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哲学を学ぶとき

皆さんが、哲学に興味を持たれたのは、どんなときでしたか? また、何故、哲学に惹かれたのだとお考えですか? そして、その興味は現在、どのような形で自分の中に残っていますか? 僕が、哲学っぽいことを考え始めたのは、大学受験の直前あたりだったように思います。何故かパニックになっていて、友人や家族と喧嘩が絶えなかった時期でした。心理学や哲学の教科書なんかを読みながら「何故、怒るのか」「何故、辛いのか」みたいなことをツラツラと考えていました。あれは、逃避だったのかなぁ…。今となってはよく分かりませんが、今の自分を自分に説明することで、パニックを押さえ込みたかったのではないかと考えています。混乱することは今でもあり、その度に哲学っぽいことを考えています。哲学は、役に立たないと耳にすることがあります。その度に、じゃあ、何で哲学を勉強している人がいるんだと思います。哲学は、その時の「自分」が直面している問題意識に則して語られるものではないのですか?

  • jume
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  • mori0309
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回答No.5

jumeさん、こんにちは。mori0309です。44才、会社員です。哲学には、まったくの素人です。  日常生活のなかでは、哲学の話をする機会はほとんどありません。機会がないというより、そう いう話ができません。私たちのような中年世代にとって、そういうことは「青臭いこと」と 感じられているようです。仕事のあいまはもちろん、酒の席でも「人生の目的は何か」とか 「神は存在するか」とか「自分という存在の本質は何か」なんていう話題を出したら、苦笑 されるか敬遠されてしまうかどちらかですもの。  でも私はこういう問題を、中学生くらいのときから、今にいたるまで、ずうっと考えてきました。 本当に我ながらよく、こんなことを飽きもせずに、考え続けてきたものだと思います。思索の内容は 日記という形で、毎日ではなく、かなりとぎれとぎれですけど、書き記してきました。若いころ のものを読むと思わず吹き出してしまうようなものもあります。でもまあ自分の精神史みたいな ものですから愛着があります。(こんなものはいずれ焼き捨てますけど)  普通の人は(こういう言い方はすこし傲慢ですけど)、人生の目的は、はっきり決まっている と思います。頭でつねに意識していなくても、目指す方向は自然と次のようになります。 「いい学校に入る」・「いい会社(または官庁)に入る」・「少しでも高い地位や肩書きを得る」・ 「有名になる」・「金持ちになって優雅な暮らしをする」「いい人とめぐりあって一緒になる」 これを一言で言うと「成功する」ということだと思います。人生の目的は「成功すること」だと 一般的には言えると思います。そしてその成功とは、「他人より優位に立つ」「すこしでもランクの 高い人間になる」ということだと思います。「人並みはいやだ」「凡人で終わりたくない」という ことだと思います。  私のこれまでの人生は、失敗と挫折の連続でした。大学は高望みしすぎたのと文系・理系をどちら かに決めきることができず何度も浪人して結局入れませんでした。また会社員になってからも ここいちばんという注目されたプロジェクトでいつも大赤字を出し、今では後輩が私を追い抜いて 私の上司になっています。そのたびに私は考えました。どうやってこの劣勢を挽回しようか。 どうやってエリートコースに追いつこうかと。  でも、そういうとき別の自分の心の声が、必ず聞こえてくるんです。それがお前の本当の目指す べき道か。お前はそういうことをするために生まれてきたのか。成功するということはことは本当に 価値あることなのか。  こういう、もう一人の自分との果てしない問答を、私は繰り返し続けてきました。キリスト教や 仏教の本、それから新興宗教やオカルトの本、ずいぶん読みました。これらの本には私の問いの答え が書いてあります。でもそれはあまりに教条的だし、あまりに完結しすぎています。答えを求めて いるはずなのに「完結した回答」を読まされると、違和感・反感・反発心が起こってきます。 (人間ってやっかいな生き物ですね)これらのことは私の心のなかの私だけの秘密でした。普段は誰とも そんなことを話しあうことはありませんでした。人に相談するようなことではないですから。  ところがこの「教えてgoo」「OKWeb」(特に哲学の部屋)を知り、大胆にも今までの 自分の心のなかの問いを少しずつ質問にあげるようになってしまいました。mori0309ってどこの誰だか 分からない安心さと、すばらしい回答者の方々にめぐりあえたせいです。こういうことが人生の 後半に待っていたなんて、まったく予想していませんでした。私は私だけの自問自答を繰り返し 誰に知られることもなく死んでいく。そう思っていました。  でもこの部屋で何人かの方と、思いきり自由にいろいろなことを語りあうことが出来て、私は 幸福です。ペンネームだけのやりとり(だけかな?)なのに、文章もペンネームも、まるで 生きている肉筆・肉声のように私のこころに届いてきます。私にとっては「ランクの高い人間になる」 ことなんかよりも、こういう心の通じ合った対話をすることのほうが、はるかに、私が 考える「人生の目的」にかなっています。真の対話をするには、地位や肩書や名声は邪魔に なると思えてなりません。(決してひがみ根性ではないと素直に言えます)  私はまだ「人生の目的」も「神の存在」も「自分とは何か」も、まったくわかっていません。 でもどうどうめぐりかと言うと、そうではなく確実に深まってきていると、自分では思って います。二十代・三十代のころよりは、確実に問題の本質が見えてきています。でもそれは 人に語るべきことでも、教えるべきことでもありません。言葉でそれを伝えるのは、本質的に 困難だと感じます。文学ならばできるかなと少し思います。そう思ってサラリーマンをやめて 詩人や小説家になろうかな、なんて考えると、またもう一人の自分が出てきて「お前は本当に そんなことをするために生まれてきたのか」と言ってくるんです。「生きる」ということ 「自分を知る」ということ。それは本当にむずかしいことなんだと思います。  以上、私にとっての哲学とそのかかわりあいを述べさせていただきました。おろかな文章に おつきあいいただいて恐縮です。(覆面でしか書けないことでした)

