の発音に意図的に掛け合わせて使ったために差別語になったわけでしょう。 このように、時代背景なり習慣に留意する必要があるものも出てくると思います。 意識的な差別がよくないことは当然ですが、無意識的な差別に関しても留意する必要はあります。 使うことによって世代をまたいで引き継がれることになるからで、人を不愉快にさせる用語の連鎖を断ち切るためには禁止すべき言葉はあるでしょう。 言い換えられた言葉が適切か否かは、当然ながら全く別の問題になります。 むしろ個別に論議されるべきでしょうね。 今、放送禁止用語というものを検索してみましたが、モンスターに辟易する人の心情がよく理解できます。 それは、差別用語とは思えない言葉が多数混じっているからであって、差別用語は厳然として存在しているわけですから、それとこれとを一緒に論じるのは意味がないでしょう。 それにしても、「田舎」がなぜ放送禁止用語なんですかね・・・。\(-_-;)/       

noname#134290
質問者

お礼

何回もていねいなご回答ありがとうございます。 私と回答者様の御見解とにはやっぱり差があるようです。 >すぐ思い浮かぶのは、 >めくら・つんぼ・ちんば、ですね。 >目の不自由な方・耳の不自由な方・足の不自由な方に対する用語です。 >これがなぜ差別用語かというと、明らかに揶揄が含まれているからです。 >つまり、面白おかしく表現しようとする意図がある。 これらの言葉がどのようにして成立したかは、詳しく知りませんが、おちょくる目的でこれらの言葉ができたとは思えません。 「めくら」は目の見えない人を端的に表現した大和言葉だろうと思います。 「つんぼ」「ちんば」も同様です。 私には揶揄が含まれているとは思えません。 ここいら辺が回答者様との違いなんでしょうね。 今日これらを揶揄目的で使っている人は多いとは思いますが。 私は差別用語とされるものを安直に言い換えてしまって、かえって差別問題をかくしてしまっているような現状を憂うるものであります。 >それにしても、「田舎」がなぜ放送禁止用語なんですかね・ 「田舎者」という言葉が揶揄表現だということからきているのでしょうね。 まあ、難しいことはよくわかりませんが、今の世の中、本当のことを直視せず、すべて安直に口当たりのいい方へいい方へと流れて行っているように思います。 何回もていねいなご回答ありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.24

#22です。 >私は『人を差別する意図であることが明らかである用語』とはどんなものか知りません。 : そうでしたか。 わかりやすい例と思って#22でも挙げたのですが、明記しないとご理解いただけないようなので敢えて記しますと、たとえば「えた」「ひにん」などはどうでしょうか。 これらをも、 >枝葉にもならない末梢の先にもないようなことで、モンスター人権主義者がキャンキャン騒ぐ : という範疇に入れるのであれば、質問者さんとは基本的な感覚が異なるのだな、と考えることにしましょう。 わたしは学生時代を京都で過ごしたのですが同和地区が多くて差別も顕著な地域でしたね。 下宿していた人の中に部落の方がいらして、みんなの前でカミングアウトした場面に居合わせたことがあります。 「えた」などと呼ばれる当人の気持ちは、その時の彼の顔を思い出すと想像するにあまりあります。 いや、差別するつもりで言うとは限らない、ということを、こういった用語に対しても質問者さんは言えるのでしょうか。 どのような漢字で表記されるのかを考えれば、まさかそうはおっしゃらないでしょう。 それが差別用語ということではないでしょうかね。 つまり、前後の文脈や意図に拘らず、それ自体で明白な差別用語というものは存在するわけでしょう。 それに対しても「使ったらなぜいけないのか」とおっしゃいますか? 明白でない用語についてキャンキャン言う人がいるのかもしれませんが、そのことと差別用語を言ってはならない、ということは分けて考える必要があるだろう、ということを申し上げたつもりです。 差別用語をつかってはならない理由。 差別用語を無闇に増やすことによる弊害。 これらを一緒くたにして論じても意味がないのではないか、と考えて「論点が錯綜しかけている」と述べたわけですが、質問者さんが納得されているのであれば要らぬお節介でしたね。 失礼いたしました。   

