解決済みの質問
こんにちは。maruru01です。
1千万人は大げさで、実際にはありえませんが、多数の人の幸せのために、小数の人を不幸にしてよいか、ということであれば、
よいと思います。
特に政治に携わる者の立場では、むしろ当然の選択だと思います。
ただし、不幸になる人に対して、
「あなたが不幸になれば、多くの人が幸せになれる。だから、あなたは自分が不幸になることを受け入れるべきだ。」
などとは言うべきではないと思います。
その人自身が、幸せになりたいという希望・考えは否定されるべきではないし、そのような判断で自分が犠牲になることに対して抗う権利があるでしょうから。
結局、世の中の全員が平等に幸せになるなんて不可能だと思います。
この世は、常に小数の犠牲の上に成り立っており、もし自分が小数の側になったら、それに抗うか、諦めるかは自分で決めるしかないでしょう。
投稿日時 - 2003-07-02 17:54:20
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ベストアンサー以外の回答(8件中 1~5件目)
私人と公人を分けて考えなければ意味がないと考えます。
公人として。
まったく悩む必要も躊躇する必要もなく、1千万人を幸せにして一人を犠牲にすべきです。ただし私情を挟んではいけません。最大多数の最大幸福がどうやれば得られるか、これを冷静に判断するのが公人ですから。
私人として
どんな選択をするにせよ、悩んだり躊躇したりしない人って非人道的でしょう。
「大切な人を守る」ってことはすなわち、「大切じゃない人を守らない」ってことです。時には大切じゃない人を見捨てる事だってあるでしょう。家族のために他人を切り捨てるのは、悲しいことではあっても非難されることじゃない、そう考えます。
ただの一個人が一千万人を不幸にするのは難しいですから、少々答えにくい質問ですけどね。
投稿日時 - 2003-07-02 20:31:42
こんばんは。
1千万人もいたらその中には男・女、子供・大人・老人、日本人・外国人など様々状況な人がいると思われます、そのような複雑な人間環境において全ての人が幸せになれる選択肢なんて一つもないのではないでしょうか。
(もちろん全ての人が幸せになるというのが理想ですが)
したがって、1千万人を幸せにするために1人が不幸になるか、1人が不幸にならないために他の1千万人が幸せになることができなくてもよいかという選択肢があったら、大多数の人を幸せにするための選択肢を選ぶべきと思います。
自分が不幸になる一人になったら嫌ですが、納得できると思っています。
ちなみにこれは小泉さんの構造改革を積極的に支持しているわけではありません。
投稿日時 - 2003-07-02 19:55:50
どのくらいの幸せか不幸かにもよりますが、
1千万人が幸せになるのならたった1人の犠牲は
かなり安いですね。
例えば会社の同僚3人と昼ご飯を食べに行った。
3人ともカレーを食べたそうだった。
カレーしかありえない様子だった。
しかし本人は家でここ二日カレーだった。
こういう状況でその事情をはなすと、他の3人は
軽く不幸です。食べたいものが食べられません。
事情をはなさないと、本人が不幸です。
(別々に食えばいい、というのはナシで。)
こんなことが日常生活には多々あるので、
1人の犠牲で1千万人も幸せになるのなら、
かなりお得ではありませんか?
投稿日時 - 2003-07-02 18:33:22