jume
質問者

お礼

mori0309さん、ありがとうございます。すごいです!!なんだかわからないのですが感動しています。 僕は、まだ20代の前半ですが(大学生です)、高校からの奇縁で演劇に少しだけ携わっています。その現場でいつも感じるのは「つながる」ということ。つまり演劇は、たったひとりでは何も創れないということ。それは社会のどんな場面でも言えることですが、演劇はそれを端的に表現した芸術表現媒体だと思います。この「つながる」という体験は、とても変な体験で、嬉しい反面、とても不安にさせられます。多分、「つながる」という嬉しさの半面で「切れる」という寂しさの可能性を考えるから不安になるのでしょう。そのとき、僕は「完結してはいけない」という想いに駆られます。「完結」すれば、きっと「つながったもの」も簡単に「切れ」てしまう。「静止」という状態は安定しているように見えて、とても危うい。だから、僕はいつも「動的」でありたいと思うようになりました。それはmori0309さんが言う人生の目的が決まっているかのような言説または態度や新興宗教・オカルトといった「完結」しているものへの反感(不安)と同じものなのだと思います。「不安」があるから、自信が無いから、わからないから「哲学」をするのかも知れませんね。そう考えると「生きる」こと「自分を知ること」はわからないことだらけです。僕の「哲学」は、まだ死にそうにありません。 mori0309さんに、ご回答いただけてとても幸せでした。本当にありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • fwappy
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回答No.7

>ちょっとお聞きしたいのですが、哲学を考え始めた >直接的で具体的なきっかけというのはありますか? ないです。何しろはじめて自分を意識したとき (4歳のとき)がそうですから。 いっておきますがなにも迂回してはいませんよ。 私自身、なぜ私が私であるのか分からないのですから。 知っているなら教えてほしいくらいです。

