解決済みの質問
先の大戦で死んだ人は犬死になのか?
まず、犬死の意味を調べてみました。
「何の役にも立たない死に方をすること。徒死。むだじに。」
仮に先の大戦で死んだ人々が犬死にだったとすると、我々現代人の死は
「意味がある死」ということになるのであろうか?
そもそも死というものに、「無駄とか意味がある」とかあるのだろうか?
それとも某評論家が言ったように、戦争に限らず「すべての死は犬死に」なのか?
投稿日時 - 2010-08-15 10:47:49
先の大戦とは、「太平洋戦争」をさすと思われますが、1941年12月8日から、1945年8月15日まで、のできごとを、すべて、知って、その上で、議論することではないでしょうか?
すべての作戦で、戦死した兵隊の氏名、人数、戦死した時の様子、遺骨は、遺族に届いたのでしょうか?
最後の一人の遺骨が還るまで、戦争は終わりません。
軍人は、戦死しても、恩給など、補償がありました。現在までに、総額いくら支払われたか、ご存知でしょうか?民間人の被害については、何の補償もありません。
戦争では、武器を生産して、国家が購入して、消費します。購入した代金は、税金です。製造した軍需工場は、ただで生産したわけではありません。戦争に使われた国家財政が、どのくらいあって、そのなかで、利益をあげた企業はないのでしょうか?予算と、戦争遂行に使用された国家財政と決算は、終わっていますか?負けたら、ご破算ではありません。お金の流れで、わからないことがたくさんあります。
最近、テレビで、原爆投下の番組を見ました。アメリカの軍部、科学者、経済界にも、原爆投下に反対する、普通の人間が、たくさんいました。原爆投下にいたる、くわしい経過を知らなければなりません。原爆の被害の研究報告も、被爆者の救済に使われずに、アメリカ軍の核兵器の資料になりました。「心証をよくするために」、同胞の苦しみを売ったのです。非国民、売国奴です。戦争は、誰が敵で、誰が味方か、わからなくなるものです。
日本では、戦前、戦中、戦後と、国体が護持されています。ほとんど変わっていません。これは、大変なことです。引き上げ船の中で、戦争中に苦しめられた上官を殺害する話を、小説で読みました。実際に、どれくらいあったのか、知りません。戦後、ずーと、静かに暮らして、いただいたお菓子は、奥さんが毒見をして、そのあと、食べた警察幹部の話(実話)も読みました。相当な人数の人々に、殺害を実行される行為をやってきたのでしょう。
まだ、本当のことは、ほとんどわかっていないのです。戦争体験をした人々も、高齢化して、認知症になったりしています。被害者の人は、話してくれることがありますが、加害者、とくに、たくさんの生命を意図的に奪った人々は、秘密をだいたまま、死んで行きます。
人を殺した「鬼畜」は、顔に「死相」がでます。正常な人間なら、発狂します。自分のやったことが、正しいかどうか、自分でわかるのです。
日本人が、「太平洋戦争」を自分達の手で、検証するには、まだまだ時間がかかります。歴史の法廷がひらかれるのは、いつのことでしょうか。
「戦死者」「戦争被害者」「被爆者」、日本軍によって、財産を奪われ、殺された、すべての人の記録が残るまで、「犬死」などと幕をおろしては、いけません。最後の一人まで、記録する責任が、私達の背中にくくられているのです。身近な親戚の人で、戦争体験を語れる人の話を記録してください。
身近な郷土史のなかに、戦争とその被害に苦しむ人がいたら、話を聴いてあげてください。遺骨が収集できない事情があれば、心から謝罪して、霊をとむらい、共に語り継いでいきましょう。
死んだ人を「犬死」にするも、しないも、わたしたち、生きている日本人の、生き方にかかっているのです。
投稿日時 - 2010-08-16 01:53:20
補足
うーん。原爆投下に関してですが、それをつくった科学者が反対するというのは、
何か違和感があるのですが。
原爆投下のさいに、日本に対し事前に通告も行っていなし、日本人が考えるほど
欧米人は甘くない。と僕は思っています。
欧米人は良くいえば大人であり、悪くいえば冷酷。
投稿日時 - 2010-08-16 10:30:21
