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自殺について

kageriの回答

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  • kageri
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回答No.15

お返事をいただき、ありがとうございました。衝撃とほんとうの悲しみが背景にあったのですね。(jmkeynseさんの優しさの理由が少しわかったような気がします。) 感性に頼るばかりの私の思考は参考にならないのでは、と思いますが、そして感想文のような、作文のようなものしか書けませんが、お礼を読んでの「私の思うところ」を書かせていただきます。「私の思うところ」、それから「様々なケースがあるでしょうが」と強調するのも、その実、他人のことは、他人の世界のことは、私にはわからないからです。(自分のこともわからなくて途方に暮れてしまうような人間ですし。) たとえば、よくわかっているつもりの恋人が自殺しても、その理由や状態を理解できる自信はありません。 でも、なにか通ずるものがすこしでもあれば…という期待の元に。 本当の意味での自殺志願者は、そういないのではと想像します。それは最初の回答の中に書いたように、人間は「生きようとする本能」を持った生き物だと思うからです。自殺を考えた私も、本当に志願しているのは“自殺”ではなく、“生きること”でしょうね。(突拍子もないことを書いてしまうと、“髪結いの亭主”という映画に出てくる女性のような自殺が理想だと感じてしまうところもありますが…。) >何をしていても、一定の虚無感が付きまとってくるのです。 >死ぬための確たる理由が、今の自分には無いように思えるからです。 「深さ」と「重さ」ではないかと思います。飽和状態を越えた、といった感じかもしれません。時間的なものや感受性、観念などが関係して、そのような状態を作り出します。“生への欲求”や“自己への執着”も絡みついているかもしれません。そして、自分や生きることや世の中との不調和を強く感じ、「それしかない」という感覚に陥ります。「それ」は、深くみつめると、突き詰めるとみえてきたものであり、孤独のなかで知ったものです。私がみた、暗闇のなかのたったひとつの光は、希望、安らぎ、証明、そんな感じのものでしょうか。 私は「確かたる理由」を感じたことがありません。たとえば「失恋した」というような理由で、死が近づいてきたことはありません。(起因する要素にはなるかもしれませんが。) いつも観念的で、ある意味漠然としています。そして、とても孤独です。私にとって「自殺」は、否定も肯定もない、生と死の狭間に見え隠れする孤独な現象といった感じでしょうか。(特に“否定”はありませんね。) たとえば両親が、たとえば会社の同僚が、たとえばある友人が、私がこんなことを考えている、感じている人間だと知ったら、至極驚くでしょう。あらゆる意味で「自己を隠すこと」、子供の頃から懸命にしてきたことです。表層的なものに縛られて。恐怖心に脅かされて。(歪んだ自分を作った直接的な原因の概要と考えています。) 矛盾した話かもしれませんが、「死にたい人は……」と思う一方で、自殺を考えている人をみると、胸が痛みます。死の恐怖心をも忘れるほどの状態、その裏にある苦悩を想像すると、たまらない気持ちになります。(“希望”のような強い光でなくとも、暗闇が薄明かりになるような、理想をいえば“ろうそく”のようなあたたかい光が灯れば、などと…。) そして自分を含め、人が非力であること、融合されない孤独があることを、再確認します。 「精神的に病んでいるケース」ということを書きましたが、確かに「病気」だとしても、なんの解決にも救いにもならないかもしれません。でも相手が頼りない精神科医であろうとも、訴えることは、吐き出すことは、重たくなったものをすこし軽くできる可能性があるかもしれないと。一時であっても、孤独の世界から、思い詰めた気持ちから離れられることは、重要だと思います。とは言え、「それしかない」と追い詰められた人間に、そのような余裕や発想を持つことは難しいと思いますが。 「自殺=悪いこと」「前向きでないこと=駄目なこと」などという考え方が主流であるかのようなこの社会で、病んでしまった人の心の解放は、救済は、あるのかないのか、わかりませんね。 この質問を初め見た時、正直答える気持ちにはなりませんでした。(jmkeynseさんが遊び心などで質問したとは感じませんでしたが。念のため。)どんな理由・動機で質問しても、それは自由だと思いますが、私は自殺に関して、孤独の域にあるものについて他人にあまり話したくないという気持ちがあります。理解されなくても構わないのですが、伝えられないのでは、なにも通じないのでは、と思ってしまうからです。でも、jmkeynseさんが書かれた他の方へのお礼を見て、答えてみたいという気持ちになりました。(そして結果、三度も書いていた訳ですが。) 自分自身、理解できていない部分も多く、曖昧な表現しかできない未熟さもありますが、こうして書かせてもらえたことに、感謝しています。(もっといろいろお話ししてみたい気持ちもありますが…。) 私にはわかりたいこと、触れたいものがまだあるようなので、とりあえず今は生きてみようかなと思っています。価値や意味はなくてもいいと、そう思っています。

