• 締切済み

「死」とは何か?

人が「死ぬ」とはどんなことか? 人は何を指して「死」と呼ぶか? を問います。 (尚、安楽死からの続きですが安楽死の方の質問についても引き続き・・・)

みんなの回答

回答No.19

人間は生きる上で意味を必ず考える。だから生きる意味があれば人間は故意に死なないと思われる。 例えば、怒りは生きる意味を与えてくれる。しかし閉塞感の中で怒りにうちふるえ、何もはけ口のない人間が自殺に追い込まれた場合、怒りという生きる意味は一気に意味を失う。 だから生きる意味(を創るもの)があれば生きるというのはウソである。 心が生きていようが生きていまいが、それが生物的な意味で生きる方向に転嫁されるか、されないかで瞬時に決定される者が命だと思う

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.18

身体、精神共に自発性が停止したら死ってことで良いんじゃないかと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#26603
noname#26603
回答No.17

嫌らしいなぁ~と思いながら 何か気持ち良いだろう. もう行くところは決まっているのだろうな. 我慢するか. 切り開くか? 我慢できないようになってるんだろうな. 性格上. 死後会う時を楽しみにしていてくれ給え. 何が起こるか.

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#26603
noname#26603
回答No.16

青春の詩 を思い出すね. それは僕へのメッセージだろうか. 画面を透して見える人間像. 何だか切ないな. 僕がここを訪れることを 予め知っていたかのように. 足跡を残していく.

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.15

死には2種類あるんだそうです。 ひとつは肉体の死。これは説明するまでもありませんね。 もうひとつは精神の死。自分の家族、友達、恋人、仕事、信念、財産、等々から決別しなければならないということ。人が恐れているのは精神の死だというのです。 確かに精神の死が伴わなければ肉体の死をこれほど問題にすることもないですよね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.14

言葉が尽きたら、自我を区切るものがなくなるであろう、きっと。それが「死ぬ」であると、今は思う事しかできない。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • new
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.13

自分はまだまだ若いのでなんともいえませんが、『死ぬ』というのは一種の状態であると思います。自分は今、高校生なのですが自分の学校の教師は最悪としかいいようがなく(もちろん例外の素晴らしい方もおられます)学校の体制も同様に最悪でした。これが『死』とどういう関係が?と思うかもしれませんが、話の本題はここからです。僕は学校の状態に絶望(少し大げさかもしれませんが)し、「もうどうでもいいや!」という気持ちになりました。そして全ての物事は自分とは無関係だと思い、積極性がまったくもって失われました。 その状態が『死』だと思います。息をしていても心臓が動いていても手足が動こうとも心が死んでいればその人は死んでいるのです。 (これは武士道の本か何かで読んだ受け売りなんです。実は) つまり肉体の『死』は真の意味の『死』ではないと思います。 確かに肉体の死はその人が「この世」というやつからいなくなってしまいます。 しかし、僕の経験から行くと心の死はその人の『個性』すなわちその人の存在というか意味というか曖昧なものですがそれが失われてしまいます。 だから僕は心の死のほうが恐いです。 拙い文章ですいません。でも僕にはこれが精一杯です。 ガキの戯言と思われる方もおられるでしょうがこれが僕の意見です。 それでは失礼します。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.12

>ほう・・・ 「生まれる」と「生きる」の違いをどう考えておられるかお聞きしたい。 また「生きない」とは如何なることでしょうか? 「生まれる」とは「生む(産む)」の受動態である。うわっ!撃たれる!?って感じです。「生きる」は能動態です。言葉の意味は説明しません。言葉を言葉で定義しても、どうどうめぐりになるからです。したがって、この問題を、私はフォーマリスチック(文法的)に整理しようとしています。「生きない」についても、それは「生きる」ということをしていない状態以上でも以下でもありません。「死んでいる」とも「生まれていない」とも限りません。

pikitto
質問者

お礼

返信どうもありがとう。 >この問題を、私はフォーマリスチック(文法的)に整理しよう この結果是非聞かせてね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#8665
noname#8665
回答No.11

さて、死の精神的側面。 絶えず思考し、なにかを探し求めつづける思索の過程こそが人間の生 だとすれば、人間にとって、思考停止し、怒りに打ち震える様は 思索精神の「死」である。 しかし、直情的に怒りに打ち震えるのは生物としてはいかにも人間的 な生命に溢れる行為かもしれない。 というわけで、引き続きあなたの質問に僕はごく真剣に答えたのみです。 コミュニケーションも会話も必要ありません。 ただ、あなたの思索の材料になればと思うのみ。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • fwappy
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.10

「死ぬ」ことを「自分が無くなること」と考えたばあい、 自分はそれを想像することすらできないだろう。 すなわち自分にとって、自分はいつも「生きている」。 実に不可思議であるが、そう結論せざるを得ない。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 「死」は悲しむべきこと?

