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途中で戦争をやめる

太平洋戦争で日本は途中でなぜ戦争をやめなかったのですか? 1945年で日本軍軍人の戦死率が一気に上がりました。1944年で降伏していれば無益な血を流さずに済んだハズです。 なぜ日本は途中で戦争をやめれなかったのでしょうか?

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回答No.11

回答:以下の理由より、連合国が受け入れられない条件を出していた為です。 前の戦争は、何も考えず開戦してしまったという意見がありますが、間違いです。 天皇が神と思われていたと言うのも間違いです。だとしたら、立憲君主制の憲法を制定したりしません。 また、開戦までは自由な言論が行われていました。でなければ何度も首相が変わったりしません。 開戦前の昭和16年に、当時の日本政府は、「総力戦研究所」を作り、軍・官僚・マスコミ等、各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っています。 その結果は、現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます) ということは、軍部も勝てるとは思っていなかったということです。 しかし、僅かな可能性に掛けなければならない程、アメリカのハルノートは厳しいものでした。 (質問者様は、その内容と交渉の過程をご存知ですか。また、受諾した場合の影響を考えたことがありますか。) 戦争とは、武力で目的を相手に認めさせる為の、手段に過ぎません。 この場合の目的とは、対中戦争の為の資源の確保ですが、それはアメリカが輸出を再開すれば達成されます。 日本は初戦で勝って、戦意を挫き講和させようとしましたが、あの国を占領統治しようなどとは思っていません。 予定通りには行きませんでしたが。 一方が戦場から出て行けば、戦争は終わるというのも間違いです。 そして、それは戦争=相手国の占領・消滅という、誤った短絡思考から来るものです。 戦争は戦闘の終了ではなく、講和によって終わるものです。 極論すれば、戦闘に負けても、講和条件で目的が達成されていれば勝利です。 戦場(領土)の占領がその戦争の目的であった場合、撤退=目的が達成できない=失敗です。 更にその土地を失う事が、更なる損失を招く可能性も考えければなりません。 日本は、もっと早く講和しかったのですが、できませんでした。 理由は、アメリカの講和の条件に、国体(天皇)の保持が明記されていなかったからです。 当時の日本が、これを受け入れられる筈はありませんでした。 アメリカは、これによって原爆を準備する時間を稼ぎました。 目的は、人体実験と他国に力を見せて戦後の国際社会での影響力を確保する為です。 (遅れすぎるとソ連が日本本土まで占領し、日本が朝鮮やドイツのようになる怖れもありましたが) 実際、ソ連は北海道を取るつもりで侵攻してきましたが、日本軍により北方領土までで阻止されています。 無条件降伏についてですが、これは軍隊だけで国家に対してのものではありませんでした。 それを調印後に連合軍が勝手に国にまで適用してしまいました。 しかし、軍を失った日本はそれに抵抗できませんでした。 ドイツは国として無条件降伏しましたが、これは政府が崩壊し消滅していた為です。 軍が国民を騙していたとも言われていますが、これは戦後のアメリカの洗脳で間違いです。 アメリカは、自分を正義の解放者と思わせる為に、戦争は日本政府が国民を騙して始めたと宣伝し、国民に責任はないと宣伝しました。これを信じると、国民は罪悪感からは解放されますが、自国への不信とアメリカへの劣等感を抱き、アメリカによる戦後の統治はより容易になります。 大日本帝国の最期  第参幕 http://www.youtube.com/watch?v=wxB1TjPHTQc

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました 新しい歴史の見方をありがとうございます ハル・ノートは名前だけ知ってます どうせ無条件降伏するなら早いほうがよかったのに…

