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アマテラスはなぜ、女なのか

アマテラスはなぜ女なのでしょうか 世界の太陽神的な存在は男神だと記憶しています。 また中国の神話で、日本神話と同様右目と左目から生まれた神が太陽と月をつかさどりますが、太陽神は男、月の神は女だったと思います。 ほかにも、神話の中心的な神は男神が多いと思うのですが、なぜ日本神話だけ太陽神が女なのでしょうか。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.5

日本書紀作成の背景があります。 日本書紀を作るように指示したのは、天武天皇ですが、実際には、その妻・持統天皇時代と持統天皇の系統の天皇の治世下で、持統天皇の治世までを著述しております。 日本書紀作成の背景として、そのときの統治者の正統性を示す必要がありました。 だから、持統天皇の隠喩として女神が日本の始祖に措定されたのです。

patofu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 持統天皇の隠喩ですか。やはり神話というのは作られた時代背景が如実に現れるものなのですね。

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その他の回答 (4)

  • jubell
  • ベストアンサー率44% (42/94)
回答No.4

アマテラスは太陽神でなく、太陽神を祀る巫女でした。 ということは女性でも問題ない訳です。 つまり、本来は別に太陽神がいたということで、それは 天照国照彦天火明櫛玉饒速日だと言われてます。 こちらが本物の太陽神だったハズが、日本書紀編纂時に すりかえられてしまって今日に至っているという訳です。 すりかえてしまったのは、持統天皇と藤原不比等と言われていますが・・どうなのでしょう? (^^)

patofu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 天照国照彦天火明櫛玉饒速日・・読めません。一応調べてみましたが。 天照国照彦天火明櫛玉饒速日は、男神なのですね。太陽神は男神というのは日本でもあてはまるのですね。ということは、アマテラス関連の話は天照国照彦天火明尊の話だったのでしょうか。 しかし、太陽神を祀る巫女が日本神話でもっとも有名な神になるとは驚きです。

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noname#4429
noname#4429
回答No.3

こんばんは。 では、ちがった説です。 魏志倭人伝には卑弥呼という女王の存在が記されています。 この卑弥呼にあわせてアマテラスは女神にされた、というものです。 古事記の編纂は西暦700年以降ですが、 この頃大和朝廷は中国の唐と国交を結んでいます。 日本の歴史が記されている魏志倭人伝の内容も 中国は当然知っていたはず。 大和朝廷は女王によって治められていた邪馬台国をモデルににした のではないかと推測されています。 そのため対外的に女神としてのアマテラスが必要だった、 という説です。そうすればアマテラスが女である必然性が でてきますよね。 参考URLもご覧ください。 ↓

参考URL:
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/roto4.htm
patofu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 アマテラスが女である必然性ですか。対外的に必要だとはいえ思い切ったことをしたものです。おかげでいろいろ説が飛び交って面白いですが。 しかし、当時の人間にとって卑弥呼は無視し得ない人物(卑弥呼ではなく邪馬台国かもしれませんが)だったんですね。500年前のことなのに。当時の政治家も大変ですね。

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  • sydneyh
  • ベストアンサー率34% (664/1947)
回答No.2

古代では男神だったようですよ。 でも、男神の太陽神に仕える巫女と融合した概念が、後年に出てきたため女神になった、という説があるようです。 あの時代は、色んな意味で巫女に力がありましたから。 ただ、伊邪那岐命が左目を洗って生まれたのは天照大御神、右目を洗って生まれたのが男神の月読命ですから、その点でもなぜか日本では中国とは反対になってるみたいですね。 結局回答にはなってませんね。 失礼しました。

patofu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 もともと、男神だったのですね。神話において男神の太陽神という構図は、日本でも同じだったというわけですね。時代とともに、神話もとらえられ方が違うから性別すらも変わってしまうのですね。 アマテラスを女にしちゃったからしかたなくツクヨミは男になっちゃったという感じかな。

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noname#5470
noname#5470
回答No.1

こんばんは。 確かに世界的に太陽神は男性であることは多いですね。 アマテラスもかつては男性とされていましたが、いつしか 太陽神を祀る巫女(オオヒルメ)と混同されていった り、また アマテラスが作物の成長に太陽が不可欠という観点から 農耕の神(これは本来地母神の領域になります)をも担っていた ことから、女性的、あるいは両性具有といったイメージになっていったとされています。

patofu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですか、巫女と混同された形が、女神アマテラスですか。ということは、ツクヨミはもとは女神で、女神アマテラスが誕生したとともに男神になったのでしょうか。 アマテラス=農耕の神ですか。僕はてっきりツクヨミが農耕の神だと思っていました。 あなたがおっしゃるとおり、農耕の神であれば女神なのも納得です。

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  • アマテラスは スサノヲの非行をなぜ咎めなかったか

