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教会と中世ヨーロッパの人々の関係性について

教会と中世ヨーロッパの人々の関係性について (1)十分の一税  農奴やユダヤ人も十分の一税を納めたのですか?  また、その税の内のおよそ何%ぐらいが教皇庁(ローマ教皇)  に送られたのでしょう? (2)宗教改革でプロテスタントが広まった地域では  教会と民衆との関係性はカトリックのそれと比較してどう  かわったのでしょうか?  また、プロテスタントの地区では十分の一税はどのようになった  のでしょうか? (3)参考文献  中世ヨーロッパにおいて教会や聖職者が民衆の生活とどのように  つながっていたのか(経済的・精神的)を是非知りたいと考えてます。  例えば、庶子がいかに差別されていたか。破門は頻繁に行われていたのか?  十分の一税とは具体的にどのようなものだったのか?  このような疑問に答えてくれる、できれば分かりやすい参考文献を  ご教授いただけると大変有り難いです。

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みんなの回答

noname#125540
noname#125540
回答No.2

破門は、当時としては社会的に抹殺されるような深刻なものですから、そう簡単にはしなかったのでは・・・・・・???

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.1

1.1/10税は、キリスト教徒が教会に支払う税です。 よって、キリスト教徒ではないユダヤ人は支払いません。 ただし、全く無視していると、一般の人達の反感を買いますから、税としてではなく、寄付という事はおこなっていたと思われます。 奴隷の場合、収入が無い限り、支払う事はできませんが、農奴の場合は、収入がありますから支払う必要があります。(農奴は、移動などが制限された農民で、奴隷ではありません) 教皇庁への分に関しては、知りませんが、ほとんど無かったのではないかと思われます。 2.宗教改革のころには、1/10税はほとんど無くなっていました。 領主が1/10税分の収入を確保し、教会はその領主の保護下にはいるというスタイルが一般的でした。 教会と民衆の関係は、プロテスタント地域でも大きな差がありました。 イギリス国教会の地域では、カトリックの時代とほとんど変化はありませんでした。 ルーテル派の地域では、教会は世俗権力から離れた信仰や精神的安定、地域の共同体といった場になってゆきます。 カルヴィン派地域では、商工業者が結束し、封建的領主との対立の場になってゆきます。 アナバブテストの地域では、一種の社会主義的制度が作られ、領主層のみならず王権や商工業者らとの対立が深刻化します。

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