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創価学会の法華経経典の存在、位置づけ。

創価学会の法華経経典の存在、位置づけ。 南無妙法蓮華経の題目で、妙法蓮華経(法華経)を南無(帰依、信心)するわけですが、 どうして、法華経を実際学ばないのでしょうか?(学ばせないのでしょうか?) 「南無御書」のような気がします。 法華経経典は教義上どう扱われているのでしょうか?また、どういう位置づけなのでしょうか?

  • ringox
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  • ks5518
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回答No.1

創価学会 壮年部の者です。 >法華経を実際学ばないのでしょうか? ・一般信徒の立場として、創価学会ほど『法華経』を 学んでいる信徒はいないでしょう。数年前までは、 連載で『法華経の知恵』ということで、連載もされて いましたし。 また、『法華経』は「南無妙法蓮華経」の説明文みたいな 物ですから、『法華経』だけを勉強したところで、理解が できるわけありません。 >法華経経典は教義上どう扱われているのでしょうか? >また、どういう位置づけなのでしょうか? 『法華経』は、釈尊の説いた最高位の教典です。 しかし、『時』というものがあり、末法の今日では 「南無妙法蓮華経」の御本尊に帰依し、自行化他の 実践の中にしか、成仏の因はありません。 言い方を変えると、『法』である「南無妙法蓮華経」 に帰依することこそ、自身の生命状態を最善へと導く 事になるのです。 今でも、朝夕の勤行の際には、妙法蓮華経 方便品第二 と妙法蓮華経 寿量品第十六の自我偈を読み、その後、 「南無妙法蓮華経」を唱題します。 質問者様が、どういったお立場の方か存じ上げないので、 不明な点があれば、また、ご質問をお願い致します。

ringox
質問者

補足

ありがとうございます。 座談会に現在2度ほど行きましたものです。 「法華経の知恵」は法華経の真髄やそれに即した生き方を書いた本ではありませんか?(読んでいないので分かりませんが) 月刊大百蓮華でも法華経の文章の小さな引用はありますが、実際、文章紹介というか読むのは「御書」の文章であり、「御書」の池田先生の解説の文章ですよね。任用試験等も御書が中心ですよね。 法華経の経典自体の精神というか、真髄は学びますが、実際の文章は読まないし、学ばないというのが率直なところですよね? 法華経経典は学会員自身は持っていますが、実際に一般会員が読み解くことはしませんし、読むことを薦めたりもしませんよね? 第二と第十六は毎朝夕、上から読むあげるだけですよね。 どうして最高の経典の「「文章」」を実際の普通の学会員は学ばないのか?教えてください。 実際の文章としては御書を読み、その解説や説明は受けます。しかし法華経はないに等しい。 もちろん >法華経だけ学んでも理解できない というのは分かります。法華経「だけ」では理解できないが、法華経は学ぶべきだと思うのです。 いかがでしょうか? 法華経の「文章」を具体的に一般学会員は学ばない(学ばなくてもよいという)理由を教えてください。 (学会員は大事だという認識であるというのは重々知っております。)

その他の回答 (3)

