本を読むことは価値観の問題なのか。(1/3)

解決済みの質問

本を読むことは価値観の問題なのか。

こんばんは。algorithmです。
どのカテゴリーに書き込むかまよったのですが、
ここに書きました。ちょっと哲学っぽいですが。

まず、本を読むこと・雑誌を読むことは価値観や趣味の問題であって、
人それぞれであるとかたづけていいのだろうか。
というのが僕の疑問です。
僕はすごい本を読むってわけじゃないですけど、
週2冊ぐらいは読んでいます。
まわりに本・雑誌を全く読まない人(立ち読み程度なら読む)が結構いて、
心の中で少し軽蔑するところがあります。
口にだしてまでは言わないですけど。

以前は、本や雑誌を読むことは人それぞれの価値観や趣味の問題であるので、
軽蔑するということはいけないことだとおもっていました。
しかし、今は本を読むということは価値観という言葉だけでは図れないような気がします。
映画を見る、スポーツをする。
といった行為はまさに人それぞれで、
映画を見ない人、スポーツをしない人を軽蔑するといったことはないのですが、
本を読むということは昔の人や、学校の先生などが言うようにたくさん読んだほうがいいというものであるので、
ただの趣味、価値観で片付けらるとは思えません。

本や雑誌を全く読まない人を見ていると「向学心」が欠けているように見えるのです。

皆さんの本を読むことについての意見をお聞かせください。全く読まない方の意見も聞いてみたいです。

よろしくおねがいします。

投稿日時 - 2003-07-15 19:01:50

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QNo.602170

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

#3です。丁寧なお礼ありがとうございます。

お礼を読んで思ったのですが、本というか活字を特別視しすぎなのでは?と思いました。
>本は目が見えて、字が読むことができれば読めるのです。ですので、趣味という範囲ではなく必要不可欠なものとしてより多くの人に本のすばらしさ、大切さを知って読んでほしいと思っているのです

スポーツも本同様多種多様で、からだが動きさえすれば誰にでも出来る趣味ですよ?肉体の健康面で考えれば本よりも必要不可欠でしょう。心と頭の健康を考えて本を読む事と、体の健康を考えてスポーツをする事は等価だと思います。
娯楽としてのスポーツと娯楽としての読書、これもまた等価。と考えれば結局の所、趣味だと思えば趣味だし、不可欠な物と思えばどちらも不可欠な物なのではないでしょうか。

>ですが、「本っていいよ。」と読まない人に言っても、「めんどくさい」とかいう答えが返ってきて軽蔑することしかできないでいるのです。

本が好きな僕でさえ(好きだからこそなのかも知れませんが)、無闇に本の良さを説かれて"さあ、あなたも"と薦められても戸惑いを感じますし、まして趣味の物と思えば、人の好みに干渉するやかましい人間と見られる気がします。

向上心が見られない人をどこかで軽蔑してしまうのは、人の気持ちとして仕方ない所もあり分からなくもないです。
ただ、人にとって不可欠と思えるものは本以外の趣味にも備わっているし、更には娯楽を求める事自体も不可欠なものの一つだと思います。
本ばかりを殊に重要な物として、それを敬遠する者を冷たく見てしまう事はちょっと乱暴じゃないでしょうか?という事です。

僕個人は、やはり本もまた娯楽・趣味として考えたいと思います。そこに娯楽以上の物を見出せるのも、好きだから出来るだけかも知れません。
この楽しみを独占したいとは思いませんが(笑)と言って無理に分かち合う事もない、個人個人好きな方法で自発的に見つけるべきだと思います。
これだけ言う為に余計な事を言い過ぎたかも知れませんね、不快に思われない事を祈ります。失礼しました。

投稿日時 - 2003-07-16 14:09:38

お礼

再び回答いただきありがとうございます。
mon-roeさんの意見を読んで納得するところが多々ありました。
確かに本というものを特別視しすぎていますね。
>趣味だと思えば趣味だし、不可欠な物と思えばどちら
>も不可欠な物なのではないでしょうか。
ずばりそうですね。趣味と不可欠なものを切り離して考えすぎていました。
全然不快になんて思わないですよ。ここで質問したのは色んな方の意見を聞いてそれを自分で噛み砕き、今ある意見を反芻したかったので、mon-roeさんの回答はとても嬉しい回答です。
本を読むことが絶対善だと考えていたのですが、他のことも同等と考えることができました。これからは単に本をよんでいないからといって軽蔑してしまうことはないと思います。
本当に貴重なご意見ありがとうございました。

投稿日時 - 2003-07-16 15:24:38

ANo.14

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ベストアンサー以外の回答(13件中 1~5件目)

ANo.13

僕は本を読むことが好きですよー♪
同じですね!!同類ですなー!!!

