脳死にて臓器提供の承認を求められたら、貴方なら・・・

このQ&Aのポイント
  • 臓器提供の承認を求められたら、どのように考えるべきかについて
  • 臓器提供の意義や家族の感情について
  • 死因や提供される患者の情報を考慮して家族で決めるべきかについて
回答を見る
  • ベストアンサー

脳死にて臓器提供の承認を求められたら、貴方なら・・・

脳死にて臓器提供の承認を求められたら、貴方なら・・・ 臓器移植法の施行後、3例目となる患者ならびに臓器提供・移植手術が報道されていますが、患者の家族だとしたらどのような考え方・受け止め方をすると思いますか? ◇前提 <臓器移植法や脳死を死と認定するかどうかの賛否は一応除外して> ※患者は生前に臓器の有効活用を希望していた。 ※医者から蘇生の可能性はゼロ・死の宣告を受けた。 ※心臓が動いている、可能性が1万分の一でもあれば蘇生を信じたいのが家族、人情だと絶対反対の家族も居る。 ◇質問(近い感慨をお教えください) (1)本人の意思を何よりも尊重すべきと思うので承認する。 (2)不治の病の方に光明、医療の発展に寄与、しかも患者さんの身体で生き続けるのだから承認する。 (3)苦しみ死んだ肉親に、さらにメスを入れ切り刻むのは家族として耐えられないので拒否する。 (4)死出の旅に身体の一部を欠いては不自由だろうし、あの世で困るのではと心配なので拒否する。 (5)分からない。死因や提供される患者の情報を良く聞いて苦渋の決断を家族会議で決める。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • coco1701
  • ベストアンサー率51% (5323/10244)
回答No.2

(1)本人の意思を何よりも尊重すべきと思うので承認する  ・本人の希望なら本人の希望通りにすればよい・・他に選択肢はない  ・家族の思いはわかるが(自分も両親を亡くしているから)  ・それは所詮自分の想いであって、感傷です・・自分の思い出を壊したくないだけ・・後はしがらみ  ・最後は、本人の意志の通りにしてあげたい・・・本人の意志を尊重するならそれ以外の答えは出ない     

lions-123
質問者

お礼

明確にご回答を賜りましてありがとうございます。 良く分かります。 (私は、今も頭では結論は出ているのに、それでも優柔不断でオロオロして言葉には表せないと思っております) 非常に参考になるご意見・見解を頂戴致しまして、誠にありがとうございました。

その他の回答 (5)

回答No.6

当然承認しますよ、死んでしまえばごみと同じです、焼かれてしまうんですからね 法律が変わって、今までは家族が望んでも臓器提供できなかったが出来るようになって、移植が増えてきたことをニュースなどで聞くと、日本人も捨てたものじゃないと、喜んでおります。

lions-123
質問者

お礼

ズバッと核心を突いたご回答を賜りまして、ありがとうございます。 当然・・・、シンプルに割り切れるんですね。 私には無理ですが、死生観・魂魄の拠り所・輪廻転生等の思いや迷いはありませんのでしょうか? 医学の進歩、臓器移植でしか救えない生命に、脳死による臓器抽出と移植が寄与する事は十分理解しているのですが。 自分でも単なる感傷だとは思いますが、臓器を待ち構えた(緊急性や登録順だと思うが)各地の病院にバラバラに搬送されるのは遺族の心境として納得し得るものだろうかと・・・ 真にありがとうございました。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.5

例え自分であっても、家族であっても、引き取って有効活用できるなら、全部提供します。 理由はシンプルで、「せっかく使えるのに焼いたらもったいないから」 「使えるものは壊れても直して使え」これがeroero家の家訓です。その他に「もらえるものは病気以外なんでももらえ」というのもあります・笑。 ちなみに私は基礎医学の知識があるので、画期的治療法が開発されない限り脳死は不可逆的状態であることを知っています。よく「涙を流すからまだ死んだとはいえない」という人がいますが、それは単なる生体反応であって本人の意思とは別の話です。 脳死と移植については、イタリア政府の方針を支持しています。イタリアでは「脳死の際の臓器提供を拒否することができる。しかし、臓器提供を拒否する人は自らが臓器移植が必要になった状態になっても移植は受けられない」そうです。 日本も制度上は移植が可能となっているので、確かに子供の命は助けるべきだとは思いますが、子供がアメリカなどに行って移植を受けるのはもうやめて日本人同士で移植するべきであると思います。なぜなら、日本人の子供が移植を受けて一人助かるとき、移植を受けられなかったアメリカ人の子供が一人いることになるからです。 「移植は受けたい。でも、提供はしたくない」というのは単なるエゴです。