  • abc2008
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回答No.4

 学会員は法華経を学ばないとか、学ばせないとか、そのようなことは一切無く、ただ、「理証、文証も現証には過ぎず」という大聖人の言葉にもあるように、理論よりは実践による現実生活への実証を得ることを主眼にしているので、そのように見られるかも知れませんが、教学という形で法華経要綱は俯瞰してはいますが、更なる傾注ということは、あまり無いかと思われます。    それでたとえば、大方の人は、テレビにしろ、冷蔵庫にしろ何らかの家電製品を購入したとして、そのマニュアル(取扱説明書)を読むのは最初ぐらいで、しかも懇切丁寧に隅から隅まで読み、すべての機能を理解し把握するのは稀であり、ほとんどがざっと目を通す程度で、だからと言って、その機器類が使えないことはなく、その利便性を享受しているのが、実状かと思われます。    法華経と大聖人の顕した本尊による信心との関係も、今の例えと同様であって、功徳と言うか、その生活上にもたらされる大いに好ましい現証は、何も法華経を熟読しなければ得られないものではなく、信仰の実践があれば、それこそ法華経を読む読まないに関わらず、功徳というものを享受して行くことが出来るのであって、大聖人もある例えで「乳飲み子が、その母乳の成分や効能等をまったく知らなくても、その乳を飲みさえすれば、すくすくと育つようなものである」といっているように、誰であっても、つまり、人によっては法華経を読んで理解できる者もいれば、できない者もいるので(いわゆる機根の上下)、その機根に関わらず実践さえすれば誰でも幸福境涯になれるという点を重視し、それを推し進めてきたので、法華経を学ぶことが後回しにされた感は否めませんが、それでも、大聖人当時の人たちに法華経をより解り易くするために、御書という形でいろいろと説き表し、更にそれを現代にも理解し易いように展開して行ったのが、池田大作氏かと思われます。  ですから、御書や池田氏の著作を学ぶことは、決して本末転倒ではなく、法華経をより解り易いように咀嚼してあるものを得ることになり、それは結局、実践への糧となっているかと思われます。

ringox
質問者

補足

第2節について、法華経は電気製品の説明書であれば御書と池田著作物は何に当たるのか分かりかねます。 第3節について、ミルクの成分が分からなくても子供はすくすく育つ。つまり、功徳がありさえすれば大聖人が本来すばらしいと思った法華経を読んで学ぶ必要なんぞない。これは同様に功徳があれば御書なんて読む必要はないし、功徳があれば池田著作物も読む必要なんてないということになりませんか? 第3節後半について、法華経の解説が御書で、さらなる解説が池田著作物なら、まさにやさしい解説から難しい解説に移り、さらにその解説をもって本来のミルクの成分、すなわち法華経がいかにすばらしいかの究極の理解を得て、今幸福である裏づけを理解するのではないでしょうか?解説と再解説だけを読み、本来の読み物であったはずのものが遠くにおいやっている理由の説明としてははなはだ薄いとしかいえませんよね。 すなわち、法華経も御書も池田著作物もしいて読まなくても功徳が得られるのだから、3つとも読む必要性は薄い。 または、御書というわかりやすい解説本と池田著作物というさらなるやさしい解説本と並行に法華経経典を具体的に読み解き、ひいては法華経の真髄、三大秘法を体で理解することが究極の学びであるから3つとも読む必要性がある。 のどちらかしか見出せません。 日蓮著作物と池田著作物は読んで、本来の釈尊著作物は(一般会員レベルではほぼ)読まない現状を理解することはますます、できません。 いかがでしょうか?

  • ks5518
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回答No.3

>御書は積極的に具体的文章を読み、説明を受ける。 本末転倒だと思うのですが、どうして一見本末転倒的なことになっているのでしょうか? 先ず、私たち創価学会の指名というか目的 があります。それは、広宣流布といって「 南無妙法蓮華経」の本尊を広め行く事です。 信を持って「南無妙法蓮華経」の御本尊に 向かい、唱題を重ね、信仰体験を積み、他の 人にも「南無妙法蓮華経」を勧めていくという 事です。これが根幹です。 信心の中には、「信」・「行」・「学」という 3つの行いがあり、「法華経」を学ぶということは 「学」になります。その中で、御書もそうですし、 「法華経」を学ぶということは、大切な事だと思い ます。先の回答にも書きましたが、「信」を深める 事になるからです。 ただ、「御書」の中には、日蓮大聖人御在世当時の 宗教の実状、教義の解説、そして何よりも日蓮大聖人 の心が書かれています。そういった意味では、先ず 御書を学ぶというのも頷ける事だと思いますが。

