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回答(7件中 1~5件目)
私個人はそのような抽象的な言い方は好きになれませんね。
“気”なんて言われて納得できる人が一体何パーセント居るでしょうか、これはもう宗教の世界かと思います。
“気”とは訳の分からぬ言葉で相手を煙に巻くためのツールとしか私は考えていませんので初めから信用しません。
今の科学では説明できない未知のエネルギーが人体には有る、それが気だと言う声が聞こえて来そうですが21世紀の科学をもってしても存在すら確認できない気をなんで生身の人間に分かるのか全く意味不明です。
今度説明してもらって下さい「気って何ですか、詳しく教えて下さい」と。
科学では説明できない物だよ、と言う返事が聞こえて来そうですが。
投稿日時 - 2010-03-09 22:23:53
少し長くなりますがお許しください。
「気」は生命エネルギーであり生きているものすべてに存在しています。
「死」はその「気」が滅したときに訪れ、死体の「大椎(首の後ろの大きな骨の部分のツボ)」から抜けていきます。
「気」は「真気」と「邪気」に分類され、大自然の「良い気」を「真気」、病気や「良くない気」を「邪気」とします。
普通の整体やエステ、マッサージなど、人の身体に触れる仕事をされている方々は、自然に患者さんやお客さんの「邪気」をもらってしまいます。
質問者さんが、整体をしてもらった先生は、ほぼまちがいなく「邪気」を貯めておられたと思います。
その「邪気」を持った方に「気」を通されたのですから、当然「邪気」が質問者さんに入ってしまったということです。
ですから、本当の「気功師」であれば、治療後に患者さんから受けた「邪気」を必ず体外へ流す訓練もしていますので、「真気」のみの治療を施すので患者さんは改善されていきます。
ちなみに「外気功(動功)」「内気功(静功)」という言い方は、流派によってちがうので、「気」を患者さんに打ち込むことを「導引法」ともいいます。
「外気功」「内気功」は気功の鍛錬のやりかたとしていうこともあり、動きにより「真気」を取り入れるものと、すわってじっとしながら「気」を練るものとがあります。
「気」は「信じる信じない」というよりも「あるものはある、ないものはない」と考えます。
例えば、目の前にあるコップに対して、「ここにコップがあることをしんじますか?」ではなく「ここにコップがありますね?」といいます。
この感覚と同じ考え方が「気功」です。
はっきり言って、少し習ったからといって、自身の「気」を自由に扱えるものではありません。
何年か前に「気功ブーム」のようなものも少しあったと聞きますが、そのころに整体師さんや鍼灸師さんが気功をとりいれようとなさって、にわかに何十万という受講料を払い習われたと聞きますが、ある特定のレベルに達した気功師にしかできないことが山ほどあります。
一般的に「気功教室」やカルチャーセンターなどのものは、健康体操と変わりませんし、ほとんどの気功治療院はカイロ関係の方が、少し「気」が出るくらいでなさっていると聞いています。
「気功」はご自身でご自身の「自然治癒力」を高め、「運気」をも高めていくものなのです。
ほかのかたもおっしゃるように・・・「天気・空気・元気・病気」など、自然や人間の身体に関する事柄に、なぜ「気」という文字がつかわれているのか・・・まだまだ語り尽くせませんが、ご参考になればと・・・
投稿日時 - 2010-03-05 15:10:56
「気」は、人間の生態エネルギーであると私は考えます。
亡くなる気配のある方は、その気が弱くなっていることを誰しも感じたことがあるとおもいます。
大好きな人を見つめていると、その人が気がつくのも生態エネルギーを多く放出しているからだと思います。
人の気は磁石のように対流しており、男性と女性ではその流れが逆なようです。
「気になる」「気配がする」「気が変になる」「気持ち」など日本では「気」という言葉が日常的に使われています。
それは人が生きていく上で必要なエネルギーであると考えています。
(宗教ぽいですがちなみに私は無宗教です。)
投稿日時 - 2010-03-05 13:52:32