jmkeynse
質問者

お礼

こんにちは、kageriさん。こうして三度にわたって、答えにくいことをお答え頂いて、感謝に絶えません。本当に有難うございます。 >jmkeynseさんが書かれた他の方へのお礼を見て、答えてみたいという気持ちになりました 有難うございます。実は最近、高熱を患ってしまい(もう治りましたが)、もっと答えたいところ、もっと言葉を選ぶべきところがあったのですが、ついつい回答者の方々に対する甘えが出てしまって、足りないなぁ、と思う部分が結構あったのです。ですからkageriさんが良いように取ってくださって、正直、ほっとしています。私のお礼の仕方がもっと良ければ、対話が一層素晴らしいものになったかな、と思う次第です。 >感性に頼るばかりの私の思考は参考にならないのでは とんでもありません。何も、kageriさん自身のやり方を否定することは無いと思います。というのは、「感性」というのは「考察」に不可欠のものではないか、と思うからです(無論、私個人の他愛ない意見ですが)。更に言えば、質問にも書いたように、私自身、学問としての哲学の素養が無いに等しい人間ですので、難解な専門用語で語られても、私にはちんぷんかんぷんです。だから、思ったことを素直に書いてくださった方が、却って良かったのです。その意味では、ここに回答してくださったみんさんのやり方は、私にとって最良のものでした。感性の感じるまま、思考の行き届くところをそのまま書いてくださって、非常に良かったです。 >私にとって「自殺」は、否定も肯定もない、生と死の狭間に見え隠れする孤独な現象といった感じでしょうか >自殺を考えている人をみると、胸が痛みます この二つの文章、共感できますし、私の勝手な判断ですが、意味がつながるものだと思います(どっちもkageriさんが書いたものなんだから当たり前かな)。他人の力ではどうにも解決できない、"孤独"が自殺者の心理にはある。絶対的な孤独、とでも言うべきでしょうか。一旦、自分がその絶対的な孤独にさらされていることに気づいてしまうと、その孤独を自ら受け入れるしかない。しかし、その孤独はいろいろな形でその人にプレッシャーを与えていくのでは、と私は勝手に思っています。この世には楽しいはずのことはいくらでもある。それなのに、孤独な人たちは、それを楽しいとは感じられないでしょう。第三者が、楽しめ、と言ってもそれは無理です。甘いものを辛いと感じろと言ってるようなものです。そして抗えない流れに沿って、孤独を感じた人は追い込まれていく。このことは、第三者をして、胸を痛めさせるでしょう。kageriさんが、その"孤独"を感じ取る程に感性の豊かな方だからこそ、その両者の気持ちがわかり、「矛盾した話」が生まれてくるのではないでしょうか。私は、kageriさんは矛盾などしていないのでは、と思います。 >「自殺=悪いこと」「前向きでないこと=駄目なこと」などという考え方が主流であるかのようなこの社会で、病んでしまった人の心の解放は、救済は、あるのかないのか、わかりませんね。 同感です。何故、そのような方程式が安易に成り立ってしまうのか、わかるような気もしますが、わかりたくはありません。私事ですが、こんなことがありました。ある時、何人かの人と世間話をしていた時のことです。そのうちの一人がこんなことを口にしたのです。「実家のほうの同級生で、大学受験に失敗して、自殺した子が居るんだけど、馬鹿だよねー」と。それを聞いて、私もつい頭に血が上ってしまいました。その人とは初対面でしたし、私は初対面の人には極端に引っ込み思案になってしまうのですが―表情が怒りを十分表していたのでしょう、私が「本当に馬鹿だと思うのか」と聞くと、向こうは、えっ、という表情を浮かべながら「う…、うん」と答えました。私も冷静ではなくなっていたので、続けて「あなたはその人の気持ちがわかっているのか?たかが受験、というけれど、その人にとっては重いものだったんだろう。その人は、その重いものを背負うことで追い込まれ、苦しみ続け、最後に悲しい選択をしなければならなくなったんだろう。それなのに馬鹿だ、というのか?」と問い―もう殆ど問いではなかったですが―ました。それまでは非常に和気藹々と喋っていたのが、一気に静まり返って、その後も重いムードになったのは言うまでもないですよね(汗)。言い過ぎたかな、と今となっては思いますが、憤りを感じたのは事実です。実際、大方の人間がこのように考えていると思うと、すこし悲しくもなってしまいます。それでは苦しみから救われる人も、救われないのではないか、と思えてしまって…。 非常に長くなってしまいましたね。すいません。この板上ではどうしても会話の量が限られてしまうし、私ももっとお話をしたいですね。うん、ぜひとも! 最後、"価値や意味はなくてもいいと…"について私の考えを書かせてもらいます。この世の、そして自分の、そしてあらゆることの価値や意味は、自分が決めることなのかもしれません。絶対的な価値・意味の公準など存在しないのではないでしょうか。その意味で、kageriさんが、ご自身にとっての価値・意味を見出すことができれば、素晴らしいと思います。

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