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ベトナムでのフランス語について

インドはイギリスの植民地となったために、英語が現在まで広く使われて いると認識しています。 一方、フランス語はほとんどベトナムで通じないそうですが、それが事実と すれば、いったいなぜでしょうか? イギリスとフランスの植民地統治政策の違いなどに理由があるのでしょうか? お分かりの方ご教示下さい。

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  • tanuki4u
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回答No.1

大きく言えば期間の違いと独立の経緯 期間の違い フランスは19世紀後半から イギリスは18世紀から本格化(1757年プラッシーの戦い) この期間の違いが、統治体制と本国留学生の世代の違いに出ます。 ホーチミン(1890年生まれ)が、フランス語教育の第一世代になります、対してインドでは チャンドラ・ボース(1897年生まれ)の父親が、インド人としてインド人高等文官になっています。 ゴダール(1861年生まれ)の兄がインド人としてのはじめてのインド高等文官になっています。 高等文官になるということは,英語での高等教育を受けて英語で統治をすることになります。 インドとベトナムでは現地人統治者の英語なりフランス語での教育の期間が違うので、根付き度が違う。ま また、インドではイギリス支配下でインド人部隊というのが成立しています 1857年に英印軍として成立していますが、プラッシーの戦いも主力はインド人部隊が東インド会社の戦力として戦っています。 英印軍は「在外イギリス人将校とともに、インドで募兵され・・・」つまり英語で指示がなされていました。 第二次世界大戦では250万人が英印軍となっています。 ベトナムではそのような話は聞きません。 独立段階で、インドはソフトランディングでしたがベトナムはハードランディング。そしてベトナムがフランスと戦った後で戦ったのはアメリカですから、英語を研究する筆意用があります。 まぁ独立後、多言語のインドと、ほぼ単一民族国家ベトナムという違いも大きい。

kojiramone
質問者

お礼

遅くなりました。大変よくわかりました。 有難うございました。

その他の回答 (2)

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.3

私も「言語環境の差」だと思います. インドは多民族・多言語国家であるため, 「共通言語」があると意思の疎通に便利です. その「共通言語」が英語である, と. 一方ベトナムはそれまでにも統一した国家として存在し共通言語としてのベトナム語がありました. であれば, わざわざ別の言葉を使う必要もありません. ただ, 「言語」としてはベトナム語がそのまま使われていますが, 「文字」という点においては旧来の漢字ベース (チュノム) を廃してラテン文字ベースのクオック・グーに移行しています.

  • subaru23
  • ベストアンサー率45% (10/22)
回答No.2

私も単純に植民地だった期間の問題だと思っていましたが。 よく考えると、アフリカで過去にフランスの植民地だった国である アルジェリアとベトナムでは、フランスの植民地だった年月が、それぞれ ベトナム    1887-1954年までの67年間 アルジェリア  1830-1962年までの132年間 と、67年間と132年間では、約2倍の差があるものの 同じく、アフリカで過去にフランスの植民地であった、国である コンゴ共和国 1910-1958年までの48年間と比べると、ベトナムの方がフランスの植民地だった期間が多少長いのに ベトナムより植民地だった期間が短いコンゴ共和国の公用語がフランス語で定着しているのは、正直に謎ですね。。; 質問者さんも、もしかしたら、質問する前に、上記で私が書いた所までは、たどり着いて疑問に思ったのではないでしょうか? 後から指摘されそうなので、書いておきますが、アフリカのフランス語圏の国(特に西アフリカ)は、植民地以前の奴隷貿易の期間も合算すると、相当長らくフランス語が定着する環境が整っていたと主張される方も居るかもしれませんが・・・ 奴隷貿易が行われていたアフリカの地域は、奴隷海岸と言われる、西アフリカの一部の国だったと認識しております。 現在の国名で言うと、ナイジェリアからコートジボワールまでの間にある、ベナン・トーゴ・ガーナとナイジェリア・コートジボワールのおよそ5カ国程度。これは意外に少ないですね。この中にコンゴ共和国は含まれていません。 過去にフランスの植民地だった期間が約67年間のベトナムではフランス語が定着せずに 同じフランスの植民地でもベトナムより19年間短い48年間の間だけフランスの植民地だったコンゴ共和国ではフランス語が公用語であるという事について的確に答えられるのは、本当に専攻者レベルの方しか居ないかもしれませんが。。; 私の推測で参考にならないかもしれませんが、ベトナムでフランス語が通じない理由は、植民地政策の違いでは無いと思います。 おそらく以下で書いた理由で、コンゴ共和国でフランス語が定着し、ベトナムでは定着しなかったかのだと思います・・・。 コンゴ共和国に住む黒人同士のように、遺伝的に近い人種・民族・集団間でも、お互いが住む距離が10kmや20km離れると、もはや意思疎通が難しくなる言語を話すような環境で、ある程度でも、その地域が文明的になってくると、必然的に共通の言語を持っている事で、意思疎通が出来て何かと便利だと言う理由で、フランス語がコンゴ共和国では公用語となった。と解釈出来ます。これは、インドで英語が公用語となった経緯とまったく同じ原理です。 他方、ベトナムでは、国民の90%がキン族で占め、現在のハノイとホーチミン間での言語差異は、日本語で言う所の、標準語と関西弁程度の違いで、お互いが標準語と関西弁で話しても意思疎通出来るぐらいの違い・方言差のベトナム語では、わざわざ共通の言語を持たなくても良かった点もあって、フランス語が浸透しなかったのでは?と思います。

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