• 締切済み

織田信長は碁打ちを厚遇

織田信長は、絵描き、碁打ちを厚遇したそうです。 碁打ちは、敵の陣屋に入り込んで賭け碁をして歩いて、情報をとってくる役割を与えられていた、つまりスパイだった、という話を聞きました。 実際の戦で碁打ちの情報が役立ったという例はありますか。

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数3

みんなの回答

回答No.1

 俳諧師とか、渡りの仕事をするひと。遍歴や来訪の方はいろいろの情報があるでしょうね。  だから、白眼視や警戒もされるが、重宝だったと存じます。  遍歴の碁打ちのこととしては存じませんが、蜂須賀小六は野盗団ですし、秀吉はサンカの出身だとも言われますね。  孔子も長い訪歴をしますが、孔子のおかぁさんは巫祝の方ので、ご自身は婚外子(お父様は特攻的に先陣を切る、武力はあるが高い身分ではない武士だとか。お父様はご家庭があったそうです)だったとか。  巫祝、巫覡は当時、中国世界ですが、横断的世界であったそうですね。一応片耳に聞いておく論説ではありましょうが。 

goo-par1732
質問者

お礼

江戸時代、俳諧師の一部には隠密だった人がいるかも知れませんね。 私は、本因坊算砂にまつわる話ではないかと推定しています。 ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 織田信長がアスペルガー?

    時々人間関係にうまくいかないと、自分に問題があるのではないか? もしかして私はアスペルガー??なんて思ったりして アスペルガーについて調べてたのですが・・・ アスペルガーは人間関係が不得意でニート・引きこもりになってしまう事も多いが 反面、そのずば抜けた集中力で歴史上に偉業を残している人も多いとありました。 エジソン、レオナルド・ダ・ビンチ、ガリレオガリレイ・・・ そして織田信長。 なんかエジソンとか分かる気がするんです。 例にはなかったんですけど、ファーブルとかそれっぽいかなって。実際ファーブルはどうなのかしりませんが。 でも、織田信長ってどうなのですか? まぁ、冷徹で恐ろしいイメージはありますけども。そこがコミュニケーション障害なんでしょうか? なんか織田信長がアスペルガーっていわれるようなエピソードがあるのでしょうか? 軍事オタクなところですか? よければ教えてください。

  • 織田信長と徳川家康の関係

    この時代のテレビドラマは、大河ドラマをはじめとして非常に多く製作されていますが、見ていていつも気になるのは、織田信長の時代に、信長は家康を厚遇しているような描写が多いことです。その頃、確かに信長と家康は同盟していたとはいえ、力や勢いでは信長の方がはるかに上で、足利義昭にもあれだけ不遜な態度をとっていた信長が家康にだけ賓客のように扱っていたというのが信じられないのですが(秀吉に対しては「さる」なのに、家康に対しては「家康殿」などと言っています)。このような家康の「持ち上げ」は、やっぱり後で幕府を開いたことによる製作者のご祝儀相場であると考えていいでしょうか?実際の信長は家康に対し、もっと偉そうな態度をとっていただろうと考えている私が間違っているでしょうか?

  • 織田信長について、卒論を書こうとしているのですが・・ 

    卒業論文で織田信長について調べているのですが 知識と史料が乏しく、困っております; ●ある掲示板にて"侍女惨殺(竹生島参詣の事)"や "比叡山の焼き討ちはなかった"というような 書き込みを目にしたのですが、実際は・・? ●信長の"優しさ"がわかる話 (Ex.山中の猿 等 ●信長公記の信憑性はどれくらいか ●濃姫の行方 少しでも、ご存じの部分がありましたら 知恵を貸していただきたく・・;