その他の回答 (10)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.10

何事においても「引き際」ほど難しいものはありません。その質問と全く同じ質問を馬券売り場で最終レースの前におじさんたちにしてごらんなさい。みんな、「最後に勝って帰るんだ」と口を揃えますよ。 株やFXで損を出した人に「今売ってしまえば100万円の損害で済みますよ」といっても大抵の人が「ここで100万円損害出しましたで引き下がれるかよ」といって強気の勝負に挑んだり、「もしかしたら反発して80万円の損害で済むかも・・・」といってそのまま様子見に出たりして、結局さらに大損をします。 「1944年まではさほどの損害ではなくて、1945年だと損害がすごい」というのは結局歴史の後知恵に過ぎません。野球の試合が終わった後に「先発投手を6回で代えていればね」というようなものです。史実は1945年で終わりましたが、もし本土決戦までやっていたらさらにすごい損害が出ていたはずです。もしそうなったら「なぜ1945年でやめなかったのか」となります。 ところで、我々は当時の人々を笑うことや批判することはできません。今日本も再び経済という分野で大きく失速しつつあります。「失われた10年」は「失われた20年」になろうとしています。色々と抜本的改革をしなければならないとみんな思いつつも何も手をつけることができない状態でいます。 無駄をなくそうと事業仕分けをしたら、「ウチの事業の予算を削るとは何事だ!ウチの事業は無駄ではない!」という怒りの声続出で結局ほとんど頓挫してしまいました。大阪府は、もう金がないから職員を3割減らすといっていますが職員は猛反発です。名古屋市も、市議会議員が多すぎると市長が言い出したら議会は猛反発しました。半世紀後の若者が「あのとき思い切って改革をしていれば無益な損害を出さずに済んだのになぜ改革できなかったのですか」とここで聞くかもしれません。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました 確かにそうですね。今は勝ってるでも明日も勝ってるとは限らない。でも今勝ってるから手は引けない。ジレンマ 結局歴史の後知恵に過ぎません。 でも、軍部は相手の戦力を知っていますよね?

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.9

「日本は」と言う書き方をされていますが、国家に人格がある訳ではないので、その意思決定というのは、結局数人の個人によって行なわれます。 様々な考えの人が居て、後から馬鹿だXXXだと言う人はいますが、その時にはその人は意思決定者ではなかった、つまり権力闘争としては馬鹿だと言う人より劣っている訳です。 それは今の自民党政権と民社党政権の交代にしても同じだと思います。 要は「ある目的」を達成するには戦争が不可避と判断した人が政権を担い、開戦に突入した訳ですから、その人が回心するか除かれなければ、「ある目的」達成まで戦争を辞める事は出来ません。 他の方が仰る様に、「戦争をやめる」と言えば確実に軍に殺される状況でもあったので、国内事情だけでも戦争をやめる事は出来ませんでした。 政権自体が変わらずに「戦争をやめる」事が出来たのは、英国や米国の様に自国外に出て行って、その戦争を放棄すると言ったケースに留まります。 英米間の独立戦争~ボーア戦争~ベトナム戦争~???では、一方が戦闘を放棄して出て行けば、勝者側が相手の本国まで攻めて行く事は出来ませんので、一方的にやめる事が出来ました。 そう言う意味では中国と満州から一方的に大陸から引いていけば、中国との戦争はやめられたでしょうが、それが出来た人ならそもそも対米開戦をしない事が出来た筈です。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.8