     アマテラスは スサノヲの非行をなぜ咎めないのか。咎めず人に対するに取り合わないその人格にこそ欠陥があるのではないか?  古事記などの伝えるスサノヲとアマテラスの物語には われわれ現代人が人間を考えるための恰好の題材を提供していると考えます。そこで 表題の件で問います。質問者なりにあらすじをしるしますので:      ○ ほかの人びとはスサノヲを咎めてもアマテラス自身はそう     しなかった。それは何故か。  について 見解を示してください。アマテラスの批判――その人格批判――にまで到りたいとさえ考えています。          *  スサノヲは イヅモで復活する前に タカマノハラの世界でアマテラスの《なぜわたしの領域にやって来たのか。それは領土を奪いにではないのか 》という疑いによって悩まされていた。  かれは 理屈で弁明するよりは 非行・愚行を繰り返すという破廉恥な抵抗によって 自己の知恵の同一にとどまろうと欲した。その一つに:      アマテラスオホミカミが 忌服屋(いみはたや=清浄な機屋)に     坐(ま)して 神御衣(かむみそ)を織らしめたまひし時      〔スサノヲが〕その服屋の頂(むね)を穿ち 天の斑馬(ふちうま)     を逆剥(さかは)ぎに剥ぎて堕(おと)し入るる時に      天の服織女(はたおりめ)は見驚きて 梭(ひ)に陰上(ほと)を     衝きて死にき。(古事記・神代記)  とさえ記されている。  もちろんスサノヲは 殺そうと思ってそうしたのではないであろう。だが あえてこのような破廉恥な事をも辞さなかった。  そこで これらの天つ罪と呼ばれる非行のあと 罰を受けて追放されたのだが しかもなおかつその上で イヅモ・スガの宮での復活を受け取ることになった。  こうなると つまりあたかも神の国が生起して身は復活し ひとの歴史が前史から後史へ入ったとすると おそらくこの神の国は 過去へとさかのぼり 後史が前史をも覆う・つまり前史を完成させるということが 生起するのではないか。  それは こうだ。この世にあっては 神の国は地上の国と交ざり合ったかのように互いに入り組んでいるのだ。地上の経験的で相対的な人間の愛が ちょうどその向きを変えられ回転せしめられてのように あの神なる愛につらなるという〔観想的な〕事態を見ることになるのではないか。  なぜなら 《その皮を剥いだ馬を機屋の屋根を破ってその穴から落とし入れて その結果 服織り女たちは驚いてしまい ひとりは 梭(=杼=shuttle)にほとを衝いて死んでしまった》という経験の中のスサノヲの前史の心を すでに その後史の心がおおいつつむと見られるから。ちょうど:       王はその宮からわたしの声を聞かれ     王に叫ぶわたしの叫びがその耳に達しました。(旧約聖書詩篇18・6)  とすでに言ってのように 前史の愛のなかに後史(または 王の本史)の愛がたしかに はたらいていたと見出されたかのように。あるいは:     〔神の愛は〕処女の胎から あたかも閨(ねや)から出てきた花婿の     ように 道をかける巨人のように躍り出た。     (旧約聖書詩篇 19・5;アウグスティヌス:告白 4・12〔19〕)  というのが 事の真相であるのではないか。これによって機織り女が驚いたのでないなら それは 何故か。機織り女も 肉の眼によってではなく 心の内なる眼で なぞ(神の愛)を見たか。  この事件のあと 《ゆえにここにアマテラスオホミカミは見畏(かしこ)みて 天の石屋戸(いはやと)を開きて さし籠もりましき》。つまり その身を隠した。  もう一例を引こう。  スサノヲは アマテラスの疑惑を疑い返し やはり自己の知恵の同一にとどまろうとして この上の事件を起こす前に 次のような愚行をおこなったと記されている。      アマテラスオホミカミの営田(つくだ)の畔を離ち(境界を取り除き)     その溝を埋め また その大嘗(おほにへ)を聞こしめす殿(アマテ     ラスの神聖な御殿)に尿(くそ)まり散らしき。(古事記)  これは いわゆる反体制の運動のようなのだが そのあと:     しかすれども アマテラスオホミカミは 咎めずて告りたまひしく      ――尿(くそ)なすは 酔(ゑ)ひて吐き散らすとこそ 我(あ)が      汝弟(なせ)のミコト(=スサノヲ)は かく為(し)つらめ。ま      た田の畔を離ち 溝を埋むるは 地(ところ)を惜(あたら)し      (=土地が惜しい)とこそ 我が汝弟のミコトは かく為つらめ。     と詔(の)り直したまへ〔ども なほその悪しき態(わざ)は止まず     て転(うたて)ありき〕。(古事記 承前)  要するに アマテラスは なお疑惑を解かなかった。あるいは どうも弟スサノヲに対するに まったく取り合おうとすることはなかった。           *  疑惑を解かないけれども 咎めもしなかった。なぜか?  《疑うなら つまりそう考えるなら 我れあり。》と考えていたという答えをひとつ用意していますが いろんな解釈があると思われ みなさんの知恵を拝借したいところです。    スサノヲの清くあきらけき心は 証明されえましょうか?  《わたしは 〈和を乱すな〉と言われなかったなら 和を乱すことを知らなかった》と言えるか?  言えるとしたら アマテラスのほうが 断然おかしい。人格が崩壊しているのではないか?  ☆ なお得られたご回答につきましては 疑問点と思うところについて納得するまで問い求めてまいりますので よろしくお願いいたします。

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