中国人が日本語の文章を添削してもらいたい

このQ&Aのポイント
  • 日本語を勉強中の中国人が、文章力向上のために作文練習をしています。自然な表現に添削してもらいたいとのことです。
  • 中国語の生徒の日記に感銘を受け、それを日本語に訳してみました。桜という花に誘われた日本人の心に深い郷愁を感じるエピソードです。
  • 不自然な表現があれば指摘していただけるとのことで、フィードバックもお願いしています。
回答を見る
  • ベストアンサー

自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(「郷愁」)

自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(「郷愁」)  日本語を勉強中の中国人です。文章力をつけたいので、作文の練習をしています。私の文章を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。  私の中国語の生徒の日記に気に入った文がある。それを日本語に訳してみる。「最近、私の住んでいるマンションの庭にたくさんの桜が咲いた。とても綺麗だ。多くの日本人が桜を見る時に、ふるさとの春を思い出す。私も小学生の時に、家の前にたくさんの桜が咲いていたことを思い出した。あの時を懐かしく思う。」これらの文を読みながら、桜という花に誘われた日本人の心中の一種の濃い郷愁を深く感じた。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

1、 > 私の中国語の生徒の日記に気に入った文がある。 → 【この前、】私の中国語の【生徒が書いた作文】【を読んでいたら、】【ちょっと興味を引かれる一節があった。】 : a. 常に必要というわけではありませんが、出だしに何らかの時期を示す言葉を冠すると、読者はスムースに内容に入りやすくなります。 b. 「書いた」とすると「の」の重複を回避できます。 c. 日記は通常、他人に見せるものではないので、「作文/ブログ」などとするのが自然です。 d. このシチュエーションでは、「読んでいたら~」など、『「気に入る」までに至る経緯 』を明記したほうが、唐突な印象を避けることができます。 「awayuki_cn さんは、生徒の作文をよく読んでいる、ということ(=awayuki_cn さんにとって日常的な行為であるということ)」を読者が知って(認識して)いる場合は、明記しなくても大丈夫です。(明記しても構いません) また、「文」でも良いのですが、「一節」という表現を使うこともできます。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/10921/m1u/%E4%B8%80%E7%AF%80/ 「気に入った」という表現を使いたい場合は、 『【この前、】私の中国語の【生徒が書いた作文】【を読んでいたら、】【ある一節が大変気に入った。】』 のようにすれば大丈夫です。 ただ、今回は、「興味を引かれた」という表現で、「気に入った」という意味を暗示的に示すほうが適しているでしょう。 2、 >それを日本語に訳してみる。 →添削無し。 3、 >最近、私の住んでいるマンションの庭にたくさんの桜が咲いた。とても綺麗だ。 →添削無し。 4、 >多くの日本人が桜を見る時に、ふるさとの春を思い出す。 →多くの日本人が桜を見る【と】、ふるさとの春を思い出す【はず】だ。 : a. 「時に」とすると、「ふるさとの春を思い出す【時の指定】」になってしまいます。 「桜を見る時ふるさとの春を思い出す」ではなく、 「ふるさとの春を思い出す時は桜を見る時だ」という意味の文になってしまうわけです。 「時」とすると少しは良くなりますが、 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/135919/m1u/%E3%81%A8/ (2)同じ主体の動作・作用が引き続いて起こることを表す。 用法の「と」をお遣いになるほうが自然です。 b. 日本人にとってはほぼ一般的な感覚でしょうから、「思い出す」と断定しても殆んど問題はありません。 ただ、一応は他者の心理に関する表現なので、 「~するはず」という表現も覚えておかれると良いでしょう。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/155501/m1u/%E3%81%AF%E3%81%9A/の、 (ア)当然そうなることの意を表す。 「これで電気がつく?だ」 です。 5、 >私も小学生の時に、家の前にたくさんの桜が咲いていたことを思い出した。あの時を懐かしく思う。 →私も、小学生の【時】、家の前にたくさんの桜が咲いていたことを思い出した。あの頃が【懐かしい】。 : a. 「(時)に」とすると、「時期の指定」の要素が強調されるため、 「家の前にたくさんの桜が咲いていた[の(=時期)]は小学生の時だ」というニュアンスになってしまいます。 b. 「思い出した」と「思う」が重複気味。 「懐かしい」だけに留めるのが良いでしょう。 「私も、小学生の時、家の前にたくさんの桜が咲いていたことを懐かしく思い出した」 と一文にしても可。 6、 >これらの文を読みながら、桜という花に誘われた日本人の心中の一種の濃い郷愁を深く感じた。 →【】読みながら、桜という花に【誘われて湧き上がる】日本人の【ある】種の【深い】郷愁を【しみじみと】感じた。 : a. 「これらの文」でも間違いではありませんが、文を数量化して捉えているニュアンスになるため、シチュエーションにそぐいません。 「このような内容を」などでも良いですが、無いほうがすっきりします。 b. 「郷愁」に掛かる表現として「誘われて湧き上がる」のようにするとベターでしょう。 c. 「心中」は不要でしょう。 d. 「一種」は勝手に「ある種」と解釈しました。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/6134/m1u/%E3%81%82%E3%82%8B/ e. 「濃い郷愁」という表現は一般的ではありません。 e. 「深く」でも差し支えありませんが、「しみじみと」の使いどころでしょう。 <要注意店> ・【気に入った文がある】 ・桜を見る【時に】 自然度:88%   

