解決済みの質問
人は生きているだけで害を出す、それなら全滅したほうがいいのでは?
昔、テレピである著名人が「公害を無くすなら人間を殺せばいい」って言ってました。
確かにそうだと思います。自動車や工場ができて、産業が発達して、道路ができて、新幹線もできて飛行機もできて、携帯電話やパソコンいろんなものができて生活が便利になればなるほど人工も増えて公害が増えてこの地球をどんどん壊す方向にはしってます。この思いに取り付かれどんな感動的な話でも、生きてるだけで地球汚してるじゃないかとか、医療の発達で死ぬべき人が助かっても公害のネタが増えるだけじゃないかと思ってしまいます。そのくせに自分は医療で助かりたいし、便利な自動車もパソコンもその他いろいろ使ってます。私のこの矛盾した考えのどこがどうまちがっているか、教えていただけないでしょうか、よろしくお願いします。
投稿日時 - 2010-09-02 16:42:33
>昔、テレピである著名人が「公害を無くすなら人間を殺せばいい」って言ってました。
…こういうのを「本末転倒」と言います。
信じちゃだめよ、そういうのはね。
それこそまさしく「人類中心主義」です。
西洋思想の最たる考え方です。
仏教などの東洋思想を「誤って」覚えてしまった「おばかさん」です。
人類が、人類の可能性を投げ出してしまう時点で、その思想性はすでに崩壊しているんです。
古来キリスト教では(今はそんなことないんだろうけど)「信徒以外は人ならず」と教えてきました。
つまり「宗教を前提とした、人間性の構築」を行ってきたわけです。
この場合は「異教徒は人でない」と言ってきたわけですが、宗教が人間と言うものを「選択」してきたわけ。
さて、今は「自然教」というのが流行っているんでしょうか?。
「文明を行使するヤツは、自然の破壊者であり、楽園を破壊するデストロイヤーである」
と、いうことになってるらしいですね、彼らの場合は。
自然と言うものから「学ぶこと」は大事なことです。
そして、そのためにも自然を敬い、身を任せ、声を聞くことは必要なことでしょう。
しかし、それと「人間の特性」というものは「別物」です。
人間は「人間として」自然と付き合っていくしか手立てはないのです。
そういった「齟齬」を感じながら、生きていくしかないのです。
人間が消滅すればいい、と言うのは、自らの可能性を「放棄」することであり、到底納得のいくことではありません。
自己欺瞞であり、自分への嘘であり、ほかの人間への「冒涜」ですらあります。
そして、一番低のいい「言い逃れ」なのです。
このことについては、自分たちが「感じる」ことで、結論を出すしかないのですよ。
立場は人によって大きく違いますからね。
生きることへの考え方すら、統一性が無い生き物であるのが人類なんですから、別に焦ったり、行き詰ったりして答えを出すなんて、あまりにも稚拙と言うものじゃないですか?。
…人類はそんなにも「バカ」じゃないですよ。
あなたも「可能性」のひとつなのです。
自分なりの「答え」をだして、前に進んでくださいね。
投稿日時 - 2010-09-02 17:07:23
お礼
回答ありがとうございます。
たくさん、書いて頂いてほんとうに恐縮です。
ただ、まだまだ私自身が未熟なもので
この回答をすべて理解するのには、時間がかかりそうです。
もっともっとよく考えて、時間をかけて
この回答を読み返したいと思います。
さて、その中でも
>自己欺瞞であり、自分への嘘であり、ほかの人間への「冒涜」ですらあります。
>そして、一番低のいい「言い逃れ」なのです。
この部分がすごく心にひぴきました。
私、ほんの少しですが自殺願望が時々でます。
何もしないというのは、本当に楽チンですから
そういう思いから、質問のような考えが浮かんだと考えると
ご回答のように、私は私に対して「一番低のいい「言い逃れ」」をしているのかも
しれません。
自分なりの答えを見つけるように致します。
ありがとうございました。
投稿日時 - 2010-09-02 17:34:43
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ベストアンサー以外の回答(13件中 1~5件目)