  • 織田信長について

    問1.織田信長に関して、もっとも信頼性の高い伝記の著者を1人選びなさい。 A.太田牛一 B.フロイス C.小瀬甫庵 D.ザビエル E.新井白石 私はAだと思うのですが合っていますでしょうか。 問2.桶狭間の戦いについて、史実として正しい文を1つ選びなさい。 A.上洛しようとする今川義元に対して、信長が迎えうった戦い B.大軍の今川義元は油断して、谷間に布陣したため、うたれた。 C.織田信長は、常に今川方から見えるところで行動した。 D.織田信長は、山中を迂回し今川方を奇襲して、勝利した。 E.この戦いでの義元の戦死により、今川氏は直後に滅亡した。 私はCだと思うのですが合っていますでしょうか。 問3.桶狭間のあった現在の件名を一つ選びなさい。 A.岐阜県 B.静岡県 C.三重県 D.愛知県 E.滋賀県 私はAだと思うのですが合っていますでしょうか。 問4.今川方の鳴海城の付け城として、信長が築いた城郭を1つ選びなさい。 A.大高城 B.丸根砦 C.善照寺砦 D.清州城 E.沓掛城(←何と読むのでしょうか?) 私はCだと思うのですが合っていますでしょうか。 問5.墨俣一夜城について、史実として正しい文を一つ選びなさい。 A.その短期での築城は、豊臣秀吉の軍事的天才をよくあらわしている。 B.この城が交通の要地にできたことが、斉藤氏滅亡に直接つながった。 C.佐久間信盛や柴田勝家らの信長家臣は築城に失敗した。 D.蜂須賀小六の書状と関連するこの城の図面がのこっている。 E.江戸時代に創作され明治になって完成したフィクションである。 私はCだと思うのですが合っていますでしょうか。 問6.姉川の合戦と直接関係のない人物を一つ選びなさい。 A.足利義昭 B.浅井長政 C.朝倉義景 D.徳川家康 E.毛利元就 私はEだと思うのですが合っていますでしょうか。 問7.姉川の戦いについて、正しい文を一つ選びなさい。 A.信長は妹婿の柴田勝家の裏切りにより、一時危機に陥った。 B.武田氏の居城小谷城を落城させた後、両軍の決戦が行われた。 C.主力どおしの平坦地での正面決戦は、戦国時代では珍しい合戦であった。 D.徳川軍の敵に気付かれない大きな迂回作戦が、勝利につながった。 E.この戦いの勝利の後、信長は初めて京都に上ることができた。 私はCだと思うのですが合っていますでしょうか。 問8.長篠の戦について、誤っている文を一つ選びなさい。 A.長篠城は、信濃・美濃・遠江などから山地を抜けて、平地に出るところにあった。 B.戦いは長篠城を武田方が大軍で包囲したことをきっかけに、開始された。 C.勝利には、信長が長篠城救援の精鋭別動隊を結成したことが、大きかった。 D.織田・徳川連合軍は、三千挺の鉄砲を三隊に分けて一斉射撃した。 E.織田・徳川連合軍の兵力が、武田方に勝っていたことが、最大の勝因である。 私はDだと思うのですが合っていますでしょうか。 問9.戦国時代の鉄砲について、誤っている文を一つ選びなさい。 A.信長は堺などを通じて多くの鉄砲を所有し、他の戦国大名より有利な立場にあった。 B.身分の低い足軽たちが、立ったまま数発の連続射撃が可能な武器であった。 C.人により状況により準備がまちまちであったため、一斉射撃は困難であった。 D.火薬を銃口から注ぐため、立ったままでの装填が望ましいが、敵の標的になりやすかった。 E.鉄砲、弓、槍などをもった兵士たちが協力して、互いの弱点を補い合った。 私はBだと思うのですが合っていますでしょうか。 問10.本能寺の変について、誤っている文を一つ選びなさい。 A.明智光秀単独の謀叛とは考えにくく、背後に前将軍足利義昭の謀略があった。 B.直前に武田氏を滅ぼし、広大な旧武田領が信長の手中に入ったことと関係がある。 C.信長の重臣たちの動向を綿密に計算した、明智光秀による謀叛である。 D.信長が近習だけを連れて上洛したのは、毛利氏との対決のためであった。 E.事件直後、豊臣秀吉が毛利氏との和睦に成功したのが、光秀最大の誤算であった。 私はCだと思うのですが合っていますでしょうか。 ご教示お願い致します。

  • 織田信長の首はね

    織田信長は利己的な反面、楽市開設や関所撤廃など誰も当時では誰も考えもしなかったことを次々開拓していくパイオニアでもありました。戦さに於いても機転が効き英断力もあり、鉄砲の導入、兵農分離など、時代の背景情勢を見抜く観察眼に優れた人物だったように思えます。 自らを第六天魔王と呼びその象徴とも言うべき豪華絢爛な城を建てたうえカリスマ性、畏怖にも似た凄まじいパワーで家臣を引っ張っていったように感じます。 そこで質問ですが気性の荒いことで知られる信長は実際、その場(畳敷きの間)で我慢ならず家臣や小姓の首をはねていたのでしょうか?そしてそういった行動が事実としてあったならばそれはただ単に彼の安直的な感情の爆発からくるだけの衝動だったのでしょうか?(後々の人事、政策などのことをちゃんと計算して首をはねていたのか?または他の家臣に精神的に与えるそうゆうパフォーマンス行為だったのでしょうか?) またそういったことをした、と解明できる実証力のある文書って残っているものでしょうか? ドラマや映画ではよく怒ると謁見の間で刀を抜き、部下の首筋に当ててたりするシーン多いですが人を首から斬ろうものなら辺りは血の海ですよね。その後始末も本人がしないとしても相当大変な気がします。外まで連れていってはねていたのかしら? 色んな回答お待ちしております。

  • 織田信長が死なず鎖国がなかったら世界史は?

