女性が探し求めた『聖なるもの』とは?

このQ&Aのポイント
  • 晩婚ながら幸せな家庭に恵まれた女性は、出産の時に『聖なる何かを』感じました。その感覚を求めて旅に出るものの、あらゆるものが『俗』であることに悩みます。しかし、女性は『絶対的な”聖”』が存在すると信じています。
  • 女性は2度目の出産でも同じ『聖なるもの』を感じ、息子は大学教授となり、娘も幸せに暮らしていました。しかし、女性はある日、授かった子供たちに対する『聖なる感覚』を思い出し、旅に出る決断をします。
  • 寺院や教会を巡りながらも、女性は『俗』を感じるだけでなく、『聖なるもの』もあるはずだと信じ続けます。数日後、女性は亡くなり、果たして彼女は『聖なるもの』を見つけたのでしょうか?その答えはわかりませんが、女性は『絶対的な”聖”』の存在を信じていました。
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聖なるものを…(ある女性の話)

(作者、フィクション、ノンフィクションはわかりません。) 【聖なるものを見つけたかった女性の話】 その女性は晩婚ながらやさしい夫と2子に恵まれました。 出産の時、『玉のような子を抱くと』そこに『聖なる何かを』感じました。 2度目の出産の時もやはり同じように感じ、『聖なるもの』を確信しました。 やがて時は経て、息子は妻を娶り他国で暮らし始まりました。 息子は富と地位を自ら勝ち取り、とある大学の教授になり 社会学の教鞭をとっていました。 娘も由緒正しい家柄に嫁ぎ、数人の仲居、侍従を従え、 子宝にもにも恵まれて幸せそうでした。 ある日、女は気づきました。 『あの子達を授かった時の聖なる感覚はなんだったのか』と。 女は旅に出ました。 寺院、由緒名跡をあてもなく歩きました。 女は、出会うもの全てが『俗』であることに悩みました。 仏像には建立を伝える碑文が・・・。そこには時の権力者の名が刻まれていました。 とある教会では、聖書を手にすると『定価、売価と思われる金額と販社名が…』あり、 それらに『”俗”を感じぜぬ訳には行きません』でした。 女は『これだけ俗が溢れているのだから、必ず聖なるものもある』と自ら言い聞かせ、 また歩みを続けました。 …数日後、女は眠るような亡き骸となって、故郷と似た風景の土地で 大きな木の下に蹲っていました。 (終) 果たしてこの女性は、現世の幸せ以上の 『聖なるもの』を見つけたのでしょうか? その『聖なるもの』とは果たしてなんだったのでしょうか? 私には知る事が出来ません。しかし『俗の中の聖』と言うより、 相対的ではない『絶対的な”聖”』は有るようには思えます。 皆さんの様々なご意見伺いたく存じます。 よろしくお願いいたします。

noname#134608
noname#134608

質問者が選んだベストアンサー

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  • ihyou_P
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回答No.2

まず前程として、作中に仏像・教会の両方が出てきているので、昔から存在する特定の宗教における「聖なるもの」観を指しているのではないと判断できますし、また生死の価値観についても同様の理由で(輪廻転生や天国や地獄といった)特定の価値観をもって出て来ているのではないと思われます。また「息子が他国で暮らした」ということから、特定の国における価値観では無いということを敢えて強調しているという意図が見受けられます。 以上のことからわかるのは、この文章の著者は色々な考え方に極めて寛容であるということです。 (宗教観に関してまでここまで寛容なのは、日本人くらいだと思いますが)。 従って、読者に 「地位や名誉やお金といった社会的な成功以外にも、価値のあることがあるのではないですか」「あなたにとってそれはどんなことですか」 という投げかけであり、 「ひとりひとり答えは違っていい。だからゆっくりと自分の内面に目を向けて思いを巡らす時間を持って欲しい」 という気持ちなのではないかと思われます。 さて、こうなると「正解は無い」ということになるとは思いますが、作者がこの話を書くにあたり、想定した「聖なるもの」は何か、ということを考えてみたいと思います。 「子供を出産したときに感じ」て以後は感じたことが無いということですから、産まれてきた瞬間に感じる無垢な愛情、ということが考えられます(前程に記載した通りの理由で、生死の価値観に関わる回答は私は除外して考えました)。 「無垢な愛情」には、将来この子に養ってもらおうとか、喧嘩したらご飯を作ってもらえないとか、そういう損得勘定は入っていません。 親としてただ純粋に子の誕生を喜んだその愛情、もしくは産まれてきたばかりの子が親へ感じる愛情(正確に言うと、生存本能であったりお腹の中で慣れ親しんだ体温や心音だったりするだけかもしれませんが)が、想定された「無垢な愛情」なのではないかと思われます。 もし、この女性がここで死ぬことなく故郷に無事帰り着き、夫が存命だったとして。ただひたすらに旅に出た妻の無事を祈る夫に会うことができたなら、その心の中に「聖なるもの」を感じることができたのかもしれません。