「日本は」と言う書き方をされていますが、国家に人格がある訳ではないので、その意思決定というのは、結局数人の個人によって行なわれます。 様々な考えの人が居て、後から馬鹿だXXXだと言う人はいますが、その時にはその人は意思決定者ではなかった、つまり権力闘争としては馬鹿だと言う人より劣っている訳です。 それは今の自民党政権と民社党政権の交代にしても同じだと思います。 要は「ある目的」を達成するには戦争が不可避と判断した人が政権を担い、開戦に突入した訳ですから、その人が回心するか除かれなければ、「ある目的」達成まで戦争を辞める事は出来ません。 他の方が仰る様に、「戦争をやめる」と言えば確実に軍に殺される状況でもあったので、国内事情だけでも戦争をやめる事は出来ませんでした。 政権自体が変わらずに「戦争をやめる」事が出来たのは、英国や米国の様に自国外に出て行って、その戦争を放棄すると言ったケースに留まります。 英米間の独立戦争~ボーア戦争~ベトナム戦争~???では、一方が戦闘を放棄して出て行けば、勝者側が相手の本国まで攻めて行く事は出来ませんので、一方的にやめる事が出来ました。 そう言う意味では中国と満州から一方的に大陸から引いていけば、中国との戦争はやめられたでしょうが、それが出来た人ならそもそも対米開戦をしない事が出来た筈です。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました 日本はアメリカと違って閉鎖的な軍だったんですね 確かに戦争をしよう!と言ったひとが戦争を撤回する訳じゃないですよね でも、サイパンが落ちた時に降伏すればよかった

回答No.7

えっ?勝ち戦を放棄するんですか??? 先の戦争ですけど、日本は戦闘に負けたけど目的は達した(=日本の戦略的勝利)戦争なんですけど あの戦争で失った物 朝鮮半島・台湾・南沙諸島・千島列島・樺太 得た利権 フィリピン・ベトナム・マレーシア・インドネシア・インド・・中東・アフリカへの経済進出 よく考えてみてください。東南アジアや中国貿易の今の状況って『大東亜共栄圏』じゃありませんか? 戦勝国の失った物 中国国民党政府…中国本土 アメリカ…フィリピン イギリス…ほとんどの植民地 フランス…ほとんどの植民地 オランダ…ほとんどの植民地 戦勝国の得た物 日本に勝ったという自慢 アメリカ…韓国・ベトナム問題など 中国国民党…台湾 イギリス…なし フランス…なし オランダ…なし 44年で止めてたら無茶な要求(例えば日本人・韓国人は北極圏への強制移住とか公用語をエスペラント語にとか←私の思いつく範囲の無茶要求ね)をされても受け入れねばなりません。45年7月に連合国が戦略的敗北を認めた(ポツダム宣言)から今の日本があるのです。 100年・200年後の歴史書には「WW2は日本が戦に負けて政治的に勝った戦争」って書かれてますよ。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました エエエェェェェエエエ。流石にそれは戦後の結果論ではないですか?

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (674/1408)
回答No.6

>なぜ日本は途中で戦争をやめれなかったのでしょうか?  なぜも何も連合国は、戦争を途中で止める気は全く無かったからです。  (勝手に枢軸国と講和して戦争を終わらせないよう約束しあっていた。)  1943年1月14日のカサブランカ会談にて、既に枢軸国に対して無条件降伏を迫る事を要求しています。  (つまり史実と同じ状態に成るまで戦争を止めない事を決定。)  そもそも、日本側が不利になったから戦争を止めましょう、何て虫の良い話が通るわけないじゃないですか…。  (連合国側にだって少なくない被害が出ています。この被害を埋め合わせるに見合う条件は、無条件降伏しかないと連合国首脳陣は判断した訳です。)  実際に終戦に向かって出来ることなんて、1945年7月26日に連合国が出したポツダム宣言(無条件降伏)を何時受け入れるか位しか、日本側に取りうる選択肢は有りませんでした。  1945年8月14日に受け入れを表明したのですから、当時の状況を考えれば遅いとは…。  なお、日本の終戦工作は1942年の頃から、一部の政治家・官僚・民間人にて行われていました。  (だから1943年の段階で無条件降伏しか認めないという宣言が出てくる。)  1944年に東条内閣が倒れて以後は、かなり積極的に行われるように成っています。  ただ実際の連合軍(米軍)は、広島・長崎以外にも多数の核兵器の投下や九州・関東の軍事侵攻・占領計画(1946年以降も戦争を継続)を練っていたのですから、史実の降伏のタイミングはこれ以上の無益な血を流さずに済ます事が出来たといえるかと。  ちなみに、終戦の仲介として日本が期待したソ連は史実が示すように満州・朝鮮・千島列島および北海道への侵攻作戦を計画していたぐらいで、戦争が1日でも長く続いてくれたほうが良いような状況でした。  (事実、ポツダム宣言を日本が受諾しない様、甘言を弄していた。)