#11です。
この前提が正しいと思われる理由も回答いただければ、幸いです。
地球のためって言うのは、地球は物体であり生命体ではないですし、何が地球のためなのかもわからないので排除します。
動植物のためだと考えると
人はそれらの犠牲の上に生きています。樹木を伐採し、動植物を喰らい生きています。
そのうえで、それらのためにって言うのは、おかしな話だと思いませんか。(例えば、人を殴っては謝罪するを繰り返してるようなもんじゃない?>あんまり例として妥当とも思えないけどw)
動植物が絶滅すれば人類も危ういことになりそうですから、現在の環境を守ればこれまで通り、それらの犠牲の上に人類は生きていけるんじゃないか?ってあたりだと私は思っています。
投稿日時 - 2010-09-05 13:21:25
お礼
回答ありがとうございます。
おっしゃる通り、地球に優しくするのは、人類のためなんですね。
投稿日時 - 2010-09-08 06:02:13
質問者様は、そんなにも理路整然としたいのですね(汗)
>もし、よければ「私以外の人は全滅すれば良い」と考えればスッキリするという理由をもう少し詳しく教えて頂ければ幸いです。
人類が滅亡することに賛成、でも私は死にたくない→それなら、私以外の人類が滅亡すればいい、
それだけの言葉遊びです。
もう少し緩和して、私と私が必要な人以外の人類が滅亡すればいい、
でどうでしょう?あまり真剣に考えないで下さいね。こっちも真剣に回答してませんから。
投稿日時 - 2010-09-03 08:29:14
お礼
回答ありがとうございます。
>こっちも真剣に回答してませんから。
少し、はっとさせられました。
私の質問は、回答の出ない禅問答のようなものかもしれません。
それを、一生懸命かんがえるのは、ひょっとしたら
無駄なエネルギーを費やしてるかもしれません。
難しく考えず、いや、答えの出ないことは考えないほうがいいかもしれません。
そうなると、他の回答者に対して失礼になりますかもしれませんがそういう考えも
真なのだろうなという気がしました。
要は私の心の奥底の問題のような気がします。
いろいろと回答していただきありがとうございます。
投稿日時 - 2010-09-05 09:43:01
地球に優しくするのは誰のため?
地球や人間以外の動植物のためじゃないんですよ!
未来の人類のために地球に優しくするんです。そのために地球環境や動植物にも優しくするのがいいんじゃない?みたいになってるわけです。
人類絶滅じゃ本末転倒。
なんで矛盾とかの前に、考え方の根本が間違っているかと思います。
投稿日時 - 2010-09-02 23:31:16
お礼
回答ありがとうございます。
ご回答の前提が
「未来の人類のために地球に優しくする」ためとなっています。
この前提が是としている理由が世間がそうだからというように感じましたが
この前提が正しいと思われる理由も回答いただければ、幸いです。
よろしくお願いします。
投稿日時 - 2010-09-05 09:36:28
簡単です、地球は大事にしたい、でも自分はもっと大事にしたい。
人が全員死ねば、確かに地球はあるべき姿に戻ると思います。
自然の摂理で、ゆっくりと移り変わって行く。
しかし、それは現実的ではありません。
地球にやさしく、とかいう偉そうなセリフを否定するのにはいいですけどね。
まじめに考えると、自分の子孫が困るのは避けたい。
なので、人並以上にはものを消費しないようにする。
しかし、私にはそれが限界です。
でも、それでも結構違うと思います。
とりあえず、国内経済とか自殺とかそういう現実をクリアしないと、まともに環境負荷の少ない永続的な社会はできない気がします。
たまに責任を感じます。
投稿日時 - 2010-09-02 23:14:39
お礼
回答ありがとうございます。
生きていくうえで、いろいろと考えるように致します。
回答者様も同じような矛盾を感じてるように見受けます。
投稿日時 - 2010-09-05 09:33:03