noname#134608
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 >この文章の著者は色々な考え方に極めて寛容であるということです。 そうですね、そして細部にも意味深な読み手に応じた『意図を隠している』ようです。 申し遅れましたが、この『ある女性の話』と『ある兵士の話』は一片の紙の表裏に書かれていました。 そこにも『意図』が伺えます。 >「正解は無い」 >「ひとりひとり答えは違っていい。だからゆっくりと自分の内面に目を向けて思いを巡らす時間を持って欲しい」 その通りなのでしょうね。そしてその其々の違った答えの真髄は同じモノのように感じますね。 子供を象徴とした >「聖なるもの」 >「無垢な愛情」 には、私には恐れ多い言葉ですが、 『慈悲』『アガペ』と言う超宗教的な人類和合のメッセージを 『人為的』に且つ『脱エゴ』で表したと解釈できるわけですね。 >もし、この女性がここで死ぬことなく故郷に無事帰り着き、夫が存命だったとして。 ここがまた面白く、難しい場面なのですが、 『お釈迦様』ならそこで『悟りを開く』場面でしょうが、 其処で彼女は『故郷 死』となっています。 これは『聖人と凡人』、『悟りと煩悩』を表したかったのでしょうか? また、この文中では『夫の存在』が途中から消えています。 そして最後までそれについて何も言及していません。 ここも『何かを感じさせよう』と言う意図がありそうですね。 ご回答、お付き合いいただきまして有難うございました。

その他の回答 (4)

  • jsapp
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回答No.5

私にとっては、 聖なるもの=ピカソの「牧神の顔」 です。 ピカソの晩年の作品だそうですが、遅く授かった子(孫だったかも)の 誕生を題材に作った作品だそうです。 とても嬉しいことがあったときに、沸き起こる気持ち。 たとえば「嬉しい」と言葉にしただけで変質してしまうような、 そんな脆く、おぼろげで、形容できない、純粋な感情。 この話の「聖なるもの」は、そういったモノなのだろうな、と私は思います。 (私が言葉にしようとすると、どうしようもなく俗になってしまいますが) 「牧神の顔」を見た時、 ピカソは「聖なるもの」を切り出せたんだナァ、 霧に形を与えられたんだナァ。 天才というより神だナァ、 と、とてつもなく感動したことをよく覚えています。 >果たしてこの女性は、現世の幸せ以上の『聖なるもの』を見つけたのでしょうか? 見つけようとすればするほど、遠のいたのだと思います。 ただ話の流れからすると、死の間際、見つけることを諦めた瞬間には見えたように思えます。 ちなみに私がその作品を見たのは箱根彫刻の森・ピカソ館です。 是非本物を見られることをお勧めします。

noname#134608
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 >見つけようとすればするほど、遠のいたのだと思います。 そうなんですね、『求める欲=俗』となってしまい、『聖』を自ら遮断させてしまったようですね。 パブロ・ピカソ…彼”も”ひとだった、その彼が作品を『創造』した。 ひとであるがゆえに、時代背景を、時間を過ごした彼が、作品を通じて『感動』を残した。 感動…それは『時の経つのを忘れ、呆然と立ち尽くす』、つまり『時空を超えた瞬間』ですね。 現世が時間と俗ならば、その時空を超えたもの…それは『聖』。 その通りではないでしょうか。 「牧神の顔」については構図の記憶はあります。 顔の楕円、頭の角のようなもの…、『曲線の優しさ』が印象に残っています。 一昔前、上野の近代美術館のピカソ展だったと思います。 その時、ピカソの作品より『彼の肖像(写真)』に足が、目が止まりました。 彼のエネルギーなのでしょうね。 彼は『平和、争い無き世界』を強く願っていたように思います。 その願いは『内に秘めたエネルギー』として、『作品を創造』した。 神、ひと、エネルギー…と、『無理なく一体化』した聖人でしょうね。 >是非本物を見られることをお勧めします。 もっとアート、そして(箱根だけではありませんが)自然と触れ、『感動』をしたいと思います。 有難うございました。