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました カイロ会談や太平洋上会談でも散々、無条件降伏しんいと駄目って言ってましたもんね… じゃ無条件降伏すればよかったのに! ソ連はポツダム宣言に加わってませんね…

  • shin1417
  • ベストアンサー率27% (199/721)
回答No.5

>1944年で降伏していれば無益な血を流さずに済んだハズです。 でも、そこで降伏したらそれまで流された血は無益になってしまいますよ? そんな事になったら政権は国民から袋叩きにされます。 ギャンブルと同じなんですよ。 損をしたら次で取り替えそう、それでも損をしたら更にその次で、というようにスッカラカンになるまで続けてしまったのです。 大損してしまったら、それを取り返すまで止めれないのと同じです。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました 危険なギャンブルですね。人の命をかけてる訳ですから…

  • xiansui
  • ベストアンサー率73% (861/1164)
回答No.4

回答が長文になります。 降伏する事はありえません。降伏とは負けを認める事ですよね?じゃあ、講和(戦争終結と、平和回復のための交戦国間の合意。)はあり得たのかというと、これもおそらく無理だったと思われます。 当時の日本軍内部は、戦争と政治が不可分の存在である事が忘れられており「講和を考えながら戦争を行う事は、自らの弱さを表す事だ。」という誤った認識(精神論に基づく無意味な強がりとも言えます。)が存在していました。 この為、日本政府内部では、大戦末期のポツダム宣言受諾が議論されるまで、又、開戦前にも「対米戦争を、いつ何時に、どの様な形で、どんな条件で終結させるか。」を具体的に議論をした事が、一度として無かったのです。 当時の日本は陸軍と海軍が決定的に不仲でした。又、陸海軍内部においても派閥抗争と縄張り意識が強かったのです。 この状態では、たとえ戦争の継続は不可能だと思っていたとしても、講和に乗り出す事を主張してしまえば、派閥抗争のあおりから絶好の攻撃材料として非難を浴び即座に失脚してしまう可能性が高いです。それが分かっているから、誰もやりたがらなかったとも言えます。 つまり、日本はまともに戦争終結の方法を考える事なしに、ただひたすらに戦争を続行し、そのうち連合国側から講和の手を差し伸べてくれる事を、漫然と待っていたと言っても過言では無いかもしれません。 次に、「死んだ人間に悪いから」論理があります。 当時に日本では、戦争で勝ち取ったものは「犠牲を無駄にしない為に、その成果を決して手放してはいけない。」という認識が世間一般のモノでした。 (これは、一度獲得した占領地を手放す事に、強烈な心理的抵抗があるという事で、戦争中に日本軍内部で撤退を躊躇させ、作戦を硬直化させる原因の一つになりました。) 仮に、1944年に講和のテーブルに着いたとすると、連合軍側は南方の占領地や中国からの撤退が講和条件として出されるはずです。 これは、太平洋戦争の開戦前どころか、日中戦争開戦時より日本の支配地域が減少する事を意味します。 それをもし受け入れたら「英霊(戦死者)の血で獲得した占領地から撤退した上に、賠償金すらとれない国辱的な弱腰講和だ!」として、国中で大騒動になり暴動につながる事にもなりかねません。 (現に、1905年に日露戦争におけるポーツマス条約調印時の「東京騒擾事件」もあった訳ですし。) 実際、1945年の8月の段階ですら、(まさに終戦の直前ですよね。)阿南陸軍大臣は「英霊にすまぬから、無条件降伏する事は出来無い。」と主張していた程ですから。 結論としては、途中で戦争を止める事が出来たのは、連合国側であり、日本側では無理だったという事になります。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました なるほど、死んだ人間に悪いからと考えることを放棄していたんですね 思考停止状態だったですね 確かに当時の人の視点はそのようなものかもしれません