jume
質問者

お礼

わざわざ、質問にお答えいただき、ありがとうございました。4歳のときに「自分とは何だろう」と思ったんですね…。なんか、想像を絶する世界です。4歳のときって言ったら、僕はほとんど記憶が無いです。でも、幼稚園のとき、この世界は実はウソで、本当はみんな赤い目をした怖い生物なんだって思ったことはありました。世界がはがれる感覚とでも言うのでしょうか? そういうことは小さい頃よく考えていましたね。でも、それを追求するまでに思考は成長していませんでした。想像力と思考力が結びついてはじめて哲学かなと思っていたものですから、想像力が適当な「解説」と結びつくだけなら哲学じゃないと思っていました。だから、素朴に「自分とは何だろう」と思うことが、「哲学」というわけじゃないと思ってしまったのです。「迂回」と言ったのは、そういったfwappyさんの考える「哲学」の定義を迂回しているのではないかと、思ったからです。前提がばらばらだと話がかみ合わないと思ったのです。僕の勘違いだったらごめんなさい。

回答No.6

 serpent-owlです。35歳、実存主義者。座右の銘は「日々是実存(ひび、これ、じつぞん!)」。ちなみに「日々是決戦」は代ゼミ。  哲学に興味を持ち始めたのはjumeさんと同じ頃です。はっきりしたのは浪人中かな。  僕の場合、「人間」への興味でした。それも、かなりネガティブな方向の。  つまりその、人間というものが恐ろしく、おぞましい存在に思えてならなかったです。戦場での人間の振る舞い、拷問や処刑の歴史…人を傷つけ殺すことを楽しみ、そのことに叡智の限りを尽くす人間の姿。そういう姿に触れるにつけ、それが紛れもなく自分と同じ人間の姿であり、また自分の姿でもありうるという事実が心に積み重なっていったように思います。同時に、それに対する「なぜ?」も大きく膨れ上がっていきました。納得がいかなかった。  そういう問題意識は今も根底のところにあります。ですから、少々大げさではありますが、哲学的な事柄を学び考えることは、私にとって「人間であることへの贖罪」と言える面があります。死ぬまでやめることはできないでしょう。  とはいえ、楽しんでもいますよ。やってると時々天と地がひっくり返るような思いを味わったり、見えている世界の地平線がぐっと広がったような気がしたりすることがあります。一種の眩暈のような。  ロジェ・カイヨワって人が「遊び」の様相の一つに「眩暈」を挙げています。そういうものを感じられる媒体という意味では、私にとって哲学は遊びでもあります。だから…役に立たなくてあたりまえなんです。  そういうわけで、私の中には「あそぶの、だぁいすきだよっ!」という元気なへびくんが住んでいるのです。

jume
質問者

お礼

serpent-owlさん、ありがとうございます! 以前、この哲学質問板で展開された「全知全能問題」、とても興味深く読ませて頂きました。僕にはかなり難しい問題だったので、ついに議論には参加できませんでしたが、へびくんの存在の面白さに引き込まれて、ついつい全部、読んでしまいました。それは確かにアクロバットな「眩暈」に似たものがあり、哲学に「遊び」という要素があったんだなと気付かされた議論でした。そのとき初めて楽しく哲学したいと思ったのだと思います。たぶん、それまでも哲学は僕にとって、楽しいものであったはずなのですが、いつの間にか見かけの固さに飲み込まれて、僕自身が難しい顔で哲学の本を読むようになっていたのかも知れません。きっと僕の中にも「へびくん」はいるはずです。半面で「ふくろうくん」もいる。あの「全知全能問題」のときのように「二人(一匹と一羽)」が、対話できるような哲学ができたらいいなと思います。 それから「人間への興味」というお話ですが、僕は「自分という人間への興味」が出発点でした。自分を解説してもらいたかったというのが、はじめの動機だったように思います。それは占いでも神話でも何でも良かったはずですが、どうもその完結性が、息苦しく、どこかで限界が見えてしまいました。「自分」を直接語ることは、厳密には難しいのではないかと思い始め、結局、現代社会を生きる自分を「浮き彫り」にしたくて、哲学というツールを選択しような気がします。