noname#134290
質問者

補足

(1)#22の >同様に身体的な不自由を揶揄したような表現も、言う本人自身がよく恥ずかしくないものだと私などは感じます。 ・・・どのような表現なのか例を挙げてご説明願えれば、回答者様の真意が伝わりますので、教えてください。 (2)#22の 人を侮蔑したり揶揄したりという感情から脱却するのはなかなか難しいものですが、これを言語として面白おかしく定着させたものが差別用語だと思います。 質問者様のおっしゃる本当の差別用語、このような差別用語を沢山教えてください。「えた、ひにん」だけですか。 (3)#23の伏せ字差別語につぃては、みんな質問者様のおっしゃる差別語ですか。 (4)>いや、差別するつもりで言うとは限らない、ということを、こういった用語に対しても質問者さんは言えるのでしょうか。 はい。言えます。現に回答者様は「えた・ひにん」と明りょうにご回答文にお書きになっています。 私もそういう言葉が日本語として成立しているのであれば、使うべきところでは使いたいと思います。 たくさんになってすみませんが、ご回答の主旨をもう少し詳しく知りたいと思います。

回答No.23

レオポンは豹を父とし、ライオンを母にした○い○こです。 バ○ち○んカメラとはピント合わせも露出調整も不要な簡単操作のカメラです。 今度の社内コンペ、A常務には案内して、B常務には案内しないってのは、片○落○だぞ。 部長が役職定年したでしょ。今までの部長会議に参加しなくなったので、まるでつ○ぼ桟敷だと言っていました。 普通と思っていた日本語が、いつの間にか伏せ字だらけになるなんて、自由の国日本で若い時を過ごした私には想像できなかったです。

noname#134290
質問者

お礼

仰せの通りです。 枝葉にもならない末梢の先にもないようなことで、モンスター人権主義者がキャンキャン騒ぐもんだから、障害者が嫌われてかえって迷惑してる面もあるんです。 ありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.22

#17です。 ちょっと論点が錯綜しかけているように見えますね。 人を侮蔑したり揶揄したりという感情から脱却するのはなかなか難しいものですが、これを言語として面白おかしく定着させたものが差別用語だと思います。 ですから、明らかにこの意図を持った用語というのは禁止されるのが好ましいでしょう。 侮蔑や揶揄などは感情として存在しますが、そういった感情を発した自己を恥じてみたり、そのことを反省したりする営為もまた伴なうわけで、自然な感情なのだからそれで良いのだと肯定すべき性質の言葉ではないと思います。 たとえば、部落差別問題で言うと、「けがれ多き人」「ひとにあらざる人」と呼称された人々がいましたが、これなどは端的な例と言えるでしょう。 これを禁止すべきではない、という論理があればぜひ伺ってみたいものですね。 同様に身体的な不自由を揶揄したような表現も、言う本人自身がよく恥ずかしくないものだと私などは感じます。 このへんについて話し出すと長くなるでしょうから割愛しますが、いずれにせよ、 『人を差別する意図であることが明らかである用語は差別用語として禁止されるべきだ』と思います。 #21さんなどが挙げておられる例は、その言葉自体に差別の意味が含まれていないので、これは厳密には差別用語としての論点から外れることになるでしょう。 その言葉を用いるに当たって差別的意図があったか否か、という問題です。 その用語の成立に際して差別する意図が明らかに含まれているのでない言葉を禁止するのは言葉狩りになるわけですから、これはこれで好ましくないと私も思います。 つまり、これは差別用語か否かということで争うべきではなく、その言葉を用いるに当たって差別的意図があったか否か、が論点になるべき別の問題でしょう。   

noname#134290
質問者

お礼

>ちょっと論点が錯綜しかけているように見えますね。 そうですか、そのように思いませんが。 >『人を差別する意図であることが明らかである用語は差別用語として禁止されるべきだ』 それは現在の差別用語とされているものの再整理ですね。 私は『人を差別する意図であることが明らかである用語」とはどんなものか知りません。 >その言葉を用いるに当たって差別的意図があったか否か おっしゃる通りです。 ありがとうございました。