  • Shin1994
  • ベストアンサー率22% (551/2493)
回答No.3

当時は、「日本には、天皇陛下がいる!ガムをくちゃくちゃ噛んでる米国になど負けるはずが無い!」と本気で思ってました。 天皇は当時、神と同等の存在で神が居るのだから負けるはずはないだろうと馬鹿げた空想の下に動いてました。それに、一度刀を抜いたら勝つまで納めないという武士精神もあいまって、とことんやっちゃったんですね。 結果的に、しびれを切らしたアメリカは実験がてら原爆を投下し、これはもうダメだ…と思った日本はポツダム宣言を受け入れてめでたく第2時世界大戦は終了!残念ながら(というかわかってたことだけと)日本は敗戦! 結局、当時の軍部は馬鹿ばっかで常識的に勝てるはずの無い国に喧嘩売っといてボコボコにされたという、なんともアホなオチとなった訳です。そんなくだらない戦争のために、何人の尊い命が失われたことか…

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました まったくその通りですね

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.2

戦争を始めたのは陸軍が悪いんだ。 これが通説ですが、会議で反対すれば開戦は否決されます。 国民が全員反対であれば否決されます。 鬼畜米英討ちてし止まん。(殺したくって、殺したくって仕方ないのであります!!!) これが米国で言う、指導者が悪いのであり、国民には罪が無いのだ。 (東条1人が悪の枢軸で、日本人は正しいのだ。) に結びつきます。 何故戦争を途中で止めなかったか? 講和を言い出すだけで右翼に襲撃される恐れがありました。 当初は陸軍を革新すると人事改革で望みましたが、 逆にその人事は満州事変や盧溝橋事件を起こされてしまい打つ手無しの状態に陥ったと言います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE ガダルカナル島の戦いでは最前線の師団長が更迭され、指揮系統が破壊。 物資調達面で参謀が東条に馬鹿野郎と怒鳴って更迭。 しかし、インパールを夢と嘲っていたのが話に耳を貸すまでに陥っていたのは事実です。 藁にもすがると言います。 226事件のように、いつ殺されてもおかしくありませんから、講和など言い出せなかった。 これが理由のひとつです。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました なるほど、当時はスターリンの様に少しでも反動的な事をすると殺されてしまうのですね だから国民は我慢するしかなかったのですね 恐怖政治ですね… 軍部の腐敗が戦争の継続を促したということですか

gookou666
質問者

補足

なるほど、当時はスターリンの様に少しでも反動的な事をすると殺されてしまうのですね だから国民は我慢するしかなかったのですね 恐怖政治ですね… 軍部の腐敗が戦争の継続を促したということですか

回答No.1

詳しいことを全然知らないので回答者にふさわしく無いかもしれませんが… 私の勝手なイメージを参考までに書かせていただきます 私の勝手なイメージでは、「意地になっていた」みたいなとこがあると思ってました 中学のときに資料集で見た、“日本が満州事変のこと批難されたけど非を認めずに国際連盟脱退した”って場面の写真がすごく印象に残っていて… それで妙なプライドみたいなのがあって、負けを認めたくなかったのかな~?と。 実際戦災にあっている人たちにとっては大変な問題でも、天皇とか上層部の人達は食料も確保されてて命の危険がなくて、そんな理由でなかなか戦争をやめなかったんじゃないかなと勝手に思ってました くどいですが、あくまでも私の勝手なイメージです 実際どうなんでしょうね…そういう部分もあったんでしょうかね? (なんか回答ではなく質問になってしまいましたね・・・すいません)

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございました 参考になります

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