だから、その感じはよくわかります、
僕は昔から読書が生きがいでした。
生きている意味といってもいい。
物語に触れる瞬間が僕にとっての快楽であり幸福だったんですよねー。
だから、外で遊ぶなら本を読む人間でした(笑)
友達みんなが外でスポーツに興じているときに、部屋で一人こもって孤独に本を読みふける僕は思ってたんです。そんなスポーツなんてゆう自虐的行為のどこが楽しいの?勝ったからって何か意味があるの?あなたの人生にとって有益な何かを手に入れられるの?
まぁ、これはちょっと大げさな誇張もあるんですけどね。僕は彼らをそうして軽蔑し、そして自分を優越に浸して見ていたんだと思う。
でも、そうこうしているうちに気づいたんです。僕と同じ考え方を裏返しにして、本なんか読んでて何が楽しいの?カラダ動かして汗流してみんなで遊ぶこの爽快感がお前にはわかんねーの?ってゆう友達の僕に対しての侮蔑にも似たものの見方っていうやつが。
僕が読書を好きだと思うように、スポーツが好きな人がいるんですね。それは確かに価値観の違いというやつだと思う。
ただ、その価値観ていうのが問題で、たとえば、読書を勉強におきかえたとき、勉強が好きなやつなんかヘンだって普通はみんな思いませんか?じゃあ勉強しないやつは向学心が欠けてるのかと言われれば、どうなんでしょう。代わりに本ばかり読んでいる人間だったら、これまた微妙な問題にはなりませんか。嫌だけど勉強している場合と好きだから勉強している場合とでは向上心という考え方による違いはあるのかとか。。。
考えたらキリがないことでしょう。だからこういうとき僕は割り切ったものの見方をするようにしてます。
趣味や好みなんてものは、自分が気づいていないだけでどんなものだってみんな教養に似た何かを得ていくことなんだと思うことにしています。
読書にとっての自分が思う価値と同じように、映画であれスポーツであれその価値を他人が推し量ることができるのだろうかってこと。自分で自覚した価値に向かってそれが知識であれ教養であれ何であれ皆が捨てられない何かを持って価値観をつくりだすのだとしたら、それを趣味としていることも人それぞれ向上心をもっているとは考えられないでしょうか?

投稿日時 - 2003-07-16 01:10:40

お礼

回答ありがとうございます。
確かに何かを最高に楽しんでやっている人たちからやっていない人たちを見るとそう思うでしょうね。それは価値観の違いだと言えると思います。
僕は映画が大好きなのですが、映画を全く見なくてもそれはかまわないと思います。
でも、本だけは何か違う気がするんですよね。
向学心がある・ないも問題なのですが、本は最低限読んでほしいものだと思うのです。趣味とかの範囲ではなく。別にたくさん読めといってるのではなく自分のできる範囲でも少しずつでもいいから読める本だけでいいから読んでほしいと思っているのです。
本を読むということは価値観だけの問題では推し量れないものだとおもうのです。
前述のお礼と重複してしまうので、よろしければ前述のお礼も読んでみてください。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2003-07-16 10:31:06

ANo.12

#9です。
algorithmさんの敬称が解答中で抜けてしまいました。
申し訳ありません。大変失礼いたしました。

投稿日時 - 2003-07-15 23:43:36

補足

いえいえ。全然気にならないんで大丈夫ですよ。
ご丁寧に有難うございました。

投稿日時 - 2003-07-16 10:34:28

ANo.11

自分はかなり雑誌から小説、マンガまで読むほうです。
でもスポーツをやってる人のほうがすごいなぁと
思ってますねー。

本を読む向学心もあれば、スポーツでの向上心もあるし。

投稿日時 - 2003-07-15 22:48:32

お礼

回答ありがとうございます。
スポーツやっている人もそれはそれで向上心がすばらしいものがありますよね。
でも、本は最低限読んでほしいものだとおもうのです。
体格に恵まれない方、お金がない方、体の不自由な方などやりたくても出来ない方も多いですよね。
でも、本は目が見えて文盲でなければ読めるものなんですよね。「社会人として新聞を読もう」ぐらいの勢いで「人として本を読もう」といってもいいぐらいだとおもうのです。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2003-07-16 10:23:17