noname#136038
noname#136038
回答No.4

「聖なるもの」って人が感じとれるかどうかでは? 質問者様のお気にいるかわかりませんが、私が好きな話を一つ。 学校の授業で先生の雑談で聞いた話。実話です。 今から何百年か前。 あるイスラム教徒の青年がパリの大司教を訪ねました。 近頃キリスト教の教えに共感を覚えることが多く、改宗を考え ていると話します。 大司教は大喜び。それでは!と思ったのですが。。。 青年は言います。 「改宗の前に、キリスト教の本拠地ローマをこの眼で見たい」と。 パリの大司教は止めました。当時のローマでは、聖職売買、僧侶の 結婚、よくない話ばかりで、青年が見たら興ざめするでしょう。 でも、青年は司教の制止を振り切ってローマに出かけます。 ローマは。。やっぱり大司教の言うとおりでした。 聖職者たちは堕落し、ローマ教会の権威は地に落ちていました。 青年は再びパリに戻り、大司教を訪ねます。 そして言いました。「やはり改宗をすることにしました。」 驚く大司教に青年は言いました。 「おっしゃる通り、ローマ教会の実情は惨憺たるものでした。 でも、ローマの人々は変わらずキリスト教を信じていました。 それは、キリスト教が真の宗教だからです。」 これなんかは「絶対的な聖を見つけた話」になりませんか? 確かに生まれた時は、誰もが汚れ無き状態でしょう。 でも、人が気づくか気づかないかで、そこかしこに聖なるもの があるかもしれません。

noname#134608
質問者

お礼

ご回答有難う御座います。 ユダヤ教、キリスト教(正教、プロテスタント、カソリック)、イスラム教と派生していったと学んだ記憶があります。 >実話です。 私は初めて聞きましたが、とても素敵なお話ではないですか。 大司教も青年も『悔い改める』と言う『キリスト教の教え』を 実践されたのでしょうね。 大司教と言えども人間、青年も人間…つまり『過ちを犯す存在』で、 神の御名の下では大司教も青年も平等、そして『過ちて改めざるを過ちと言う』それを堕落したローマで有言実行された。 汚れ無き生誕から、自身を汚し、そして自らそれを神の御名の下で浄化した。 彼らは確かに其処に『聖なるモノ』を感じたのでしょうね。 >でも、人が気づくか気づかないかで、そこかしこに聖なるもの があるかもしれません。 『気づく気づかない以前』に、『そこかしこ汚しているエゴがここに居ます…。』 なんともお恥ずかしい限りです。 素敵なお話有難う御座いました。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.3

> その『聖なるもの』とは果たしてなんだったのでしょうか? 作品の要約の中に書かれてますよ。 『聖なる何かを』感じたモノ、即ち子供でしょう。 その対比が、一般に「聖なるモノ」として崇められつつ、建設者の名前が書かれてる碑文や、価格付きの聖書でしょう。 作者や作品そのものを知らないので何とも言えませんが、この作品のプロットは、宗教などの批判や、権力や拝金主義等を非難、あるいは生命の尊さなど書いてるワケでは無い様な気がします。 モチロン包含はしてると思いますが。 むしろ宗教や信仰の根底の概念(≒聖なるもの)の、本質は何か?を問いかける様な目的では無いかと思います。 深読みすれば、逆説的ですが、神様とか仏様みたいな、大いなる存在の「証明」にもなってますからね。 一義的には、俗に神聖視されるモノを敢えて俗化し、意図的,恣意的な神聖を否定し、神聖の本質は「自分が『自発的』に神聖視した存在である」と言ってます。 具体的には、 ・日常的な自然な営みの中にも、神聖を見つけることが出来た。 ・しかし、立派な寺社や仏像を尊ぶ様な偶像崇拝や、聖書の内容より、聖書そのものに価値を  見出そうとする様な盲信に、神聖は見つけられなかった。 と言うコトです。 ここで「神聖や神仏などは、追い求めたり作ったりするものでは無いが、自然に存在するものである」と言う、二義的な意図を感じます。 子供には縁起など書かれてませんし、値札もついていません。言わば無価値です。 しかし子供を授かれば、誰しもが自然に、言い様の無い嬉しい気持ちになります。 たとえば「何か」に心から感謝したい様な。 その「何か」が、神様だか仏様だか、何らか「大いなる意思」みたいな聖なる存在であり、「それは間違いなく存在する」と言いたいんでしょう。 主人公の女性は、最初、『自然』にその存在に気付いたんです。 でも、その正体を探ると言う『不自然』な行為(旅)をした結果、逆にその存在から遠のいてしまった・・。 そう言うプロットかと思うんですが・・。 なかなか凝ってて、含蓄も有って、ナルホド!と思います。