awayuki_cn
質問者

お礼

 いつもご親切に添削していただきありがとうございます。とてもわかりやすいです。「時に」と「時」の違いはよくわかりました。いろいろとても参考になりました。まだすっきりしていないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。

awayuki_cn
質問者

補足

>これらの文を読みながら、桜という花に誘われた日本人の心中の一種の濃い郷愁を深く感じた。 →【】読みながら、桜という花に【誘われて湧き上がる】日本人の【ある】種の【深い】郷愁を【しみじみと】感じた。 「をしみじみと感じた」と「が(それとも「を」?)しみじみと感じられた」の違いは何でしょうか。どちらがよいのでしょうか。

その他の回答 (4)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

#2です。 >>これらの文を読みながら、桜という花に誘われた日本人の心中の一種の濃い郷愁を深く感じた。 →【】読みながら、桜という花に【誘われて湧き上がる】日本人の【ある】種の【深い】郷愁を【しみじみと】感じた。 「をしみじみと感じた」と「が(それとも「を」?)しみじみと感じられた」の違いは何でしょうか。どちらがよいのでしょうか。 : 前回の添削文をつなげて確認してみます。 ------------------------------------------------------------- 【この前、】私の中国語の【生徒が書いた作文】【を読んでいたら、】【ちょっと興味を引かれる一節があった。】 それを日本語に訳してみる。 最近、私の住んでいるマンションの庭にたくさんの桜が咲いた。とても綺麗だ。 多くの日本人が桜を見る【と】、ふるさとの春を思い出す【はず】だ。 私も、小学生の【時】、家の前にたくさんの桜が咲いていたことを思い出した。あの頃が【懐かしい】。 読みながら、桜という花に【誘われて湧き上がる】日本人の【ある】種の【深い】郷愁を【しみじみと】感じた。 ----------------------------------------------- 「ある種の深い郷愁がしみじみと感じられた」 という表現はなかなかいいですね。 「感じた」が「経験としての事実」であるのに対して、 「感じられた」は、「自発」のニュアンスが含まれています。 「その作文から、桜という花に誘われて湧き上がる、日本人のある種の深い郷愁というものが、【自然に感じられた】」 といったようなニュアンス。 「感じた内容をあからさまに表現しない」という点で、この自発作用を用いるのはこのシチュエーションの展開上、優れた表現になり得ます。 「読みながら」を使わずに、 「この作文から、桜という花に誘われて湧き上がる、日本人のある種の深い郷愁がしみじみと感じられた」 あるいは、 「この作文からは、桜という花に誘われて湧き上がる、日本人のある種の深い郷愁がしみじみと感じられる」 という構文であれば可です。 ただ、全体の流れから言うと「読みながら」という表現は生きているので外したくありません。 「読みながら」を受けるためには、「感じられた」ではなく「感じた」とする必要があります。 作文全体の視点から考えると、手前味噌ですが、やはり「読みながら~感じた」という構文にするのが妥当でしょう。       

awayuki_cn
質問者

お礼

 再びありがとうございます。よくわかりました。ちなみに、「手前味噌」という表現は面白いですね^^。私にとって新しい言葉です。本当にありがとうございました。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4337)
回答No.4

