解決済みの質問
「見損なう」っていうのは、「評価を誤る」っていうことですよね。
ということは、「こんな事も出来ないなんて、見損なったよ」
とかいうときの、「見損なった」っていう表現はおかしくないですか?
例えば、まちがって思い込んでいたときに
「ごめん、勘違いしていたよ」
なら分かるけど、「ごめん、勘違いしたよ」
っていう文はおかしくないですか?
「こんな事も出来ないなんて、見損なっていたよ(今まであなたに対する評価を誤っていたよ)」
としないと、正しくないような気がして、頭が混乱しています。
どなたか日本語の達人様、詳しく説明していただけないでしょうか?
投稿日時 - 2010-11-12 17:11:06
直接的な回答ではないですが、ヒントになるかもしれないので書いておきます。
「~している」には複数の意味があります。
(1)その現象が起こっている最中である(進行形を表す)
(2)その現象が完了して、その影響が現在にも残っている(完了形を表す)
(1)の例文としては「今宿題をやっている」「山田さんは今公園を走っている」などがあります。
(2)の例文としては「もう宿題はやっている」「この機械は壊れている」などがあります。
「壊れる」「着く」「死ぬ」などのように瞬間的な状態の変化を表す動詞は「今その最中である」ということを表すことができないため(1)の使い方はできません。
「なくなる」「間違える」「勘違いする」「見損なう」などの動詞は、まず現象が起こり、その後で現象が起こったことに本人が気付くという2段階のステップでできています。どの時点で動作が完了したことになるのかによって解釈が変わってくるため、これが疑問をややこしくしていると考えられます。
投稿日時 - 2010-11-12 23:22:14
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ベストアンサー以外の回答(7件中 1~5件目)
結論から言うと、どちらも正しいでしょう。
「見損なう」は「評価を誤る」という意味です。
「見損なった」の「た」は、この場合、「現時点でそういう判断をした(結論に至った)」という完了の助動詞です。
『現時点で「評価を誤った」と判断した』という意味。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/132183/m0u/%E3%81%9F/
「(どうも今までも評価を誤ったきたことになりそうだが)まさに、今、この瞬間、そのことに気がついたよ!」という感覚が強い場合は、
「こんな事も出来ないなんて、見損なったよ」
という表現になるでしょう。
「見損なっていた」の「ていた」は、「状態が継続して現在に至る」という完了形でしょう。
文法には疎いのでぐだくだ言えませんが、ともかく、「今までずっと評価を誤り続けていた」という意味になるはずです。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/15573/m0u/
「今までずっと評価を誤って来たらしい。その状態を続けてきたのだなあ・・・ということが今改めてわかったよ」という意図の場合は、
「こんな事も出来ないなんて、見損なっていたよ」
となると思います。
以上の理由で、#4さんのご指摘と大差ないのですが、
前者は現在の心境、後者は過去への回顧に重点を置いた表現、と言えるでしょう。
投稿日時 - 2010-11-12 21:44:29
「こんな事も出来ないなんて、見損なったよ」 という場合、話者の失望感を表していると見ることができそうに思います (発話者の現在の感情を吐露している)。
他方、「見損なっていた」 は、確かに 「私のあなたに対するこれまでの評価に誤りがあった」 という事実を述べているのだと思われます (これも感情の吐露と受け取れなくもないですが、上の表現よりは客観的・冷静な見方をしているように感じられます)。
「A君については見損なったなぁ」 という人は、過去の自分のA君への評価に誤算があったという事実を述べています。
他方、「見損なってきたなぁ」 とうと、たえずA君に対する評価をし続けてきて、それらの評価の中に、現在確認された評価と一致するものがない、という事実を述べているような感じがします。
「勘違い」 のケースでは、「勘違いしている」 という状態の継続があったということです。「何か勘違いしてない?」 なんて聞かれる場合です。
語感の問題もあるかもしれないですが、私は 「見損なった」 という言い方は、自然な言い方として受容されている言い方のように思います。
投稿日時 - 2010-11-12 19:45:01