回答No.21

#19、#20です。 私は、相手が嫌がる言葉をあえて使えば、相手が不愉快だし、自分も嫌われるので、避けた方が賢明だと思うし、実際、できるだけ避けている人間です。実際のところ朝鮮料理を食いに行くときに、わざと「韓国料理」などと呼んでみたりするんですよ。高々60年前にできた国の料理ではくて、数百年以上の歴史と伝統がある料理を食いに行くにも拘わらずですよ。 しかし、同時に、言葉狩りをする人達を快く思わない側面も持っています。 Chinaはフランス語風に言えばシナですが、支那人と呼ぶ石原慎太郎都知事を糾弾する人々がいます。 それほど糾弾するべきものでしょうか。 石原慎太郎と言えば、芥川賞作家として、日本語には一般人よりもはるかに造詣が深いと思います。 その石原慎太郎が「支那人」と呼べばどのような反響があるのか、反発があるのか、自覚して使っているのですから、それは彼の自己主張ですよ。 言葉の選択による自己主張を制限しようとする人達は、本質的に、人の自由を軽視しています。極論するとファッショですね。 支那人、支那そばを排除したら、今度はエジプト人が差別用語だと言いだす。 エジプト人という言い方がエジプト・アラブ共和国の民族に対する侮辱だなんて思っている人は少ないのじゃあないかね。 不用意にテレビでエジプト人と言った途端に、放送禁止用語で「ピー」なんて音がかぶさるのは変じゃないかと思うのです。 エジプト人という言葉を選択して、その結果、誰かが不愉快になっても、それはその言葉を選択した人の自己責任だと思います。何時も第三者が目を光らせて「お前は、いついつどこどこでエジプト人と言ったろう!」なんて取り締まられるのは、まるでジョージオーウェルの動物農場じゃあないですか? 言葉狩りは止めておくれやす。

noname#134290
質問者

お礼

仰せの通りと存じます。 みなさん石原慎太郎と同じように勇気を持って自己責任で使えばいいと思います。 >言葉狩りは止めておくれやす。 そうです。 「かたわ」を身体障害者と言い換えても、厄介者、お荷物、(あるいはもっとひどいこと)・・・と思ったりしている人は結構多いのです。 慎太郎さんのように使っていただいた方がすっきりして気持ちがいいですね。

回答No.20

#19です。 アメリカでNigarという言葉さえも、言葉狩りしない人達は、 ”本当のことを知らない、観念的、教条主義的、硬直的、法匪的、視野狭窄的、思考停止的なお考え”なのかもしれませんね。

noname#134290
質問者

お礼

>本当のことを知らない、観念的、教条主義的、硬直的、法匪的、視野狭窄的、思考停止的なお考え 私の好きそうな文句ですね。さてはパクラレタかな? 回答者様は#19では、「使っていいよ」とおっしゃり、今回は「本当のことを知らない・・・」と批判されています。 頭がこんがらがってきましたので、ここいら辺でピシリと結論をお願いします。