noname#134608
質問者

お礼

ご回答、ご解釈有難うございます。 >『聖なる何かを』感じたモノ、即ち子供でしょう。 子供こそ神である…何かで聞いた(?)読んだ(?)記憶が確かに御座います。それを思い出しました。 >概念(≒聖なるもの)の、本質は何か?を問いかける様な目的では無いかと思います。 概念=思考の産物ですから、(≒聖なるもの)となるのですね。 この『≒』は”=”でないところに『作者様と回答者様』の共時性を感じます。 >深読みすれば、逆説的ですが、神様とか仏様みたいな、大いなる存在の「証明」にもなってますからね。 言われてみれば確かに『証明』に値しますね。 大いなる存在の証明など、今までは接した事はありませんでした。 >盲信に、神聖は見つけられなかった。と言うコトです。 盲信、洗脳その部分に落ち込んで本末転倒されている宗教的事象を確かに多く目にしますね。 つまりは『その警告』も作者の意図は含んでいると言う事ですね。 >「神聖や神仏などは、追い求めたり作ったりするものでは無いが、自然に存在するものである」 作為的でも、人為的でもなく『存在するもの』、それは自然やその摂理を含めた、本来の『生の営み』と解釈できそうです。 >たとえば「何か」に心から感謝したい様な。 昔はご老人が『お天道様に手を合わせていた』ものですが、 そんな風景はトンとお目にかからなくなりました。 『空気も水も太陽も』…日頃それに感謝などしたことはありません。 自身の生にとって、無くてはならないものなのに…(反省です。) >最初、『自然』にその存在に気付いたんです。 でも、その正体を探ると言う『不自然』な行為(旅)をした結果、逆にその存在から遠のいてしまった・・。 自然=無意識、無作為、不自然=エゴ、我欲なのですね。 なにか『ありがちな、犯しがちな過ち』のようです。 暫くこの文章には『はまりそう』です。 ご解説有難う御座いました。

回答No.1

「場(ば)」ですよ >英和)sanc・tu・a・ry[skturi] (三省堂「エクシード英和辞典」より) ━━n.聖所, 神殿, 寺院; (教会堂の)内陣; (法律の及ばない)聖域, 避難所, (教会の)罪人庇護権, 鳥獣保護区. ・break [violate] sanctuary 聖域を侵す. ・seek [take] sanctuary (罪人などが)聖域に逃げ込む. 心の中にも有りますよ! 自分で作り上げる物かもねー・・?!

noname#134608
質問者

お礼

続いてご回答有難うございます。 辞書の引用は『この彼女』からは『俗』になるのかもしれませんが・・・。 『場=フィールド』これは納得がいきますね。 その”場”とは、現次元にもホワイトホールやブラックホールのようにあるかもしれないし、『高次』には何となく存在しそうですね。 女性の『出産』とは、そんな”場”なのでしょうね。 また『彼女の最後…つまり死線を越える瞬間』もその”場”が作用している。 …ということですね。 心の中…おそらく『心の構造』も私たちにとって、まだまだ未知の世界。 その表層は『数々の葛藤やら混乱、悲喜交々…』であっても、 その中心(核)はやはり”場”、それなのでしょうね。 その核が作用して『創り上げるモノ』はやはり”それ”なのですね。 またその核に作用する『感動』も”それ”かもしれませんね。 有難うございました。

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