  • fwappy
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.4

>皆さんが、哲学に興味を持たれたのは、どんなときでしたか? 自分とは何だろうと思ったとき >また、何故、哲学に惹かれたのだとお考えですか? 多分、この世に生をうけたからでしょう(笑) >そして、その興味は現在、どのような形で自分の中に残っていますか? いや、コドモの頃から今までずっと考えてますよ。 そういうことを一度も考えたことがない人がいるとしたら 随分とシアワセだとおもいます。 もっとも、こないだそれをあるところで口にしたら、 「バカにしているのか」と怒られました。 僕は皮肉でなく、マジメにいったのですが、 相手は感受性の欠陥と受け取ったようです。 でも感じなくてもいいことを感じたところで、 特に有意義ともエライとも思えませんが、 どうなんでしょうか?(・・?) ところで、僕は受験の時にはそんな余計なことを 考えてるヒマも余裕もありませんでした。ケンカなんて やってたら落っこちてしまいます。落ち込むのは、 落っこちてからいくらもできますからね。残念ながら 受かってしまったので、落ち込む絶好の機会を失い ましたが(笑)

jume
質問者

補足

fwappyさんが、哲学に興味を持たれたのが「自分とは何だろう」と思ったときで、その理由は「この世に生を受けたから」だということですが、ごめんなさい、その言葉にあまり実感が湧きません。どこかで聞いた感じの話だとは思うのですが、どうも何かを迂回しているようで、僕の中ではしっくりくる話ではありませんでした。そこで、ちょっとお聞きしたいのですが、哲学を考え始めた直接的で具体的なきっかけというのはありますか? (多分、はじめに僕が質問したかったのもそういうことだと思います。本当に言葉が拙くて申し訳ありません) > ケンカなんてやってたら落っこちてしまいます はい、志望校は、須らく不合格でした(笑)。でも、目的意識の無い志望校選択でしたから、少しホッとしたのを覚えています。

  • orimoto
  • ベストアンサー率32% (130/406)
回答No.3

ぼくが哲学に興味を持ったのはビジネスマンになってからです。 1)会社の活動の中には、いろいろの矛盾や二律背反が含まれていて、それらについて考え込むと、どうしても哲学が必要になるんですね。たとえばいろんな人が集まって、何か新しいアイデアを出そうというときが度々あるのですが、そのときに自分がまとめ役の時、最後に多数決できめようか、それともたった1つの意見でもいいなと思ったものがあったとき、それをどう扱かったらいいのかと、迷うときがあります。このとき、西田幾多郎の「場所の論理」やハイデッカーの哲学が非常に役立ち、もっと意見をスパークさせて、個人の意見ではなく、チーム自体の意見を出すようにしようという発想が生まれます。そしてそのやり方までも。このように、哲学って、現実問題の壁の突破に役立ちます。 2)リーダー研修でアスペン研究所の研修を受けたとき、教材が哲学だったんです。不思議に思って教師に理由をききましたら、「今のように不透明な時代には、ものごとを根底から考え直すことが必要だ」と言われました。研修には外人も沢山いたんですが、とても恥ずかしく思ったことは、ぼくはアリストテレスなんて、高校の世界史でしかお目にかかってなかったんですが、かれらは大学の”教養(リベラル・アーツと言うそうですが)”でみっちり哲学を勉強しているのですね。だからその研修に差が出たことは、容易に想像できると思います。ですから学生のうちに 哲学を学んでおくことは、必須に近いことだと思うんです。そして研修では、だんだん「リーダーシップとは何か」ということに収束されました。こうやられると、ハウ・ツーでやられるより、その迫力がまるで違います。 最後にあなたが、『哲学は、その時の「自分」が直面している問題意識に則して語られるものではないのですか?』とおっしゃることには、100%賛成します。

jume
質問者

お礼

orimotoさんの言葉をひとつひとつ拾って読んでいくと、「哲学」とは考えるための技術だというひとつの結論が見えた気がしました。そしてそれは直面した現実の中で、やしなわれるものなのですね。 お礼が遅くなって、申し訳ありませんでした。僕の『哲学は、その時の「自分」が直面している問題意識に則して語られるものではないのですか?』という拙い言葉に反応してくださって、とても嬉しいです。ありがとうございました。