ANo.10

ことばで飯を食っている人間です。
一般の方の読書について述べます。

生涯教育という観点からも、読書は人生に必要不可欠であると考えます。
本には、人間が創り出した文化が詰まっています。
先人の知恵の結晶が詰まっています。
すぐれた本を読むことは、先人の知恵を吸収し明るい未来を築く礎になるわけです。

温故知新とはこのことでしょう。

投稿日時 - 2003-07-15 21:33:59

お礼

回答ありがとうございます。
読書は本当に人生において必要不可欠ですよね。
温故知新。本が一番適していますね。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2003-07-16 10:17:43

ANo.9

以前は2日に1冊ペースで小説やらルポやらを読んでいましたが、最近はほとんど読めませんね。忙しくて。
なにせ朝九時には出社で、帰りはほぼ毎日終電。食事してなんだかんだと
していたら3時4時。朝7時過ぎにはまた起きて…。
なんで、通勤電車は仮眠場所になりました。
それでも年に何冊かは読みます。あと、週刊誌や仕事に関係する月刊誌などは、
気になった記事だけ読むのと、4月からNHK教育の語学番組をみてるので、そのテキストを
昼休みなどに読んでいるくらいですか。
なので、語学番組のテキストはともかくとして、あとはalgorithmのいう「向学心」とは
ほど遠いものかもしれませんね。

思うんですが、本をたくさん読む人でも「向学心」がかけている人も結構いるんじゃないかと。
例えば知人の男性三十ン歳は結構本を読んでいるんですが、いわゆるファンタジー小説というか、
中高生向けの文庫、ありますよね。ほとんどあれしか読みません。
逆に私は節操なく広く読んできたので、例えば村上龍も好きだし、真保裕一も、
太宰治も、中原中也も、高木彬光、クーンツ、クランシー、清水義範、藤原伊織、
椎名誠、立花隆…挙げればキリがないですね。
しかし彼は、上記の作家をほとんど読みません。クランシーは読んでいたみたいですが。
話をしていても、例えば「句読点」はくどくてんと読むし、
代替を「だいたい」と読むことを知らなかったりとか(重箱読みの「だいがえ」しか知らなかった)
最近あまり本を読まない私からみても、とても「向学心」があるようには思えません。
道をきわめるという考え方もあるでしょうが、よりいろんな本を読んでみたい、という
感覚がないというのは「向学心」ではなく「惰性」でしかないような気もします。
つまり「守りに入っている」という感覚です。

確かに本を読んでいろいろな知識を得ていくのは大事なことで、
最近の若者の読書離れが、結果的に若者の語彙不足をもたらしていると思いますが、
いくらたくさん読んでも句読点がいつまでたっても「くどくてん」では困るわけで…。
一般的な例で言えば、ことわざなんかもそうですよね。
情けは人のためならず、とか、流れに棹さすとか、
気がおけないとか、まったく逆の意味にとられていたり。

そういえば、胡乱なんて言葉、京極夏彦の小説読むまでまったく知りませんでしたよ。

本はまさに知識の宝庫ですからね。読みたいですよ。そりゃあ…
これ書いているうちに、むらむらと知識欲が…。
一応語学番組のテキストでも、いろんなことを学べるので、
それはそれでいいですが…おもしろい小説が読みたい!

投稿日時 - 2003-07-15 20:41:24

お礼

回答ありがとうございます。
年に数冊でも充分だと思いますよ。何の雑誌でも自分自身が向上しているですからね。
本をたくさん読んでも「向学心」に欠ける人はいますね。
漢字を知らない方も結構いますよね。
僕もあげてくださった作家さんの本は読んだことありません。有名な方だと読んだことあるのは村上春樹ぐらいです。
本を読んだ数ではなくて本を読む行為というものが大事なのではないかと思います。最低限本を読んで、他にも色んなことをしてほしいということですね。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2003-07-16 10:14:41

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