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ベストアンサー以外の回答(12件中 1~5件目)
何の役にも立たない死に方。
例えば兵士として戦地に赴いた人間は、敵国の兵士と戦って死んだということですので
役に立たない無駄死にではないでしょう。
少なくとも大日本帝国の役にはたったのではないでしょうか。
そう考えるのも今となってはばかばかしいですが、戦争で死んだ人間を犬死だなんて、そんな言い方はあんまりしたくはありません。
死、そのものの意味はないでしょうが、
誰かが死ぬことによって、残された人間がその死を考えたとき。
悔やんだとき。悲しんだとき。泣いたとき。喜んだとき。
初めてその一個人の死に意味が生まれると、思います。
意味はあとから、周りの人間が生み出すものではないでしょうか。
投稿日時 - 2010-08-18 23:45:50
私の身内にも戦死した人がいます。
南方のクウェゼリン島というところで玉砕で亡くなりました。
27才でした。
米軍基地のある関係で未だに遺骨収集もおこなわれず、個人を偲ぶものは肖像画のみです。
戦後になって頂いた勲章を、その胸のところに飾ってあります。
その前に立って感じるのは、ただ安らかにという気持ちです。
犬死であったかどうかはいずれにせよ
なぜ、この若さで死ななければならなかったのか、という不条理に奪われた命への悲しみです。
私には戦死された方に、犬死のレッテルを貼る事などできません。
昨年のお盆の時に、故人のかつての恋人であった人が50年ぶりに訪ねて来ました。
身内の人が集まっていた事もあり、故人の恋愛談議で賑わいました。
その方は故人の肖像画の前でしばらくの間立って見ていました。
生きていれば結婚した間柄だったそうです・・・
戦争はしてはいけない、と教えてくれる人達を犬死と呼ぶ事はできません。
投稿日時 - 2010-08-18 20:13:23
お礼
先人が身を持って教えてくださった。という
意味は確かにありますね。
投稿日時 - 2010-08-20 07:53:01
>>そもそも死というものに、「無駄とか意味がある」とかあるのだろうか?
No.7です。この部分への回答。
人間の本質は霊であり、本来の生活場所は霊界です。あちらの世界は、生きるためのお金も要らず、食事も排泄も不要な世界です。家が欲しいなら、自分の念力が強ければ、思うだけで家が出来上がりますし、念力が弱いとか、設計の才能が無い人なら、「だれか作って!」ってお願いすれば、元建設業のような方が代わりに作ってくれます。お礼の気持ちさえあれば、お金は要りません。別荘が欲しいなら、それも入手可能です。(ただし、「別荘が欲しい」という想いが薄れてしまうと、それは消えてゆく)
なので、お金・仕事が無いと生きてゆけないこの世に生まれることは、仏陀が言われたように「生まれること自体が苦」なんです。
ですので、「死」は、この苦しい3次元世界から抜け出すために与えられている「救い」でもあります。ただし、この世は、修練の場ともいえるので、自殺などで、勝手に途中放棄すると、訓練放棄、試験放棄とみなされて、それなりの罰則が適用されますので、不快な結果が待っています。
まあ、普通の方にとって死は悲しみであるけど、「救い」であり「恵み」であるともいえます。
この世の知り合いからは、死は「さよなら」ですが、あの世、霊界での仲間たちからすれば「おかえりなさい」です。
投稿日時 - 2010-08-17 08:16:44
まず、今については、「我々現代人」として全体を語る必要はなく、個人個人が生きる意味と死の意味を自分で見いだせばよろしいのではないでしょうか。
他人が判断しても意味がありませんし、本人にとってはよけいなお世話です。
そして、ある人間Aから見た人間Bの死に意味があったかどうかは、Bの心情ではなくそのAの判断によりますね。もうBはいませんからね。
先の大戦場合の判断は、Aが70年前頃からの歴史的事象をどう捉えているかが強く反射されるということだと思います。
そして、某評論家の言及は、この文面のみからすれば、評論家自身が自分の生きる意味を見いだすことができないといっているに等しい。
投稿日時 - 2010-08-17 01:15:46