noname#1595
noname#1595
回答No.2

アリストテレスの問題集の中には、素朴な疑問も多く載せられいます。一定の知識と、一定の理論と仮説により、考えることが、ひとつの「哲学」だとすれば、それは、誰もが興味を持つはずのものです。占いのことについて、回答していて思うことは、疑問を深く極めようとされずに、刹那的な回答を求めておられる方が多いように思われます。こういう人たちは、哲学とは、ある意味で無縁かもしれません。しかし、将来、誰かの死をきっかけに「死とは何か」について考えるかもしれません。このときに役立つのが、方法論であったり、基礎理論であったりするのだろうと思われます。しかし、「死とは何か」と問いながら、実は「なぜ、死んでしまったのか」を嘆く代わりに、ありもしない回答を待ち望んでいるだけのこともありましょう。自分で考えているひとは、哲学者だといってよいかもしれません。

jume
質問者

補足

ご回答、ありがとうございます。アリストテレスの問題集ですか。ちょっと知りませんでした。「哲学」には一定の知識と、一定の理論と、一定の仮説、つまり基礎理論や方法論が必要だということなのでしょうか? もしも、そうであるなら、それは、僕には考える枠組みを与えられることのように思えます。そして、与えられたその枠組みの中で考えることが「哲学」だというふうに読めるのですが、だとしたら、自分で考えることも、枠組みの中ということになり、それは本当に「自分で」考えたことになるのだろうか?という疑問が湧いてしまいました。「自分で」考えることが「哲学」なのでしょうか? 方法論や基礎理論の枠に沿って考えるのが「哲学」なのでしょうか? それとも両者は、両立するものなのでしょうか? だとしたら、どのようにして両立されるのでしょうか? 結局、「哲学」とは何なのでしょうか?

  • kierke
  • ベストアンサー率10% (3/29)
回答No.1

私の場合子供のころ病気でした。プールに入ったりもでき ず(注射ができないと言うのは少し嬉しかったですが笑) よく倒れました。周りにも本人がどう感じていたかはわか りませんが不幸と思うような人がいてなぜ、こんなに不平 等なんだと子供心に思いました。なぜそうまでして生きな ければならないのか、どうして皆が同じスタート地点でな いのか(本当は同じなのかも知れませんが)そんな時ニー チェの「神は死んだ」この言葉に強烈に惹かれた。 これが私のきっかけです。変な小学6年生でした。 jumeさんの言われる哲学「その時の「自分」が直面してい る問題意識に則して語られるもの」と言う考えは私と違い ますが(私はたった一つでも真理を知るならそれで良しと 言う考えなので)、少なくとも哲学抜きでは他の学問は成 立しません。 役に立たないを敢えて解釈すると、お金にならない、癒されない(そうと私は思いませんが)などがあります。でもそうしてまでも求める価値あるものです。 あと、哲学科に50年学んでも哲学無き人もいます。 「実践」何事もそうです。このようですので、「どのような形で自分の中に残っていますか? 」と言われたら、未だ私はそれを捕らえていませんが真理を探究する者でありたいと言う行動、神は死んだと言う事、この2点は残ってます。

jume
質問者

お礼

小学6年生でニーチェに出会うというのも、すごい話ですよね。僕が、ニーチェという名前に出会ったのは高校の倫理の教科書が初めでした。しかも、意味が分からず、興味もありませんでした。でも、大学に入って、大学の普通の雰囲気と自分の内向性の普通じゃ無さにギャップを感じたとき、ニーチェの言葉は非常に破壊力のあるものとして僕の眼前に立ち現われたものです。早速のご回答ありがとうございました。「真理」って何なのでしょうね。

jume
質問者

補足

ありがとうございます。『その時の「自分」が直面している問題意識に則して語られるもの』って、自分で書いていて言葉が違うな~って思ってました。言葉が上手くまとまらないんですね(ごめんなさい)。自分が直面している問題意識から、いろいろなことが見えてくると言いたかったのだと思います。kierkeさんが「病気」という問題(意識)から、「神は死んだ」という言葉が、kierkeさんにとって特別な言葉に見えてきたということと同じだと思います。

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