回答No.19

使っても良いよ。 最近のアメリカではNigarという言葉を使う自由を認め始めたそうですよ。 それは、黒人をNigarと呼ぶことで、自分が人種差別主義者であることを間接的に主張することであり、主張の自由は基本的自由ですからこれを規制することはアメリカを否定することになる、、、。 だから差別用語を使う自由を認めようってことですね。 日本は自由の国ではないから、差別用語を使用することで何かを主張するということに規制(あるいは自主規制)をかけることの本質的危険(=自由の死)までを考えずに「聞いた人が不愉快だから止めときましょう」的な発想から言論統制をしてしまう未熟な国民と言えるかもしれませんね。

noname#134290
質問者

お礼

差別をする目的で差別語を使うことはよくありません。 何でも「自由」がいいわけではないでしょう。

回答No.18

#10の者です。 言葉をどうこうするより、その言葉に差別性を与えている人の 心の中の差別意識をどうにかする方が大事だ、というご指摘は もっともですが、それが何を意味しているかご存知でしょうか? 貨幣制・資本主義のもたらす金儲け主義・効率優先、自由競争 のもたらす個人主義・自己中心的利己主義といった、現代社会を 動かしている原動力を転換する事なのです。 それは一朝一夕にできる事ではなく、また言葉遣いから何とか できる事でもないのです。 そうではなく、「かわいそうな人を助けてあげる」という意味でなら、 もっと簡単にできますが、それでは今と同じように「かわいそう」= 身体障害を意味する言葉に差別性が付与され続けます。 ゆえに、アクセルをふかしながらブレーキを踏むような真似をする 事に意味があるのです。 たとえ偽善であっても、それさえないよりはマシ、ていう。 (もちろん、百年後を目指してでも、抜本的改善を図る事を諦め てはいませんが)

noname#134290
質問者

補足

>貨幣制・資本主義・・・・・・・・・現代社会を 動かしている原動力を転換する事なのです。 どのように転換すれば差別がなくなるのですか。 もう少し具体的に教えてください。 >たとえ偽善であっても、それさえないよりはマシ、ていう。・・・A >(もちろん、百年後を目指してでも、抜本的改善を図る事を諦め てはいませんが)・・・B AとBの関係がよくわかりません。 Aは、偽善でもないよりマシだからお前達我慢せよ・・・と聞こえます。 Bは、空虚な取り繕いに聞こえますが。

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    うちの年老いた両親は、左利きを「ぎっちょ」、農家を「百姓」と言っています。 私としては、「ぎっちょ」は身体障害者(かたわ)、「百姓」は水呑百姓やどん百姓のようなイメージがあり、感じがよくありません。 両親は人前でそのような呼び方を平然と口にしているので、私はちょっと恥ずかしい気がします。 これらは差別用語なのでしょうか? また、それを言われた人はどのように感じるのでしょうか?

  • 差別用語・禁止用語に関して(案内状にて)

    差別用語や禁止用語の一覧はその業界にはあると思うのですが どこで調べたらよいのでしょうか? ある式典の案内状です。 ”〇〇〇〇省 〇〇〇〇 様よりご下命頂きました” この よりご下命頂きました が禁止用語ではないか? と指摘を受けました。  ご下命頂けば、とかはよく使っているのですが もしかしたら前半が官公庁だからいけないのか、 よくわかりませんでした。 障害者→障がい者 子供→子ども など注意を払ったほうが 良い言葉とかをその都度覚えてきたりしましたが 何か確認できる方法はないでしょうか? 今までも頻繁に使っていたし、直接の取引先の人も 今回急に指摘されたらしいです。 きちんと理由を聞いてくれたらよかったのですが・・・・。

  • 差別について

    身体障害者を差別してはいけない と、どこかで聞きました。 ニュースだったか、小学校の道徳だったか覚えていないのですが。 身体障害者はいろいろな種類がありますよね。 手、足、目、頭、耳、声等。 同じ電車に知的障害者らしい人が乗るので、少し気になりました。 知的障害者を見てなんかやだなぁ~と思い逃げる、離れる行為は差別なんですか? 知的障害者が犯罪をしても無罪になる可能性がある。 コレって逆に差別なんじゃないですか? というか、健常者がすると犯罪になることをしても無罪になるような人からは逃げるべきだと思いませんか? 俺は健常者の場合は、不審な行動をする人、奇声を上げる人からは逃げます。 しかし、「差別しちゃだめ」と言う記憶から、知的障害者っぽい人からはなるべく普通を装いながら離れるようにしています。 今は最初から同じ車両には乗らない努力をしています。(コレも差別?) 皆さんはどのように考えているのでしょうか? また、差別禁止の法律とかって言うのはどの程度まで規制されているのですか?