     2度ほど質問を削除されてしまい、それは自分も覚悟の上だから構わなかったのですが、回答してくれた方に悪いことをしてしまったので質問を控えていたのですが、このカテゴリなら大丈夫そうなので質問します。  「死」って悲しむべきことなんでしょうか?「死」は悲しまなければいけないみたいな、安易なヒューマニズムみたいなのが鬱陶しいです。「生」ある限り「死」は自然のことで受け入れるべきものだと思いますし、納得のいく「死」というのはむしろ喜ばしいことのように思います。

  • 安楽死について

    20才程の若さで自殺したい人でも安楽死をさせてくれるような公的機関はあるんでしょうか? もしくは自分で出来る痛みを伴わない死に方などあるんでしょうか? もしあるんだとしたら、実際の自殺者の方で安楽死を選ぶ人があまり居ない理由は何でしょうか?

  • 安楽死と尊厳死。

     医学部を目指す高校3年生です。  漫画の話で恐縮ですが、手塚治虫さんのブラック・ジャックを読んでいて、ドクター・キリコvsブラック・ジャックみたいになってたので、安楽死・尊厳死について調べようと思い、PCをつけたものの・・・とても難しい話になってきたのでどなたか考えをお持ちの方に直接、色々な意見を聞きたいと思って質問しました。  調べたところ・・・  「安楽死」・・・第三者が苦しむ患者を死なせること。  「尊厳死」・・・患者自身が自らの死に方を選ぶこと。  僕は医者の仕事は“人を助けること”だと思っていたので大きなショックを受けました。んー、この問題については、“どちらが正しいか”という答えがあるような気がするので、どなたか考えをお持ちの方、よろしくおねがいします。

  • 人の死で・・・・

    人の死で・・・・ 馬鹿な質問で本当にすいません。 最近よく考えるんです。 大切な人の死って辛いなんてもんじゃないくらい本当に苦しくて、悲しくて 大切な人の死ほどを受け入れがたいものですよね。。。 大切な人を失ったときって 悪魔に魂を売ってでも、亡くなった人を生き返らせたい!!!!と思うことってあると思うんです。。 何故そこまでしてまで、生き返らせたいと思うんでしょうか・・・? その理由を知りたいです。 何度自分で考えても、ハッキリとした答えが思い浮かびません。 変な質問すいませんでした。 よければ教えてください。

  • 犠牲死に よい死とわるい死とがあるか?

     (α) ひとを生かすためにすすんで犠牲となる場合における死は たたえるべき意志行為であるか?  (β) 犠牲死に よい死とわるい死とがあるか? いや 意志行為としての死はすべてのろうべき行為ではないか?  (γ) 自死も――たとえば イジメに遭っての自死も―― ひとごろしであって のろうべき意志行為であるのではないか?  (δ) 文脈・情況にかかわりなく無条件にこの(γ)の命題が言えるのではないか?  (ε) 緊急避難などの条件は そのあとに来るとすれば来るのではないか?  (ζ) 原発事故における犠牲的行為は ほかの人を生かすためにおこなったゆえ讃えられるべきだと見るのではなく のろうべき行為をも欲しておこなったと解釈すべきではないか?