    織田信長が死なず,徳川家が江戸幕府をつくらなかった場合, 日本は鎖国をしなかったと思います。 1600年代には,大航海時代に突入したヨーロッパは,東南アジアをはじめとして,世界を植民地化していたわけですが, 鎖国をせず,海外と貿易活動を積極的におこなっていたとしたら, 日本は,世界に覇権をとなえる,列強のひとつになっていたでしょうか。 日本は,実際の歴史では,鎖国のあと,明治以後に急速に西欧化にすすめました。 世界の流れに300年遅れていたにもかかわらず,「最後の帝国主義国」のひとつになったわけですが, それなら,鎖国をせず,海外の情報,技術を積極的に取り入れていたら, 実際の歴史よりも,有利に,世界史に関与できたはずです。 はたして,日本は,西欧以外で唯一の帝国主義列強になっていたでしょうか。 (実際の歴史でも列強にはなっていたわけですが)

  • 桶狭間の戦いで信長が負けていたら

    織田信長は絶体絶命の不利な戦況から、今川義元を奇襲して討ち取りました。 実際は奇襲ではなく正面突撃だったという説もあるようですが、いずれにせよ起死回生の攻撃に成功したわけです。 そしてこの勝利が天下への第一歩となったわけですが、もし失敗して信長が返り討ちにされていたら、その後の歴史はどうなったでしょうか? 信長が歴史から消えたら、後の天下人の秀吉家康も日の目を見ることはないでしょう。 今川義元はこの時点で上洛を考えていたわけではないようですし、仮に上洛しても大内や三好のような一時的政権を作るのが精々ではないでしょうか? 武田、上杉、北条、毛利等有力大名はいますが、信長のように一挙に中世を終わらせて近世を作り出せる者はいたでしょうか? 実際の歴史には現れなかった、信長の役割をする英雄がどこからか誕生するのでしょうか?

  • 桶狭間合戦でなぜ今川義元は信長に敗れたのですか?

    僕は歴史が苦手(というか全くのど素人)です。ところで、桶狭間合戦は今川勢2万5千、織田勢2千5百の兵力で、なぜ今川義元が敗れたのか理由が分かりません。 そもそも、 (1)織田方は迂回奇襲をしたのですか?それとも正面攻撃をしたのですか? (2)大将たる今川義元は、鳴海・大高両城付近から敵が掃討された後、沓掛城を出ればよかったのに、なぜ後方に陣取らず、先陣切って最前線に出てしまったのですか? (3)織田信長は、義元の首を取った毛利新助よりも、簗田政綱を功第一としたそうですが、これでは毛利新助は怒り出してしまわなかったのですか?

  • 首級について

    戦国時代は戦闘終了後、敵の階層も含めた首実検により戦功が決められたようで、戦の最中誰が誰を討ち取ったか等々それを見てる役割の役人もいたようです。(ウィキペディアや他の資料で大体調べました) 質問ですが大規模な戦闘で(設楽ヶ原、四次川中島、関ヶ原のような)敵味方入り乱れるような戦でもその戦見付?みたいな人は全ての戦功(足軽に至るまで)を目視してたのでしょうか? 時代背景、大名や戦闘場所により異なるでしょうが何人の兵に対して大体何人のお見付けがいたのでしょうか?(実際、戦に赴く者の立場になったら重要だと感じました) また、戦闘中に可児(笹の才蔵)のよう首を馬にぶら下げてたのは事実でしょうか?(戦闘中、敵の首などまともに切ってたら背後からやられそうです) やはり戦が終わったあと順々に戦死者から首をあげてたのでしょうか? その辺のことを詳しく知りたいと思いました。複数回答ですがよろしくお願い致します。

  • ○○家の○代目、という言い方(数え方)について

    ○○家の○代目、という言い方(数え方)について フィギュアスケートの織田選手は、織田信長の末裔で 信長から数えて17代目だそうですが この○代目という言い方(数え方)についての疑問です。 織田選手にはお兄さん、お姉さんがいるそうなのですが このお兄さん、お姉さんも全員「17代目」になるのでしょうか? となると、織田選手の父方の親戚で、織田選手から見た従兄弟がいた場合 その人達も全員「17代目」ってことなのでしょうか。 よくよく厳密(?)に考えたら、織田選手のお父さんが長男なら お父さんが16代目で、織田選手のお兄さん(長男)が17代目ということになって 織田選手(次男)は普通17代目とは言わないような気がしないでもないのですが 私の理解は間違っていますか? 織田選手については、ただマスコミが分かりやすく 「17代目」って言ってるだけなんでしょうか。 また、織田選手にはもうすぐお子さんが生まれるそうですが、 織田選手のお子さんが「18代目」ということになるのでしょうか。 けど、普通に考えてお兄さん(長男)が家を継ぐという形になって 織田選手の家(織田選手と奥さんとお子さん)は分家っていう 形になるのかなって思うのですが、お兄さんが結婚して お子さんが生まれたら、そのお子さんも同じく「18代目」という 数え方になるのでしょうか? お姉さんの場合は、他の家に嫁いだ時点で織田家からは離れて たとえお姉さんにお子さんが出来ても「18代目」とか 織田家の血筋ではなくなるわけですよね・・・? ○代目とかいう数え方がいまいちよくわかりません。 わかりやすい例として、織田選手の例で質問させていただきました。