  • 「バカチョンカメラ」という言葉は差別用語ですか

    素朴な質問です。 このサイトである方が「一眼レフカメラとバカチョンカメラの違い」を質問されていましたが、その回答の中で「バカチョンカメラ」と言う言葉は差別用語だから使ってはいけないと言う方と、差別用語ではないという方がおります。 私は、ユーモアのある一種の流行語だと思いますが、本当はどちらなのでしょう。 仮に差別用語だとしたら、誰が (どんな団体が)、何を基準にして差別用語としているのでしょうか…

  • なぜ差別用語が簡単にネットで広まるのか?

    リアルではめったに使わなけどネットではよく使われるネットスラングというのがありますが、テレビでも放送禁止にされていたりする様な状況の差別用語までここまでネットで広まっているのには少々疑問を感じます。 Wikipediaなどを読んでも、一体どうしてここまでリアルでもなかなか使いずらい下品な言葉が平気で広がっているのか不思議です。 普通だったらその辺の小学生でも知らない様な言葉です。 流行語的なものと同じ様にルーツを考えるのは困難だと思いますが、一体どうしてそうなっていると思いますか? ちなみに、私自身はそういう言葉は個人的に嫌いなので、あくまでも「どうしてリアルでも使いずらい差別用語がネットだと簡単に広まっているのか?」というのに対する冷静な回答を望んでいます。 (個人的な理由でお礼が遅れる場合がありますが、その事で文句を言われても困るだけなのでその様なのはスルーします。)

  • 英語にも差別用語はあるのですか?

    日本ではいわゆる「言葉狩り」の風潮があり、放送中に明らかに差別する意味で使っているのではないのに、自ら「不適切な発言」としてお詫びのコメントを出したり、視聴者から抗議の電話を受けるケースが多いようですね。そこで、 1.欧米諸外国でも、「いわゆる」言葉狩り運動はあるのでしょうか? 2.日本に対して差別被害者としてアピールする場合が多い中国・韓国での差別用語に関する放送規定はどうなっているのでしょうか?  3.また英単語で "blind" や "mute" など明らかに障害者を直接表現する単語があります(それへの対訳とした語彙は日本ではとうの昔に死語なりました)が、日本国内でメディアを中心に差別用語として使用禁止にする動きがあるのでしょうか? 窓のblind、オーディオのmute機能とか、日常無意識に使われていますよね。在日の英語圏の外国人で該当する障害をもった人が聞いたらどう思うか。 どなたか教えてください。

  • 差別言葉

    差別言葉(用語)と蔑称はどう違うのですか? 例えば、身体障害者に対する昔の言葉で「めくら」「つんぼ」というのがありますがこれらは差別言葉ですか?それとも蔑称なのですか?

  • 差別用語について

    カテゴリーが違いましたら申し訳ありません。 差別や用語について勉強しています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1470484 こちらで質問させて頂いた続きになりますがもう少し具体的にお聞きします。 (この質問は削除されるかもしれません。) 「チョン」という言葉について、具体的な人物と関連付けていないものの 明らかに人物や国に対して度々使用される方がいてとても不愉快で許せません。 差別は当然許せません。が、批判はあっても仕方ないと思います。 でも、他に言葉があると思うのです。 質問です。 ・上記の場合での使用は差別で間違いないですか? ・私は削除されて当然だと思っていたのですが削除されない理由はどこにあると思われますか? ・韓国の方や北朝鮮の方がサイト側や発言した方を訴えることができるケースでしょうか? 該当する質問・回答を御覧になったと過程して質問しています。 個人が特定されてしまう内容の回答はされないようお願いします。