相変わらず流暢な文章だとおもいます。先の回答者さんのご指摘のあった部分は 省略して、多くの日本人が桜を見る時にと、 小学生時に あの時をとすべて時が使われていますが、 後の時は頃にしてもいいのでは、と思います。 桜という花に誘われた以下の文章も独特の表現でそれでも良いと思いますが、 一種のは使うならある種のにした方が自然ではないかと思います。 その部分をまた私流の表現にさせていただきますが、よろしく 桜を見るにつけ、花に誘われたかのように、日本人は一様に郷愁を感じるようだ。そしてその思いの 深さを私は感じている。 余談ですが、桜には沢山の種類があります。山桜(昔から日本に自生していた桜)染井吉野(今一番よく見られる桜)しだれざくら、八重桜 彼岸桜 等々 またそれぞれの感想など書いてください。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に添削していただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。日本語はまだまだです。不自然な表現が多いと思います。頑張ります。

noname#142902
noname#142902
回答No.3

 こんにちは。  ×「中国語の生徒」→「中国語を母語とする生徒」or「中国人の生徒」  ●質問者様の文章では「中国語=生徒」と解釈できてしまいます。  生徒についての説明をしないで  「私が担当する生徒」or「私が教えている生徒」  などとした方が自然かと思います。  ○「たくさんの」→「多くの」or「満開の」or「莫大な数の」  ●他の表現を集めてみました。  ※「莫大」……「ばくだい」と読みます。  ●最後の「莫大な数の」は奇をてらった表現で不自然ですが……。  ○「綺麗だ」→「素晴らしい」or「美しい」or「趣深い」or「趣がある」or「秀麗な趣を醸し出している」  ●他の表現を集めてみました。後になるほど不自然で飾った表現です。  △「見る時に、ふるさとの春を」→「見る時は、ふるさとの春を」  ●「見る時に」の「に」では「見る時」と「ふるさとの春」を強く結びつける印象です。  逆に言えば「見ないと」ふるさとの春を思い出さないの?  と、突っ込むことが出来ます。  他方「見る時は」にすると柔らかい印象を受けます。  △「私も小学生の時に、」→「私も、小学生の時に……」  ●読点は文の切れ目を作り出します。  よって「私」と「小学生」の間に切れ目を入れないほうが良いと思います。  「私」と「小学生」は恐らくイコールでしょうから。  ※私も、小学生の時にそれを見た貴方に同意する。……小学生は貴方です。  ※私も小学生の時に、それを見た貴方に同意した。……小学生は私です。  ●この様に、読点の位置だけで文章の意味が変わってしまいます。  ※読点……「、」  ※句点……「。」  △「一種の濃い郷愁」  ●間違いではありません。しかし少なくとも自然ではないと思います。  と、いうのも私が今まで接してきた文章(文庫本に換算すると1千冊は軽く超えます)にこの様な文章は見当たりませんでした。  まず「一種の郷愁」が自然ではない気がします。  郷愁に多くの種類が含まれないと思うからです。  「濃い郷愁」というのも不自然です。  「濃い」というのは普通は「濃度」に使います。  「味が濃い」や「色が濃い」と表現します。  ただ、質問者様の提示した文章は「不自然」ではありますが、小説等では面白い表現とみなされるのではないでしょうか。  小説では自然な表現だけでは退屈する面もあるからです。  創作では逆に不自然で面白い表現をすることに頭をひねる場合が少なくありません。  私なりの文章を書いてみます。  今度は女性的な文章にしてみます。  (創作的な女性であり、実際にはこの様な文章はほぼありえないことを念頭においてください。  あくまでも楽しむための文章です)  中国語を教えている生徒の日記に気に入った文を見つけたの。  何となくキュンとするから和訳してみましょうか。  ……以下、和訳開始……   最近、ウチの住んでるマンションの庭に多くの桜が咲いたの。  その美しさには舌を巻くしかないんじゃない?  日本人は大体は桜を見ると故郷の春を思い出しそうね。  小学生の頃は家の前には桜が咲き誇っていたっけ。  あの頃が懐かしい……。  ……以上、和訳終了……  文章を読んでいて、とても甘酸っぱく感じたの。  だって、桜が日本人の郷愁をそそのかしたから。  老婆心ながら難しい単語の意味を載せます。  ウチ……現代の日本女性が自分を指す言葉。      「私」のくだけた表現。      ただし使う女性は少ない。  キュン……心がときめく意味を表す若者言葉。       同様の言葉に「フォーリンラブ」がある。  最も自然な文章も書いてみます。  ●私が担当している生徒の日記に気に入った文がある。  それを日本語に訳してみよう。  「最近私の住んでいるマンションの庭に多くの桜が咲いた。  とても美しい。  多くの日本人は桜を見るたびに、ふるさとの春を思い出す。  私も同じく思い出した。  小学生の時に、家の前にたくさんの桜が咲いていたことを。  あの時を懐かしく思う。」  これらの文を読みながら、桜という花に誘われた、日本人の郷愁の一端を深く感じた。    ちなみに私が提示した文章、添削はあくまでも「一人」の「意見」に過ぎません。  より多くの人の意見を参考にして下さい。  また、日本語の小説サイトもお勧めです。  「小説」と検索すれば多くの小説に触れる一端になるはずです。  語学では多くの文章に触れることが大事です。  その中で文章構造を学び、より多くの表現を知ることが出来ます。  辞書は「正しい」文章を載せています。  一方で「自然」かというと首を傾げる可能性もあります。  長々と失礼しました。質問者様にとって良い回答であることを願っています