lions-123
質問者

お礼

明快で具体的な見解・ご意見を回答賜りましてありがとうございます。 頭では理解しています、イタリアの方針も納得出来る合理的運用だと思います。 後は肉体と言う物質と見&割り切れるか? 魂魄の棲む神聖な所と考え肉体と不離の本人に固有の天の配剤・両親祖先からの伝承と思うか? が、私の中では今も揺れ動いております。 これからの自分自身の問題として、今後の命題として良く考え意思決定をしておきたいと思います。 客観的な事実や事例をご紹介頂き、大変参考になり、心より感謝とお礼を申し上げます。 まことに、ありがとうございました。

  • juyjuy
  • ベストアンサー率22% (139/612)
回答No.4

※の二番目だけで賛成します。 (1)~(5)は一切考慮しません。

lions-123
質問者

お礼

明確な意思表示・事由をご回答賜りまして、ありがとうございます。 そうですね・・・あれこれ忖度・未練を残しても、最後の決断は下さないと、徒に時間だけを無為に掛けても誰からも何も資する事ではありませんから。 私には、時を無駄にせず、涙を断ち切りズバッと決断を出来る自信は今もありませんが・・・ 大変、貴重なご意見を頂戴致しまして、心より感謝とお礼を申し上げます。 誠に、ありがとうございました。

  • mota_miho
  • ベストアンサー率16% (396/2454)
回答No.3

(1)~(5)には該当するものがありません。 死を受け入れ、別れの時間を持ちたいので拒否します。  

lions-123
質問者

お礼

簡潔に且つ含蓄に富んだご回答を賜りましてありがとうございます。 理性と肉親の情、本当に難しい選択や処し方だと思います。 大変、参考になり、心より感謝とお礼を申し上げます 誠に、ありがとうございました。

回答No.1

患者が生前に臓器移植を望むならばそうします 患者の身体は患者の物なので意思を尊重した行動をしてこそ患者のためになると思います

lions-123
質問者

お礼

ご回答を頂き、誠にありがとうございます。 >患者の身体は患者の物なので意思を尊重した行動をしてこそ患者のためになると思います 確かに、その通りなのですが・・・ 少し時代や死因は異なりますが、 <私の体験>約25年前ですが、母が苦痛の中、すい臓ガンで亡くなりました。 その時に、医学研究の為の解剖検査を協力依頼された経験があります。 しかし、肉親の気持ちとして、病気や不治とは信じたくない、居鶴の望みを掛けて日ごろは信じない祈祷からあらゆる可能性の宗教とか神社への治癒・手術成功祈願に参拝していました。 また、食べたい&飲みたいと言う甘いものやコーヒー1粒1杯の切ない願いにも、非常に悩みましたが身体に悪いと我慢させていた闘病の日々を考えたり思い起こすと、更なる苦痛や手術は耐えられないと断りました。 その時に、医師の発した言葉→ご協力いただければ、入院費用や手術費の一部を支援するとの、悲しみにくれる家族の前での、はなはだ事務的な申し出に、人の死を悼む心が感じられず思わず激高した、あの日のシーンが臓器移植の記事やニュースを見聞する中で、鮮明に蘇って来た為です。 私自身は、理性で本人の意思・患者さんの救済・臓器の有効活用からは是認すべき気持ちと体験や情に於いては身体の一部たりとも守ってやりたい、さらなる苦痛は可哀想である、あの世で臓器が無くては不自由だろうと拒む気持ちが、相半ばで心中で葛藤するばかりで決断が出来ないのです。 明快なご意見を頂戴致しまして、大変、参考になり、心より感謝とお礼を申し上げます。 誠に、ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 脳死の臓器提供についてですが、