  • 人間に確実にやってくるのは、死だけですか? 自分の死が怖いです。 人の死も怖いです。

  • 恋人の死を私は受け入れられてるのでしょうか

    丁度ひと月前、付き合ってた彼氏を自殺で失いました。 あまりにも突然すぎる死でしたが、 私の様子が周りも、そして自分でも驚くくらい冷静で、皆に 「まだ実感沸いてないんだよ」「後からくるよ」 などと言われました。 あれから一か月経ち、トラブルなどには巻き込まれたものの、 自分の中では彼の死を受け入れたつもりでいましたが、 今の自分が、本当に彼の死を認めているのかわからないのです。 いなくなってしまったのに、なぜか不思議と寂しくなくて。 未だに涙は零れるものの、声をあげて泣くということはありません。 「もう二度と会えない」ということはわかってるのですが、 「この世界にいない」ということがイメージできないのです。 この世界、この地球上にはいるものの、遠く離れた異国の地に行ってしまい、 もう二度と会うことはないというような人と、何が一体違うのだろうかと。 なので未だに彼はとても長い旅にでも行ってて、 私の知らない場所で、私の知らない人達に私の惚気話でもしてるんじゃないか… そんな気がするのです。 大切な人の死の受け入れ方は人それぞれだと思いますが、 私はちゃんと彼の死を受け止めているのでしょうか。 そしてもし同様に、家族や恋人など大切な方を失ったことのある方は どのようにしてその方の死を受け入れたのでしょうか。 大切な方の死と一言で言っても、 死期がある程度事前にわかってしまうような病死や、 あまりにも突然な事故、自殺などでも 受け止め方は異なってくると思いますが、様々な方のご意見を聞かせて頂けたらと思います。 また前回別件でも質問させて頂きましたが、 沢山の方より丁寧なご意見、ご回答を頂き大変感謝しております。 今回も何卒宜しくお願い致します。

  • ぽっくり死ってあるの?

    自殺願望があるわけではありません。 興味本位の質問です。 ぽっくり死って本当にあるのでしょうか? 痛みもなく、幸せに死んでいく。 生きているもの、みなが願う死に方ですね。 苦しんで死んでいく人が大勢います。 そんな死に方あったら、どうやったらぽっくり死 になるんでしょうか? 中川元大臣はまだまだ若いのに眠るように永眠されましたね。 ご冥福をお祈りします。

  • 自分の死より、親の死の方が怖い。

    自分の死より、親の死の方が怖い。 一人っ子の人は親が死んだら、葬儀とかの手配を全て1人でやるわけですよね。想像しただけで、自分の死より親の死の方が不安で怖い。 兄弟がいる人は兄がやってくれるか、出来る弟なら、兄弟2人で協力、相談して出来るから、兄弟がいる人は自分の死より親の死より兄弟の死の方が不安かも知れない。 自分より家族の死の方が不安だけど、この感情はおかしいのかな?

  • あなたの死は望まれる死?

    突然の交通事故により、25歳の若さでこの世を去った ある女性看護士の手帳が、後日両親の手によって彼氏の元に届けられた。 看護士と言う仕事柄、数多くの人の死と向かい合ってきたのであろう。 その手帳に書きとめられた詩の中に“望まれる死とは”と言う、外国人 詩人が歌った詩が書きとめられてあった。 その詩の内容は・・・ 『望まれる死とは、 自分の死期は自分で決められればそれが望ましい 病に倒れ死が訪れるのをまつのではなく むやみに死を選ぶことも無く 春の木漏れ日に、空に舞うチョウのように 人生で一番輝いている時、選べるのなら死を選びたい』 と言う内容の詩だった。 チョウは生まれてすぐに大空を舞うわけではない。 寒い冬を卵で過ごし、やがてサナギとなり空を舞うチョウに成長していく。 今までの自分が木陰の人生だったのならば、チョウのように 大空を舞う自分がいてもいいのではないだろうか。 その後、死を迎える事ができるのであれば、それこそ“望まれる死”ではないだろうか。 彼女はこの詩と、病で旅立ってゆく患者の無念さを重ね合わせていたのかもしれない。 突然の事故によりこの世を去った彼女が残していった詩。 残された彼氏にとって『人生で一番幸せだったよ』と言う天国からのメッセージだったのかもしれない。 彼女は自ら命を絶ったのではない。 自ら命を絶とうとする人は、もう一度考えてほしい。 “望まれる死” あなたはまだ空を舞っていないのではないだろうか・・。 チョウですら空を舞い、輝いてから死を迎えるのだから。 それでも死を選ぶと言うのなら、 神にあなたの冥福を祈るのではなく。神に願いたい。 あなたの捨てる命と交換に、彼女の命を私に返してほしいと・・・。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ あなたにとって、“望める死”とは・・・。

このQ&Aのポイント
  • フィクションの批判や炎上の的になりやすい理由として、実際の被害とのつながりが指摘しにくいことが挙げられます。
  • 未成年への性加害や児童ポルノの所持との関連が指摘されており、フィクションの表現でも規制が必要であると考えられます。
  • フィクションの表現においても、適切な規制が行われるべきであるとの意見があります。
回答を見る