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご丁寧に添削していただきありがとうございます。いろいろな表現方法を習得しました。とても参考になりました。ただ、私は新しい言葉を作るというような創作より、やはりまず自然な日本語を習得したいと思います。つまらない表現方法になってしまうかもしれませんが、それが勉強したいです。ご了承ください。本当にありがとうございました。

awayuki_cn
質問者

補足

>×「中国語の生徒」→「中国語を母語とする生徒」or「中国人の生徒」 「中国語の生徒」で「日本人の中国語を勉強する生徒」の意味を表したかったです。私は休みの日、日本の人に中国語を教えています。

noname#115524
noname#115524
回答No.1

「生徒の日本人が中国語で書いた作文を日本語に翻訳した」という事ですね?間違いではないですけれどちょっとわかりにくいです。 「先日から私の住んでいるマンションの庭のさくらが何本も咲いています。とてもきれいです。」 今咲いているとしたらこうですが、もう散ってしまっているなら 「先頃、私の住んでいるマンションの庭のさくらがたくさん咲きました。とてもきれいでした。」(「たくさん」に違和感がありますが、まちがいとまでは言えないです) あなたの訳文では「きれいだ」となっていますので、現在形=日記を書いている今咲いている、だと思いますから「咲いています」が正しいでしょう。 「最近」は開花のような毎年恒例の自然現象ではちょっと違和感を感じます。「最近」は「ここ数年」のようなやや長い期間も指すからでしょう。今年の花の話をするには「最近」は不向きです。 「日本人の多くは桜の花を見るとふるさとの春を思い出します」 “花”を入れた方がいいと思います。間違いではないですが。 「あの時」→「あの頃」 「小学生のころ」というのは長い期間、しかも桜が咲くのは毎年の事なので。 「あの時」だと小学生の自分が何かをした年というような意味にとられるでしょう。 「これらの文」→「この文」が正しいです。 そのあとは間違いはないです。ここはこの文章の核心でもあるし、意味が違ってくるので他人にはいじれない部分かもしれない、と私は思います。 日記部分をですます調に直したのは、あなたの感想を表わす部分との差があったほうがわかりやすいのと、あなたに向かって心中を吐露して説明している文章であるという内容にあっていると思ったからです。 私も、小学校の入学式の時に担任の先生が、満開の桜の木の下に出した受け付けのテーブルで、私と母を迎えてくれたのを今でも思い出します。(この場合は「あの時を思い出す」にあたります)

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご丁寧に添削していただきありがとうございます。おっしゃるとおり、生徒の日本人が中国語で書いた作文を私が日本語に翻訳したという事です。構文がわかりにくくて、申し訳ありません。「最近」は中国語に影響され、よく使います。日本語の場合、「先日から」、「先頃」のほうが多いですね。勉強になりました。「あの時」と「あの頃」の違いもよくわかりました。いろいろ大変参考になりました。本当にありがとうございました。

関連するQ&A

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(私の話す日本語)

