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ベストアンサー以外の回答(4件中 1~4件目)
本当に歴史学者ですか。当時の実情を知っているプロとは思えないコメントです。
漢書東夷伝などの記述や考古学的発掘から見て、倭人とは九州・瀬戸内海・山陰・朝鮮南部の海岸地方で半農半漁の生活をしていた人々が該当します。
今のように国境線が引かれているわけではなく、深い森林に覆われた陸上を移動するよりも、海岸を船で移動するほうが便利な状況です。多島海を生活基盤とする同じ生活文化を持った人々が、朝鮮半島南部・九州西部北部・瀬戸内海を一体の広域生活圏としていました。
後になって、内陸部の開発と農業生産の増大によって、中国の影響を受けた国家=領土国家が成立することで、政治権力の線引きが後から行われ、交通路である海が障壁と化していくことになります。
百済成立のはるか以前から、後に百済の国土となる地域、特に南部の人々と倭人と呼ばれる人々のうち朝鮮半島に住む人々は、交易・混血を行っていたと見られます。
古代国家の成立前に、既に人は住んでいて隣人関係を形成していました。広域交流圏のある部分に領土国家が出来て国境は引かれましたがたが、国家権力に関係のない人々の交流は当然続きます。
百済が出来てから、朝鮮半島の人々が日本に来たのではなく、そのはるか以前にこれらの地域は広域圏として成立していました。
この地域の経済基盤は「稲作」によって支えられ、現在も続いていますが、稲作は華北→百済へ伝わったのではありません。揚子江流域より伝わっており、百済の成立よりはるかに古いものです。
投稿日時 - 2010-09-03 14:15:21
補足
百済は日本の属国だったと私は仮定しています。
投稿日時 - 2010-09-03 15:51:52