    脳死の臓器提供についてですが、 自分や家族の場合を考えいろいろ調べたところ ちょっと怖い内容を目にして混乱しています。 出来れば移植の実際の様子をご存じの医師の方にお聞きしたいです。 下記のようなことは事実なのでしょうか?デマなのでしょうか? 1)脳死になるだろうと予測できる状態の患者がいた場合  脳死判定がきちんと行われて脳死が確定する前に  治療のための措置ではなく、臓器移植に備えた処置が行われる。 2)脳死判定が出て、脳死という宣告を家族が受けて、  臓器提供について悩んでいる間に、すでに治療から  臓器移植に備えた処置に切り替わっている。 3)脳死判定に必要な「無呼吸テスト」を実施したために  脳死になってしまう症例がある。 4)脳死状態の患者の臓器を取り出すときは暴れたり血圧が上がったりするので  モルヒネを打つことがある。 素人の自分としては上記のようなことは行われていないと思いますが、 自分の意思を登録する前にハッキリさせておきたくて質問しました。 よろしくお願いします。

  • 脳死と臓器移植について。

    高1女です。 高校の課題で、脳死と臓器移植についての小論文を書くことになりました。 インターネットでいろいろ調べてみたのですが、 脳死や臓器移植についてあまりよくわかっていません。 今は、臓器提供をする意思があるときのみ 脳死判定をしているんですよね? あちこちで「脳死を人の死とするか」が議論されていますが、 それは脳死の患者、もしくはその家族が決めることではないのですか? そういう議論がされていること自体の意味がよくわかりません。 なぜこのような議論がされているのでしょうか? 教えてください><

  • 脳死臓器移植法に関して悩んだことです。

    ある研修医が脳死臓器移植法改正について若手医療従事者の意見を求める、行政機関主催のアンケートを受け取ったとします。 質問にはドナーカードのフォーマット、脳死判定を開始する条件や手続き、関係者のプライバシーの保護など様々な問題が含まれています。 中でもその研修医が回答に最も苦慮した質問は「脳死患者が書面で臓器提供の意思を明確に表示している場合には、患者家族(遺族)が臓器摘出・提供を拒否しても、当該脳死患者から臓器提供が出来るように法改正をすべきだろうか」というものです。 1997年施行の臓器移植法ではたとえ臨床的に脳死状態に陥っているとして、その患者が書面で臓器提供の意思を表示している場合でも、患者家族の拒否があれば正式な脳死判定は行えなくなっています。 私個人の意見としては臓器はやはり脳死患者のものであり、本人の意志を尊重するべきでそれが理に当ると思います。ただ、そこで悩むのは、法改正をして家族の拒否が無効になった場合を考えるとして、もし突然愛する家族の一員を失った時に、遺族の思いを考えると拒否は出来ないのですからすんなり提供に踏み出せるのかどうかということです。しかし臓器を待っているレシピエント候補の方の存在など勘案すべきことが多いのです。 そこでみなさんの意見をお聞きしたいと思い今回投稿しました。 質問を簡潔に書きますと、 (1)上記に述べたように法改正には賛成か反対か、またその理由。 (2)脳死患者の臓器は一体誰のものだろうか。 (3)移植に関して誰の希望が最も優先されるべきか。 以上の3点についてご回答をよろしくお願いいたします。

  • 脳死と臓器移植について。

    脳死や臓器移植のことについて無知なので教えてください。 今の法律を変えて、脳死を人の死、と認めた場合 これまでより臓器提供・臓器移植は増えるのですか? 教えてください><

  • 脳死による臓器移植について成果と今後の課題!!

    こんばんは!! 脳死による臓器移植について成果と今後の課題!! についてみなさまの意見などをおしえていただけないでしょうか!? (1)脳死を人の死とすることについてどう思われますか? (2)臓器提供者の意志の確認に関する手続きの問題についてどう思われますか? (3)移植を受ける患者の公平な選択やプライバシーの保護についてどう思われますか? これらのことなどを教えていただけないでしょうか?お願いいたします!!

  •  改正臓器移植法により尊厳死が自由にできる?