     日本語を勉強中の中国人です。文章力をつけたいので、作文の練習をしています。私の文章を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。    私の話す日本語  先週、日本人の同僚に私の話す日本語に点数をつけてもらった。80点だと言われた。私もたぶんこのぐらいのものだと思った。  同僚の話によると、99点と採点された中国人もいた。その人の日本語はもうてっきり日本人が話すものだと思っていた。日本に住んだことがある人らしい。  私の問題は、伝えたいことは一応日本語で表現できるが、同じ意味を表すのに、ネイティブスピーカーはたぶん別の言い方を選んで表現することだ。  私は日本人の話す生粋の日本語をたくさん聞いて、真似すると考えた。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか

     日本語を勉強している中国人です。日本語で文章を書く力を付けたいと思い、作文の練習をしています。日常の一場面を切り取って短い文章に綴りました。自然な日本語に添削していただけないでしょうか。文を成すとき、特に難しいと感じた箇所を作文の後ろに記させていただきました。よろしくお願いします。    母女連心*    「ほら、見て! 見て! あの葉っぱ」と好きな葉を見かけた私が興奮して母に言う。「えっ、どれ? どれ? あの葉っぱか」と母の指差したほうに私の好きなプラタナスの葉がある。あれは一枚透き通る翡翠のようなプラタナスの葉だ。七月の高く青い空を迎え、日差しが透けて葉脈がはっきりと映し出されている。 注 *「母女連心」という中国語の意味は「母親と娘の心がつながっている」である。 1.私と母の言葉の後ろに続く二箇所の【と】はぎくしゃくした感じがします。解決方法を教えてください。 2.「母に言う」の「言う」はほかの動詞か言い方にしたいのですが、「叫ぶ」ぐらいしか思いつけません。適切な表現はないのでしょうか。 3.青空を背景にして、日差しが透けて一枚のプラタナスの葉の葉脈が見える情景を綺麗な日本語で書きたいです。ご教授をお願いします。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ大変嬉しく思います。よろしくお願いいたします。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(「赤とんぼ」の中国語版)

     日本語を勉強中の中国人です。文章力をつけたいので、作文の練習をしています。次の文章を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。    「赤とんぼ」の中国語版   「赤とんぼ」は私の好きな日本の童謡だ。今日、テレビでその曲の中国語版を偶然に聴いた。中国語版の歌詞が非常に気に入り、丸暗記した。日本語に訳すと、だいたい次のような感じだ。「夕焼け小焼けの赤とんぼ、教えてね。子供の時代にあなたと出会ったのは、いつの日か」。小さい女の子があどけない声で歌ったので、思わず子供の時代を思い出された。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか(町の中の人々の服)

     日本語を勉強している中国人です。  とても書きずらい、言いずらい文があります。最近、秋が近づいてくるにつれて、町の中の人の様子を見て気付いたことを日本語でうまく表現できません。町の中の人は一人あたり着ている服が多くなったという現象を、どのように作文に表現するのか、友達と話をする時にどのように言うのか、非常に困っています。  私の文章はとても幼稚でおかしい文章になると思いますので、添削していただけませんか。また、ネイティブの皆さんの書き方としゃべり方も教えていただければとても有り難いと思います。最後に、以上の文章とまったく違う季節の春の場合、一人あたり着ている服がだんだん少なくなる状態の文の書き方としゃべり方も教えていただけませんか。 作文   「だんだん肌寒くなるにつれて、人あたりの着ている服は多くなっている。」 親しい友達に言う文  「最近、冷えてきたね。なんか町の中の人々はだんだん多めに着てるような気がする。」  作文が上手になりたいと思っていますので、質問文の中で不自然な表現があれば、それも併せて指摘していただければ助かります。よろしくお願いします。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(「君の好きな色は変わらず淡い淡い紫でしたね」)

     日本語を勉強中の中国人です。文章力をつけたいので、作文の練習をしています。次の作文を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。   「君の好きな色は変わらず淡い淡い紫でしたね」  先日、中村雅俊さんの「時」という曲に偶然出会った。以来、その中の「君の好きな色は変わらず淡い淡い紫でしたね」という歌詞は脳裏を離れない。  ある箱をあけた。静かにしまっているあるものを取り出した。それは昔、私の一番好きな色、淡い紫の髪留めだ。学生時代の彼が初めてくれたプレゼントだった。当時、彼の照れそうな顔はいまでもよく覚えている。私は髪留めを眺めながら、昔の自分に会ったような気がした。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」)