ringox
質問者

補足

>>先ず御書を学ぶ 「先ず」御書を学ぶ ならわかりますが、 いつまでたっても法華経は学ばないというのが実情じゃないですか? 40年、50年学会員でも法華経の具体的文章を学んでない人のほうが正直むしろ多いですよねえ。 興味のない人、読む気がない人が一般学会員の実際、正直言って多数派ですよねえ。 座談会や一般講義、試験なども法華経の具体的な文章を具体的に学ぶことはありませんよね。 変な言い方かもしれませんが、ある意味避けているという感じもいたします。 それは、なぜか?と問うているのです。

  • ks5518
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回答No.2

No.1です。 >「法華経の知恵」は法華経の真髄やそれに即した生き方を書いた本ではありませんか?(読んでいないので分かりませんが) ・「法華経の知恵」については、仰るとおりです。 ただ、その中で多少なりとも『法華経の文字』が あり、解説をされています。 「法華経の知恵」を引用したのは、極一般の人々 (僧籍にいたり、仏教学を学ぶ学者ではない)の範囲 では、生活の中で「それすらない」という意味で 書きました。 >月刊大百蓮華でも法華経の文章の小さな引用はありますが、実際、文章紹介というか読むのは「御書」の文章であり、「御書」の池田先生の解説の文章ですよね。任用試験等も御書が中心ですよね。 ・これについても仰る通りです。 >法華経の経典自体の精神というか、真髄は学びますが、実際の文章は読まないし、学ばないというのが率直なところですよね? ・会合などでは実際の文章は読まないにしても、 個人レベルで読んでいる者もいれば、全く読ま ない会員もいるとは思いますよ。 >法華経経典は学会員自身は持っていますが、実際に一般会員が読み解くことはしませんし、読むことを薦めたりもしませんよね? ・積極的に読むことを薦めたりはしておりません。 創価学会版の書籍では、本文の下に訳が示してあり ますので、一般の人間でも文上の意味は理解できる のではないでしょうか。 >どうして最高の経典の「「文章」」を実際の普通の学会員は学ばないのか?教えてください。 実際の文章としては御書を読み、その解説や説明は受けます。しかし法華経はないに等しい。 もちろん >法華経だけ学んでも理解できない というのは分かります。法華経「だけ」では理解できないが、法華経は学ぶべきだと思うのです。 いかがでしょうか? 法華経の「文章」を具体的に一般学会員は学ばない(学ばなくてもよいという)理由を教えてください。 (学会員は大事だという認識であるというのは重々知っております。) ・「学ばなくても良い」ということではありません。 実際に法華経を学ばないと、何故今「南無妙法蓮華経」 なのかは理解できないと思います。理解は信を深めます。 ・全文はいづれにせよ、法華経二十八品の内容や、法華経 に書かれている譬えや、菩薩などは座談会でも「教学コー ナー」などで、やる事はあると思いますよ。 ・最近は質問者様の仰るように、あまり法華経自体を用いて 勉強会などは行われていないかと思いますが、信心の古い方 (多宝会の方)に聞くと、「法華経は読んでいて当りまえ」 だったらしいですよ。

ringox
質問者

補足

ありがとうございました。 つまり、現在の一般会員レベルにおいては、法華経の「具体的文章」の内容・解説は、しいて取り立てては学ばない。 私の感想では座談会にいらっしゃる一般の学会員のほとんどだろうと思います。 逆に、御書は積極的に具体的文章を読み、説明を受ける。 本末転倒だと思うのですが、どうして一見本末転倒的なことになっているのでしょうか? これは、私のあさはかな勘違いの疑問なのだろうと思います。 本末転倒ではなくちゃんとした理由があると思います。 お教えください。 また、違う所に別の質問をさせていただきました。 もしよければ、そちらのほうもお教えください。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6193017.html  (創価学会の末法について教えてください) http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6193266.html  (立正安国論について教えてください)

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