     改正臓器移植法により尊厳死が自由にできる?    現行では、脳死の患者がいて、治る見込みがまったくなく、家族も希望しているのに尊厳死は認められていないと思います(そのように理解しているのですが、もし尊厳死が認められる方法があればあわせて教えてください)。したがって、患者もそのままだし、家族も治療の精神的、経済的負担はそのままずっと続いていくと思われます。  ところが改正臓器移植法により、患者が明示的に臓器移植を拒否していなければ、家族の同意で臓器移植が認められるようになりました。これにより、尊厳死が自由にできるようになったと思われます。  すなわち、家族側にしてみれば、「治らないなら、さっさと治療を中止したい。でも尊厳死をお願いすると医者から同意されない」という場合、同法により治療中止の要件が整ってしまうことになります。「そういえば、父親は大昔に、自分が死ぬときは臓器を提供したいといっていたような気がしないでもない、証拠はないけど。」といえば、それだけで実質的に当初希望していた尊厳死が実現できてしまうことになります。  何かとても怖い気がします。家族が脳死患者をもう不要だと思えば、家族の意思で患者を生かすも生かさないも判断できるように法律が変わってしまったとしか思えません。臓器提供しなければ尊厳死が認められないのに、本人の明示的な意思がないのに、家族の一言で(臓器を提供することにより)尊厳死が認められるというのは違和感を感じますが。かなり直接的な言い方をしていますが、家族も患者も臓器提供にはなんら関心は無い、でも早く延命治療を中止したいので、臓器提供を理由にするということにつながらないでしょうか?  それとも、脳死患者の場合、今まで尊厳死が認められなかったが、家族の負担、治療に要する国庫負担など総合的に考え、やむをえないということなのでしょうか?  もちろん、今回国内初の例となった方々のことを言っているわけではありません。ただ、今回の事例をみていて、今後、臓器提供を理由に延命治療中止件数が急増するのではないかと素朴に思っただけです。  

  • 脳死による臓器移植について

    現在、脳死による臓器移植法の改正案の話題をよく耳にします。 改正案が出るということは、過去の脳死による場合の臓器移植法に何らかの問題が存在していたと私は考えています。 なぜ現在の案では、脳死による臓器移植が難しいのでしょうか? また、なぜ日本は海外に比べ臓器移植が普及しなく、脳死による臓器移植が難しい状況にあるのでしょうか? わからないことだらけなのですが回答をよろしくお願いします。

  • 臓器移植って脳死のみが出来るんですか?

    家族で時折 話していたのですが 生体からの移植以外で提供できる臓器以外 心臓とかって 脳死だけが移植できるんですか?(年齢制限を外したとして) 低レベルな知識では 考えようにも 軽はずみなつもりはなく この機会に 万が一 患者やドナーどちらの立場になったら どう考えるか 話してたんです 分からなくなったんですが 「自分は もういい歳だから もし脳死になったら 試しに数(日)週間生かしてみて ダメそうだったら もう誰かにあげてよ」と言えたものの 「脳死じゃなくて、事故とかでも脳死以外で死んで 他の臓器は使えそうなんですって事ないの?」 「仮に 脳死以外で我が子が確実に 死んだ時 臓器あげられはしないのかな?」 その時に 誰かが助かれば 何か報われるかな?自信ないけど・・。 逆の立場だったら くださいって言えるのか? どこまで自分の気持ちが整理出来るかも分からないのに 軽薄ですが それでも疑問が次々と・・・ TVや漫画で 亡くなった人から 臓器をもらったとかで その後のお話が展開されますが アレは 全部脳死限定?などと揉めました すみませんが教えてください。

  • 脳死について

    脳死についてレポートを書かないといけないのですが、疑問に思ったことがあるので質問しました。脳死は臓器移植の際に脳死と認められると聞きました。つまり、脳死状態に陥った人が臓器提供を望み、家族がそれに同意する場合は脳死と認められるということでいいんでしょうか?また脳死状態に陥っても臓器移植を望まない、あるいは家族が同意しない場合は脳死とは認められないのでしょうか?

  • 臓器の提供について

    社会保険証の裏に「私は、脳死の判定に従い、脳死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。」ということと、「私は心臓が停止した死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します」と、2種類のことが、書いてあるのですが、今一歩、その差がわかりません。どちらの方が良いのでしょうか?又、一般的なのは、どちらでしょうか? 回答、アドバイス、お待ちします。