     日本語を勉強中の中国人です。文章力をつけたいので、作文の練習をしています。次の文章を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。    是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」  中国の大晦日に、是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」という映画のDVDを入手した。以前美しい邦画について日本の方に尋ねたところ、この映画をすすめてくれたことがある。DVDの表紙に書かれた「静謐な木陰、漂う郷愁を通して、人生の中のささやかな機微をとらえ、漣のような感動を起こす」(原文は中国語である)という紹介文に引き付けられた。  しかし、大変残念なことに、二時間で外国人の私に伝わってくるものがあまり感じられなかった。日本の方に失礼かもしれないが、この映画は私にとって、おさゆのように無味で、終わりの字幕が出た時に、「これで終わり?」とさえも思った。監督はたぶん平凡な日常生活を通して、何か哲理を伝えたいと思うが、とても曖昧にうまく表現できなかったような気がする。インターネットでこの映画の評価をいろいろ読んだが、好評ばっかりで苦笑するしかできなかった。たぶん私は外国人で、日本的な感じがまだ理解できていない。  でも、「歩いても 歩いても」はいいところは一つもないというわけではない。映画の中に心地よく、淡々と流れている音楽が好きだ。また、子供たちはつま先たって、小さな手で高いところにある薄桃色のさるすべりに触るというシーンの撮影が印象深かった。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(魚の汁)

     日本語を勉強中の中国人です。魚の汁が羊羹のようになってしまうことは「凍る」という動詞を使ってよろしいでしょうか。日記で次のような文を書きたいのですが、上手に書けません。自然な日本語に添削していただけないでしょうか。  『昨夜食べ残した魚は冷蔵庫に入れていないが、朝起きてから汁がすでに羊羹のように凍ってしまったことに気づいた。お皿を傾けてみても、ぜんぜん動かない。「あ、やっぱり冬なんだ」という実感が湧いてきた。』  また、質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(夏目漱石の「こころ」)

     日本語を勉強中の中国人です。文章力をつけたいので、作文の練習をしています。私の文章を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。    夏目漱石の「こころ」  三年前に、夏目漱石の「こころ」をインターネットの「青空文庫」というところで少し読んだ。でも、結局長くは続けられなかった。その後、日本に行った時に、日本の本屋さんで「こころ」に出会い、思わず買った。いつかゆっくり読みたいと思った。帰国した後で、その本はずっと私の本棚で寝ている。  この二、三日、「こころ」の中国語版を読み終えた。主人公の「私」は私の年に近いので、親近感を持っていた。先生の過去がだんだんと鮮明に私の目の前にさらけ出されるにつれて、私は「先生」という人の人生から何かが学びたい。    日本で買ったその本を本棚から取り出し、机にそっと置いた。三年ぶりで懐かしくなった。一刻も早く読みたくなった。きっと中国語版を読む時と違う何かが発見できると思う。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • (やる気がない時)自然な日本語に添削していただけないでしょうか

    (やる気がない時)自然な日本語に添削していただけないでしょうか  日本語を勉強中の中国人です。文章力をつけたいので、作文の練習をしています。次の文章を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。  最近、やる気がない。誰かに厳しく叱られたい。運動会でのように声をあげて応援してもらいたい。以前どこかで見た海の波が岩を砕く、贈る言葉が「覚悟しろ」の写真を思い浮かべた。ちょっと海を見たくなった。波の音にも耳を傾けてみたくなった。  今日、仕事の帰りに友人と会った。ホンコンに出張に行っていた時の話をしてくれた。彼女の泊まっていたホテルの窓から、とても大きい広場が見える。毎朝そこでフィリピン出身のお手伝いさんが楽しくディスコをしている。心ゆくまでくねくねと腰を動かし、踊りの楽しみを十分享受し、全身全霊で踊っているようだ。彼女らの生活はとても苦しい。それでもあんなに元気に踊っている。私はその話を聞いて非常に励まされた。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか

     日本語を勉強中の中国人です。裁判所の判決書を中国語から日本語に訳しています。とても不自然に感じる文があります。自然な日本語に添削していただけないでしょうか。 「以上の証拠はどれも法廷で読み上げる、対質尋問などの法廷の調査手続きにより事実と判明した。証拠は確実で十分であることは、本裁判所が確認した。」  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。