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江戸時代の身分制度について。

こんにちは(*゜ー゜*) 江戸時代に出来た身分制度 「士・農・工・商・えた・ひにん」 の「えた・ひにん」の意味と区別がわかりません。というか、学校で習った記憶があるのですがすっかり忘れてしまいました。教えて下さい。 また、今は小中学校では教えてないという文章を見たことがあるんですが本当なんでしょうか。

  • 歴史
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  • ありがとう数51

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tomotaro
  • ベストアンサー率55% (50/90)
回答No.3

非常にやっかいな質問ですが 歴史的事実として回答します。 江戸時代社会の士農工商・えた・ひにんといった 上下の身分的仕組みとして政策的に作り出されました。 「えた」はある業種の手工業者で 「ひにん」は遊芸人や職業を持たない人々でした。 「ひにん」については一種のアウトローですので特に説明する必要もありませんが(社会的・政治的にどこにも属していない人たち)「えた」について簡単に説明します。 中世の賤民は農業から離れた仕事をしているものほど賤視され手工業者や商人の多くも賤民視されていましたので「えた」「ひにん」だけに限られなかったものが、江戸時代の身分秩序の成立のなかで最末端に置かれてしまい時をたつにつれ差別が相当ひどいものになり、この業種以外の仕事に就けないとか住居も町はずれにあり動けないといったことになりました。 半農半工の「えた」は村(農業共同体)の生活からだんだんはじき出され(例えば村祭りからの疎外や用水の権利など)社会外の社会を作らされました。 政治的なねらいとしては人口の80%以上を占める農民から支配階級の武家が年貢や労働力を確保するためや、これに対する不平不満(一揆や越訴)を押されるために分裂支配する必要があったわけです。そして最底辺に置かれた「えた」「ひにん」といった人々を権力機構の末端の仕事(牢番・処刑・城内の掃除)をさせ身分秩序を支える役目を担わされました。 江戸時代も中期にはいると武家の生活水準も高くなり農村に対する態度も変わり商業経済もすすみ農村も変貌を止め町人が台頭し経済的には武士の上に立つようなり農民を押さえるようになって来ました。 このことは幕府や藩にとって社会基盤の危機にほかなりませんから身分制度を厳しくする必要がでてきました。特に8代将軍吉宗のころから身分規制を非常に厳しく行っています。逆に考えますと取り締まりの対象となるような反動が盛んになったと考えられます。 (例えば社会での差別が厳しくそれに対し立ち上がったとか・・) この身分制度も明治4年8月の解放令まで続くことになります。 最後に「ある職業」と書きましたが 差別に繋がる恐れがありますので ここには記載できません。ご了承下さい。

goncyan18
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ございません。 とっても詳しく、わかりやすく教えていただき有難うございます。 「違い」だけではなく、なぜその様な事になったのかという理由や経緯、少しはわかっているような気がしていましたがここまで詳しくは知りませんでした。 学校でもここまで詳しく教えてくれたら、差別は殆ど無くなっていくような気がします。正しい事を正しく伝えていく事は大切ですよね。 どうも有難うございました。

その他の回答 (4)

  • tomotaro
  • ベストアンサー率55% (50/90)
回答No.5

#4の方の補足です。 江戸時代の身分制度として回答しています。 発生については#5の方の言われるように、 人々の仕事が世間からいやがられる賤業であったからとか、その祖先は異民族であったとか一般的に広まっていますが前者は現象的な一面にすぎませんし、後者は根拠がありません。 被差別民の発生の話はここの質問とは別ですので、またの機会にゆずりますが古代より身分制度は存在し、根拠として現存する「書記」をはじめとする古文献例えば天平勝宝(749年)付の正倉院文書にも奴ひの貢進された記録が残っています。 要するに古代からあった賤民制度を江戸時代に身分制度を確立するため取り入れられたと考えられます。

goncyan18
質問者

お礼

再度回答いただき有難うございます。 なんだか質問の意味を把握しないで回答いただいてる方がいらっしゃるようですよね・・。 それよりも賤民制度のようなものが古代からあったと言うことにも驚きです。 どうも有難うございました。

  • netcatme
  • ベストアンサー率20% (76/371)
回答No.4

「えた・ひにん」については#1、#3のように政治発生説もありますが特に根拠が見つからないため、最近では職業発生説も有力になっています。動物の死体を利用する(解体・皮・毛皮など)職業から職業差別の対象となり士農工商の外として扱われるようになったというものです。  現在でも出身地差別として残存しているそうです。慎重に扱ってください。

  • urapro
  • ベストアンサー率44% (27/61)
回答No.2

えた・ひにんは四民(士農工商)の下と昔はいわれていたみたいですが、現在は「外」と考えられているそうです。下記でどうぞ。

参考URL:
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/hatten4.html
goncyan18
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ULR、参考になりました。 「ひにん」の方は元の身分に戻れる事が出来るって事を思い出しました。 昔は「下」で今は「外」なんですか・・。 ほとんど無くなってるような気がするのは私だけでしょうか。。。 有難うございました。

  • slippinegg
  • ベストアンサー率36% (423/1150)
回答No.1

えた、ひにん、というのは、 身分階級ではありますが、 職業ではありません。 単に、商人が優越感を感じられるためだけに作られた、 賎民階級です。 差別を作るために、作り出した、階級の名前ですので、 そこに区別はないかと思います。 漢字にしたらわかりやすいんですが、ご自分でお調べになられると、まつわる話もわかるかと思いますよ。 小中学校で教えない、というのは、関東の話でしょうか ? これは同和教育にもつながる事かと思います(部落問題につながる話です)。 教えている学校もありますよ。 ご興味を持たはったんやったら、ご自分で勉強されてもいいと思います。 教えへんことで、この考えをなくす、という考えの下、教えへん学校もあるようです。 教える事で、この問題を考える、という学校もあります。 どちらも間違っているとは思いませんので、 ぜひ調べてみてください。

goncyan18
質問者

お礼

早速の回答有難うございます。 自分で調べてみたのですが、探し方が悪いのか少ししか調べられませんでした。ただ漠然と賎民階級とは書いてあるのですが。 興味を持ったというわけではないです。ただ自分の記憶が定かでないのと、どのような違いがあったのかを知りたかっただけです。今の差別の問題ではなく、当時はどうだったのかという事と。 もう一つは、小学校の道徳の授業で習っていた事を今は教えなくなったのかな?同和の問題を社会が無視していこうとしているのかな?なんて思ったもので・・。 どうも有難うございました。

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